第25話 胴田貫
爺さんについて歩いて行くと、裏口から店を出てしまった。
途中倉庫と思われる場所も通ったが、爺さんは目もくれず素通りした。店の中では無いらしい。
店の裏手は何もなく、大きい広場になっていた。奥に大きい家屋が見える。爺さんはその方向に向かっていた。あれが爺さんの家なのだろうか。
この爺さん、かなり年を食っているだろうに、足が速い。ひょいひょいと猿のように歩く。セイジは問題なくついて行けるが、クレアは案の定、息が上がっていた。とはいえ、背負う訳にも行かない。
「爺さん、あの家かい?」セイジが聞いた。
「違う、あれは息子家族の家だ。最も金を出したのはワシだがな」言いながら、爺さんはツイと左斜めに歩く方向を変えた。
爺さんの歩く先に2階建ての家屋が見えた。離れだろうか。爺さんは歩いて行き、入り口の前で立ち止まり振り返った。
「クレア、大丈夫か?」
「足、速いですね。おじいさんなのに……」
クレアは息も絶え絶え言った。セイジはクレアに合わせてゆっくりと歩く。
「入ってくれ。奥の部屋だ」
爺さんが家の中に入る。セイジも後に続く。
畳敷きの部屋だった。8畳の部屋の真ん中に、小さなテーブルと隅にタンスがあるだけで、ほかに何もない質素な部屋だった。奥の窓からセイジ達が泊まっている宿が見えた。セイジ達は靴を脱いで中に入る。爺さんは奥に積み重なっている座布団を2つ取り、無造作にテーブルの方へ投げた。
爺さんは廊下に引き返すと、パンと手を叩いた。すぐに20才位の若い女がやってきた。腕に赤子を抱いていた。
「お客人だ。お茶をお持ちしろ。濃いめで頼む」
畏まりました、と頭を下げ、女は下がっていった。爺さんは部屋に戻り、隅のタンスの方に向かった。
「今のは女中さんか? 孫か?」セイジは立ったまま、爺さんに聞いた。
「ワシの愛人だ。抱いていた赤子はワシの10人目の子だ」
ぶっ、とセイジは噴き出した。はえ? とクレアも変な声を出した。
「お前達、いつまでつっ立っとる。そこに座れ」
爺さんはテーブルを指さし、セイジ達を鋭く睨む。
「じ、爺さん、愛人って、ジョークだろ」
「ワシは冗談など言わぬ。あれはワシの愛人だ。婆さんはとうに死んどる。文句言われる筋合いは無い」
「文句とかじゃなくて……爺さんいくつになるんだ」
「そろそろ70だ」
「70って……もう無理だろ?」
「何を言う、流石に毎日は無理だが、いまだに3、4日にいっぺんはせんと収まりが付かん」
爺さんは言い放つと、タンスの方に歩いて行った。
嘘を言っている様子は無かった。この爺さんは本当に69にして、子供を作って生ませたらしい。
あのイーストの豪将、トクワガ=ヤスイエでさえ、最後の子は64の時だ。この爺さんはそれを5年も凌駕してみせた事になる。とんでもない生命力だった。
「す、凄いおじいさんですね」
クレアが唖然とした表情のまま、呟いた。セイジも同じ感想だった。
数分した後、件の女性が、盆に茶をのせてやってきた。赤子はいなかった。
セイジとクレアの前に一礼して、湯飲みを置いた。かなり濃い色の茶が入っている。その後、テーブルの真ん中に四角い平皿に盛られた香の物が置かれた。
「ワシが育てた野菜を漬けた物だ。食うがいい」
平皿には大ぶりのミョウガ、なす、瓜、大根の実と葉を漬けた物が一口サイズに切られて盛られている。セイジとクレアの前に箸置きと箸が置かれた。
「砥石と、桶に水を張って持ってこい」
爺さんが言うと、女性ははい、と言って再び出て行った。
セイジは置かれた茶を一口すすった。舌に渋みが強く残るほど、濃いお茶だった。クレアの方を見ると、湯飲みを持ったまま、わずかに顔をしかめていた。
置かれた香の物に箸を延ばす。なすを食うと甘みのある、良い味だった。一緒にお茶を飲むと苦みが中和され、丁度良くなる。どうやら香の物を食いながら飲むように出されたお茶らしい。
「食いながら、飲むといいぞ」セイジはクレアに言った。クレアは困った顔をしている。
ついついと袖が引っ張られた。セイジが顔を下げると、クレアが耳元に口を寄せた。
「あの……私、箸がうまく使えないんです」
ああ、とセイジは呟いた。ドラグーン式の料理はナイフとフォーク、それにスプーンを使う。ドラグーンの人間は、箸を使えない人が多い。
漬物なんて手で摘まんで食ってもいいが、それをエミリーナのシスターに求めるのは酷というものだろう。
爺さんが、タンスの下段から、長細い桐の箱を取り出した。
「これが言っていた刀だ」爺さんはセイジを手招きする。セイジは立ち上がり、爺さんの方に行った。クレアも付いていく。
爺さんが箱を開けた。中には懐紙で包まれた刀らしきものがあった。爺さんは紙を破くようにめくっていく。
中から、赤黒い色をした刀身が出てきた。
「これ、錆びているのですか?」クレアが刀を見ながらセイジに聞いた。
「違う……漆だ」
「え? 漆って塗料に使うやつですか?」
「そうだ。保存のため、漆を上に被せているんだ」
いいながら、セイジはじっと刀を見ていた。
目が離せなかった。刮目して、じっと刀を見つめた。
刀は直刀に近く、わずかに先が反っている。重ねも折れた斬馬刀並に厚く、身幅はさらに厚い。刃渡りもわずかではあるが長い。
紛れもない剛刀であり、非常に遊びの無い刀だった。
反りがほとんど無い。そして刃肉等が異様に厚い。斬るための要素をとことん高めた結果、刀の持つ『形式美』を全て捨て去った……そんな刀に感じられた。
刀はもちろん斬る道具ではあるが、同時に美術品としての側面も持つ。今取引されている刀のほとんどがその類いだ。斬る事など考えていないから、重ねなどを薄くする。厚すぎる刀など不格好だからだ。
爺さんは白いシーツを部屋の奥に広げた。そこに砥石を持って先程の女性が入ってきた。後ろに別の男が、大きな木の桶を持って入ってきた。中に水が入っている。それをシーツの上に置いた。
「漆を少し剥がしてみる、しばし待て」
そう言って爺さんは刀を手に取り、研ぎ始めた。
セイジとクレアは黙って爺さんが刀を研ぐ様を見ていた。静かな部屋に研ぎ音だけが響いている。
爺さんは今までの様子とは一変し、真剣な表情で刀を研いでいる。暖も無い部屋にもかかわらず、爺さんの額には玉のような汗が浮いていた。
セイジはお茶を飲もうとして、湯飲みの中が空な事に気が付いた。湯飲みをテーブルに戻し、再び爺さんに目を向ける。漬け物が置かれていた平皿は、既に空だった。
「失礼します」後ろから女性がセイジの湯飲みにお茶を注いだ。礼を言い、セイジは湯飲みを手に取る。
「50年以上の前の話だ」突然爺さんが喋り始めた。
「ワシの親父は刀工だった。ワシと兄貴は親父に刀工としての技術をたたき込まれた」
なるほど、とセイジは心の中で声を上げた。刀の扱い方が堂に入っていたのも頷ける。
「もっとも、ワシに刀工としての才能は無かった。だからワシは17の時、家を出る事にした。その時に親父が餞別としてこの刀をくれたのだ」
爺さんが言葉を句切り、刀を上に向けた。先端部分の漆が剥がれている。
「がっかりしたよ。親父の刀は当時から高値で売れていた。親父の刀は反りが深く、美しい刀だった。にもかかわらず、ワシにくれた刀は駄刀もいいところだった。こんな刀、クズ値にしかならない。親父は修行を止めたワシが憎かったのだろう、そう思った。
その後、ワシはこことは違う街で武器屋を興した。兵達の武器では無い、刀を中心に扱った店だ。刀を武器と扱わず、美術品として扱った。それが良かったのだろうな、店は大流行だったよ。戦争が終わり、ほかの武器屋がドンドン潰れていく中でも、ワシはこうしてのんびりと隠居を決め込んで、悠々としていられる」
爺さんが立ち上がり、セイジにずいと刀を差し出した。受け取り、剥がれている部分を見る。
綺麗な刃をしている。一度も使用された事は無いのだろう。そして刃には刃紋も無かった。余計な物は一切無いようだ。爺さんの話からすれば50年間保管されていたのだろうが、錆の一つも無い。まだ一部分しか剥いていないにもかかわらず、覗かせている刃から威圧的なオーラを感じた。
「なにか、怖い刀ですね」後ろからのぞき込んでいたクレアが呟いた。
「どうたぬき、と親父は言った」爺さんが刀を鋭く睨みながら言った。
「どうたぬき? たぬきって動物の狸か?」
「さてな。銘かも知れないが、中心には何も書かれてはいなかった。意味があるのかどうかもしらん。別れて以来、ワシは親父にも兄貴にも会っていない。流石にもう死んでいるだろう」
セイジは刀を爺さんに返した。そして姿勢をあらため、爺さんに向かって平伏する。
「頼む、その刀を譲ってほしい。今は金が無い。だが、この仕事が終われば金は入る。金貨30枚……いや、50枚出す。今、10枚ならあるから、これを手付けに……」
「金などいらん。刀は譲ろう」
爺さんはそういうと、再び漆を剥がす作業に入った。
「お前さんは近くの旅館に泊まっているのか?」
「あ、ああ、そうだけど」
「そうか、ならば明日の朝9時頃、またここに来い。その時までにはこの刀を仕上げておいてやろう」
「いや……金は」
「いらぬと言っている。これは売れない刀だ」
爺さんは研ぐのを止め、セイジを見た。
「別に捨てても良かった、朽ちさせても良かった、そんな刀だ。金などいらん。お前さんが引き取ってくれるというなら、老い先短いワシの後顧の憂いが一つ減る事になる」
「しかし……」
「親父はな、ワシの魂胆を見抜いてこの刀をくれたのだろう」
爺さんはそう言って刀に目を落とした。
「ワシには刀の目利きが出来た。幼い頃から様々な刀を観ていたからだろう。良し悪しが解った。そのうちに刀を打つより、刀を扱い商売する事に興味を持った。丹精込めて刀を打つより、刀を右から左に流して金儲けする方がいいとな。
だから、親父はこれをワシにくれたのだろう。刀は飾るための物では無い、斬るための物だと。斬る事をとことん追求したこの刀は、お前にとっては鈍刀だろう。だが、こういった刀こそが本当の刀であると」
喋りすぎたな、と呟き、爺さんは研ぎを再開した。
「さあ、もうここに用は無かろう、帰るが良い」
「……解った、じゃあお願いする。クレア、行くぞ」
「はい、あの、ご馳走様でした」
爺さんは何も言わなかった。研ぎに集中している。
セイジは立ち上がり、開けっ放しになっている扉に向かおうとして、ふと振り返った。
「名を名乗っていなかったな。俺はセイジ=アルバトロス。爺さんは?」
「グランだ。名は覚えておこう。では、明日」
爺さんは振り向きもしなかった。セイジもそのまま部屋を出た。これ以上は爺さんの邪魔になってしまう。
セイジ達が部屋を出ると、先程の女性がすぐ脇に立っていた。ご案内します、といい歩き出した。
胴田貫 九州肥後の刀工の作で、一番有名な銘は肥後胴田貫上野介正国。
有名な戦国武将、加藤清正のお抱え刀工の作と言われています。
SFCソフト、風来のシ○ンにも登場し、カタナの上位武器とし
て登場します。
かなり最近まで「銅狸」だと思っていたのは内緒です(笑)




