第34話 伝説
「……さま? おじさま?」
自分を呼ぶ声に、レナードははっと顔を上げた。
すぐ目の前で、心配そうな表情で見つめているリムと目が合った。
「ああ、すまない……なにかな? リム」
「いえ、コーヒーのおかわりはいりますか? と……」
「ありがとう。頂くよ」
レナードはにこりと笑ってカップをリムに差し出した。リムは曇った表情のまま受け取り、台所へ戻っていく。
いかんな……リムを心配させては……。
リムが背を向けたのを見てから、レナードは首を振った。
あと数時間後にはマイナに向かわなければならない。またしばらくリムとは会えなくなる。それなのに心配させてはいけない。
レナードは台所でコーヒーを注いでいるリムの横顔を見た。その横顔はどこか暗い。ここナロンに移ってからは笑顔が格段に増えたリムだが、今日はその笑顔は見えなかった。
昨夜7時頃、レナードはナロンに戻ってきた。
常人の足で10時間近くかかるところを4時間程度で走破してきた。あのミノタウロスの死闘の後で、である。確かに折れた槍は捨てているためかなり身軽にはなっていたが、それでも考えられないスピードであった。
レナードは街に入っても止まること無く走り続け、自分の家では無く、裏にある一軒の家に向かった。
そこには元傭兵団員の老夫婦が住んでいた。夫の方がロウガ傭兵団創設時のメンバーだった。今は年齢もあり一線を退いたが、街の荒くれを一撃でぶちのめすほどの強さをいまだ誇る老人だった。
レナードが仕事の期間中は、リムをいつもこの老夫婦に預かってもらっている。マルヴィクスならばともかく、ナロンにて、リム一人で何日も留守番させるのは危険だからだ。
老夫婦はレナード達の良き理解者だった。最初こそはレナードを怪しみ、眉をひそめていたが、幸せそうに微笑むリムを見て、レナードが真剣に彼女を愛し、慈しんでいるのは間違いない。そう判断し、レナードの留守中リムを預かってくれていた。
老夫婦の家にたどり着き、ノックする。すぐに頭の禿げ上がった老人が顔を出した。玄関先で息を切らしているレナードを見て驚いていたが、すぐにリムを呼んだ。
やってきたリムは喜んだ。しかし、これが一時帰宅であること、また明日の昼前には出なくてはならないことを伝えると、すぐにシュンとなってしまった。喜びが大きかった分、落胆もまた大きかった。
とりあえず飯を食っていけ、と老人に言われ、好意に甘えることにした。食事を終え、家に帰ったレナードは風呂に入った後、限界が来てリムを抱きしめたまま寝てしまった。
結局、やりたいことのあんな事やこんな事も出来ず、朝を迎えてしまったのだった。
仕事、キャンセル出来ないだろうか……。
リムの横顔を見ながら、レナードは真剣に考えていた。
レナードとセイジが結んだ今回の依頼は「エルダークレアの護衛」だ。期間は一応10日という事になっている。既に三日経っているのであと一週間だ。
だが、これは一応の目安で設定された期間だ。あと1週間で依頼終了となるだろうか? と考えると答えはノーの気がする。
ただでさえ訳のわからない事が多い。攫われた高位司祭ライトン、集団で襲ってきたガガンボ、魔法が効かないミノタウロス。
これからどうなるのかさっぱり見えない。よって期間も解らない。それはレナードにとって、ほとほと困ったことだった。
レナードは今まで、期間の短い依頼を受けるようにしていた。長くても一週間、そう期間を切っていた。もちろんリムのためだ。
リムはとても寂しがり屋だ。だが、レナードに面と向かって寂しいとは、決して口にしない。
言わずに我慢して、内にため込んでしまう。子供の時にわがままが言えない環境に育ったからだろう。レナードと共に暮らすようになってもそれは変わらなかった。
だからレナードの方が気を使って、依頼を考えて受けていた。3~4日位で終わりそうな依頼を優先的に受けた。金はほしかったが、リムと一緒にいられる時間の方を優先的にした。
今回のことはイレギュラーだ。セイジがレナードを巻き込んで勝手に受けてしまったという事もあったが、レナード自身もたいしたことは無いだろう、と思って受けてしまった。期間こそやや長めだが、依頼料はかなり高い。その点も大きかった。
結果、今激しく後悔している。まさかこれほどの案件だとは思わなかった。依頼終了までどれほどかかるか全く解らない。さらに危険性も高く、昨日は何度死を覚悟したことか。
死ぬのはしょうが無い。そういう仕事だ。命の危険性と引き替えに高い報酬をもらっている。自分が死ぬのはかまわないが、死んだ後のリムのことを考えると怖くて仕方が無い。
一応、死んだ時に備えてはいる。金も信頼出来る人間に託してある。リムが路頭に迷うことは無い。だが、リムの事だ、自分の後を追ってきそうな……。
コトリと前にカップが置かれ、レナードははっと顔を上げた。心配そうな表情のリムと目があった。
「大丈夫ですか、おじさま」
リムはポケットからハンカチを取り出すと、そっとレナードの顔を拭った。寒い気温にもかかわらず、レナードの顔は汗で覆われていた。
「昨夜はゆっくりとお休みになれませんでしたか?」
「いや……そんなことは無い。ゆっくりと休めた」
夢のせいで寝起きは最悪であったが、睡眠自体はたっぷりと取れていた。疲れは綺麗に取れている。若いのと、自分の家で休めたのが大きい。
「では、何か悩み事ですか?」
「うん、そうだね……今回の仕事のことさ」
レナードはコーヒーを一口すすった。リム特性のミルクたっぷりのコーヒーだ。
「今回の仕事は思ったより長引きそうなんだ。一応、あと一週間とはなっているけど、その期間で終わるとは思えない」
リムはレナードの前に立って、話を聞いていた。
「エミリーナ教団からの依頼だ。なるべくなら最後までやり通したい」
金もいいから、と心の中で付け足した。
「その……リムには寂しい思いをさせるけど」
「リムのことは気にしないで下さい。少し寂しいのは事実ですけれど……おじさまがしたいようにして下さい。私はいつまでも待っていますので」
そう言ってリムは笑った。しかし、その笑顔は微妙に歪んでいる。
悲しさを押し殺して微笑んでいる。それがレナードには手に取るように解った。レナードの気持ちがまた揺れ動く。
やはり依頼をキャンセルして……。
そんな考えが頭に浮かんで、すぐさま却下された。
出来る訳は無いと解っている。そんなことをしたらロウガ傭兵団から追い出される。リムもこの街に良くなじんでいる。流石にこの環境を捨てるのは嫌だった。
「リム……」
レナードは立ち上がり、リムを抱きしめる。
リムもレナードの背中に手を回した。身長が低いため、レナードの腹部に顔が当たっている。お腹に顔を埋めるようにして、ぎゅっとしがみついた。
「なるべく速く戻れるようにする」
「はい、リムはいつまでもお待ちしています」
レナードはリムの髪を梳くようにして頭を撫でた。リムは目をつむり、レナードにされるがままになっていた。
レナードはリムをやさしく撫でながら、素早く目を動かした。壁に掛かっている時計をじっと見つめる。
午前8時30分過ぎ。セイジとの待ち合わせ時間は昼頃。それまでにマイナまで行けばいい。
レナードは頭の中でシミュレーションを開始した。馬車を手配し、マイナまで向かう。荷物はセイジの刀とレナードの槍くらいしか無い。馬を潰さない程度に走らせれば……。
時間を正確に指定された訳では無い。2時位だってぎりぎり昼といえるだろう。もしなんだったら馬車の手配に手間取った……いや、親父の元に報告に行って遅れたと言えば。
レナードは目をつむり考え始めた。頭の中で脳がかりかりと音を立て猛回転する。
そして、目が大きく開かれた。
よし、2回戦はいける!!
レナードの脳内で天使と悪魔が一斉に親指を立てた。
「リム……」
レナードは身を屈め、しゃがみ込んだ。目を少し潤ませているリムを正面に見据える。
リムの小さな肩に両手を添え、そっと自分の方に引き寄せた。リムも抵抗すること無く、レナードの方に引き寄せられる。
リムの唇とレナードの唇が今まさに触れあおうとした、その時だった。
「おーい! レナード! 起きてるかー」
男の低い怒鳴り声と共に、ドンドンと扉が叩きならされた。リムがびくりと体を跳ね上げ、するりとレナードの腕から抜けた。
あ、とレナードが情けない声を上げた。なおも扉はドンドンと打ち鳴らされる。
「おーい! レナード! おらんのかー。ロウガが呼んでるぞー」
「あ、あのおじさま……呼ばれているみたいですけど」
「うん……」レナードはゆらりと立ち上がった。そのままゆらゆらと玄関に向かっていく。
「おお、おったかレナード。ロウガが……」
扉が開かれ、顔を覗かせたレナードに、くわえタバコの男が喋りかけようとした。
が、言葉は途中で止まった。
出てきたレナードから、ものすごい殺気が立ち上っていたからだ。鋭い目つきで睨まれ、男は一瞬で身動きが取れなくなった。
全身から溢れだしている殺気のオーラに、男は完全に包み込まれた。目の前にいる身長170cm足らずの男が、10m近くの巨人に見える。
や、殺られる!
レナードは扉の隙間から上半身だけ出している。当然は武器を持っていない。にもかかわらず、瞬間的に男は殺される、と思った。逃げようとするが、体の筋肉が縮こまってしまい、言う事を効かない。声も出せなくなっていた。
気を抜いていた所に、レナードの殺気を全身に浴びたのだ。金縛り状態になってしまって動けない。黄色く濁った目玉だけがぎょろぎょろと動いている。
全身が小刻みに震えだした。くわえていた火のついたタバコがぽとりと足下に落ちて転がった。ゆらゆらと紫煙が昇っていく。
お、俺はここで死ぬのか……。
逃げようにも逃げられない。男は死を覚悟した。かつては傭兵団の一員として働いていた男であったが、作戦中の負傷により、今は事務員の一人として働いていた。
かつての負傷時と同じ……いや、それ以上の恐怖が今、眼前に迫ってきていた。
「親父が何か……」
レナードが低い声で呟いた。
「ろ、ロウガ……呼んで……」
男は何とか言葉を絞り出した。全身から汗を止めどなく拭きだし、目は瞬きすることも無く大きく見開かれ、股間部分が大きく濡れていた。
「解りました……すぐに行くとロウガに伝えて下さい」
それだけ言うと、レナードは引っ込んだ。扉が閉められると、男はへなへなとその場に崩れ落ちた。火の消えていないタバコを下敷きにし皮膚を焼いたが、男は全く気が付いていなかった。
「……奴はやはりクレイジーだ……」
呆然とした表情で男はぼそりと呟いた。やがて立ち上がると、ふらふらとどこぞへと歩き出していった。
クレイジーロリィ伝説に新たな一ページが刻まれた瞬間だった。
レナードは扉を閉め、振り返った。リムは困った表情で苦笑いを浮かべている。
流石のレナードも気分では無くなっていた。こういうのは流れが重要だ。一度気持ちが途切れてしまうと、さあやり直そう、と思っても白けてしまう。特に今は朝だ。夜ならばまだやり直しようもあるが、朝の光は二人を冷静にさせる効果を持っていた。
「おじさま、私、学校に行きますね」
「そうだね、学校まで一緒に行こう」
「はい」返事をしてリムは部屋に戻ろうとした。が、何かを思い出したかのように身を翻すと、レナードの元に戻ってきた。
「どうかしたのか? リム」
自分の元に戻ってきたリムをどうしたのかと見ていた。リムは軽くレナードの右手を下に引っ張った。しゃがめと言う事らしい。
レナードがしゃがみ込むと、リムは両手で頭を抱え込む。そして、レナードの頬にキスをした。
「帰ってきたら、さっきの続きをいっぱいしましょうね、おじさま」
レナードの耳元でそう囁くと、顔を真っ赤にして、部屋に飛び込んでいった。
初めてのことだった。恥ずかしがり屋のリムは、自分から誘うことなど無かった。レナードは呆然と愛妻の去って行った部屋を見ていた。
……更新は絶対せずに、戻ってこよう。
頬を撫でながら、レナードは硬く心に誓った。




