第31話 同衾
辺りには濃い血の臭いが立ちこめていた。
死屍累々。一面に散らばる死体の中で、カツタダは跪き、一体の白頭巾を見ていた。
この白頭巾も死んでいた。だが、カツタダが殺したのでは無かった。自ら短刀で首を裂いて死んだのだ。
カツタダが最後に残した白頭巾だった。一応、雇い主を聴いておこうかと残しておいたのだ。おそらく、エミリーナが雇った傭兵なのだろう、と思っていた。もしかしたらファイナリィかもしれない。だが、聴く前にこの白頭巾は自決していた。
妙だった。傭兵ならば自決などしない。知っている情報を全て吐いてでも、何とか生き延びようとするだろう。それにあの状況で逃げないのも妙だ。足がすくんで一歩も動けないほどでは無かっただろう。今思えば、逃げたいが逃げられない、そういう風に見えた。
手を伸ばし、白頭巾を剥いだ。瞬間、カツタダの目は大きく見開かれた。
頭巾の下から月代を剃り上げた、若い男が現れた。髷をほどいたのだろう、長い髪が地に広がっている。
エミリーナでもファイナリィでも無かった。イーストの人間だった。
月代とは頭頂部の髪を剃り上げた形のことである。イーストの兵士達は皆、頭を月代に剃り、残った髪で髷を結う。これが正装とされていた。
こんな妙な髪型をしているのはイースト以外にいない。何故イーストが自分を狙う。
頭が混乱しかけていた。しかし、同時に納得もしていた。
この者達が逃げたくとも逃げられなかったのも解る。カツタダを討つ様、主命を受けていたのだろう。失敗すれば死だ。逃げても死だ。むしろ逃げ帰れば一族郎党全てが罪に問われる可能性がある。成功以外はどちらにせよ死しか残っていない。死ななければ身内に罪が及ぶ。
「誰だ」
気配を感じ、カツタダは後ろに振り向きながら立ち上がった。
暗闇の向こうから何者かが歩いてくる。月に雲がかかり、夜目がきくカツタダにも相手の顔が確認出来ない。体つきは男に見える。が、鍛え上げている体で無いように見えた。
カツタダは近くにあったロングソードを拾い上げた。敵意は感じられない。が、悠然と歩み寄ってくる男はいかにも不気味だった。
やがて雲が過ぎ去り、わずかな月光が降り注ぐ。男の顔が確認出来たカツタダは、驚きで再び目を見開いた。
「殿……」
手に持っていたロングソードが地に落ちて、カラカラと音を鳴らした。
こちらに向かって歩いてきているのは、カツタダの上司である殿、アベ=アキタダだった。本来ならサボイにて逢う予定の人物だ。そこで、ミツイエと共にこれからについて話し合う予定だった。
こんな場所にいるべき人物では無い。アキタダはイーストの実権を握るロウジュウの一人、すなわちイーストの要人だ。何かあったら国中が大騒ぎになる。それほどの人物だ。
そんなアキタダがただ一人の供も連れず、こんな夜中に一人で林道にいる。カツタダの頭は激しく混乱していた。
アキタダは文官だ。力より知で働くタイプの人間だった。多少は体を鍛えてはいるし、剣も携えている。しかし、抜いたことは一度も無いだろう。敵に襲われたらひとたまりも無いはずだ。
「殿……」カツタダが再び呟いた。聞きたいことは山の様にあるが、言葉が出てこない。
アキタダはカツタダの前に立った。そして、辺りをぐるりと見回した。
「全滅か。哀れなことだ」
そう言って首を大きく横に振った。
「どうしてここに」カツタダが絞り出す様に言った。
アキタダはまっすぐにカツタダを見据えた。そして腰に差してあった剣を抜き、構える。
「お前を討つためだ、カツタダ」
ビュウと強い一陣の風が吹き、二人を間を通り過ぎていった。
セイジは必死に戦っていた。
暖かい布団の中で、必死で欲望に抗っていた。
部屋は真っ暗だった。上部にある小窓から覗く月光が、少しだけ部屋を照らしている。
隣ではクレアが寝ている。気配でまだ寝ていないことはわかっている。
だめだ、まだ駄目だ。
セイジはそう自分に言い聞かせ、必死に抗っている。だが、それももう長くは持たないだろう。
気を抜けば一気に持って行かれる。必死に気を張っているが、もう限界が近かった。
もう……無理……か。
セイジは必死に戦った。だが、もう敗北も近い。
睡魔に。
クレアを布団に寝かし、セイジも隣に横になった。もっとも、二人の間は一人分ぽっかりとスペースが空いている。
セイジはクレアが寝るのを待っていた。クレアは寝付きがとてもいい。横になれば5分位ですぐに寝てしまう。朝までぐっすりと眠り続ける。
クレアが眠るのを待ち、自分は和室に戻って寝ようと思ったのだ。布団に入り、ふうと息をついた。
とたんに凄まじい睡魔が襲ってきたのだ。今まで感じた事が無いレベルの睡魔だった。
傭兵という仕事柄、十分な睡眠は取れないことは多い。毎日仮眠程度で1週間ぶっ通しの仕事もしたことはある。
だが、今感じている睡魔はその時を遙かに上回っている。もはや体を起こそうとしても言う事をきかない。
無理も無かった。本来、セイジは仕事を一件受けたら最低3~4日は体を休ませる。今までそういうサイクルで、仕事を受けてきた。
ところが今は山賊退治から連チャン状態だ。さらに退治終了から休息を取る事無く、ナロンに戻る道中で事件に巻き込まれている。十分な休息が取れているとは言いがたい。疲労は確実に溜まっていた。
そこに今日のミノタウロス、ガガンボとの激闘。さらに旅館でたらふく飯を食い、酒もいい感じに入っている。とどめに熱い風呂と暖かい布団。
これで寝るなと言うのは、もはや拷問だった。
剣を……取らなければ……。
風前の灯火となりかけた意識を必死に紡ぎながら、セイジは起きようとした。
セイジはいつも、横になって寝る時はダガーを抱いて寝る。万が一の時にすぐに対応できるようの備えだった。枕元において寝ると、いざという時にどうしても一拍遅れる。その一拍が命取りになりかねない。
すぐに武器を取れる様にして眠る。これは平時でも常に行っていた。
今は寝るつもりなど無かったから、持っていなかった。取りに行きたいのだが、もはや体が起きようとしない。布団をはねのける気力も既に無くなっていた。
……剣を。
必死に手を伸ばそうとする。もちろん、体はぴくりとも動いてはいない。
セイジの意識は、そのまま沈んでいった。
聞き慣れない音に、クレアはセイジの方に体を向けた。
セイジのいびき音だった。ゴーゴーと音がしている。初めて聴いたセイジのいびきだった。
セイジは寝てしまった様だ。クレアは上体を起こし、じっとセイジの寝顔を見る。もっとも暗くて良くは見えない。
セイジの顔を見ながら、クレアはゆるゆると緊張が解けていくのを感じていた。
今まで天井を見ながら、ずっと緊張で体を強ばらせていた。布団の中でがちがちになって、うるさいほどはしゃいでいる心臓の音をずっと数えていた。緊張で目はばっちりと冴えている。
もしかしたら今夜が私の初めてに……。
考えると、顔が熱を帯びていく。部屋は寒いにもかかわらず、湯気が昇らんばかりに体温が上昇していく。
お、お任せしていいのかな?
クレアにそういった睦事の知識は皆無だった。もし、コトに及ぶとなった時、相手にゆだねればいいのか、自分も何かしなければならないのか、クレアは先程からその事をずっと考えていた。もちろん答えなど出るわけは無い。
そんな思考もセイジのいびきで吹っ飛んでしまった。
そうだよね。あんな死闘の後だもの、疲れ果てているよね。
クレアはセイジの方に体を近づける。今までは、セイジは寝ていてもクレアが近づくと目を覚ましていた。だが、今日はいびきが途切れること無く続いていた。深い眠りについている証拠だった。
クレアは枕を抱えると、布団の中を這う様に移動して、自分とセイジの間に空いていた一人分のスペースに体を滑り込ませる。そこまで近づいても、セイジは起きる気配を見せなかった。
不意にいびきが消えて、セイジがくるりと体をこちらに向けた。
気づいた? クレアはどきりと体を硬くする。
が、セイジの目は開かれない。イビキは無くなったが、断続的な吐息が聞こえている。寝返りを打っただけらしい。
ほっと息をついた。と同時に、セイジの顔がすぐ目の前にあることに気が付いた。
近づいたのと、目が闇に慣れたのもあって、はっきりとセイジの顔が見えた。また、クレアの心臓がドキドキと暴れ始める。再びセイジがいびきをかきはじめた。
クレアはゆっくりとセイジの方に擦り寄った。胸の前まで移動して、セイジを見上げる。相変わらずのいびきが聞こえてきた。
ちょっとくらい……大丈夫だよね……。
クレアは置かれていたセイジの右腕に頭を乗せた。そしてセイジの厚い胸板に、自分のおでこでそっと触れる。
クレアは目をつむった。こうしていると、なんだかセイジに抱きしめられている様な気がした。
不思議と心臓のどきどきが収まっていき、穏やかな気持ちになってくる。緊張が解けたせいか、急激に眠くなってきた。
戻らなきゃ、とクレアは思った。だが、思っただけで体は動かなかった。
ここで離れるにはあまりにももったいなかった。きっとこのままいてもセイジ様は怒らない、心の片隅でそう考えた。
その思いはドンドンと強くなっていく。戻らなきゃ、とこのままでも大丈夫、が心の中でせめぎ合う。
その結果は分かりきっていた。
クレアは細い指をそっとセイジの胸に当てた。どくんどくんと心臓の鼓動を指先に感じる。
今日はいい夢みれそう……。
クレアはそのまま眠りについた。寝るまでは一瞬だった。
眠らない街、メルドム。
夜も多くの街灯が灯っており、道を煌々と照らしている。深夜になっても営業している店が多くあり、夜中でも街中を人が歩き、語らい、時には暴れている。そんな様子を見た人達はメルドムを眠らない街、と呼んだ。
だが、今日のメルドムは違った。道には人っ子一人いない。普段は営業している店も、全てのれんを下ろしている。街灯こそついているが、街はひっそりと静寂に包まれている。
そんな街中を銀色の鎧を纏った兵士が歩いている。一人二人では無い。かなりの大人数だった。
一人の女性が、壁に掛かっている絵画に手を添え、それをじっと見つめていた。
年齢不詳の女性だった。目元には皺が幾つか見える。だが、顔にはシミ一つ無い。ほっそりとした肉体をしており、肌はつやと張りを持っている。しかし、その物腰には落ち着いた風格が見える。
若くも見えるが、年を重ねているようにも見える。不思議な女性だった。
ここはメルドム最高のホテル、セラヴィ。金持ち貴族や国賓級の人物が多く利用する。ファイナリィ一のホテルだった。
女性は最上階のスィートルームにいた。セイジとクレアが泊まっていた部屋の隣だ。そこで女性は絵画をどこか悲しそうな目をして、見つめていた。
「セリア様……そろそろお休みになりませんと」
女性……セリアの後ろで跪いていた赤髪の若い女が、おそるおそるといった感じで声をかけた。
「そうですね……わかりました」セリアはゆっくりと振り返った。
若い女は顔を下に向け、ほっと息を吐いた。セリアはゆっくりと寝室へ歩いて行く。その後ろを赤髪の女が付いていった。
その途中で、セリアはふと立ち止まり、後ろを向いた。
「どうされました?」
「いえ……」
セリアはじっと後ろを見つめていた。先程まで見ていた絵をまた見つめていた。
それは椅子に座って微笑んでいる、クレアの絵だった。
月金2回更新を目指して頑張っていましたが、
しばらくの間、月曜更新だけとさせて頂きます。
読んで下さっている方々、申し訳ありません。
9月下旬より元に戻れるかとは思います。




