第35話 疑問
レナードとリムは大通りを並んで歩いていた。
二人とも不思議そうな顔をしながら歩いていた。レナードは腕を組み、口をへの字に曲げ、首をかしげている。リムはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
二人は学校に向かって歩いているのでは無かった。もう学校はとうの昔に通り過ぎている。ロウガ傭兵団の事務所に向かって一緒に歩いていた。
先程まで、二人は学校へ向かっていた。レナードはリムを学校まで送り届け、そのまま事務所に行くつもりだった。
二人の間に会話は無かった。ちらちらと互いを窺いながら、黙って歩いていた。二人とも何を話していいのか解らなかった。
これからまたしばらく離ればなれになる。そんなときに普段通りに話せるほど、二人はまだ慣れていなかった。
家から学校までは徒歩5分ほどでだった。あっという間にたどり着いた。
「それでは、おじさま。気をつけて行ってきて下さい」
リムがくるりとレナードの方を向いて言った。相変わらず、寂しさを張り付かせた笑顔のままだった。
「うん、リムもきちんと勉強をするように……」
レナードが言いかけたその時だった。
「レナードさーん! リムちゃーん!」
背後から自分たちを呼ぶ大声に、レナードはくるりと振り返った。
向こうから見覚えのある、赤いエプロンを着けた体格の良い女性が、手を振りながら走ってきた。レナードの前で止まると、膝に手を当てて、荒い息をついている。
「ああ……良かっ…た。まだ学校に……行ってなかったんだね」息も絶え絶えと言った感じで、女性は顔を下に向けたまま喋った。
「シズナさん、どうしたんですか? そんなに慌てて」リムがシズナの顔をのぞき込むように言った。
「いや……カジにレナードさんへの伝言を頼んだんだけど……伝え忘れた事があって……それにカジも戻ってこないし」
シズナは顔を上げた。ようやく息が整ったらしい。
このシズナはロウガ傭兵団の雑用をやっている女性だ。縦にも横にも大きい体格をし、声も馬鹿でかい。肝っ玉母ちゃんという言葉がよく似合うおばちゃんだ。リムの事も大変可愛がってくれている。
ちなみにカジというのは、先程レナードに伝言を伝えに来た男だ。シズナの旦那でもある。
彼は今、外れの公園でブランコに乗りながら、自分の人生を儚む歌を一人で歌っていた。もちろんここにいる面々が知るよしも無い。
「伝え忘れたって……どうせこれから事務所行くのに」
「違うんだよ。ロウガの旦那がリムちゃんも連れてきてくれ、って」
「はあ?」レナードがすっとんきょうな声を上げた。
リムとロウガにも面識はある。ロウガも大酒飲みなので、レナードの家でセイジを呼んで飲み会などもよくする。ロウガはリムの作るドラグーン風の酒の肴が、えらくお気に入りだった。それでレナードの家に酒を持って押しかけるのだ。
だが、事務所に連れてきてくれ、と言う事はいまだかつて一度も無かった。しかも今は平日の朝だ。学校がある娘を呼ぶ時間では無い。
こんな時間にリムに何の用事がある?
レナードはリムの方に顔を向けた。リムも何が何やらと言った風にぽかんとしている。
「どうする?」レナードはリムに尋ねた。
「社長さんがお呼びなら……いってみましょう」
「そうかい、じゃお願いね。あたしはこれから亭主探してくるから……」
全くこのくそ忙しい時に、と呟きながら、シズナは巨体を揺らし去って行った。
忙しい? レナードはその言葉に思わず振り返って、シズナの後ろ姿を見た。彼女は既に遠くまで行っていた。体の割に動きは素早い。
忙しいとは妙だった。確かにロウガ傭兵団は売れっ子であり、年中仕事はつきない。
しかし、メインとなる仕事は山賊退治や、やっかいな魔物退治などの仕事だ。こういう仕事は暖かい春から秋口までがメインとなる。暖かい内は山賊達も活発に行動するが、寒くなると大概引きこもる。まだ冬にはなっていないが、仕事は大分落ち着いているはずだ。
忙しい、と思わず口走るほど仕事は無いはず……。
だが、それ以上レナードは考えなかった。ああいうタイプは忙しくなくても年がら年中「ああ、忙しい忙しい」と口走るタイプなのだろう。
それよりも今はリムの事だ。ロウガがリムに何の用があるというのか……。
レナードは顎に手を当てながら、リムと共にゆっくりと事務所に向かって歩き出した。
歩きながらレナードはロウガの用事を考えていた。だが、何も思いつかない。
考えられるのは料理だ。リムのドラグーン料理は絶品で、ロウガは時折食べに来る。だが、そのためにわざわざ呼びつけるというのは考えられない。まだ朝だ。酒盛りするには早すぎる。常識外れの男ではあるが、一般常識はわきまえている……はずだろう。
リムにも聞いてみたが、可愛らしく小首をかしげるだけだった。レナードが思わず抱きしめたくなっただけで、何も解らなかった。
「あの……おじさま?」
「ん?」リムにくいくいと袖を引っ張られ、レナードは思考から戻り、隣にいるリムを見た。
「上手く言えないんですけど……なんだか今日、普段と違いませんか?」
「違う? 何が?」
「その……雰囲気というか……街の様子が、いつもと違う気がするんです」
言いながら、リムはきょろきょろと辺りを見る。
レナードも辺りを見回した。歩いている大通りは商店が多く、今はどの店も開店準備に追われていた。荷物を山ほど積んだ馬車が何台も走り、店の入り口に店員達が商品をこれでもかと詰んでいる。各店からは「これどこだ!」や「早くしろ!」など怒号にも似た声が飛び交っていた。
いつもの大通りの朝だ。別段、何も珍しいことなどない。
だが、レナードは顎に手を当てたまま、ぐるりと首を回した。
確かに何か違和感を感じる。それは決して大きいものでは無い。ほんのわずかな違和感を、レナードも感じていた。
調味料を入れ忘れた料理に似ている。それはほんのひとさじ程度なので、見た目は何も変わらない。が、食べてみると何かひと味足りない。そんな違和感だった。
レナードは黙って歩きながら、辺りを見回していた。リムもレナードのすぐ後ろをついていきながら、きょろきょろと顔を動かしている。
「あ!」唐突に声を上げてレナードが立ち止まった。
「きゃっ」正面を見ていなかったリムは、レナードの背中に思い切りぶつかってしまった。後ろに尻餅をついて倒れてしまう。
「あ、す、すまないリム。大丈夫か」慌ててリムに手を伸ばし、抱き起こしてやる。
「はい、大丈夫です。あの……おじさま、何か気付かれたのですか?」
「おそらくだけど……今日は傭兵達の姿が見えない」
「ああ……言われてみれば」リムはスカートの埃を払いながら、大きく頷いた。
傭兵はあまり朝昼の感覚が無い。仕事柄、昼間に仕事をすると決まっている訳では無いからだ。夜襲をかけることや、早朝の仕事だってある。一般の仕事とは時間の形態が大きく異なる。
そのため、夜中に仕事→早朝帰ってきてそのまま酒盛り、なんてケースもままある。また、仕事が空いていて暇な傭兵が、朝から酒というケースもある。
ナロンではそういった傭兵のため、朝から店を開けている酒場もある。ロウガ傭兵団員は皆高級取りなので、がんがん高い酒を飲みまくる。朝に店を開けていても、十分に利益が取れるらしい。
朝から酔いつぶれて傭兵がそこらで転がって寝ていたり、酔っ払って騒いでいることも多い。何すること無く、ただ散歩している傭兵もいる。他の街では決して見られない光景だが、ナロンでは良くある朝の光景だった。
だが、今日の街は静かだった。それに傭兵の気配も無い。まるで150人いる傭兵達がみんないなくなってしまった……そうレナードには感じられた。
「とりあえず行こうか」
レナードはリムの手を取ると、再び歩き始めた。
とりあえず事務所に行こう、行けば何か解るはずだ。
事務所まではもうすぐだった。レナードとリムは再び歩き始めた。
ロウガ傭兵団事務所。
この街唯一の3階建ての建物だ。高さだけで言えば、街庁舎やリムが通う学校よりも高く、内部もかなり広い。
セイジ曰く「バカはとかく高い建物を作りたがる」そうだ。
外見は決して派手では無い。だが、内部の骨組みはしっかりしていて、強度も非常に高い。対魔法用の特殊壁も厚く、敵が攻めてきてもしばらく耐えることが出来る、とロウガは豪語する。実際に建物の中には、100人分の食料と水が1ヶ月分常にストックされている。
このナロンに何かが起こった場合の緊急避難先にも指定されている。ロウガ傭兵団はナロンの防衛隊も兼ねている。その分、土地代や各種税金も安く抑えられていた。ロウガ傭兵団は他に類を見ない地域密着型の傭兵団だった。
レナードは見慣れた事務所の前に来ていた。そして周りを見渡す。
人気が全くなかった。
いつもならばこの時間でも、事務所付近は人がたむろしている。事務所の1F部分はトレーニングジムが存在し、使用料を払えば街の人も使用する事が出来る。
また食事出来るレストランも併設されていて、こちらも街の人達が使用出来る。どちらとも綺麗で安く、設備が整っていることもあり、体を鍛えたい人達から、老人達の集会等、人々の使用も多い。
ちなみにロウガ傭兵団に所属している者達は、そこでのジム使用及びレストランの飲食が全て無料になっている。そのため、ただ飯食らいに来る傭兵は多い。もっともアルコールの提供は無い。
それが今日は人っ子一人いない。街の人だけでは無く、傭兵や職員達もいない。
首をひねりながら、レナードは扉を開けようとした。
その時、扉に大きな張り紙がしてあることに気が付いた。
しばらくの間、ロウガ傭兵団は新規依頼の受付を中止させて頂きます。
また、建物内の各種施設の営業も、中止とさせて頂きます。
再開の予定は14日後となっております。
なお、予定は急遽変更となる場合がございます。ご了承下さい。
お客様各位にはご迷惑をおかけ致しますが、ご理解の程お願い致します。
ロウガ傭兵団社長 ロウガ=プリスベン
ロウガ直筆の汚い文字が、大きな紙に殴り書きされていた。
「何かあったんでしょうか……」レナードの隣でリムもその紙をじっと見ていた。
レナードは扉のノブに手をかけ、回してみた。鍵はかかっておらず、くるりと回って扉は開いた。
「まあ、入れるようだし、親父に聞いてみるしか無いかな?」レナードはリムの手を取り中に入った。
いつもは人で賑わっているロビーはしんとしていた。ロビーの中央には新進気鋭の芸術家が作ったと言われる、さっぱり訳のわからないオブジェが存在し、その周囲にはベンチが並んでいる。ここで休んでいる人や、待ち合わせをしている人も多い。
その奥にトレーニングジムがある。だが、入り口は封鎖され、大きな張り紙が貼ってあるのが見えた。入り口に張ってあった物と同様だろう。
右手側にはレストランがある。ガラス張りになっているため、中が窺えるのだが、所狭しと並べられたテーブルにお客は一人もいなかった。入り口は同じように閉鎖され、張り紙が貼ってある。
「こんな静かなここ、初めて見ました」リムは物珍しそうに、きょろきょろと視線を左右に振っていた。
「私も初めてだね」
言いながらレナードは左側を見た。左側はロウガ傭兵団の受付になっている。その受付に女性がいるのが見えた。
レナードはリムの手を引き、受付に向かう。足音に気が付いて女性が顔を上げた。
「あら、おはようございます、レナードさん」いつも受付している女性がメガネを押し上げながら、挨拶した。
「おはよう」
「おはようございます」
「あら珍しい、リムちゃんも一緒? どうしたの? こんな時間に二人で」
「親父に呼ばれたんですよ、二人ともね」
「へえ? レナードさんは解るけどリムちゃんも? なにかあるのかな?」
受付の女性が目を細めて、首をひねった。どうやら彼女もリムが呼ばれた理由については解らないらしい。
とりあえずレナードは疑問をぶつけてみることにした。
「表の張り紙はどういうこと? 私はここに3年いるが、あんなの始めてだ」
「私だって初めてだよ。昨日ね、大口の仕事が飛び込んできたんだって。それで傭兵が100人一気に持っていかれたんだよ。今仕事受けている人と、最低限街に残る傭兵以外全部だよ。信じられる?」
「へえ……凄いですね」リムが驚いた様に呟いた。
「100人か……それは凄いな」レナードも顎に手を当てて唸った。
聞いた事のないレベルだった。再開までに14日かかると書いてある以上、契約期間は1週間~10日だろう。依頼料の高いロウガ傭兵団を一気に100人、しかも契約期間は一週間以上。一体いくらかかるのだろう。想像も出来なかった。
「でも、それだったらジムやレストランまで閉鎖させる必要は無いと思いますけど」リムが視線を上に向け、顎に指を当てながら言った。
「それがね、驚いたことに今回の仕事、社長まで現場に出向くんだって。ジムもレストランも社長が責任者って事になってるし、長くなりそうだから一応帰ってくるまで休業にするらしいよ」
「親父が!? 自ら出向くんですか?」
「らしいよ。今日の昼には出るって言ってた。10日くらいは帰らないって。レナードさんもその件で呼ばれたんでしょ?」
「いや……用件の方はまだ聞いてない。親父は部屋?」
「うん。今、準備してるんじゃ無い? 鍵は開いてるだろうから、入っちゃってかまわないよ」
「解った。そうさせてもらおう」
レナードは女性に片手をあげながら、上に「商談室兼社長室」と書かれたプレートが貼ってある扉を、ノックもせずに開けた。
すぐ目の前に欅の木を切りだして作られた、厚みのあるテーブルがあった。太い4対の足には手彫りで細やかな模様が刻まれており、照明の光を浴びてつややかな光沢を放っている。
そのテーブルを挟むように、メルドムのホテルで見た高級ソファーが二つ並んでいた。依頼人との商談をするスペースだ。
奥にもう一つ、高そうな仕事用のテーブルがあった。学校にある教壇のような机で、正面部分に大きくライオンの木彫りが施されている。
そのテーブルの上に両足を乗せ、朝からバーボンをボトルから直飲みしている男がいた。
当然ストレートだ。脇にグラスとロックアイスの入ったバケツが置かれているが、使われている形跡は無い。
「こら、ノックぐらいしろ、馬鹿野郎」
ボトルをゴンと机に叩き付けながら、男が酒臭い息を吐いた。
ロウガ傭兵団社長、ロウガ=プリスベンその人だった。




