第42話 栄光の10人
やって来たクラウスはセイジの横を通り抜け、ロベルトの前に立つ。
「何をしているのですか? ロベルト殿。凄い音が向こうまで聞こえましたよ」
「どけ、クラウス。今はてめえに用はねえ。用があるのはそこの薄汚え傭兵だ」
「セイジ殿が何をされたのですか? 説明して下さい」
「うるせえ、どけっつってんだよ」
「いいえ、どきません。事情を話して下さい」
「……偉そうな口を利くじゃねえじゃねえか、高貴な俺様に下賤な血のお前がよ」
「グランドナイツに身分は関係ありません。貴方と私は同列です」
「はっ! 笑わせんじゃねえ」ロベルトは片手でクラウスを突き飛ばした。クラウスはよろけて2,3歩後ずさる。
「元グランドナイツを父に持つこの俺様と、落ちぶれ貴族が使用人ごときに産ませたお前が同列とはな、笑わせてくれるぜ」
「……お父上が偉大でも、息子がそうとは限らないでしょう?」
「何!」ロベルトが目を剥いてクラウスを睨んだ。「てめえ、今、なんて言った!」
「父上と貴方は違うと言いました」クラウスもロベルトを鋭い目つきで見据えた。「お父上の威光を背にするのは結構ですが、貴方自身はたいしたことはないと言ったのです」
「言ってくれるじゃねえか、汚い血ごときが」
ロベルトとクラウスが睨み合う。二人の間に激しい殺気が弾け合い、空気がぐにゃりと歪んで見えた。
兵士がゴクリと唾を飲んだ。汗が顔を伝って顎からこぼれ落ちた。暑くはなく、むしろ寒いはずなのに汗が止まらなかった。
ロベルトはクラウスに近づいた。そして、
「おらあ!」
いきなり右手で殴りかかる。先程と全く同じだ。クラウスは両手を挙げ、ガードしようとする。
が、その拳はクラウスに当たる前に止まった。
「まあまあ、ロベルト殿もクラウス殿も落ち着いて下さい」
いつの間にかセイジが近くに来ていた。
殴りかかろうとしている右手首を、セイジが掴んで止めていた。クラウスが驚いた表情でセイジを見ている。
「てめえ、離し……いで、いだだだだ!」
セイジに怒鳴りかかろうとした、ロベルトの顔が苦痛に歪む。握られた右手首に凄まじい激痛が走ったのだ。
セイジが掴んだ右手に力を込めていた。ものすごい力でロベルトの手首を握りつぶす。
「はな……はな、せ!」
ロベルトがセイジの手を振りほどこうとする。が、渾身の力を込めても手は外れない。空いている左手でセイジの右手を掴み、剥がそうとする。だが、全力を込めても指一本剥がせない。
セイジの握力は尋常ではないほど鍛えられている。だからこそ重い胴田貫を2時間振り回してもすっぽ抜けることはない。全体の力ではロベルトの方が上かも知れないが、握力はセイジの方が遙かに上だった。
さらにセイジは、ロベルトの手首にある出っ張った骨……尺骨に小指を引っかける様にして掴んでいる。
5指の内、剣術、格闘術で一番要になるのは小指である。拳を作る時、剣柄を握る時、どちらも小指から順に握っていく。それが一番力が入る形だからだ。逆に人差し指などは飾りに過ぎない。
徹底的に鍛え上げられた小指で、手首の骨を引っかける様にして握る。これで外れなくなる。いかに振り回そうが、ねじろうが外れはしない。
ロベルトは手首を捕まれたまま、力任せに投げ飛ばそうとする。しかし、セイジの体はびくともしない。まるで足が床に根付いた様に動かない。
自分よりはるかに細身のセイジの指を外すことも出来ず、投げる事も出来ない。ロベルトの目に困惑の色が濃く出てきた。
「く、このやろ……」
ロベルトが体を回し、空いている左手で殴りかかってきた。
セイジは躱しながら、ロベルトの動きに合わせ、後ろに回り込んだ。そのままロベルトを壁側に押し込む。握った右手首を離さず、背中側に引っ張り、上に向かって軽く捻り上げる。
「あだだっ! だだっだだ!!」
ロベルトが奇妙な叫び声を上げ、つま先立ちになる。
ハンマーロックと呼ばれる関節技の一種だ。相手の背中に腕を引っ張り、自らの腕を絡め、捻り上げることによって腕と肩関節を極める。捕縛術にも使われるワザだ。
もっとも今回は腕は極めていない。肩の方もそれほど強くは捻り上げなかった。強く捻ると簡単に肩が外れてしまう。相手がこれ以上暴れる様なら離すつもりだった。
「落ち着かれましたか? ロベルト殿」
「解った! 落ち着いた! 落ち着いたから離してくれ!」
セイジはぱっと手を離した。ロベルトは、手首をさすりながらセイジを睨んだ。その手首には真っ赤なセイジの手形がくっきりと付いていた。
「て、てめえ……」
呻くが、先程までの気迫は全て消え失せていた。睨んでいる目にも戸惑いが強く浮かんでいる。
「貴様ら! 何をしている!」
廊下の奥から鋭い声が飛んできた。とたんにロベルトとクラウスがびくりと体を震わせた。声のした方を向き、姿勢を正す。
セイジも顔を向ける。向こうから白髪の男性がやってきた。纏っている鎧から教団の騎士であることは解る。
彼は、まさか?
白髪の騎士が悠然とこちらに歩いてくる。ただそれだけなのに威圧感が半端ではない。まるで向こうから強烈な熱風が吹き付けてきた様な気がした。先程のロベルトの子供だましな威圧とは大違いだ。
白髪の騎士が兵達の間をすり抜け、クラウスの前に立った。
パアン!
そのまま、問答無用でクラウスの頬を張った。乾いた音が廊下に響き渡る。クラウスが衝撃に1歩後ろに下がって、姿勢をもどした。その口元に血が滲んでいる。
「なにか言う事はあるか」白髪の騎士がギョロリと目を動かし、クラウスを見た。
「いえ! ありません!」
「そうか、ではお前は元の持ち場に戻れ。セイジ殿の案内は私がする」
「はい! クラウス=マルスティーン、任務に戻ります」
白髪の騎士に大きく敬礼し、クラウスは去って行った。去り際にセイジにも一礼していった。
続いて白髪の騎士はロベルトに目を向ける。ロベルトがぶるりと大きく震え上がった。
「ロベルト、お前の持ち場はここでは無いはずだ」
「い、いえ、私はこの不審者を……」
「不審者?」白髪の騎士はロベルトを鋭く睨んだ。「お前は法皇猊下のご子息を不審者扱いするのか?」
「へ?」
「こちらのセイジ=アルバトロス殿は猊下の第三息女、クレア様の婚約者に当たるお方だ。いわば猊下の義理の息子になる」
「こい……いえ、こちらの方が!?」
ロベルトは目を丸くして、視線をセイジと白髪の騎士の間で行ったり来たりさせた。
「……もうよい、貴様も任務に戻れ」
「は、はい。直ちに任務に戻ります」
ロベルトは巨体を揺らしながら一目散に逃げていった。
白髪の騎士はロベルトの後ろ姿を目で追いながら、ふん、と一度鼻を鳴らした。ロベルトが見えなくなると、セイジの方を向き、頭を下げる。
「部下が失礼した。お詫びする」
「いえ、私はなにも……ところで貴方は」
「ゼオ=ドーガンという。ワシもグランドナイツの一人だ」
やはりか、とセイジは心の中で唸る。
ゼオは微笑しながら、右手を差し出してきた。セイジも手を伸ばし、握手をする。
ゼオ=ドーガン。グランドナイツ100名の中で、特に優秀な10名に与えられる、栄光の10人の一人だ。おそらく、全グランドナイツの中で一番有名な男であろう。
年齢は50過ぎ。戦士としてはとっくに盛りを過ぎている年齢のはずだ。しかし、差し出された腕はしっかりとした筋肉が詰まっており、年齢を一切感じさせない。冬に向かおうというのに浅く日焼けした肌が、いまだ一線で戦い続けていることを語っている。
本来、グランドナイツに団長たる人間はいない。が、年齢、実力、風格等から、実質的団長の立場にいる男だった。
「うむ」とゼオが唸った。「素晴らしい手だ。剣士の手はこう出なくてはいかん」
ゼオが握手した手に力を込めた。セイジも笑って握り返す。
セイジの手の内側は皮が厚く、堅くなっている。そして皮膚が所々盛り上がったり、へこんだりとぼこぼこになっている。マメが潰れたり、皮が破れた跡だった。ゼオの手もセイジと同じだった。
「昔ながらの手だ。回復魔法や薬を使ってはこうはならん」
「師の教えです。薬は使うなと」
「なるほど、そうか。良い師に教えられた様だ」
ゼオは大きな声で笑った。
修行中、マメが潰れてもセイジは決して薬を塗らなかった。傷口に塩をのせ、そこに焼いた鉄を押し当てる。これで殺菌消毒になり、膿むことはない。もちろんとんでもなく痛いが、次第に慣れていった。
基本薬は塗らず、自然治癒させる。薬を塗るのは治りが悪い時だけだ。結果、手の皮が厚くなり、ちょっとやそっとでは破れない強い手が出来上がる。
「ウチの若いのが済まなかったな」
「いえ、そちらは気にしていません。出来れば物陰で見ていずに、もっと早く出てきて欲しかったですね」
「なんだ気が付いていたか。君がどう捌くか、興味があったんだ」ゼオは再び笑った。
先程から曲がり角でこちらを伺っている人間がいる事に、セイジは気が付いていた。まさかゼオ=ドーガンだとは思いもしなかったが。
「クラウス殿は何もしていませんよ」
「いや、奴はロベルトの安い挑発に乗った。あの程度の挑発に乗ってはいけない。騎士たる者、いかなる時でも冷静出ないといかん」ゼオは大きく首を振った。
「では、何故ロベルト殿は叩かなかったのです?」
「聞かずとも解っているのではないかな?」
握手を解き、拳を作るとセイジの腹を軽く叩いた。
叩く価値もない、と言うことか。
セイジは鼻で笑った。ゼオもにやりと口を歪ませた。
「ったく、だらしねえ連中だな」
ゼオの後ろから見覚えのある男が、頭を掻きむしりながら、だるそうに歩いてきた。
「ロウガ……お前もここに来ていたんだな」
ロウガ傭兵団社長、ロウガ=プリスベンだった。
「ああ? レナードに聞いてないのかよ」
「聞いてない。別に言う必要もないってことだろ」
「やれやれ……ウチの兵隊どもはどいつもこいつも社長を敬わねえ」
ロウガは下を向いて大仰に首を振った。そして顔を上げると、びっとセイジの前に太い指を突き出す。
「おめえもよお、あんなデカいだけの木偶の坊に、なに好き放題に言わせてるんだよ。あんな奴は一発顔面殴って、キン○マ蹴り上げて黙らせてやりゃあいいんだよ」
「おいおい」とゼオが苦笑いしてロウガを見た。
「まあ、いいや。で、噂の姫様はどこよ」
「姫様?」
「おいおい、隠してんじゃねえよ。お前、依頼相手のシスターを上手いことだまくらかして、婚約したんだろう? 女遊びもそこそこの淡泊な男だと思っていたが、まさか仕事中に口説くとはな。考えもしなかったぜ」
ロウガは嬉しそうに笑いながら、セイジの肩を叩いた。
「やっぱあれか? 30になる前に所帯持ちたかったのか? 結婚は人生の墓場だってのによお」
「あのな……ロウガ……」
セイジは何か言おうとしてやめた。このナチュラル酔っ払いには何言っても無駄だと思った。
大体、さっきから息に酒のニオイを感じる。昼間から飲んでいることも珍しくはない男だが、教団からの依頼にもかかわらず飲んでいるとは……。
頭痛がしてきた頭を押さえて、セイジは俯いた。ロウガは相変わらず辺りをきょろきょろと見渡している。
「で、どこにいるんだ? 目も眩むほどのすげえ美人と聞いたが」
「ここにはいない。今は法皇猊下に会われている」
答えたのはセイジでは無く、ゼオだった。
「なんだよつまんねえなあ……せっかく待ってたのによー」
ロウガは両手を挙げると、そのままどこかへと歩いて行く。
「おい、どこに行くんだ」
「姫様いないんなら用はねえな。街をうろうろ散歩……じゃない見回りしてくる」
「……見回りしている兵達の邪魔するんじゃ無いぞ」
セイジの嫌みに手を振りながら、ロウガは行ってしまった。
「やれやれ、年を食ってもあいつは変わらないな」
ロウガの去っていた方を見ながら、ゼオが大きくため息をついた。
「ゼオ殿はロウガと知り合いなのですか?」
「20年以上前、教団の兵とファイナリィの兵とで模擬戦を行った。その時以来の仲だ。奴の戦闘指揮は天才的だったな。机上で戦闘するのでは無く、その場の判断で的確に兵を動かす。簡単そうに見えて誰もまね出来ない能力を奴は持っていた。さらに個人技能も高い。当時の教団幹部があまりの見事さに獲得に動いたって話もある」
「へえ……」
「ま、もっとも奴に宮仕えは無理だな。ファイナリィ王宮の誘いも蹴ったらしいが、堅っ苦しいことが嫌なんだろう。妙ないい方だが、傭兵団の親分というのが一番似合っている男だ」
「まあ……そうですね」
二人はロウガの去っていた方向を見たまま頷いた。
「おっと、こんな事話している場合では無かったな。セイジ殿、法皇様がお待ちだ」
ついに来たか、とセイジは頷き、気合いを入れた。
「そんなに気負うことは無い。取って食うわけじゃ無いんだから」セイジの様子を見ていたゼオが口を歪ませ、歩き出した。セイジもその後に付いていった。
「奥が猊下の部屋になる」
ゼオが手を差した方向に、二人の騎士が立っているのが見えた。そこが法皇の部屋らしい。
もっとも、セイジはここの場所はよく知っていた。自分たちがいた部屋のすぐ隣だったからだ。
「ワシの部屋はここになる。申し訳ないが謁見が終わったら来てくれ。明日からの打ち合わせをしよう」
「打ち合わせ……ですか」
「なあに、難しい話じゃない。簡単な確認と言ったところか」
ゼオが再び歩き始めた。セイジも付いていく。
入り口に立っていた兵が、ゼオの方を向いて頭を下げる。
「こちらがセイジ殿だ。後は頼む」
ゼオはそれだけ言うと、セイジの肩を叩き、
「じゃあ、がんばれよ」
と言って自分の部屋に戻って行ってしまった。
セイジは上半身だけ動かし、ぽかんとゼオを見送っていた。てっきりゼオが同席すると思っていたが、違うらしい。
「セイジ殿、猊下がお待ちです」
騎士の声にセイジは前をむき直した。腰に携えている武器を外そうとする。
すると、騎士がそれを手で制した。
「そのままで結構です」
「は?」外しかけたダガーを手にしたまま、セイジは兵士の方を見た。
「武器は持ったままで結構です、と法皇猊下からの仰せです」
セイジは目の前の若い騎士が言った言葉を理解出来なかった。
法皇……1500万人の頂点に君臨する神の代弁者だ。ドラグーンとファイナリィの国王だって頭は上がらない。いわばエミリーナ信徒にとっては神と同様の存在だ。
その神と会うのに武器を携えたままでいい、そう騎士は言っている様にしか聞こえない。というかそう言っている。
セイジの困惑の表情を読み取ったのか、若い騎士も困った様な顔をしていた。
「その……よろしいのですか?」
「私もどうかと思うのですが……猊下のお言葉となれば……」
こちらも困惑を隠せない、といった感じで騎士は言った。
どういう事だ? セイジの頭は激しく混乱した。
こちらが武器を持っていたとしてもかまわない、という事なのだろうか? 中には先程のゼオよりも遙かに強いグランドナイツがいる。そういうことなのだろうか?
まさか法皇自体がセイジより強い、などという事は無いだろう。元グランドナイツだった前法皇ならまだしも、今の法皇代理は全法皇の妻、女性だ。武器を携えた自分が負けるはずは無いと思う。
「どうぞ、お入り下さい」
もう一人の騎士が扉を開け、セイジに一礼する。
いまだ困惑がぬぐい去れないまま、セイジは開けられた扉をくぐった。セイジが中に入ると扉はすぐに閉められた。あの二人の騎士も中には入ってこないらしい。
部屋の中には4人の女性が横並びで立っていた。
両端にいる女性は法皇を守る女性兵士なのだろう。思わず見惚れるほどの美人であるが、目つきが尋常ではなかった。
鋭い目つきでセイジをじっと見据えている。並大抵の男ならこれだけで震え上がり、動けなくなるだろう。それほど強い眼光を持った女性だ。
その女性のすぐ隣にクレアがいた。困った顔をして、じっとセイジを見つめている。
そしてクレアのすぐ隣に、にこにこと笑っている女性がいた。
「ようこそ、婿殿」
その女性は笑みを絶やすこと無く、セイジに語りかけた。
クレアの母であり、現法皇代理、セリア=ウェインだった。




