第38話 覚悟
結局、2時間の間、セイジは畳を斬りまくった。
引き車に乗せられていた10枚の畳は、全てセイジによって斬り刻まれた。足下には畳の切れ端が散乱している。それを若い衆が集め掃除していた。セイジも手伝おうとしたがやんわりと拒否された。
後ろにいたギャラリーは爺さん婆さんを残していなくなっていた。それぞれの仕事に戻ったのだ。暇な爺婆のみが広場に座り込み、だらだらと話し込んでいた。
今、セイジはクレアの回復魔法を受けていた。2時間も重い胴田貫を休み休みではあるが振り回していたため、腕や手首が悲鳴を上げていた。それを治療してもらっている。
いつもなら限界ぎりぎりまで痛めつけ、十分に冷やして1~2日ほど自然回復に専念する。一度限界近くまで負荷を与え、筋肉細胞を破壊させる。
この際、一度破壊された筋肉細胞が再生する時に、前よりも細胞が強く、太くパワーアップされる。強い手首や筋肉が生まれる事になる。
ただ、不思議と回復魔法を受けるとそれが起こらない。魔法で回復させても強い筋肉は生まれない。回復魔法は破損部分を元に戻す魔法なので、自然回復とは異なるからではないか? と言われている。
今回は手首を強くするためでは無く、体に胴田貫の感覚を刻ませるためだった。どれだけの時間、胴田貫を振っていられるかという実験も兼ねていた。
もう少し、手首を強くして腕の筋力を上げたいところだ。もっとも今でも十分使えてはいる。体が胴田貫に慣れれば、筋力を上げる必要は無いかも知れない。胴田貫を振り回している内に、勝手に必要な筋力が付いてくるはずだ。
「どうだ、だいぶこなれたか?」
爺さんが回復魔法を受けているセイジの手首をのぞき込む様にして聞いた。
「ああ、初めてとは思えないほど手に馴染んでいる」
「うむ、そう見えた。胴田貫もお前さんの手に渡って喜んでいることだろうよ」
「セイジ様、どうですか?」クレアが魔法の詠唱を止め聞いた。
「ああ、もう痛みは引いた。ありがとうクレア」
「いえ」クレアは首を振って微笑んだ。そして、近くに置いてあった水筒を引き寄せ、茶を注ぐとセイジに差し出した。セイジは礼を言い、茶を一気に飲み干した。
「もう一杯頼む」空になった器をクレアに差し出した。クレアはうなずき、器に茶を注ぐ。
「ところで昨日聞きそびれたのだが」
その様子をじっと見ていたグラン爺さんがぼそりと言った。
「お前さんがたは新婚旅行でここに来たのか?」
ブーーーーッ!
セイジは飲んでいた茶を天空高くに噴き出し、激しくむせた。
「きたないのお、茶は吹き出す物じゃ無くて飲むものじゃ」
「じ、爺さんが変なことを言うからだろ」
セイジはむせながら、爺さんを睨む。
「そんな……新婚旅行……セイジ様と新婚旅行」
クレアは赤くなった頬に手を当て、いつものようにくねっている。
「何じゃ違うのか? じゃ婚前旅行か。温泉宿でいろいろしっぽりするために来たんだろう?」
爺さんはいやらしい笑みを顔に張り付かせ、笑った。
「そうじゃなくてだな、俺は彼女の護衛で……」
「護衛? そんな照れないでもいいだろう。どこの世界に護衛対象に茶を注がせる奴がいる」
その言葉にセイジは「うっ」と声を詰まらせた。
言われてみればその通りだ。セイジは何気なくクレアから茶を受け取り、おかわりを催促し、注いでもらった。その前には回復魔法をかけてもらっている。試斬をしている最中には、汗を拭くタオルを差し出したり、水を渡したりと甲斐甲斐しく動いてくれていた。
その事をどこか当然のように思っていた自分がいた。これでは主従が逆転してしまっている。
クレアから茶を受け取り、おかわりを注いでもらうのが当たり前のように思っていた。いつの間にか、クレアが近くにいるのが当たり前に感じていたのだ。
「まだ、雰囲気がこなれている感じがせず、初々しい感じがしたからのう。てっきり新婚だと思っていたのだが?」
「あの、私たちって恋人とか、夫婦に見えますか?」
おそるおそるといった感じでクレアが尋ねた。
「そうとしか見えない。まさか違う訳では無いだろう」
その答えにクレアは飛び上がらんばかりに喜んだ。グラン爺さんはそんなクレアを不思議そうに見てから、セイジに視線を戻した。
「のう、結婚はまだせんのか?」
「あの……今は喪中ですので」答えたのはクレアだった。
「喪中?」爺さんは高い声を出した後にポンと手を叩いた。「そうか、ついこの前、法皇様がご逝去なされたな。じゃああと1年は我慢か」
「は、はい」
「そうかそうか、じゃあ1年後に新婚旅行でここに来ると良い。ワシがまだ生きておったら、うまい物でも食わせてやろう。それとも精の付くやつが良いか?」
「……あんたは1年どころか10年は生きるよ」
セイジの呟きにグラン爺さんは大きな笑い声で答えた。
やれやれ……セイジは髪に指を突っ込み、がりがりと頭を掻いた。
街の中央にある高台から、カーンカーンと鐘の音が響いてきた。
温泉街マイナに、昼を告げる鐘の音だ。
「もうお昼ですね」
鐘が鳴っている高台を見ながら、隣にいたクレアが言った。
セイジ達は爺さん達と別れ、宿に向かっていた。セイジのすぐ隣を歩くクレアはさっきからずっとにこにことして、表情が緩みきっていた。グラン爺さんに新婚夫婦に見られたのがよほど嬉しかったらしい。
「レナード様はもう到着されていますでしょうか?」
「いや……まだ来てないよ」
セイジは自分の足下を見ながら、クレアに答えた。
左腰に差されている胴田貫が重くて、左腰を時々上げるように歩いている。気を抜くと歩きが左右にふらふらと、酔っ払いの千鳥足のようになってしまう。
肩に担いでしまえば楽なのだろうが、腰に差す方がセイジの戦い方にはあっていた。こればかりは慣れるしか無い。
「え? でもセイジ様はお昼くらいにって」
「昼くらいとは言ったが時間までは指定していない。まあ、来るのは2時3時頃だろ。飯でも食って少しのんびりしよう」
「はあ……」クレアは不思議そうな顔をしてセイジを見た。
「……あいつは所帯持ちなんだよ」クレアの顔を見たセイジが呟いた。
「あ、レナード様はご結婚なさっているのですね」
「まあ、うん、そんなものだ」セイジは曖昧な返事をした。「今回の仕事は俺が奴を巻き込んで急に受けちまったから、一度あいつを家に帰してやらなきゃと思ってたところだった。武器も無くなったから、丁度いいかと思ってな」
「ああ、そうだったのですね。お優しいのですね、セイジ様は」
「いや、そうでも……」
クレアの言葉にセイジはそっぽを向いて頬を掻いた。
「レナード様の奥様かあ……凄く素敵な方なんでしょうね」
クレアは視線を上げ、うっとりとした表情で呟いた。
「美人で、背が高くて、体型もすらっとしていて、それなのに出るところは出ているナイスバディー……そんな素敵な人ではないですか?」
「い、いやあ……まあ、その、なんだ……」
むしろ体型はそれと真逆ですが……。
リムの姿を頭に浮かべて、セイジは何とも言えない声を上げた。
「そ、それよりこれからどうなるんだろうな?」セイジは誤魔化す様に話題を変えた。
「これから……ですか」
「ああ、メルドムに戻った後の事だ」
「そうですね……本部からの連絡が無い限り、バル司祭の判断になりますね」
クレアは人差し指を唇に当てて、考える。
バル司祭は今朝8時に、代わりの馬車と兵士達を連れて先に宿を発っていた。
昨日の襲撃場所に向かうとのことだった。中断された兵の遺体回収と、襲ってきたガガンボとミノタウロスを調査する様だ。メルドムに戻るのは夜になるだろう。
もっとも兵士達の内、10数名がマイナに残っている。椎茸を始め、まだ数人の兵士がまともに動ける状態では無かった。しばらくマイナにて傷を癒やすようだ。その付き添いで10名ほどの兵士が残っている。
セイジ達はレナードの馬車が到着次第、メルドムに戻っていてくれとの指示だった。
またあのホテルでしばらく待機か……。解ってはいたが自然とため息が出た。
あの肌に合わない超高級ホテルに比べれば、この旅館の方が遙かに良かった。特に飯が格段にいい。
セラヴィの食事は材料も、それを調理する者も超一流だろう。それはよくわかる。だが、基本がドラグーン料理だ。それに量が少なく、味付けが薄い。米を食わないと力が出ないセイジにとって、この旅館のファイナリィ料理の方が良かった。
「ライトン司祭の行方が解らない限りは……」
クレアも喋りながらドンドンと声が小さくなっていく。ライトン司祭のことを考えると、はしゃいでいる場合では無い、と思えてきてしまったのだ。
二人の空気が一気に重くなった。もっともセイジは飯が嫌、という何ともくだらない悩みではあるが。
「あれ?」顔を上げたクレアが、何かに気が付き声を上げた。
「ん? どうしたクレア」
「旅館の前に馬車が来ています。それに……」
クレアが正面を指さした。確かに旅館の前に馬車があり、その前には見覚えのある赤毛の男が、馬車に寄りかかるようにして立っていた。
「は? レナード? なんで……」
馬車の前にいるのは間違いなくレナードだった。そのレナードの奥に、ちらちらと少女の姿が見える。
何故彼女が……。
「レナード! リム!」
セイジは声を上げた。気が付いた二人がセイジ達の方に歩み寄ってくる。レナードは歩いているが、小さなリムは小走りでレナードの後に付いてきた。
「お待ちしておりました。クレア様、隊長」
セイジ達の前に来ると、レナードは片膝を突いて恭しく頭を下げた。
「あの……こんにちわ、先生」
膝を突いたレナードの後ろに隠れるように、リムが立っていた。
「リム、なんでお前さんがここにいる?」
「いえ、あの……」
「少々、事情がありまして」リムの代わりにレナードが答えた。「後で隊長には説明します」
何の事情だ? とセイジは首をひねった。
レナードは妻であるリムをとても大切にしている。それこそ目に入れても痛くないほどだ。理由も無く、危険な仕事に連れて来るはずも無かった。長く会えないから仕事に同行させました、というのはさすがにないだろう。
だが、何の理由があるというのか? さっぱり見当も付かなかった。
ふと隣を見ると、クレアはぽかんと口を開けて、リムを見ていた。
「ああ、クレア。彼女は……」
セイジがリムの事を紹介しようとした。が、
「リムちゃん? リム=コーミズさんだよね」
「え?」リムが驚いてクレアを見た。
セイジもレナードも驚いた。いきなりクレアが初対面であるはずのリムのフルネームを言ったのだ。
「ああ……赤毛の騎士様」クレアはレナードに視線を向け呟いた。「……そうか、レナード様だったんだ」
レナードは目を大きく開けて、クレアを見ていた。訳がわからないといった表情で、頭の上には大きなクエスチョンマークが見える。
「ああ!」クレアをじっと見つめていたリムが叫んだ。「クレア様! シスタークレア様」
「そう、覚えていてくれた?」
「ああ……申し訳ありません、気づきませんでした」
「ううん、あれからもう3年経ったもの。すぐに解らなくて当然だよ」
クレアはリムに近寄り、手を取って微笑んだ。その口調はいつもと異なり、妹に話しかける優しいお姉さんのようだった。
「リムはクレア様と知り合いだったのか?」
レナードがリムに尋ねる。
「あの……3年前のあの時、おじさまの右腕を治療して頂いたのがシスタークレアです。おじさまは気を失っていたので、ご存じでは無いでしょうが」
「ああ……」とレナードが頷いた。
「その間、私はシスタークレアのおうちに2週間ほどお世話になっていたのです」
「そうでしたか」レナードはクレアの方を向き、頭を下げる。「私だけでは無く、リムまで大変お世話になったようで、感謝の念に堪えません」
「いえ、そんな、止めて下さい」クレアはレナードに向けて両手を広げ、左右に振った。そして、ふと気が付いたようにリムに視線を戻す。
「もしかしてレナード様の奥様というのは……」
「はい、私です」顔を真っ赤にしてリムが言った。「あの後、おじさまから……まだ籍は入れることが出来ませんけど」
「わあ、そうだったんだ。良かったね、リムちゃん」
「はい」リムは少し流れた涙を指で押さえながら、クレアに向かって微笑んだ。
「……一体何がどうなっているんだ?」
セイジがぼそりと呟いた。さっきから全く話について行けない。一人蚊帳の外だった。
「まあ、私が以前大怪我をしまして、その時、治療して頂いたのがクレア様だったようです。その間、リムはクレア様の家にお世話になっていたようですね。私も初耳でした」
「ふーん……つうか、レナード、クレア『様』?」
「隊長……」レナードがセイジを見てにやりと口を歪ませた。「お覚悟を」
いつもの嫌みったらしいレナードの笑みがそこにはあった。
「は? 覚悟?」レナードはセイジの呟きを無視して、リムとキャッキャと話しているクレアに向かった。
「お話中失礼します、クレア様」再び跪き、頭を下げた。「メルドムに法皇猊下がいらしています」
法皇猊下? エミリーナの法皇のことか?
もっとも現法王のティルト=ウェインは既に他界している。新しい法皇が決まるまで、代理としてティルトの妻が法王の座についているはずだ。信徒では無いセイジでもそのくらいのことは知っていた。
その法王代理がメルドムに来ている……事件解決のために法皇が乗り出してきたのか?
そう、セイジは思った。だが、この後思っても見なかった言葉がクレアの口から飛び出した。
「え!? お母様がメルドムにいらしているのですか?」
「は!?」
「あ!」クレアは口を押さえ、おそるおそるセイジを見て固まった。
セイジもまた、腕を組んだ姿勢のまま、クレアを見て固まっていた。
何とも言えない空気が二人の間を流れたのだった。




