第46話 食事会
「いらっしゃい、リムちゃん。しばらく見ないうちに大きくなったわね」
セリアはリムに優しく微笑みかけた。
一方のリムは体をかちこちに固めていた。先程のぶっ壊れ状態からは戻ったものの、今は極度の緊張で全身汗びっしょりとなり、目を大きく開いて、体を小刻みに震わせている。どこからどう見ても怯える子犬だった。
レナードはそんなリムの一歩後ろで片膝をつき、恭しく頭を下げている。
「ほ……法皇猊下におかれましても、ご、ごそ、ご壮健のご様子で、しゅう……ちゃくし、し……」
祝着至極と言いたかったのだが、緊張で口が回らず、かつ頭が真っ白になり言葉が出てこなかった。混乱で目がくるくると回りだし、今にも頭から湯気を噴き出さんばかりになっている。
もっともリムは意味を一切解らず言っている。レナードに、法皇猊下にお目にかかった際になんと言えばいいのか、と尋ねたら教えてくれた言葉を言っているだけだった。
壮健はまだしも、祝着至極など少女が使う言葉では無い。せいぜい、お喜び申し上げます、ぐらいのものだ。だが、レナードはその事に一切気が付いていなかった。レナードも緊張で頭が激しく混乱している。
レナードはエミリーナ教の信仰は失ってはいない。周りの説得を振り払い、自らグランナイツの職を辞した身だ。とてもでは無いが、法皇の前に立てる立場では無かった。
セリアは微笑みを絶やさぬまま、リムに歩み寄り、手を取った
「そんなお年寄りみたいな言葉使いをしなくていいのよ。普通通りにはなしましょ?」
「そ、そんな失礼なことは……」
「昔は『お母さん』って呼んでくれたじゃない。短い間でしたが、私はリムちゃんのことを今でも娘だと思っているわ。母と娘でそんな他人行儀な話し方はやめにしましょ?」
「あ、ありがとうございます」
リムは感動で涙が出てきそうになっていた。
リムがセリアの元で世話になったのは2年以上前で、それも2週間だけだ。覚えていてくれただけでも感動なのに、今も娘と思ってくれていると言ってくれたのだ。
実の母に捨てられたリムにとって、心にしみいる優しく嬉しい言葉だった。
「そちらがリムちゃんの婚約者さんですね」
セリアはレナードに目を向けた。レナードは頭を下げたまま、挨拶をする。
「お初にお目にかかります。私は……」
「あら、初めてではありませんよ、レナード殿」
驚きでレナードは思わず顔を上げた。セリアはレナードを見てにっこりと微笑む。
「7年前、貴方が兵科学校卒業の際、私は貴方の首に勲章を差し上げました。お忘れですか?」
「……申し訳ございません」
レナードは再び頭を下げた。同時に内心で舌を巻いた。
確かにレナードは一度セリアに会っている。7年前の兵科学校卒業の際、成績最優秀であったレナードは、法皇の妻であったセリアから直々に勲章を賜る名誉が与えられたのだった。
「エミリーナの騎士の名に恥じない心を常に宿し、精進して下さい」
そうレナードは話しかけられた。その時のセリアの優しい眼差しは今でもはっきりと覚えている。
しかし、会ったのはそれ一度きりだった。当然話もした事は無い。さすがに忘れているだろうと思っていた。
「さあさ、レナード殿も顔を上げて下さい。2人ともこちらへどうぞ、お茶でもお出ししますから」
「いえ……そんな恐れ多い」
「ふふ、そうはまいりませんよ。お二人からはセイジさんのことを、詳しくお聞きしなきゃいけないんですから」
「隊長のこと……ですか?」
「そうです。クレアちゃんがセイジさんにボディブローをする為の秘策をね」
「「は?」」
楽しそうに話すセリアを尻目に、レナードとリムは顔を見合わせた。
セイジは部屋で胴田貫をあらためていた。
荒砥石で刃の部分を軽くこする。刃の表面をざらざらにすることによって、摩擦力を強くする。こうすることにより滑らかな刃より格段に切れ味が良くなる。
これを寝刃を合わせるという。飾る刀には必要の無い、人を斬るための準備である。
ちらりと窓の外を見た。もうすっかり外は夜の帳が降りている。既に時間は7時半を回っていた。部屋の明かりに反射して、セイジの顔が窓ガラスに映り込んだ。
その光景を見ながら、どこかセイジの心はざわめいていた。さっきから嫌な予感がしていた。
嫌な予感がなんなのか、それはセイジにもさっぱり解らない。鉛を飲んだ様な重い感覚が、絶えず胸の所で渦巻いている。
何が不安なのだろう、とセイジは自問した。敵が襲ってくるとでも言うのだろうか?
メルドムは四方を強固で巨大な壁で覆われた、いわば要塞だ。現在ではファイナリィ1落とすのが難しい都市だと言われている。
更に、今ここにはエミリーナの兵士と、メルドムの警備兵が合わせて1000人以上いる。話を聞く限り、夜も寝ずの番をして見張っているらしい。襲うはどう考えても不可能だ。
敵が襲ってくるならば明日の道中だろう。マルヴィクスに向かう途中に襲う。セイジが襲撃者の立場ならそうする。このメルドムを襲っても、勝てる確率は万に一つも無い。
だが、さっきから胸はざわめき続けている。それを誤魔化すかの様に武器の手入れをし始めた。もっともざわめきは一向に止まらず、時間をおって強くなる一方だった。
ロウガの話を聞いちまったからかな。
ふと、セイジはそう思った。
数時間前、セイジとロウガは部屋で酒を酌み交わしていた。
テーブルの上には戸棚に入っていた中で一番高い酒が置かれていた。後は皿に乱雑に盛られたチーズと、無造作に器にぶちまけられたクラッカーがあった。
ロウガは飲むと解ると、酒を持ったままそそくさと部屋を出て行った。すぐに返ってきたロウガの手にはクラッシュアイスが入ったバケツと、適当に盛られたつまみがあった。どう見てもホテルの人間が盛ったものでは無い。どこからどう持ってきたのか一切不明だが、セイジは特に聞かなかった。
「ロウガ、一つ聞きたいことがある」
「んー、なんだ?」ロウガはグラスを傾けたまま、ちらとセイジに目を向けた。
「今、グランドナイツとロウガ傭兵団がやり合ったらどっちが勝つ?」
「99.9%、ウチが勝つ」
ロウガは何の逡巡もなく、即座に言い放った。
「エミリーナとウチの上位10名同士一対一ってんなら向こうが有利だ。だが、100対100ならウチだ。断言出来る」
「つまり栄光の10人以外はたいしたことが無い、と」
「そこまでは言わんがな。昔に比べて質が低すぎる。昔の水準なら半分以上は脱落している」
ロウガはチーズとクラッカーをばらばらと口に放り込むと、酒でぐいと流し込んだ。高価な酒が泣く様な飲み方だ。
「なんだ、今日グランドナイツを見て幻滅したのか?」
「そういうわけでは無いが……」
セイジは口の中で言葉を転がした。
幻滅というよりは驚きだった。話に聞いていたグランドナイツとの格差にだ。
心身共に強い者が上に行く、生まれ育ちは関係ない。そう聞いていた。貧しい家庭の子供が、立身出世するためにエミリーナの騎士を目指すことも珍しいことでは無かった。
「まあ、それも止むなしか。今日ここには7人のグランドナイツが来ているが、お前に及ぶ者は一人もいない。ゼオは年だからともかくとして、他の奴らはあの程度でグランドナイツを名乗るにはおこがましいレベルだ。
昔はな、絶対的な強さと信仰心。これがグランドナイツになるための資格だった。ところが今は違う。家柄がどうこう言う奴が現れたって話だ。身分とコネ、この二つが教団で上がっていくための条件らしい。笑っちゃうよな、ゼオだってしがない農家の三男坊だし、元法皇も商人の息子だったのによ」
「……どうしてそうなった?」
「平和になったからだと俺は思う。昔はドラグーンとファイナリィを牽制する意味もあって、教団の兵士は常に強さを求められた。戦争が終わり、その必要もなくなった今、一気になあなあになっていった。そういうことだろう」
ロウガは空いたグラスに二杯目を注ぎ始めた。
「さっきお前に突っかかっていったあの大男……ロベルトとか言ったか? 力だけは見所がありそうだが、それ以外がさっぱりだ。昔ならあんな男がグランドナイツになれるわけが無い。親父がどうこう言っていたが、それがなれた原因だろう」
「親の七光り、だと」
「今は大概そうらしい。実力で上位に言った者達が、馬鹿息子達を無理矢理ねじ込む。息子が可愛いのか老後のためかは知らんが、愚かなことだな」
注いだ酒をロウガは一気に煽った。すぐに3杯目に取りかかる。
「レナードがいい例だ。奴をグランドナイツに選出しようと言う話があったらしい。性格はともかくとして、実力はあるからな。だが、その時こういう意見がでた。『彼は親に捨てられた孤児である。グランドナイツになれる身分では無い』とな。その意見一つで奴はグランドナイツになれなかった」
セイジは目を見張ってロウガを見た。ロウガはにやにやと笑いながらグラスを手の中で回していた。
「信じられねえ、って面だな」
「ああ。だが……」
そこまで言って、セイジは黙った。
「平和になって教団の方も腐っちまったって事かな? いや、腐ってるは言い過ぎか。まあ、今はカビてる程度か。まだカビてる部分をとれば間に合うがな」
「間に合うか?」
「上がおかしくなっただけで、下はしっかりとしている。命張って教道に殉じられる男達だ。まあ、このままだといずれはどうなるか解らんがな。上が腐れば下も腐る。これが道理だ」
ロウガの言葉に返事をせず、セイジは黙ってグラスを傾けた。
一杯で止めるはずが二杯目に行っていた。しかし、ちっとも酔いは来なかった。
扉がノックされた。セイジは思考を止め返事をする。扉が開き、クレアが姿を見せた。
「セイジ様、夕食の準備が出来ました」
「……ああ」言われて思いだした。そういえばセリアと夕食を食べる約束をしていた。
セイジは砥石を置き、胴田貫を鞘に戻して、腰に差した。
あの拷問の食事を今日は法皇猊下と一緒にか……。
考えるだけでげんなりとした。さっきから感じていた嫌な予感の正体はこれなのかと思う。
「どうかされましたか? セイジ様」
刀を差したまま動こうとしないセイジを見て、クレアが首をかしげた。
「いや、何でも無いよ。猊下をお待たせするわけにはいかない。行こうか」
「はい」セイジは小走りでクレアの元に行き、法皇の待つ隣の部屋に向かった。
「お持ちしてました、婿殿。さあ、こちらへどうぞ」
部屋に入ると、セリアは先程まで存在していなかった8人掛けのテーブルに座っていた。手を差し出して座る様に促している。
なるべく離れた席に座りたかったが、セリアの手はすぐ左隣を指している。逆らうことも出来ず、セイジはそこに腰掛けた。
すると思わぬ人物が目の前にいた。
「レナード、リム、それにゼオ殿も」
セイジのすぐ目の前にレナードがいた。じっと目をつむり、ぴくりとも動かない。レナードを挟んで左側にリム、右側にはゼオがいた。
「こ、こんにちわ……じゃないこんばんわ、ですね」リムが硬い表情で笑った。
「やあ、セイジ殿。私もご相伴にあずからせてもらうよ」ゼオは笑って手を上げた。
ゼオはともかくとして二人も食事に呼ばれたのか。少しだけセイジは気が楽になった。レナードは無理としても、リムがいれば話題は自分だけでは無くなる。いざとなれば無理やり振る手もある。
「クレアちゃん、じゃあ持ってきて下さい」
セリアが声をかけると、少し離れた所から「はい」と言うクレアの声が聞こえた。
おや、とセイジは辺りを見回した。クレアがどこにもいない。てっきり自分の隣に座ると思っていたのだが席が空いていた。
するとクレアが大きなカートを押してこちらにやってきた。クレアはセイジの所まで来ると、カートから皿を取り出し、目の前に並べた。
それはおかずが盛りつけられた皿だった。金目鯛の煮付け、肉野菜炒め、天ぷら、サラダ等々次々と並べられていく。
普通、料理は一品一品出していく。こんなにいっぺんには並べない。セイジの目の前に5皿と小鉢2つが所狭しと並んだ。
先程の侍女2人も同じようなカートを押していた。セリアやレナード達にもおかずの載った皿を置いていく。ただ、セイジほど量は多くなく、せいぜい各員2、3皿だった。
「セイジ様はご飯は大盛りでいいですか?」
セイジはクレアの方を向いた。カートの下段にはお櫃に入ったご飯があり、クレアはどんぶりを持ってセイジを見ていた。
「ああ……うん」セイジが頷くと、クレアはどんぶりにてんこ盛りにしてセイジの前に置いた。反対側から手が伸びてきた。侍女が大きめのどんぶりに味噌汁をよそい、セイジの前に置いた。
「はい、じゃあ、セイジ殿からどうぞ」
隣のセリアがにこにこしながらセイジを促した。
「え、いや、自分が先に頂くわけには」
「いいのよ、今回はセイジ殿が主役なんだから。これはみんなクレアちゃんがセイジ殿に食べて欲しいって作ったんだから」
「へ?」セイジは顔をクレアに戻した。「クレアが作ったのか? これ」
「私だけでは無いです。リムちゃんにも手伝ってもらいましたから」
「いえ、私はお米炊いたりとか盛りつけとかそんな程度です。クレア様がほとんどお一人でやられました」
セイジは目の前のおかずに視線を戻した。かなりの手間がかかると思われる料理を、ほぼ一人で作ったというのか。
確かにこの料理はホテルの料理人が作る様なものでは無い。一般的なお総菜……普通の家庭で出される様な料理だ。
「さあ、セイジ殿、冷めないうちに。また温め直すのも面倒ですから」
「は、はい……」再び促されてセイジは箸をとった。この場にいる全員が視線を向けている。針のむしろな気分でセイジは箸を延ばした。金目の煮付けを取り口に運ぶ。
隣に座ったクレアが不安げな面持ちで見守っていた。
「………………」
セイジは黙って咀嚼し、嚥下する。次に野菜炒めを取り、口に運ぶ。やがて飯をかっ込み始め、味噌汁をすする。
「……あの婿殿?」
さすがに焦れたセリアがセイジに問いかけた。
「むぐ? ……はい?」
口に入ったものを慌てて飲み込み、セイジは返事をした。
「ええと、ご感想は?」
「あ」とセイジは声を漏らした。慌ててクレアの方に向き直る。「うまい。美味いよクレア」
「本当ですか!?」不安そうだったクレアの顔がぱっと華やいだ。
「ああ、感想言うのも忘れて夢中で食べていた。すまない」
「いえ、そんな、嬉しいです」それは最高の褒め言葉だった。
「あらあら、それでは私達も頂きましょう」
セリアの声を皮切りに、全員が箸を延ばし始めた。
「わ、おいしい」
「おお、さすがですな、クレア様。魔法だけでは無く、料理の腕も超一流とは」
リムとゼオが声を上げた。レナードは無言で料理を口に運んでいるが、仏頂面だった表情が和らいでいた。レナードもまた料理に舌鼓を打っている様だ。
料理は本当に美味かった。感想も言うことを忘れ、次々と料理を口にぶち込み、飯をかっ込む。
料理のチョイスも良かった。セイジの前に並んでいる料理は好物ばかりだった。味付けもセイジ好みの味だった。
そうか、とリムを見る。リムがクレアに自分の好みの料理を教えたのだな、と思った。
セイジはレナードの家で食事をすることも多い。当然リムはセイジの好む料理も知っている。
リムは参謀となり、クレアにアドバイスしたのだろう。先程呼ばれたのもそのせいかと納得した。
「うーん……確かにおいしいんだけど、ちょっと味付け濃いかなー。特に味噌汁がねー」
一方、隣にいるセリアは味噌汁片手に眉をひそめていた。
まあ、女性には濃いだろう、と思う。特にセリアは代理とは言え法皇だ。こんな粗雑とも言える食事など普段はしないだろう。
セイジにとっては味噌汁は大変いい味だった。セリアがいなかったら、ご飯にぶっかけて一気にかっ込んでいる。
「ああ、こうして家庭の味は男の好みの味に塗り替えられていくのね……」
セリアは味噌汁を胸に抱いて、よよと泣き崩れるまねをしていた。
そんなことしたら法衣に味噌汁つきますよ、と言おうかとしたが、やぶ蛇になるだろうからやめておいた。
「セイジ様、どうぞ」
すっとクレアが四角い皿を差し出してきた。
すぐ隣に黒い鉄瓶があった。セイジが皿を受け取ると、クレアが鉄瓶の中の液体を注ぐ。
「焼酎か」ニオイに嗅ぎ覚えがあった。お湯割りの焼酎だ。
「はい、ファイナリィの料理にはこれが一番合うと、昨日マイナの女将さんに聞きました」
「あ、クレアちゃん、私にもちょうだい」
泣き真似を止め、セリアが言った。が、クレアはにこにこしながら首を横に振る。
「お母様はダメです。お酒飲むとおかしくなっちゃいますから」
「今日は大丈夫よ。……きっと」
「またいつかの様な醜態を見せられたら大変です。法皇が終わるまでは禁酒とご自分で決められましたよね?」
「うう……クレアちゃんの意地悪」
「はっはっは! 男が出来れば変わりますな、猊下」
ゼオが大声で笑った。セリアは面白くなさそうに口を尖らせている。
……酒癖悪いのもそっくりの様だな。
味噌汁を飲みながら、セイジはそう思った。
ともあれクレアの料理はセイジの腹に良く染みたのだった。




