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第29話 おあいこ

 全身が熱く火照っている。茹で上げられたかのように熱を持っている。

 その中で額だけが痛いほど冷たい。そして、どこからかそよそよと風が吹いている。それが何とも心地いい。

 クレアは目を開けた。ぼんやりと寝室の天井が見える。


 あれ? 私寝ている? 寝室で?

 どうして寝ているのだろう? 確か私はお風呂に入っていたはず。


 考えようとしたが、頭が働かない。風邪を引いた時のように、頭が熱でぼーっとしている。


「起きたか、クレア。平気か?」


 どこからかセイジの声がした。クレアは目だけを左右にきょろきょろと動かしたが、どこにもいない。


「セイジ様? どちらにいらっしゃるのですか?」


「どちら? クレアの頭上だ。ああ動くな、氷嚢(ひょうのう)が外れる」


 クレアは顔を上に傾けようとしたが、セイジに制された。

 目の前に指がちらちらと見える。氷嚢を抑えているセイジの手だ。


「あの……ええと……私」


「風呂に入っていたのは覚えているか?」


「はい……私、お風呂に入って、セイジ様に呼ばれて……出ようとして……」


 その後が全く思い出せない。思い出そうとしたところで頭がずきずきと痛む。


「風呂に長く入ってのぼせたんだよ。なのに急に出たからひっくり返ったんだ。まあ、怪我が無くて良かった」


「ああ……申し訳ありません」


 クレアは恥ずかしくて再び目をつむった。のぼせて真っ赤になっている顔がさらに赤くなる。

 氷嚢が額から外れて首筋につけられた。左右の首筋を挟むように、もう一つ氷嚢がつけられた。その気持ちよさにクレアは思わず大きく息を吐いた。

 ぱたぱたと音が聞こえる。クレアが片目だけ開けて音の方向を見ると、セイジが団扇で風を送っていた。ずっと扇いでいてくれたらしい。


「今、何時ですか?」


「12時近くだ。そろそろ日が変わるな」


 1時間近く倒れていたんだ、とクレアはため息をついた。




 倒れたクレアを発見した後は、少しだけ大変だった。

 クレアを浴室から出して、体を拭いた。セイジは顔を背け、なるべく見ないようにして拭いてやる。その後、修道衣ではなく置いてあったピンク色の浴衣を着せた。浴衣の方が着させやすかったからだ。

 布団の上に寝かせてやると、仲居を呼んだ。夜も深い時間だというのにすっ飛んできてくれた。


「連れが風呂でのぼせてしまった。氷を頂けないか」


 セイジが言うと、仲居は「畏まりました、少々お待ち下さい」と急ぎ足で戻っていく。

 部屋に帰り、クレアの元に戻る。クレアは真っ赤な顔で、ふうふうと荒い息をついていた。壁につるされていた団扇を手に取り、扇いでやる。

 しばらくすると、扉がノックされる。声をかけると、先程の仲居ではなく、ピンクの着物の女将が入ってきた。手には木桶を持っており、中に氷嚢が幾つか入っている。嫌な予感がしたが、中に入ってもらう。


「失礼致します」と女将は一礼し、クレアの側までやってきた。桶を横に置くと、クレアの脇に跪き、頬と首筋に手を当てた。


「大丈夫ですね」女将はセイジに微笑みかけた。


「軽い湯のぼせです。氷嚢で首と脇、足首を冷やしてあげて下さい。ただ長い間冷やすと逆効果になることがありますので、5分位冷やしたら止めて、しばらくしたらまた、みたいにやってあげて下さい。息が荒いようでしたら頭も冷やしてあげて下さい」


 言いながら女将が各所に氷嚢を置いていく。セイジは団扇を扇ぎながら見ているだけだった。


「あと目を覚ましたらこれを飲ませてあげて下さい」女将は桶から瓶詰めの水を取り出し、セイジに差し出した。


「これは?」


「のぼせ用のお水です。目が覚めましたら飲ませてあげて下さい。水分補給が重要になりますが、冷たいお水を一気に飲まれるのはよろしくありません」


「へえ……」女将から手渡された瓶を、セイジは回しながら眺めた。中の水は透明では無く、少し白く濁っている。

 女将は足首にあてていた氷嚢を外した。そして、毛布をクレアの胸元までかけてやる。


「あとはゆっくり休んでいれば平気かと思います。本人は熱いでしょうから毛布をはずそうとするかも知れませんが、それですと今度は風邪を引いてしまいますので、気をつけてあげて下さい」


「解りました。いや、いろいろとありがとうございます」


 セイジは女将に頭を下げる。出会った時に感じた悪印象が帳消しになる位、丁寧かつ迅速な処置に感心していた。嫌な予感、とか感じて悪かったな、とセイジは思った。


「いえ、それでは失礼します」


 女将も深々と頭を下げる。立ち上がろうとして、体を止めた。


「差し出がましい事とは存じますが」女将は着物の袖で口元を隠しながら笑った。「お風呂場でいろいろされるのは危のうございます。やはり愛し合うのはお布団でされるのが一番かと」


 ……オチをつけなきゃ気がすまんのか、この女将は。

 セイジは額に掌をあてて俯いた。感心した自分がバカだったと激しく後悔していた。


「ではごゆっくりおくつろぎ下さい」女将は一礼し、なんかいろいろ台無しにして、部屋を出て行った。




 だいぶ楽になってきた、とクレアが言うので上体を起こさせ、女将から受け取った瓶を差し出す。


「のぼせ用の水だと。まあ、飲んでみろ」


「そんなのあるんですか……」クレアは物珍しげに瓶を手の中で回した。蓋を開けて一口飲んでみる。


「どうだ? 味とかあるのか?」


「なんか……甘くて、少ししょっぱくて、酸っぱいです」


 クレアは何とも言えない不思議な顔をしていた。瓶を差し出されたので、一口だけ飲んでみる。


「確かに甘くてしょっぱくて酸っぱいな」


 決して不味い訳では無い。飲んだことが無い不思議な味だった。

 おそらく、水に少しの食塩と蜂蜜とレモンの絞り汁を混ぜている。水も普通の水では無く、温泉の湯を冷ました物を使っているのだろう。

 瓶をクレアに返す。クレアはゆっくりと水を飲み始めた。


「……申し訳ありません、ご迷惑ばかりおかけして」


 クレアは飲み終わった瓶を握りしめたまま、顔を俯かせた。


「別に迷惑かけてばかりって訳じゃ無いだろ」


「いえ……初めてお会いした時からずっとお世話になってばかりで……私、何も」


「そんなことは無い」セイジはクレアの手から空いた瓶をつまみ上げた。「今日だってクレアがいなければ、俺はミノタウロスの一撃で死んでいた。それに強化魔法がなかったらミノタウロスは斬れなかっただろう。世話になったのは俺の方だ」


「そんなことはありません、あの時セイジ様がいなければ私たちは全滅していました。回復魔法も強化魔法も、私一人では何の意味も待ちません」


「だが、クレアがいなかったら、俺はミノタウロスに殺されていただろう」


「でも、私だってセイジ様がいなければ、ミノタウロスにやられていました」


「いや、クレアが……」


「いえ、セイジ様が……」


「「………………」」


 二人は黙った。やがてセイジが静かに笑い始めた。つられるようにクレアも笑い出した。


「おあいこだな」


「そうですね」


「まあ、これで迷惑かけてばかりじゃ無いと言う事は解っただろう。クレアは凄い魔力を持っているんだ。自分に自信を持って良い」


 セイジは立ち上がり、テーブルに空いた瓶を置いた。クレアに飲ませてやろうと水差しを手に取り、コップに水を注ぐ。


「……私は5人姉妹の真ん中なんです」


 ? 何の話だ?

 セイジは水が入ったコップを片手に振り返った。


「姉が二人、妹が二人。でも本当は兄がもう一人いたんです」


「……死んだのか?」


「おそらくは」そう言ってクレアは少し悲しそうに笑った。「私、本当は双子だったんです。母のお腹の中にいる時に、兄と共にいました。魔法検診では確かに二人いたそうです」


 魔法検診とは文字通り魔法による胎児の検診である。エミリーナではシスターが産婦人科の役割をしている。大概が出産経験のある年配のシスターだ。

 シスターの魔法により検診をする。胎児の状態や性別も解る。また、出産は大抵教会で行われる。協会内に分娩(ぶんべん)室は必ず存在し、万が一の場合も素早く対応出来る。母子共に安全に出産出来る。


「妊娠5ヶ月たったある日、母が検査に行ったところ、お腹にいた兄がいなくなっていたそうです。一週間前までいた兄が影も形も確認出来なかったそうです。検診したシスターは慌てふためき、母は悲しみにうちひしがれたそうです」


「原因は何だったんだ?」


「解りません」クレアは大きく首を横に振った。


「おそらく胎内で兄は亡くなったのだろうと言われていますが、それでも一週間で胎内からいなくなってしまった、というのは前例が無いそうです。そして数ヶ月後、母は私を出産しました。そこで出産に立ち会ったシスターは再び驚くことになりました。

 生まれてきた赤子はどう見ても男の子でした。でも、不思議なことに魔法で確認してみると、性別は女の子と出るそうです」


 セイジは何も言わず、じっとクレアを見ていた。クレアのために注いだ水を、いつの間にか口に含んでいた。


「私には男性と女性の両方が備わっているそうです。女性が持つ子供を宿す器官、子宮も存在しています。また、機能もしっかりしているそうです。だから私は17になっても身長は150cm足らずですし、髭も一切生えてきません。体毛も薄いですし、体つきも男性と言うよりは女性に近いです」


 セイジは相変わらず何も言わなかった。

 だが、心の中では「そうだったのか」と大きく頷いていた。

 クレアと出会った時から今までの謎が全て解けていく。性別が女性ならば藍色の修道衣も何ら不思議は無い。そして、一番の謎だった「ニオイ」の件も解けた。


 この世界にも女性の格好をしている男性は少なからず存在している。中にはどう見ても女性にしか見えない者もいるが、セイジはそれを見間違えた事は無い。どうしても隠せない「ニオイ」がある。

 嗅覚的なニオイでは無い。その者が(まと)う波動のようなもの……オーラとも言うべきなのだろうか、それが男性と女性でははっきりと分かれる。骨格や肉の付き方、肌から出るオーラ。どんなに身を(つくろ)っても出てしまう「ニオイ」をセイジは感じとる。

 クレアの「ニオイ」はどう感じても女性そのものだった。救出時にパオーンを見ることが無ければ、クレアのことを男の娘とは思わなかっただろう。


「いなくなった兄が悪戯(いたずら)したんだろう……そう母は言っていました。兄の最初で最後の悪戯でしたね」


「……だが、それで苦労もしただろう」


「幸い、女学校にも入学出来ましたし、周りも敬虔(けいけん)なエミリーナ教徒でしたので差別とか虐められるとか、そういうのはありませんでした。もっとも、私の両親はエミリーナ教でもかなり上の地位にいましたので、皆、気を使ったのかも知れませんね」


 お水を頂けますか? とクレアが言った。セイジは慌てて新しいコップを手に取り、水を注いだ。


「しかし、なんで急にこんな話をしたんだ」


 セイジはクレアにコップを手渡しながら言った。

 何の脈絡も無い、急な話だった。クレアは水を受け取るとにこりと微笑んだ。


「おあいこです」


「は?」


「私は先程、セイジ様のご家族の秘密を聞いてしまいました。だから私の秘密をお話ししました。これでおあいこです」


「いや……」セイジは呟いて、何か言おうとしたが、言葉が続かない。


 別に自分の父母に関しては秘密でも何でも無い。当時は悲しく、寂しかったのかも知れないが、今は過去の思い出として処理出来るレベルだ。むしろ、あの時父母がいなくなったから今の自分があるとも思っている。いたらあれほど必死にやったかどうかは解らない。


「それに、セイジ様に知って頂きたかったんです。私の体のことは特に」


「今までその秘密を話したことはあるのか?」


「家族以外ではここまで深く話したのは初めてです。ライトン司祭も体のことはご存じですが、兄の一件等は話していません」


「そうか……」言いながらセイジは顔をそらした。どうにも気が重い。


 余計な気を使わせてしまったか? 両親の件をクレアはどうも重く受け取ってしまった様だ。頭をがりがりと掻きながらセイジは立ち上がる。


「まあ、とりあえず横になっているんだ。風呂でひっくり返ったのも、いろいろありすぎて疲れたのもあったんだろう。明日に備えてゆっくり休め」


 話を切り上げようと、セイジは立ち上がり、和室に戻ろうとする。


「え? セイジ様、まだお休みにならないのですか」


「もう寝るよ、俺はこっちで寝るから。毛布があれば十分だ」


「いけません」クレアはがばりと布団から跳ね起きた。「セイジ様だってお疲れのはずです。私がそちらで寝ます。セイジ様はこちらでお休み下さい」


「は? いや……俺はかまわないからクレアが……」


「そういうわけには参りません。さあ、どうぞ、セイジ様」


 クレアはセイジの元に行くと、手を握り、じっと見上げた。

 セイジは困った顔をしてクレアを見ていた。再び頭を掻くと、


「わかった、わかった、そっちで寝る」


 そう答えた。その答えにクレアはにこりと微笑むと、セイジの手を離し、和室に向かおうとする。


「おい、クレア寝るんじゃ無いのか?」


「はい。ですからセイジ様がそちらをお使い下さい。私はこちらで寝ます」


 クレアはそう言って端に寄せられていた毛布を手に取って広げた。

 本気(マジ)かよ……。セイジは顔を片手で覆って、下を向いた。


 レナードが言った「恋愛の押し引き」をやっていた事に、クレアは全く気が付いていない。自分が布団で寝て、セイジが固い床に毛布で寝る、それはいけないという思いで起こした行動だった。

 セイジが根が真面目とすれば、クレアは基本真面目だ。真面目×真面目の恋愛に、押し引きは発生しづらい。真面目同士の恋愛はいわば間合いの測り合いだ。相手の間合いに入るか外れるか、横に回るか後ろに回るか、ひたすら測り合うという非常に疲れる恋愛になりがちだ。


 レナードのアドバイスはクレアに全く意味を成さなかった。だが、今はクレアの行動が偶然にもセイジの重心を崩してた。最も本人はまるで気が付いてはいない。

 はあー、とセイジは大きなため息をついた。クレアの元に歩み寄る。


「クレア」


「はい、わっ!」


 クレアの体に手をかけると、そのまま横に抱き上げた。驚いた拍子に毛布が畳の上に落ちた。


「布団は二人分あるんだ。隣で寝ればいいだろう」


 顔を横に背け、目を合わせずにセイジがぼそぼそと言った。

 クレアはきょとんとした表情でセイジを見ていた。やがてゆっくりと顔がほぐれていく。


「はい、解りました。セイジ様」


 セイジは顔を背けたまま、クレアを抱いて寝室へと戻っていった。

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