第37話 試斬
「ほれ、これが頼まれていた物だ」
グラン爺さんはずいと胴田貫をセイジに突き出した。
昨日は中心剥き出しの刀身だったが、今は柄も鍔もついた刀に生まれ変わっていた。それが黒塗りの鞘に収められている。
セイジは刀を受け取った。手にずしりと重い。今まで使っていた斬馬刀よりも重かった。斬馬刀が軽い訳では無く、胴田貫が重いだけだ。
セイジは胴田貫を鞘から抜き、刀を目の前に垂直に立てた。そのまま数度刀を前後に返す。刀身から漆は完全に剥がされている。日の光に照らされ、刃がギラギラと光を反射させていた。
一切の遊びの無い、人斬り包丁と呼べる刀が目の前にあった。柄も鍔も鞘もそろったその姿は、昨日見た時よりも格段に怖さが増している。
隣で見ていたクレアが、ゴクリと息を飲んだ。刀剣のことなど解らないクレアが見ても恐ろしさが解るのだろう。
「良く磨いで丁字油をなじませておいた。問題なく使用出来るはずじゃ」
「ああ、有難う、爺さん。素晴らしい仕事だ。だけどさ……」
セイジは一度刀を鞘にもどした。そして後ろをぐるりと見回した。
「これは一体何の騒ぎだ?」
セイジの後ろには人だかりが出来ていた。昨日武器屋で見かけた店員、旅館のスタッフやお土産屋の店員、さらには饅頭を食いながら座っている爺さん婆さんの面々。ざっと見ても5,60人位の人がそこにはいた。
セイジ達は武器屋の裏手にある広場にいた。今朝朝食をとっている時に爺さんからの使いの者が宿に現れ、
「時間になりましたら、武器屋裏の広場に来てほしい」
との伝言を受けた。
時間ぴったりに来てみると、何故か人だかりが出来ていた。今日、何かここで催し物でもあるのかと思ったが、そうでは無い事がわかった。
「なあに、今日お前さんにそいつで試斬してもらいたくてな。若い衆に準備させていたら、何かあるのかと人が集まってきおった。人がいなくなって娯楽がドンドン減っているからのう。皆、暇なのだよ」
爺さんはかっかっか、と哄笑した。
「ま、昨日もいったようにそいつの金はいらん。だが、代金の代わりとして、ワシの目の前でそいつとお前さんの業を見せてほしい。それでチャラだ」
「……見世物じゃないんだがな」
セイジはぼそりと呟いた。だが、ここまできっちり仕上げてもらった以上、文句が言える立場では無い。
後頭部をポリポリと掻きながら、ふうと嘆息した。
15分ほどで準備は完了した。
「古畳だ。畳を斬るのは初めてでは無かろう?」
「まあな。昔から良くやらされたもんだ」
セイジの目の前には150cm程の高さがある畳が縦に置かれていた。後ろにつっかい棒があり、畳と棒をぐるりと紐でくくって固定している。畳の下部は地面に釘で固定され、浮き上がらないようになっていた。
脇には畳が山と積まれた引き車があった。替えは十分にあるらしい。
畳斬りは刀術の修行として昔から良くやらされていた。自分よりも背が低く、筋肉も無い祖父が30cm以上畳を斬るのに対し、若く力もあったセイジが斬ろうとしても刃が畳に弾かれ、まともに斬ることが出来なかった。刀が悪いのかと、祖父が使用していた刀を使ったが結果は同じだった。
「畳を斬れるようになれば、人なんざ簡単に斬れる。力だけでは畳に弾かれ、刃は入っていかない。足、腰全てが一体になって初めて斬れる。まあ、精進せい」
祖父にそう言われ、夢中で畳を斬った。使用したのは祖父がどこからか持ってきた鈍刀だった。数ヶ月かけ、ようやく30cm程斬れるようになったのを覚えている。そこまでに何本の刀をへし折り、ひん曲げたか覚えていない。
「では見せてもらおうか、お前の刀術とどうたぬきの力を」
「気は乗らないが……まあ、危ないから、全員俺から10m以上離れてくれ」
言いながら、セイジが右手を大きく回した。クレアや爺さんら側にいた者がさっと離れていく。
十分に離れたことを確認して、セイジは胴田貫の刀柄に右手をかけた。胴田貫は折れた斬馬刀に変わって、既に左腰に差されている。
セイジが少し腰を沈め、反対側にひねった。瞬間、
パチィン!
と、何かのはじけるような音が響いた。
「わ……」とクレアが驚きの声を上げた。
先程まで鞘に収まっていた胴田貫が、音と共に一瞬で抜刀されていた。クレアはじっとセイジの手元を見ていたが、抜いた瞬間が全く見えなかった。
後ろのギャラリーからも「おー」と言う声が漏れていた。
セイジは正眼の構えから、刀をゆっくりと上に上げた。上段に構えると、そのまま地に向かって振り下ろした。
ピュウ、という甲高い音が鳴った。刃が空気を切り裂く事によって発生する笛の音だ。
振り下ろされた刀は、地表すれすれの所でぴたりと止まった。セイジはその格好のまま、しばらく止まっていた。
「ほう……」グラン爺さんが顎に手を当ててぼそりと呟いた。
セイジが何気なく行った素振り、それを見てグラン爺さんは感心していた。
真剣で素振りして地表すれすれで刃を止める。それがどれほど難しいか、グランにはよくわかっていた。
竹刀ならば、ある程度慣れれば自由自在に止めることは可能だろう。竹刀は空気を叩きながら進む。空気抵抗は大きい。それを利用すれば止めることも、軌道を変えることも出来る。木刀は竹刀より重いが、空気を叩きながら進むのは同じだ。腕の筋力を鍛え上げれば、止めることは決して難しいことでは無い。
だが、刀はそうはいかない。刃が空気を切り裂くからだ。空気抵抗など無いに等しい。
加えて木刀よりも遙かに重い。いかに腕の筋力を鍛えようとも、そうそう止められはしない。止めようとしても刀の重みに引きずられる様に上体はつんのめり、腰が浮いて刃を地面に突き立てることになる。
それをセイジはぴたりと止めて見せた。刀が地を掃くことも無く、しっかり腰が据わり、上体も泳いではいない。もちろん本気の打ち下ろしでは無いだろうが、鋭い打ち込みではあった。止めようとしても、そうそう止まるものではない。
足腰と手首、これらを徹底的に鍛えあげたのであろう。そうで無ければこれほど見事に刀を止めることは出来ない。
セイジは戦士としては一見ひ弱に見える。レナードやロウガのようなはち切れんばかりの筋肉や太い腕は持っていない。
刀に特化した体になっていた。剣は力で斬るものだが、刀は術で斬る。全身を鎧のような筋肉で覆う必要は無い。鍛え上げられた足腰と手首、それを補助する筋肉があれば良い。必要な筋肉だけを徹底的に鍛え上げ、余分な筋肉をそぎ落とし、柔らかくしなやかな肉体を作り上げた。
全身からもいい感じで力が抜けている。柄も決して力を込めて握ったりはしない。抜けない程度に緩く握り、斬りつける一瞬に筋肉を収縮させる。そこに威力が発生する。
気合いを込めて全身かちこちにしては、逆に力は出ないし、威力も出ない。筋肉を緊張させすぎては真の力は出ないものだ。
セイジにはそれらがよくわかっている。ただの素振りに全てが見えた。グラン爺さんは大きく頷いた。
なんだこれは!?
セイジは驚いていた。背筋に寒気に似たものが通り過ぎ、全身の毛が逆立つような感覚がした。ざわめきが体中を駆け巡っていた。
刀の感覚を確かめるために行った素振り。振り下ろしたとたん、今まで感じることの無かった衝撃に似た何かが、腕から伝わり、血管を伝わり、全身を貫いた。
信じられないほどの一体感。初めて使ったとは思えない。まるで刀が手と同化し、体の一部になってしまった様な感覚。今まで使っていた斬馬刀ですら、ここまでの一体感は無かった。
胴田貫が歓喜の咆吼を上げた。歓喜のざわめきが頭からつま先まで余すこと無く伝わり、全身を震わせる。セイジは振り下ろした格好のまま、えもいわれぬ歓喜に身を震わせていた。
セイジは体勢を戻すと、確かめるように剣先を上下させる。一体感は消えていた。胴田貫は手の肉から剥がれ、ただの一本の刀に戻っていた。
……何だったんだ、今のは。
セイジは自分の右手に握った胴田貫をじっと見つめた。
今まで感じた事の無い一体感。そして、刀があげた様に感じた歓喜の咆吼。50年もの間、漆に包まれて眠っていた刀が歓喜を叫んだと言う事なのか?
セイジは視線を上げた。刀を右手にぶら下げるいつもの構え方に戻り、立てかけられている畳に向かって歩いて行く。
畳の側まで歩きながら、少し膝をたわめ、腰を沈めた。
「しっ!」
そのまま体を跳ね上げると、止まらずに刀を斬り上げた。右手一本で畳を逆袈裟に斬り上げる。
刀は畳をすり抜けたかのように天を指していた。少し遅れて、畳の左角がぼとりと地に落ちた。30cmほどの大きさになった、二等辺三角形の畳の切れ端が転がっている。
「おお」と言う声が武器屋の店員達から上がった。斬り上げるというのがいかに難しいことか彼らはよく知っている。剣速の問題だ。
剣速が早ければ、刀の一撃に威力が出る。どんな名刀を使おうが、加速がつかなければ斬ることは出来ない。
斬り下げるのは筋肉の点でも無理なく力が入り、かつ刀の重みが加わり、加速度は出る。だが、斬り上げるならば剣の重みが逆にネックになる。物は上から下に落ちるという物理法則に逆らうことになる。重い刀であればあるほど剣速が出ずに、刃筋もぶれる。中途半端な斬撃になりやすい。
セイジが使用している胴田貫は紛れもない剛刀だ。これほどの重ねの厚い刀を見た事は無い。その重い剛刀を右手一本でいとも簡単に畳を斬り上げた。並大抵の技術では無い。
セイジは手首を返し、刀を反転させた。そのまま今度は畳の右角を斬り下げた。同じように三角形の畳の切れ端が転がった。
後ろのギャラリーからまばらな拍手が上がった。最もセイジには聞こえていない。目の前の畳に集中している。
畳の上部は台形の形となっていた。両端が切り取られ、天辺の長さは丁度半分位になっている。
セイジは刀を上段に構えた。今度は片手では無く両手で刀柄を握っている。
「かっ!」
気合いの息を吐きだすと共に、台形の形となった畳の中央に刀をたたき込んだ。
刀はずぶずぶと畳を切り裂いていく。硬い畳がまるで豆腐のように簡単に切り裂かれていった。
畳は半分近く切り裂かれていた。人間であれば肩口に切りつけた刀が、股下まで抜ける程の一撃だった。もっともそれほど切り裂く必要は無い。心臓を切り裂かなくとも、人間の体に30cmも刃を食い込ませれば、人は衝撃で死ぬ。
畳から抜けた刀を再び上段に構えた。今度は台形の側面に叩き付けるように、斜めに斬りつけた。
その軌道が急に変わった。斜めに斬り下ろされていた刀が横を向いた。刀は真横に進んでいく。
剣を上段にとり、斬り下げる途中で剣を回し、軌道を変える。言うのは簡単だが、行うには困難を伴う斬り方だ。腕の筋肉も必要だが、それよりも強靱な手首が必要になる。手首がやわければ、返すことなど出来ずに痛めるだけだ。
この斬り方はただの奇策では無い。薙ぎは加速度がつきにくく、刃が途中で止まりやすい。重い刀をまっすぐに横薙ぎに斬ることは難しいからだ。刀が波打ちながら進んでは斬れはしない。
上段から斬り下げ、刀に十分な加速を付けた後に返し、刀を横薙ぎに変える。この斬り方ならば加速度が十分についているため、硬い頭蓋でも切り飛ばすことも出来る。最も、簡単に出来る斬り方では無い。少なくとも数年の修行を要する。
十分な剣速を得た刀が、畳を真横に切り裂く……様に見えた。
セイジの体から急に力が抜け、刀が引けた。
刀はバリバリと音を立て、畳の表面を削っていった。セイジは勢いのまま、その場にくるりと一回転して止まった。刀を左手に持ち替え、右手をグーパーしながら、しげしげと見つめている。体から先程までの気迫が消え失せていた。
「どうかしたのか」グラン爺さんがセイジの方に歩み寄ってきた。クレアも爺さんに続くようにやってきた。
「いや、腕にちと違和感が走った。あのまま打ち込んでも、中途半端な斬り方になるから止めただけだ。まだ刀に腕が慣れていないんだろう」
「痛めたんですか? 回復しましょうか?」
「いや、まだ大丈夫だ。もう少しやる」近寄ろうとしたクレアをセイジは手で制した。「爺さん、畳を新しくしてもらえるか? 次は左手でやってみたい」
「ほう、両の手で刀を扱えるか」
「右手、左手、両方で刀を扱える様にしておけと言うのが師の教えでね。基本は右手だが、左手が要になる斬り方もある」
「そうであろうな。おい、畳を新しいのにしろ」
爺さんが後ろにいた若い衆に声をかける。引き車に詰まれた畳を担いで、若い衆が準備にかかる。
やはりワシの目に狂いは無かった。どうたぬきを扱うにふさわしい男だ。
セイジはクレアから水をもらった水を飲みながら、話をしていた。それを見ながらグラン爺さんは頷いた。
素晴らしい剣士だ。世界で5指に入る実力であろう。それに奢ること無く、たゆまぬ修行を続けている。
今までも十分に強かったであろうが、これでもっと強くなるのは間違いない。グラン爺さんは何度も頷いた。
「どうした爺さん、何度も頷いて」セイジが水を飲みながら、グラン爺さんに尋ねた。
「なんの、仲がよろしくて羨ましいと思ってな」
「……ああ、そうかい」
「そんな、仲睦まじいなんて……」
セイジは視線を外してそっぽを向き、クレアは赤らめた頬に手を当て、体を左右に振っていた。
爺さんはそれを見て、「ほっほっほ」と嬉しそうな笑い声を上げた。




