第39話 不安
セイジとクレアは旅館で昼食をとっていた。
昼食は一品一品料理を運んでくるのでは無く、一気に料理を並べる方式だった。テーブルの上には所狭しと料理が並んでいる。
セイジはそれらを飯と一緒に貪るようにかっ込んでいる。格式ばったファイナリィ料理は一品一品料理を出していき、最後にご飯と味噌汁、香の物でしめる。それが基本だ。
だが、そのやり方はどうにも腹に溜まらず、力が出ない。やはりおかずというのは飯と一緒に食うものだ。熱々のご飯の上におかずをのせ、飯と一緒にかっ込む。それで初めて腹に溜まるものだと思う。
セイジは箸を器の上に置いた。空になったどんぶりにお櫃から飯を山盛りにのせる。朝を軽く済ませたのと、試斬で動き回ったので、腹が唸りを上げるほど減っていた。お櫃の中にはまだ少しご飯が残っているが、無くなるのも時間の問題だろう。
セイジの髪はしっとりと濡れている。格好も旅館に用意されていた浴衣になっている。ついでに言えば下着も新しいものになっていた。すぐ後ろにはセイジがいつも来ている青色の普段着が畳まれておいてある。
下着も普段着も、全てレナードが持ってきてくれた物だった。
ついさっき、クレアが法皇の娘だと解った後の事だ。
セイジはすぐにメルドムに戻るのかと思った。が、レナードはセイジを上から下までじろじろと見て、ため息をついた。
「そんな汗まみれの、貧相な格好で法皇様にお目にかかるつもりですか?」
「は? 俺は関係ないだろう?」
「お覚悟を、と言ったはずです。猊下は隊長にもお会いしたいそうですよ」
レナードは嫌みったらしい笑いを口の端に貼り付けた。
「……マジですか」
「残念ながら」言いながらレナードは背後の荷台をごそごそと漁り始めた。
「隊長の家から、なるたけマシな物を選んでお持ちしました。とりあえずこれに着替えて下さい」
振り返ったレナードの左手には、白の下着と青色の普段着が置かれていた。右手にはレナードに頼んだ予備の刀が握られている。
「もっとマシな服も持っておいた方が良いですよ」
「うるせえ」セイジはひったくるようにして服と刀をレナードから奪った。
普段着とは言っても普通の服では無い。厚手で硬い布地に、細かい鎖が編み込まれている。一種の防刃着だ。小さなナイフ位の刃ならば、まともに通さないほど丈夫だ。
セイジは常日頃からこれを着ている。意外と軽くて動きやすい。動き回る戦闘を主とするセイジは鎧を着ることは無い。この防刃着こそ普段着であり、戦闘着でもあった。
「後はしっかりと汗を落とし、髪も洗って少しでもまともに見せて下さいね」
「……一応の努力はする」セイジは眉をしかめ、答えた。
「出発は2時間後としましょう。昼食と準備を済ませておいて下さい。2時間後にここで再集合と言う事で」
「お前はどうするんだ?」
「その間、リムと一緒にマイナを散歩でもしています。隊長はクレア様とどうぞごゆっくり」
と言い残し、レナードはリムの手を引き去って行った。
セイジとクレアは旅館に戻った。もっとも準備などはほぼ必要なかった。荷物など持ってきていない。セイジもクレアも着の身着のままだ。
セイジがひとっ風呂浴びて汗を流している間に、昼食の準備は出来ていた。
しかし、法皇の娘とは……。
口いっぱいに飯とおかずを放り込みながら、セイジは思った。
とはいえ、驚きよりも納得の方が強かった。昨日のミノタウロス戦のことを思い出す。
あの時クレアは、セイジとレナードの全能力を爆発的に跳ね上げる強化魔法を使用した。これだけでも凄まじい魔力を使用する。さらにミノタウロスとの戦いで、瀕死の重傷を負ったセイジを回復させた。普通ならば治療に数時間は要する程の傷を、わずか数分で完全に治して見せた。
それらを使用しても、クレアの魔力には余裕が感じられた。その小さな体に相当な大きさの魔力タンクを搭載している。
その驚異の魔力も、法皇の娘と言われれば納得せざるを得ない。
法皇になるには様々な条件があるという。そのうちの一つが魔力だ。
最上級クラスの魔法を扱え無ければ、法皇になることは出来ない。そう聞いていた。また戦士としても超一流ではならなければならない。そのため法皇は、大概元グランドナイツが就任する。
グランドナイツになるためには、剣術の他に魔法も扱えなければならないという条件がある。グランドナイツは教団の最強部隊という肩書きだけでは無く、将来の法皇候補を育成する場所でもあった。
先日死去された法皇は、グランドナイツの魔法部隊出身と聞いていた。最強部隊の最強魔導士。その魔力は絶大だろう。
ふと視線を感じ、視線を上げた。クレアが下から覗き込むように、セイジをじっと見つめていた。セイジと目が合うと、ぱっと視線を下げた。
クレアはセイジとは異なり、暖かいうどんを食べていた。小さな土鍋に入った鍋焼きうどんだった。
先程まではぐつぐつと沸き立っていた土鍋も、今はすっかりと静まっている。が、その中身は少しも減ってはいなかった。上に乗っていたエビ天の衣が汁を吸って崩れ、半分以上溶けている。
「どうしたんだ、クレア。全然食べてないじゃないか」
セイジが問いかけると、クレアはびくりと身を震わせた。
「は、はい……申し訳ありません」
「いや、申し訳ないとかそう言うんじゃ無くて……体の調子が悪いのか?」
「いえ、平気です。体調はどこも悪くありません……あまり食欲が無くて」
「朝飯だってほとんど食ってないじゃないか。食わないと持たないぞ」
「はい……申し訳ありません」
クレアはレンゲとフォークを使い、再びうどんを食べ始めた。スパゲッティを食べるように器用な手つきでうどんを食べていく。だが、その手もすぐに止まる。
明らかに様子がおかしい。セイジの箸も止まった。
クレアは寝起きが悪く、あまり朝食はとらない。今日だって食べたのは普通サイズのおにぎり一つと味噌汁だけだった。それから動いていないならまだしも、試斬の最中、クレアはセイジの汗を拭いたり、水を差し出したりと動き回っていた。これでお腹が減っていないというのは明らかにおかしい。
今日はそれほど気温が低い訳では無い。だが、風邪でも引いてしまったのだろうか?
「クレア、体調が悪いなら無理をしなくていい。少し横になっていなさい。今薬をもらってきてやろう」
「あ、あ、大丈夫です、セイジ様。私はどこも悪くしていません」
箸を置き、立ち上がろうとするセイジを見て、クレアは慌てて引き留めた。
「本当か? 無理しなくて良いんだぞ。風邪とか引いたんじゃ無いのか?」
「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「……じゃあ、どうしたんだ? ほとんど手を付けていないじゃないか」
セイジは座り直してクレアを見た。クレアは視線をセイジとテーブルとで行ったり来たりさせていた。
やがて、意を決したように視線を上げた。
「あの……お怒りではありませんか?」
「は?」セイジはすっとんきょうな声を上げた。
怒っている? 何に? セイジはクレアが何を言っているのか理解出来ない。
起きた時にクレアはセイジにしがみついて寝ていた。その事を言っているのか? そう考えたが、であれば朝の時点でおかしいはずだ。朝食を取り、試斬を行っている最中もクレアに何の変わった様子も無かった。
セイジは必死に記憶を探る。脳の皺の奥まで探るが、該当する記憶は何一つ無かった。
「あ、あの……私が法皇の娘と言う事を隠していたことを、お怒りでは無いのですか?」
セイジをじっと見つめたまま、クレアは言った。
「……ああ」しばらくの沈黙の後、セイジは声を漏らした。
なんだ、そんなことか……。思わず力が抜けそうになるのをじっと堪えた。
だが、セイジを見つめるクレアの目は真剣そのものだった。震える瞳でセイジをじっと見つめていた。
「別に怒ってはいない。クレアにはクレアの事情がある。そんなことでいちいち目くじらを立てはしない」
「本当ですか!?」
「ああ。気にしなくていい。というかそんなことを気にしていたのか。俺はもっと深刻な悩みがあるのかと思った」
「そ、そんな……私には……」
と、言ったところで、クゥゥゥという可愛らしい音が鳴った。クレアのお腹が鳴いたのだ。
とたんにクレアの顔が真っ赤に染まっていった。
「とりあえず飯だ、ってお腹が騒いでるぞ」
「………………もう」
クレアは顔を俯かせて、自分のお腹を軽く小突いた。
食事を終え、セイジはクレアの煎れてくれたほうじ茶をすすっていた。
まだ、茶を一服するほどの時間は十分にあった。セイジは浴衣から普段着に着替えている。あとは刀を腰に差すだけだ。
クレアも鍋焼きうどんを食べ終え、ほうじ茶を飲んでいた。安心したせいか食欲は回復したようで、綺麗に食べ尽くされていた。
「そういえば、クレア=ヴィンテージって言うのは偽名なのか」
ふと思いついて、セイジは聞いてみた。
「ええ、私の本名はクレア=ウェインです。ヴィンテージというのは母の旧姓です。ですがほとんどの場合、母の旧姓を使用しています」
「ふーん……法皇の娘というのが解るといろいろ危険だから隠しているのか?」
「そうです。もっとも本部の方々たちは皆ご存じですし、私の学生時代の友人も知ってはいます」
「なるほどね。まあ、おいそれとは人に言えない身分だよなあ」
「はい……あの……申し訳ありません」
「ああ、いや、別に攻めてるんじゃ無い」
クレアが申し訳なさそうに視線を落とすのを見て、セイジが慌てて手を振った。
「そ、そういえば今はクレアのお母さんが法皇なんだよな」セイジは慌てて話題を変えた。
「ええ、今は母が法皇です。ですが喪の期間だけの代理法王です。法皇……父様が亡くなって、不安に思われている信徒さんもいらっしゃいますので、地方を回って話をする、そのくらいのことしかしませんけど」
「法皇が亡くなると、しばらくの間は奥さんが代わりをやると言う事?」
「いえ、法皇が任期途中で死去した場合は、親族の中で最高の魔力を持つ者が、代理として法皇につきます。うちの場合は母が一番魔力が高かった、ということです」
つまりクレアよりも魔力が高いと……。そりゃあ娘であるクレアの魔力もとんでもない訳だ。セイジは心の中で大きく頷いた。
魔力は遺伝しやすい。というか遺伝に大きく左右される場合が多い。
魔導士×魔導士の夫婦の子供は、ほぼ例外なく魔法が使える才能を持っている。これが戦士×戦士の夫婦だと、魔法の才能は絶望的になる。ごく希に使用出来る者もいるが、初期魔法で限界というのが関の山だ。
もちろん才能を持っていると言うだけで、本格的な勉強をしない限り、魔法を使えるようにはならない。魔法の才能を持っていても、それを眠らせたまま生涯を終える人も少なくは無い。
また、魔力の総量も遺伝に左右されることが多い。単純に強い魔導士と強い魔導士がくっつけば、魔力の強い子供が生まれやすい。そのため、魔導士は結婚する時に、相手の魔力を最重要視するという。顔や金は二の次だ。
セイジも優秀な魔導士である母の才能を継いでいる。セイジが生まれた時に死んでいた祖母は、母以上に優秀な魔導士だったと聞く。
もっとも二人とも結婚した相手が魔導士では無く、戦士タイプの人間だったので、血は少しずつ薄まっているのかもしれない。相当な勉強をしたにもかかわらず、セイジの魔力はいまだ、母の足下にも及ばない。
「しかし……法皇様が俺に何の用だ?」
セイジは湯飲みを置いてふうと息をついた。
代理とは言え、1500万人以上の信徒を抱えるエミリーナ教のトップだ。法皇は神であるエミリーナからの言葉を伝える、世界にたった一人の神の代弁者と呼ばれている存在だ。
その法皇代理がセイジに会いたいと言っている。本来ならば信徒では無いセイジには話すことはおろか、近寄ることさえ許されない存在だ。
クレアと別れろと言う事かな?
そう思った。と言うか、それしか考えられなかった。
クレアは神の代弁者たる法皇の娘。それに比べセイジは高給取りとは言え、ただの薄汚れた傭兵だ。クレアがお姫様ならばセイジは野良犬同然。住む世界が違うと言っても過言では無い。
まさかいきなり襲われるなんて事は無いだろうな……。
自分の娘が野良犬に傷物にされた(もちろんセイジはまだ手を出してはいないが)と考えた法皇が、自分を殺そうとしているのでは無いか?
法皇が会いたいと言って部屋に通される。当然武器は入り口で取り上げられるだろう。
部屋に入ると法皇はいない。周りから数10人の兵士達がセイジを囲む様にして飛び出してくる。
兵士ならば武器が無くても逃げられるかも知れない。だが、グランドナイツであれば不可能だろう。一騎当千と言われるグランドナイツに囲まれてしまえば、セイジと言えど逃げるのは不可能だ。剣でなます斬りにされて終わりだろう。
「違うと思います」
「え?」いつの間にか俯いて、怖い想像を巡らせていたセイジは、クレアの声に顔を上げた。
「あの……お母様が私とセイジ様を別れさせる為に呼んでいる、そうお考えだったのでは無いですか」
「ああ……まあ」実際はもっと怖い方に想像が走ってました、とは言えなかった。
「それはありません。お母様は私たち姉妹に『婿は自分で見つけてきなさい』と常々いっていました。私の二人の姉は既に結婚していますが、二人目の姉はエミリーナ教徒では無い男性と結婚しています。だから何の問題もありません」
「あ、そう……」セイジは何となくクレアから視線を外した。「だとすると何の用があるのか、皆目見当が付かないな」
「………………あの」しばらくの沈黙の後、クレアがおずおずと話し始めた。「お母様に会っても引かないで下さいね」
「へ?」
「多分、お母様に会ってお話しになったら、セイジ様は大変驚かれると思います。それどころか引いちゃうかも知れません。ですが……」
クレアの話途中でこんこんと扉がノックされた。扉が少しだけ開かれ、女将が顔を覗かせた。
「失礼致します。レナード様が玄関にいらしています」
女将の声にセイジは時計を見た。もう時間を過ぎていた。
「ああ、クレア時間だ。行こう」
「……はい」
話を途中で止め、クレアは立ち上がった。セイジも立ち上がり、胴田貫を左腰に差す。予備の刀は手に持った。他に荷物は無い。
引かないでくれ、とはどういう事だ?
クレアを連れ玄関に向かいながら、セイジは先程の言葉を脳内に反芻させた。
俺が法皇に会ったら驚く? それどころか引く? 一体どういう事なのだろう?
玄関にたどり着くと、旅館の従業員一同が並んで、セイジとクレアにお辞儀をしていた。会釈で返し、セイジ達は旅館を出る。
道中、クレアにもう一度尋ねてみるか。
玄関を出ると、レナードがお辞儀をして馬車の扉を開けた。奥にリムが座っているのが見える。二人が乗り込むと、扉が閉められ、やがてゆっくりと馬車が動き始めた。
メルドムに向けて馬車は走り始めたのだった。




