第23話 伝令
「信じられん……」
コタローは両目を見開いたまま、呟いた。
コタローは離れた木の上で、今の戦いを一部始終見ていた。
呟かずにいられなかった。自分の目で見た事が信じられない。
たった2人の傭兵に、ミノタウロスとガガンボ200体が殲滅させられたのだ。
ガガンボ200体はまだいい。兵士が50人、それにあの傭兵もいるのだから、ガガンボでは殲滅させる事は無理だろうと思っていた。
まさかミノタウロスがやられるなど思いもしなかった。兵士50人、傭兵2人程度にやられるはずは無かったのだ。もっとも、兵士達は何もしていない。ガガンボもミノタウロスも、あの傭兵2人がすべて斃してしまったのだ。
確かにあのミノタウロスは4mと大型では無かった。優秀な魔物使いであるコタローにも、これ以上巨大サイズのミノタウロスを手なずける事は不可能だった。
だが、それで十分なはずだった。ミノタウロス同士で戦わせるのでは無い。相手は人間だ。対人間用としては、十分すぎるほどの能力を持っていたはずだった。
それに、ミノタウロスにはとあるものを持たせていた。
魔法防壁装置……イーストが仮想敵としている、エミリーナ教に対抗するために作り出した道具の1つだ。エミリーナの強力な魔導軍団に対抗するために数10年前から開発していたものだったが、残念ながら試作機が開発されたところで、大不況のあおりを食らい、開発は中止になってしまった。
その試作機を、ミノタウロスの体に埋め込んでいた。ミノタウロスの弱点である魔法抵抗を大幅に強化した。弱点の無い、最強の対人間用兵器が完成したはずだった。
それにもかかわらず、ミノタウロスは敗れた。到底信じられない。
一体あの傭兵達は一体何者なのだ。特にあの刀を扱う傭兵だ、刀だけでは無く、魔法を使って見せた。200体のガガンボを一撃で吹き飛ばしてしまった。
刀も一流、魔法も一流、出来の悪い浪漫小説を見ているかのようだった。しかし、これは現実なのだ。
やはり……あの時連れて行くべきだった。
コタローは唇をかみしめ、悔やんだ。あの時とはライトン司祭襲撃の事だ。
ミノタウロスのもう1つの弱点は夜目がきかない事だ。鳥目なのか、夜になると上手く動けなくなる。歩くならまだしも、走る事など不可能だし、何よりも目が利かないため、敵味方関係なく暴れまくる可能性があった。時間が無かった事もあり、コタローはミノタウロスを置いて最低限の部隊で襲撃したのだ。
その結果、ライトンの拉致には成功したが、甚大な被害を出した。戦闘部隊は自分を除いて全員死んだ。計画に大きな支障をきたす事になったのだった。
かみしめた唇から血が一筋流れていく。コタローは手の甲で拭った。
あの刀を扱う傭兵がやられただけ良しとしよう。そう心の中で呟き、コタローは自らを落ち着かせようとする。ミノタウロスの一撃で即死だろう。クレアが回復魔法を施していたようだが、間に合う訳が無い。
もっともコタローは、セイジに強化魔法がかかっていた事は知らない。そのため、クレアの回復魔法がぎりぎりで間に合っていた事も。
クレアはセイジを抱きしめ、地にうずくまっていた。コタローはその背中をじっと見つめる。
クレアだけでも殺そうか、と思う。今ならばミノタウロスを倒したばかりで油断しているだろう。兵士達も咆吼で動けなくなっている者が多い。クレアだけならば殺せるかも知れない。
だが、そこから生きて帰る事は不可能だろう。あの大槍を振るっていた傭兵は生きているし、バル司祭もいる。司祭はライトンほどでは無いが、格闘術を扱うと聞いている。クレアまで届かず、やられる可能性も高い。
そもそもクレアは殺す必要は無い。クレアを殺そうとしているのは、いわばコタローの八つ当たりだ。
死ぬな、とカツタダには言われた。どうするか……。
悩むコタローの腕に、1羽の鳥が上空から降りてきて、止まった。隼だった。
隼伝令?
急ぎの伝令だというのか? コタローは隼から伝令を受け取ると、目を通す。
読んでいく内に、コタローの目がドンドン細くなっていった。これは、と思う。
面白い事になったかもしれない。
読み終わったコタローは、血で汚れた口元を歪ませていた。伝令を胸に忍ばせると、隼を空に放った。
隼が再び空を疾走する。既にコタローは木の上から消えていた。
「体はもうよろしいのですか? 隊長」
「……俺も信じられんが、もう大丈夫だ」
レナードの問いに、セイジは腕を回しながら答えた。
瀕死の重体だったセイジの傷は、クレアの回復魔法で完全に直っていた。
骨が粉々になって、肘が開放骨折していた腕は、傷1つ無く元に戻っている。クレアが言うには、砕かれた胸骨や背骨、傷ついたり破裂した臓器も全て元通りだそうだ。多少体に違和感が残っている程度で痛みもすっかり無くなっていた。
自分でも信じられない。瀕死の体がわずか10分程度でもとに戻ったのだ。どんな神官でもこんなスピードで直す事は出来ないだろう。
「クレアの回復魔法は教団随一です。おそらく世界中探しても、彼女に勝る回復魔法を使える者はいないでしょう」
バル司祭が言った。膝を抱え、酷く疲れた顔をしている。
セイジ、レナード、バル司祭の3人は、馬車の付近で3人、膝をつき合わせて座っていた。付近には兵士はいない。司祭が人払いをさせていた。
クレアは馬車の中で倒れている椎茸を看護していた。椎茸は咆吼での窒息死こそ免れたが、かなりのダメージを負っており、今のところ一番重傷だった。
「バル司祭、お聞きしたいのですが、あなたは……」
セイジが言いかけたが、バル司祭はそれを手で制した。
「セイジ殿が言いたい事は解ります。私も情報が漏れている事は気が付いていました」
やはり、か。セイジは黙って頷いた。
「クレアを狙ってくるかも知れない、という思いがあったのも事実です。間者を捉えればライトン司祭の場所が解るのでは無いか、と思いました。囮にした、と言われても何も返せません。クレアの警護を増やし、完璧を期したはずでしたが……こんな事になるとは……セイジ殿達がいなければ、一体どうなっていたか」
バル司祭は頭を抱え、首を振った。
「……まあ、今は議論をしている場合でも無いでしょう。とりあえずはこれからの事を考えなければ」
「そうだな」
レナードの言葉に応じつつ、セイジは立ち上がってぐるりと周りを見渡した。
「さしあたっては……これからどこに行くかですね」
レナードも立ち上がり、大きくのびをした。
1番の問題……それはこれからどこに行くかだ。
今はまだ日が出ているが、あと1時間もすれば沈み始める。もう夜が差し迫っている。
ところが馬車を引く馬が、ミノタウロスに驚いて4頭全て逃げてしまった。馬車から離し、近くの木に括りつけていたのだが、咆吼に驚きロープを無理矢理引きちぎって逃げてしまった。兵士達数名が探しに出かけているが、おそらくもう遠くに逃げてしまっているだろう。
ここからメルドムまで、歩きの早いセイジでも3時間はかかる。傭兵団のあるナロンまではさらにかかる。
兵達の中にも、いまだ倒れている者はいる。全員が少なからずダメージを負っている状況だ。皆メルドムに戻るというのは難しい。
「マイナに向かいましょう。あそこなら宿泊施設がしっかりしています。傷ついた兵達も休ませる事が出来るでしょう」
「そうか、マイナがあったか」
バル司祭の言葉に、セイジは顎を撫でながら呟いた。
マイナというのは方向的にはナロンの逆、ニード村に戻る途中を左に曲がるとある街だ。ここからだと北東の方角になる。
ただ、普通の街とは違い、人が住んでいるタイプの街では無い。ファイナリィ1の保養地として知られる街であった。
温泉街……マイナはそう呼ばれている。内陸部では珍しい温泉の出る街であり、予算に応じた大小様々な温泉宿が存在する。金持ちから家族連れ、新婚旅行者など様々な層に人気の場所だった。
「ではマイナに行く準備を……」
「待った、レナード。お前はナロンに1回戻ってくれ」
「は? ナロンに、ですか?」歩みかけたレナードが、足を止めセイジの方に振り向いた。
「俺の刀は折れちまったし、お前の槍も曲がって使い物にならん。お前には一度帰って、武器を持ってきてほしい」
今、セイジとレナードは教団の兵士が使うロングソードを装備していた。もちろん兵達から借りた物だ。1級品の良い品であるには間違いないのだが、セイジにはどうにも手になじまない。
ナロンの自宅には、今まで使っていた斬馬刀と同じものがあった。だが、それを持ってきてもらう訳にはいかない。
もう一つの斬馬刀は保存のため、樽の中で油漬けにしてある。当然、柄も何も付いておらず、茎もむき出しのままだった。刀の扱い方など全く知らないレナードに、それを持ってこいというのは酷だ。
それ以外の予備の刀が一振あった。今使っている刀よりもわずかに短く、重ねも薄い。悪い刀ではないのだが、良い刀でも無い。それに今まで使っていた刀に比べると、いかにも軽い。だが、ないよりはましだ
あとは一度レナードを家に帰してやらないとマズいかな、と言う思いもあった。仕事に勝手に巻き込んだという負い目がセイジにはあった。そろそろ奴のエネルギーも無くなってしまうのでは、と思ったのだ。
「場所は解るな?」
言いながらレナードに家の鍵を手渡す。
「まあ、だいたいは」
「ついでにナロンから馬車を持ってきてくれ。明日の昼頃、マイナで待ち合わせにしよう。よろしいですか? バル司祭」
「結構です。セイジ殿とレナード殿にお任せします」バル司祭は大きく頷きながら答えた。
「解りました。では早速向かいます」
言うやいなや、レナードは走ってナロンに向かっていった。流石のレナードも疲れていた様子だったが、ナロンに戻れと聞いた時から、今までの疲れていた様子から一変、全速力で駆けて行った。レナードの足ならば、夜中になる前にたどり着くだろう。
「あれほどの戦いの後で……お若いですな」
レナードが走って行くのを目で追いながら、バル司祭が言った。
いえ、愛のなせる業です、とセイジは心の中で返した。
日の色がすっかりオレンジ色になっていた。日暮れは近い。
マイナまではあと2キロ程度で着くはずだ。日が沈む前に到着する事が出来そうだ。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
クレアがおそるおそると言った感じで、セイジに尋ねた。
「平気だ。体はすっかりクレアに治してもらった。もう問題は無い」
「いえ……あの、私歩けます」
「悪いが、あのペースで歩いていたら、日が暮れてもマイナに着かない」
「あうう……」クレアは呻きながら、セイジの肩に自分のおでこを置いた。
クレアは今、セイジにおんぶされていた。奇しくも一昨日の状況と同じであった。
別にクレアは何も怪我をしていない。普通に歩く事が出来る。では何故おんぶされているのか。
単にクレアの歩くスピードが遅すぎるためだ。
何となく気が付いてはいたが、クレアの歩くスピードはとにかく遅い。
普段の移動は馬車が大半であるし、シスターはばたばた走るのは行儀の悪い事とされている。その為か非常にゆっくり、背筋をピンと伸ばし、しゃんとした格好で歩く癖が付いていた。歩く姿は非常に綺麗だが、そのせいでスピードは2の次3の次だった。
セイジが普通に歩くスピードが、クレアの全力疾走とさほど変わらないという衝撃の事実もわかった。途中でセイジが我慢出来ず、クレアを背負い、歩き出したのだった。
「ううう……これからは私、歩く練習もします」
歩く練習ってなんだよ。
セイジはそう思った。背中で落ち込むクレアに言う事は出来なかったが。
セイジはクレアを背負い、兵士10人と共にマイナに向かっていた。
前方に5人の兵士が歩いている。セイジはクレアを背負って殿を歩いていた。ほかの5名はマイナに先行し、宿の手配をしている。
本当は兵士達全員で向かう予定だった。だが、少し状況が変わってしまった。
「クラウザー君の様態が思わしくない」
バル司祭が首を横に振りながら言った。
ちなみにクラウザーというのは椎茸の本名だった。名前負けもいいところだ。
「クレアの回復魔法もあまり効果がないようだ」
回復魔法はあくまで傷を癒やす効果だ。椎茸の場合、咆吼によるショック……つまり精神的ダメージがほとんどのため、クレアの回復魔法もほとんど役には立たなかった。兵士の中にも動けなくなっている者も若干名いる。
「やはり馬車に乗せていくしかないでしょう。今、馬を探しに行かせていますが、見つからなければ、人力で引いて行くしかないでしょうな。セイジ殿はクレアを連れて先にマイナに向かって下さい」
と言われたので、セイジ達は先にマイナに向かっていた。
周りには木々がうっそうと生えている道を歩く。普通の人ならば綺麗な風景だと、心を休ませるのだろうが、セイジは隠れる場所が多いな、と感じてしまう。木々の影から刺客が襲いかかってくるかも知れない、と考えてしまう。ある意味職業病とも言えた。
「温泉のニオイがしますね」クレアがセイジの耳元で言った。
確かに硫黄のニオイが辺りを漂っていた。日が落ちてきて肌寒くなっていた気温が、少し和らいでいる。辺りに源泉があるのだろう。
「あっ」クレアが顔を上げた。
木々の間から大きな木のアーチが見えた。奥に見える建物からは、もうもうと湯気が立ち上っている。入り口付近に2人の兵士が立っているのが見えた。
おいでませ 秘湯の街 マイナへ
入り口のアーチには無駄に力強く、大きな文字で、そう書かれていた。




