第44話 義母上
本気か……。
セイジは固まっていた。固まったまま、視線だけを左右に動かし、部屋を見回す。人の気配は一切感じられなかった。
視線を上げ、天井を見る。そこにも人がいる気配は無い。
考えられる事は二つだった。
一つはセイジに気配を察知させない超達人が、この部屋のどこかに潜んでいる。
もう一つは本当にこの部屋にいるのは法皇とセイジのみ。
どう考えても後者の確率が方が高い。一国の王に等しい存在と、セイジは一対一で対面している。
「さあさ、婿殿、これで二人きりですよ。お邪魔はいませんから、気を楽にして下さいね」
そんなセイジの緊張を知ってか知らずか、セリアは微笑んだ。
「何か飲まれますか? お茶とか紅茶とかありますけど」
「い、いえ……結構です」
セイジは絞り出す様に声を出した。本当は、緊張で喉はからからになっている。
「あ、お酒がいい?」
「あの……仕事中ですので」
「婿殿、まだ緊張している?」
「いや……まあ」
はいそうです、とは言えず、セイジは言葉を濁した。
あの二人の侍女はいいとしても、まさかクレアも席を外すとは思わなかった。
法皇と一傭兵。立場としては姫と野良犬どころでは無い、神と羽虫ほどの格差があった。そんな天と地ほども違う二人が、部屋に二人きりなのだ。
「緊張しなくていいのに」とセリアは笑った。「何をそんなに身を強張らせているのですか?」
「失礼かとは存じますが……あまりにも不用心すぎるかと」
「そーお?」とセリアは小首をかしげた。そういう所もクレアにそっくりだった。
「でも同じ事では無いですか」
「え?」
「たとえ武器を取り上げたとしても、セイジ殿ならば素手で簡単に私を殺せるでしょう?」
首を傾けながら、セリアはにっこりと微笑んだ。
が、セイジはどきりとして、身を固くする。
確かにセリアの言う通りだ。セイジならば片腕一本で、悲鳴一つあげる間もなく殺すことが出来る。
「セイジ殿は私を殺したいのですか?」
「ま、まさか! そのようなことは決して」
「ではよろしいではないですか。お気になさらずとも結構ですよ」
一体、何を考えているんだ……。
セイジはじっと微笑み続けているセリアを見ていた。その心はまるで読めない。何を考えているのかさっぱりと解らない。
セイジはかつて無いほど緊張していた。目の前にいる細く非力な女性に、完全に気圧されていた。
「あ……もしかしてクレアちゃんとのことを気にしているのですか? それなら心配いりませんよ。私は二人の婚約になんら反対はしていませんから」
セリアはにっこりとセイジに微笑んだ。セイジも「はぁ」と曖昧な返事をする。
もっともその事は既に解っていた。セリアから敵意を一切感じないからだ。クレアと別れさせようとするならば、どうしたって敵意はにじみ出るものだ。
それに先程から、時折セイジのことを「婿殿」と呼んでいた。最初は何か嫌みか牽制のために言っているのかと思ったが、そうではないようだ。セリアからは喜々としたオーラしか伝わってこない。心からセイジとクレアを祝福してくれているのが解る。
「ほらねー、クレアちゃん、ちょっと普通の女の子と違うところあるじゃ無い? もしかしてその事につけ込まれて、ろくでもない男に引っかかるんじゃないかって心配してたのよ。これでもうクレアちゃんは安心だわ」
にこにこと微笑みながらセリアは言った。本当に機嫌が良さそうだ
セイジは思いきって気になっていることを聞いてみることにした。
「その、一つお伺いしたのですが」
「なあに? ここには婿殿と私しかいないのですから、何でも聞いて下さい」
「私とクレアでは立場というか……身分がずいぶん違いますが、猊下はそれでもよろしいのですか?」
「あら、それは私に対する嫌みでもありますよ」
「へ?」セイジはまじまじとセリアを見た。
「私は元々ドラグーンの貧しい農家の次女ですもの。仕事の道中で、たまたまウチで休憩していたお父さんが私に一目惚れして、結婚を申し込まれたんです」
セリアは当時を思い出す様に視線を上げ、両手を頬にあて体をよじらせていた。
「お父さんは本当に素敵で逞しいな方でねー、結婚したらグランドナイツのお仕事を一月丸々休暇を取って、二人で新婚旅行と偽ってホテルにこもったんです。その間、もうのべつ幕なし、朝から晩までそれはそれは……」
「あ、あの、猊下?」
「あ、あら、ごめんなさい」
あらぬ方を見つめ、とろけていた様な表情を戻し、セリアはセイジの方に向き直った。
「まあ、とにかく結婚に身分は関係ありませんので、婿殿もクレアちゃんと思う存分いちゃいちゃしていいのよ」
身分は関係無い……か。
セリアの言葉を脳内で反芻しながら、セイジは先程の大男を思い浮かべる。
傭兵など身分の低い者、と頭から馬鹿にし、クラウスを妾の息子と蔑んだ。自分の父の威光を、さも自分の威光と勘違いし、力の差も理解出来ない愚者。騎士とはほど遠いこの男が、驚くことにグランドナイツだという。
セイジが思い描いていたグランドナイツとは大きく乖離していた。そもそもグランドナイツとは完全実力主義の、栄誉ある騎士団では無かったのか?
生まれも育ちも関係なく、ただ肉体的に、精神的に強い者がのし上がる。それがグランドナイツだと聞いていた。だが、今日の出来事を思えば、それはただの外面だけだったとしか思えなかった。
生まれと身分に左右された縁故主義の集団……セイジの目にはそうとしか見えなくなっていた。グランドナイツがそうだとすれば、教団もまたそうなのでは無いか? そう思えてしまう。
「そうそう、私も婿殿に一つ聞きたいことがあったんです」
「はい、何でしょうか?」
セイジは思考を止め、セリアを見た。セリアはにこにことしていた表情から一変し、真剣な表情になっていた。
さあ、何を聞いてくる……。
セイジは腹に力を込めた。先程、廊下で待っている間に様々な質問を想定し、答えられる様にしておいた。ある程度のことなら受け答え出来るはずだ。
が、セリアの質問はそのどれでも無かった。いや、想定のレベルを遙かに超えていた。
「あの……婿殿って……もしかして腎虚?」
ぶっ! とセイジは思いっきり噴いて、むせた。
「その……あの子達がいると言いづらいかなって思って……もしそうだとしたら相談に乗りますから」
どこか恥ずかしそうにセリアは身をよじった。一方、セイジは床に手を突き激しくむせていた。
腎虚とは生殖能力の機能不全、すなわち精力減退を指している。
要はセイジに「あっちの方がもうダメなんですか?」と聞いてきた訳だった。
「恥ずかしがらないでいいのよ? 若くしてなることもままあるそうだから。今は昔と違って副作用の少ないお薬もありますし……」
「いえ、あの、私はまだ大丈夫ですので」
復活したセイジが顔を上げた。セリアは「あら、そうなの?」と言って目を丸くしている。
「な、何故私が腎虚という事になったのでしょうか?」
「だってクレアちゃんに聞いたら、まだ婿殿と初夜を迎えてないって言うから……」
あんた何聞いてるんだ! クレアも何正直に答えてるんだ!
セイジは心の中で叫んだ。
「でも、大丈夫ならなんでクレアちゃんとしてないの?」
「あの……私とクレアは出会ってまだ4日ほどです。そういった行為は、もっとお互いを深くわかり合ってから……」
「甘いわ! 婿殿!」といってセリアは細い指をビッとセイジに突きつけた。
「まだ4日では無くてもう4日です。その間、あなたたちは寝屋を共にしてきたはずです。違いますか?」
「え? いや、同じ部屋にいたと言うだけで……」
「同じ事です。4日間も想い合う男女が寝食を共にして、何もしていないというのはあり得ません。もはや犯罪行為に等しいと言えるでしょう」
……いきなり寝食共にしただけで襲いかかる方が犯罪的だと思うが。
セイジは心の中で思う。もちろん口にはしない。
「4日間も寝屋を共にしたのであれば、もう10回は事に及んでいてもおかしくはありません。いえ、それが普通と言えるでしょう。私がこの前読んだ雑誌にもそう書いていりました」
「……その雑誌、なんというタイトルですか?」
「え? ナンナンって雑誌ですけど」
「ちょ」危うく突っ込みそうになったのをセイジはすんでで堪えた。
ナンナンとは主に中、高等部向けの少女向けに作られている雑誌の一つだ。戦争終結後、こういったカルチャー雑誌が多く刊行される様になっていた。
ナンナンは主にファッション雑誌と言われ、十代のオシャレ等を特集した雑誌だった。ドラグーンとファイナリィの両国で発売されている。
しかし、内容は性関係……特に男女の営みについての特集が多く組まれており、中、高等部の少女に見せるには内容が適さない、と今問題になっている雑誌でもあった。
それに、ナンナンがいただけない、と言い出したのは教団だったはずだが……。
セリアは気にしたふうも無く話を続ける。
「婿殿、クレアちゃんは可愛いですよね?」
「え?」
「クレアちゃんは可愛いですよね?」セリアは同じ言葉を繰り返し、セイジに微笑みかける。
「ええ、まあ……そう思います」
「綺麗で、優しくて、素敵なレディーですよね?」
「ええ、そうですね」
「そんなクレアちゃんと思いっきりいちゃいちゃしたいですよね?」
「まあ、そりゃそうで……って、いやいやいやいや」
セイジは言いかけて慌てて手を振った。それを見たセリアが満面の笑みを浮かべる。
「そうですよねー。クレアちゃん、母親の私から見てもとっても魅力的ですから」
「いや、あの……猊下?」
「婿殿がね、クレアちゃんをとっても大事にしてくれているのは私にも解るの」
なにか言おうとしているセイジを無視して、セリアは話を続ける。
「でもやっぱり優しいだけでは無く、時にはたくましくリードして欲しいこともあると思うんです。特にクレアちゃんは異性との交友なんてほぼゼロでしたから、セイジさんが優しく、かつ激しくクレアちゃんを導いて上げないと……」
「はあ……」と気の抜けた返事しかセイジには出来なかった。
「というわけで僭越ながら、私が婿殿とクレアちゃんのためにお膳立て致しました」
セリアはにこにこと笑いながら、手を胸の前でポンと合わせた。
何だろう……凄く嫌な予感がする。
セリアの笑みを見た瞬間、セイジの頬を汗が伝った。背中にも汗が流れている。何やら胸がざわめいて止まらない。
「ちょっとお仕事の話にもなりますが、明日私たちはマルヴィクスへと帰還します。クレアも一緒に帰還となりますので、セイジ殿も護衛として付いてきて頂くことになります。もう、ロウガ団長の方には話をしてありますので」
「それはもちろんかまいませんが……」
「で、マルヴィクスで最高級のホテルを押さえておきました。そこでクレアちゃんと二人きりで護衛をお願いします。そうですね、大体一ヶ月位かな?」
「……私の契約は後一週間ほどのはずですが」
セイジは眉間を人差し指で押さえた。激しい頭痛が襲ってきた。
「あ、一ヶ月ほど延長しておきましたので。もちろん団長の許可は得ております」満面の笑みを浮かべ、セリアはさらっと言った。
とりあえず、後でロウガを一発殴ろう。
セイジは俯き、眉間を必死に揉みながら、そう誓った。
「あん、婿殿、そんな難しく考えないで。将来の予行演習と思って頂ければ結構ですので。お部屋は防音もしっかりしていますし、設備も皆そろっていますし、思う存分いちゃいちゃして頂いて結構ですから」
「……私の仕事は護衛では?」
「じゃあ護衛しながら、いちゃいちゃしていて下さい」
にこにこしながらセリアはしれっと言った。セイジは俯いたまま、ひたすら人差し指で眉間を揉んでいた。
「あ、もうそろそろ10分経ちますね」セリアが時計を見て言った。「本当はもっと婿殿とお話ししたいのですがクレアちゃん達が心配しちゃいますし、また今度と言う事で」
「そうですか……」セイジは俯きながらほっと息を吐いた。
さっきから揉み続けている眉間が真っ赤になっていた。人差し指が骨を突き破り、脳にとどくのではないか、と言う位力を込めて揉んでいた。
「それでは私はゼオ殿とこれからの打ち合わせをして来ますので……」
「そうですか、それでは……」と言いかけたところでセリアがパンと手を打った。「いけない、私ったら大事なことを忘れていたわ」
「大事なことですか?」顔を上げたセイジに、セリアがととと、と歩み寄ってきた。
瞬間、セイジはこの部屋に入ってから最大の衝撃を受けた。
セリアはセイジの前に立つと、両膝を突き、深々と頭を下げたのだ。それは、おおよそ法皇がする行為では無かった。1500万人の頂点が、一傭兵に頭を垂れたのだ。
セイジは呆然としたまま、セリアを見ていた。結果、セイジは立ったままセリアを見下ろす格好になった。教団関係者が見たらただでは済まない光景だった。
本来ならばはセイジも膝を突き、頭を下げるべきなのだが、そんな作法は知る訳も無かった。何より、あまりの驚きで固まってしまって動けなくなっていた。
「クレアを救って下さって本当にありがとうございました。心より感謝致します」
言いながらセリアは顔を上げセイジを見た。その瞳から涙が溢れていた。
セイジの心臓がどくん、と高鳴った。セリアは立ち上がり、セイジの両手を覆う様に握った。
「私はお父さんと誓ったのです。娘達を立派に育て上げ、幸せにしてみせると。貴方が居なかったら、クレアは殺されていたか、攫われていた事でしょう。危うくお父さんとの約束を違える所でした。私はエミリーナ様のお導きに感謝致します。そしてセイジ=アルバトロスに何より深く感謝致します。」
涙を流しながら、セリアはセイジをじっと見つめていた。
セイジは体から緊張がするすると取れていくのを感じていた。今まで自らの体を覆っていた緊張の殻が粉々に砕け、遠くに流れていく。
セリアの顔には疲労が色濃く出ていた。目元には濃いクマができ、肌も荒れ、唇も色を無くしている。それを化粧で無理矢理覆い隠していた。遠目では解らなかったが、近くで見るとそれがはっきりと解った。
先程は緊張で見えなかった。だが、緊張が解けた今ならばはっきりと見えた。
「ライトン司祭を発見する事は出来ないでしょう。もし発見する事が出来ても、無事では無いかと思います。クレアはライトン司祭を師として、また第二の父として大変慕っておりました。悲しみは強く、深いものとなりましょう」
セリアは俯いた。セイジの手を握ったまま、細かく震えている。
「親しい人を亡くした時の悲しみというのは後で襲ってきます。亡くした直後は『弔わなければいけない』という想いが、体を動かしてくれます。全てが終わり、ほっと息をついた時、それは急に、激しく襲ってきます。体を震わせ、心を掻きむしる悲しみが、いっぺんに襲ってくるのです」
セリアは言いながら震え続けていた。
おそらくセリアの体験から来ている言葉なのだろう。
法皇であり、夫でもあったティルト=ウェインを失った、あの日の経験を語っているのだろう、とセイジは思った。
「私は今、お父さんに代わり、法皇代理としての責務を全うしなければなりません。クレアの側に居て上げる事は出来ません。どうか、どうかセイジ殿はクレアの側に居て上げて下さい。少しでもあの娘の悲しみを和らげて上げて下さい。貴方にしか、それは出来ないのです。どうか……どうか……」
セリアの言葉は涙で詰まり、徐々に小さくなっていった。
そこに居るのは法皇では無かった。ただただ娘を心配し続けている母親がそこには居た。
セイジはなんと言っていいか解らなかった。娘を想って泣き続ける母に、どう言葉をかけていいのか解らなかった。
「解りました。クレアは私が護ります」
だから、セイジは完結に述べることにした。他に言葉はいらない、そう思った。
「ありがとうございます」セリアは涙に濡れた顔を上げた。
「法皇猊下もお体を……」
言葉の途中で、セイジの唇にセリアの人差し指が当てられた。
「おかあさん、でしょ」
そう言って、セリアは悪戯っぽく微笑んだ。
セイジは一瞬、視線を横にそらした。が、すぐに戻すと、
「義母上におかれましても、お体をご自愛下さる様、お願い申し上げます」
呟く様に言った。
「ふふ、承りました。それではセイジさん、また後で」
セリアはすっと体を離した。セイジは一礼し、扉を開け廊下に出る。入り口の騎士がセイジに一礼し、扉を閉めた。
「さて、行くか……」
呟き、セイジはゼオの部屋に向かって、妙に上気した顔を隠す様に、頭を掻きながら歩き始めた。




