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第27話 約束

「クレア……クレア……」


 名を呼ばれ、肩を軽く揺さぶられる感覚に、クレアは目を開けた。

 視界がぼんやりとしている。上からのぞき込んでいるセイジがうっすらと見えた。同時に、自分がいつの間にか寝ていたことに気が付いた。


「あ……セイジ様。申し訳……ありません、眠ってしまったようで」


 クレアは上体を起こすと、おでこに手を当てて俯いた。クレアは寝起きが悪く、目が覚めても、完全起動に2分くらい必要になる。


「いや、それはいいんだが、バル司祭達が到着された」


「ああ、そうですか……それではちょっとお伺いに」


「うん、そう……クレア、行ってきてくれるか?」


「はい?」クレアは半寝ぼけの頭を横に傾けた。


 目がだんだんと開いてきた。目の前にいるセイジは顔を赤くして、何故か大汗をかいていた。のぼせているように見える。確かに部屋は暖かいが、決して暑いというほどではない。

 頭がだんだんクリアになっていく。すこし嗅ぎ慣れないニオイがすることに気が付いた。


 アルコール……お酒のニオイ?


 クレアはテーブルに顔を向ける。上には5つの小鉢を載せた盆と、平たい皿が置かれている。皿の中には透明な液体が少し入っていた。


「ああ……」クレアは笑った。頭の中でチーンと音が鳴って、全てつながった気がした。


「それでは、私は司祭様の所に行ってきます。セイジ様はごゆっくりしていて下さい」


「う、すまん……お願いします。竹の間にいると言っていた。出てからまっすぐ行って左だと思う」


「はい、それでは行って参ります。あ、お食事はまだですよね?」


「ああ。クレアが戻ってきてからにしよう」


「解りました。それでは……」


 クレアは立ち上がり扉へと向かう。開けようとして、ふと手を止め、振り返った。


「セイジ様、お酒、もう少し飲まれますか?」


 テーブルの上にある平たい皿に、酒はほとんど残っていなかった。

 セイジは目を横に泳がせた。視線に合わせるかのように、顔が横を向く。


「…………よろしいでしょうか?」セイジの口調は、何故か改まっていた。


「はい、解りました。旅館の方にお伝えしておきます」


「お願いします」セイジは平伏せんばかりに頭を下げた。




 クレアはすぐに戻ってきた。ほぼ同時に仲居が入ってきて食事となる。


 先程のお通しで予想は付いていたが、典型的なファイナリィの会席料理だった。

 先付から始まり、椀物、向付(むこうづけ)鉢魚(はちざかな)強肴(しいざかな)、止め肴ときて、最後はご飯、味噌汁、香の物でしめる。最後に簡単な菓子が出てコース終了となる。


 味も素晴らしく、ドラグーン料理にうんざりしていたセイジにとって、喜ばしい料理だった。ドラグーン料理はどうにも口に合わないのだ。強いて言えば、おかずと飯は一緒に食いたいのだが、言うと怒った板さんが飛んできそうなので黙っていた。

 クレアとは若干メニューが違った。それに量も少ない。おそらくは男性用と女性用、酒を飲む飲まない等で変わっているのだと思われる。

 クレアは箸が使えないので、ナイフとフォーク、スプーンで会席料理を食べていた。肉はいいとしても、焼魚や煮魚をナイフで切り分け、刺身やご飯をフォークで食べ、椀物や味噌汁も起用にスプーンで音を立てずに食べていく。見ていたセイジが、良く喰えるな、と感心したほどだった。


 食事は1時間ちょっとで終わった。セイジは皿に残った焼酎を舐めるように飲んでいた。既に6杯目だ。もちろんまだまだ飲めるが、流石にここらにしておかないと、と自分に言い聞かせながら飲んでいる。

 クレアはお茶を飲んでいた。緑茶では無く、ほうじ茶だった。熱い茶なのだが、クレアは決して音を立てたり、すすったりはしない。


「セイジ様、お風呂に入られますか?」


 湯飲みを置いて、クレアが尋ねた。


「ああ、クレアが先に入っていいぞ」


「いえ、今日はお疲れでしょう。セイジ様からお先にどうぞ。私、準備して参ります」


「そうか、悪いな」


 クレアはにこりと微笑むと、風呂場へと向かった。


 そういえば俺、下着の替えなんてないな。


 最後の酒を流し込みながら、セイジはふと思った。元々泊まる計画では無かったのだから当然なのだが。この宿には売店も無かった。日が暮れる前に買っておけば良かったが、既に遅い。

 当然、下着だけでは無く、上着もズボンも替えは無い。今着ている服ですらセイジの服では無い、兵士の服を借りていた。元の服はミノタウロスとの戦闘で、ズタズタに破れてしまった。


「今、お湯を張っています。勢いがいいですから、5分ほどで入れるようになると思います」


 風呂場からクレアが戻ってきた。また、セイジの向かいにちょこんと腰を下ろすと、空の湯飲みにお茶を注いで、セイジに差し出した


「あの、質問があるのですが」


「質問?」セイジは出されたお茶を一口すすりながら、クレアに目を向けた。


「はい、昼間に使っていた魔法なんですが、あれは何ですか? 私が見た事も無い魔術でしたので」


「ああ、暗黒魔法だ。珍しい魔法ではあるな」


「暗黒魔法……あれが」


「見たのは初めてか」


「はい」クレアはこくりと頷いた。そうだろうな、とセイジは呟く。


 暗黒魔法は全魔法の中で唯一「遺伝」がからむ。暗黒魔法を使えるものが父母のどちらかにいなければ使うことが出来ない。他の魔導を極めた賢者クラスの人間でも、暗黒魔法の基礎魔法さえ使用することが出来ない。使用出来る人間が少ないため、レア魔法とも呼ばれている。

 かつて暗黒魔法は教団によって禁忌(きんき)魔法にされていた。また、数百年前に教団が暗黒魔法を使用する者を『悪魔の手先』と言い、襲撃した事件もあった。この事件で、使用出来る人間が減った事もレア魔法化した要因の一つだ。その後、教団は謝罪し、暗黒魔法も禁忌を解かれ、正式な魔法として認められている。


「あの黒い球体が暗黒魔法なのですね」


「そう、暗黒球体(ブラックスフィア)という。魔法力を固めて爆発させる。一歩間違うと味方ごと『どかん』の危険な魔法だけどな」


「あのガガンボの大群に放った魔法は?」


「あれは暗黒暴嵐(ブラックストーム)。無数の暗黒球体を放つ魔法だ。使用したのは数年ぶりだな。今、使えるのは世界に俺だけかもしれない」


 セイジは暗黒魔法を使用出来る者に、何人か会ったことがある。だが。誰一人として自分より優れた魔導士はいなかった。当然、上位魔法である暗黒暴嵐など使える訳も無い。


「俺の母親が暗黒魔導士だった。その母が使えたくらいで、他に使える者は聞いた事も無い」


「お母様が魔導士だったのですか。セイジ様はファイナリィの方ですよね?」


「ああ、生まれはファイナリィの最東端の町、リダルだ。知っているか?」


「はい、行ったことはありませんが、場所は解ります」


 リダル、ファイナリィの北東の端にある町だ。海が近いため、漁業が盛んに行われている。冬になれば海から流れてくる冷たく激しい潮風で、目もまともに開けられなくなるほどの寒さが襲う。

 そんな中でも男達は漁へと出て行く。ファイナリィの人間は魚食いが多いため、冬の魚は高値で売れる。金のため、危険を顧みずに漁に出ていく。リダルの漁師は命知らずで有名だ。そのせいか、リダルの町は漁港とは思えないほどの発展していた。

 セイジはここで20才まで暮らしていた。その後5年間、ファイナリィ、ドラグーン各地を放浪し、4年前にナロンにあるロウガ傭兵団に腰を落ち着けた。


「セイジ様のご両親はリダルにいらっしゃるのですか?」


「いや、20年前に両方共死んだ。正確に言えば20年前に旅立ったまま行方不明だ。死んだのだろう」


「え……」クレアは口を開けたまま言葉を失った。「あ、ご、ごめんなさい」


「気にしなくていい、もう20年前の話だ」


 セイジはお茶をすすって一息ついた。


「俺の祖父は剣術道場をしていた。祖母は俺が生まれた時には既にいなかった。祖父の一人娘が母だ。道場で一番の使い手だった父と結婚した。祖父の願いで婿養子になったもらったそうだ。祖父は道場を継ぐ者がほしかったんだろう。

 父は西にあるエジン村の出身だった。20年前のある日、エジン村がドラグーンに襲われているとの情報が父に伝えられた。父は故郷を守るため、エジンに向かい、母も付いていった。で、それきりだ。二人は帰ってくることは無かった」


「その……セイジ様はそれからどうされたのですか?」クレアは上目遣いでセイジを見ながら、おずおずと聞いた。


「祖父と一緒に暮らしていた。俺の刀術は祖父仕込みだ。魔法は母に5才の時から教わっていた。いなくなった時には基礎魔法位は使えるようになっていた。後はほとんど独学だ。なんせ教えてくれる奴がいなかったからな、幸い家には魔導書が腐るほどあった。教材には事欠かなかった」


 もう一杯くれ、と言い、セイジは空になった湯飲みをクレアに差し出した。クレアは受け取って、テーブルに置いた。

 クレアは何か聞きたそうに、ちらちらとセイジを窺いながらお茶を注いでいる。


「零れるぞ」


「え? あっ」クレアが下を向いた時には、湯飲みいっぱいに茶が注がれていた。慌てて急須の口を上げたが、縁から茶が溢れてテーブルに広がった。セイジは布巾を手に取り、零れた茶を拭き取る。


「あ、すいません」


「何か聞きたいことがあるんだろう」セイジはぎりぎりいっぱいに注がれた湯飲みを、自分の方へ引き寄せた。


「え?」


「何が聞きたいんだ? 別にかまわないぞ」セイジは湯飲みを慎重に持ち上げ、茶をすすった。


「……あの……どうして剣と魔法、両方をやろうと思われたのですか?」


「……約束だったから、かな」


 約束、とクレアは呟いた。セイジはぐいと茶をあおった。


「リダルは漁港だ。荒っぽい男が多い。当然子供もわんぱくな奴が多い。そんな中で俺は子供の頃から魔法を学んでいた。母が俺に暗黒魔法の素質を見たからだ。魔法は知っての通り大半は座学だ。外をはしゃぎ回っている様なわんぱくな奴らとは違い、俺はもやしっ子もいいところだった。

 俺は父に言った。魔法は嫌だ、俺も剣を学びたいと。そうしたら、父は剣を教えてくれた。ただ、母も諦めなかったので、剣と魔法、両方やることになってしまった」


 セイジは湯飲みを置いた。溢れるほど入っていた茶は半分以上なくなっている。


「そのうち父と母はエジンを守るため行ってしまい、帰ってくることは無かった。行く前に父と母から『帰ってくるまでサボること無く、修行を怠らないように』と言われた。それで俺は剣と魔法、両方をバカ正直にやり続けた。祖父はどっちかにしろ、と止めたが、聞く耳持たず俺はやり続けた。で、ある程度は両方とも出来るようになった。それだけだ」


 クレアは黙ってセイジの話を聞いていた。

 セイジはある程度両方出来るようになった、と事も無げに言ったが、そんなレベルでは無い。これほど剣と魔法を両方極めた人間は、世界中探してもセイジ一人では無いか、とクレアは思った。教団の誇る精鋭部隊、グランドナイツにもこれほどの人材はいない。


 剣と魔法、力と知、相反する二つをこれほど極めるには、才能だけでは足りない。才能の上に、他人を遙かに凌駕する努力が必要だろう。

 一体どれだけの修練を積んできたのか、寝る間を惜しみ、全ての誘惑を断ち切り、剣と魔法に人生を捧げてようやく到達出来るか、と言うところだ。クレアには想像もつかない。


 とんとん、と扉がノックされる音がした。セイジとクレアは扉の方に顔を向ける。


「失礼します、お布団を敷きに参りました」女性の声が聞こえた。セイジがどうぞ、と声をかけると、扉が開き、中年の女性が二人入ってきた。

 始めさせていただきます、と女性二人は恭しく頭を下げる。


「じゃあ、俺は風呂に入らせてもらう。ほんとに俺が先でいいのか?」


「あ、はい、どうぞ」


 じゃあ、とセイジは先に風呂をもらうことにした。

 パンツのことを思い出したが、一日位逆さまにして履けばいいかと思った。風呂も入れず1週間ぐらい仕事をしていたこともある。それに比べればどうという事は無かった。




 風呂は大変気持ちが良かった。

 今日の激しい戦いの疲れが、湯にとろけだしていく。うー、とセイジは歓喜の唸り声を上げた。

 手足を伸ばしてゆっくりと浸かれる位広い湯船だった。セイジの家にある湯船より当然大きい。

 風呂のお湯は源泉から直接引いているのか、かなり熱い。熱い風呂が好きなセイジには何の問題も無いが、クレアにはちょっとキツいかもしれない。まあ、水で埋めればいいだけなのだが。


 ずいぶんとまあ、喋ったものだ。


 セイジは湯につかりながら、ぼぉっと考えた。

 酒のせいか、ずいぶんいらんことまで喋った気がする。

 あそこまで話したのはクレアが初めてかも知れない。レナードにもあそこまで話した事は無い。もっとも聞かれなかったから言わなかっただけだが。


 傭兵というのは1つや2つ、脛に傷を持っている者が多い。あまり過去を詮索しないのは暗黙のルールとなっていた。

 セイジだって、レナードが何故グランナイツを離れ、傭兵という汚れ仕事を選んだのか聞いた事は無い。おそらくあの奥さん(ロリ妻)が原因なのだろうとは思っているが、面と向かって聞いた事は無い。

 互いに深く踏み込まないのも傭兵のルールだ。

 10分位のんびりと湯につかっていた。いつもより長く湯につかっている。


「さてと……」セイジは湯船から上がり、中の湯を抜いた。クレアのために新しく湯を張り直した。




「待たせたな、今、新しいお湯を張っているから、もう少しで入れるぞ」


 セイジは濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に戻った。格好は先程と何ら変わらない。旅館には浴衣も用意されていたが、着るといざという時の動きが鈍くなるので、セイジは着なかった。

 クレアはびくりと身を震わせ、丸めていた背を伸ばすと、ゆっくりとセイジの方に振り返った。もう布団敷きの女性はいなくなったいた。

 クレアはどこか戸惑った様子でセイジを見ていた。ほんのりと顔を赤らめて、時折部屋の奥にちらちらと視線を送っている。


「どうした? さっきのことを気にしているのか? 別に気にしなくていいぞ」


 両親を訪ねてしまった事を気にしているのか? とセイジは思った。


「あ、いえ、その」対してクレアは歯切れ悪く答える。


「一体どうし……」


 尋ねようとしたセイジの言葉が止まった。頭を拭いていたタオルがはらりと畳の上に落ちる。

 セイジは部屋の奥、寝室を見たまま、顔面をひくつかせていた。


 そこには巨大な布団が部屋一杯に敷かれていた。布団に切れ目は無い。そして中央に枕が二つ並べられている。

 ご丁寧に布団の脇に手桶が置かれ、中に絞った濡れタオルが入っていた。


「これも渡されました……」


 クレアが出した手には高級そうな香炉が置かれていた。セイジは黙って受け取ると、部屋の隅に押しやった。本当は壁に向かって思いっきりぶん投げたかったが、高そうなのでやめておいた。

 これでもか、と言うほどに準備された空間がそこにはあった。セイジの頭にピンク色の着物を着た女将が、口元を袖で隠しながら笑っている様子が浮かぶ。


「あの……私、お風呂に入ってきますね」


 顔を赤らめながら、いそいそとクレアは風呂場に向かう。


 ああ、やはりあの女将を斬っておけば良かった。


 落ちたタオルを拾いながら、セイジは折れている刀を恨んだ。



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