第22話 斬馬刀
「ガアアアッ!」
右手を斬り落とされ、ミノタウロスは荒れ狂っていた。もう何でもよかった。目の前の全てを破壊する、その事しか頭に無い。
ちょろちょろしている目障りな奴を、すべて叩きつぶしてやる!
左腕を振り上げると、拳を握りしめ、そのまま勢いよく打ち下ろした。
パンチでは無い。鉄槌打ち……握りしめた拳の、小指側の面でレナードを叩きつぶそうとしている。
レナードは真横に走った。レナードがいた場所を、ミノタウロスがぶっ叩く。
ドン、と地震が起きた。ミノタウロスの鉄槌打ちで大地が揺れた。足下がおぼつかなくなるのをレナードが必死に堪えた。
今度はミノタウロスは足を振り上げると、そのまま踏みつけてくる。レナードは逆に走っていた。
踏み下ろされると、再び大地が揺れた。レナードは必死に堪えて逃げる。
転がれなかった。止まれなかった。止まれば最後、ミノタウロスに潰される。
もはや、ミノタウロスは何も考えず暴れている。どこから何が出てくるか解らない。見てから動いたのでは遅い。レナードは直感を頼りに逃げ続けていた。ミノタウロスの失った右手首から、血が四方八方にまき散らかされる。
まだ、15秒経ってないのか!
レナードは心の中で叫んだ。ミノタウロスが地面をえぐるように蹴りを放った。蹴りと同時に大量の土砂が襲ってくる。目だけを腕で覆って、必死に走って躱した。
当たれば終わりだ。直撃はもちろん、体勢を崩しても、3秒後にはミンチが出来ているだろう。
右手には槍穂を失った槍を持ったままだった。このぶっとくて重い槍を手放せばもっと楽に逃げられる。だが、それをする訳にはいかない。
レナードは囮だ。魔法を詠唱しているセイジを守るための囮。だが、ただの囮では無い。
セイジが何をしようとしているのか解っていた。その後のために、この槍を手放す訳にはいかない。レナードは囮でもあり、アタッカーでもあった。
だが、それももう長くは持たない。あと何秒耐えられるか。
「まだか、隊長!」
レナードは思わず叫んでいた。
セイジは目を開けた。
突きだした左手の前に、残った魔力の全てを注いだ暗黒球体が出来ていた。
レナードは生きていた。槍を手放さず、必死になって逃げている。
賭だった。魔法を唱える15秒たらず、この間にレナードがやられていても、これからやろうとしている事は失敗だった。
「待たせた、レナード!」
叫びながら、暗黒球体を放つ。狙いはミノタウロスの顔面だ。
魔法は効かない。それは解っている。
この暗黒球体でも傷1つ付かないかも知れない。それでもよかった。
顔面めがけ黒い球体が飛んでいく。ミノタウロスが飛来するそれに気付き、首を向けた。
今!
セイジは開いていた手をぎゅうと握りこんだ。
とたんに黒い球体が大爆発を起こす。ミノタウロスの目の前で、轟音と共に、黒い爆風を巻き起こした。
目の前で大爆発を起こされたら、お前はどうなるかな?
悲鳴なのか雄叫びなのか、高い声を上げて、ミノタウロスが左手で目を覆った。
爆風が目を直撃した。ダメージは無くとも、目を開けていられない。
暴走が止まった。左手で目を押さえ、棒立ちになる。
今!
レナードは突進した。槍を大きく横に振りかぶる。
「オオオオオォォォッ!!」
レナードが吠えた。大地を揺るがさんばかりの雄叫びを上げ、全力で槍を水平に振った。
ガキン、と固いもの同士が勢いよくぶつかる音がした。
ミノタウロスのすねを、レナードが鉄の槍で思いっきりひっぱたいたのだ。メキリとミノタウロスのすねが鳴った。骨が軋む音だ。
クレアの魔法により強化された力で、セイジよりも遙かに太いその腕で、自慢の鉄芯の太い槍で、向こうずねをぶち抜かんばかりに打った。弾かれそうになるのを力で押し込んだ。腕に太い血管が浮き上がらせながら、歯を食いしばって打ち抜く。
何かが砕ける音がした。ミノタウロスのすねの骨が砕けた音だ。レナードがミノタウロスの後ろに抜ける。握っている槍の柄が、逆くの字を描いて折れ曲がっていた。
「ゲオオオォッ!」
ミノタウロスが悲鳴を上げ、すねを抱くようにしゃがんだ。そこを強打され、かつ骨を砕かれて、我慢出来るものなどいない。鈍い激痛が脳天を貫き、反射的にすねを抱くようにして座り込んでしまう。
セイジは刀を上段に構え、ミノタウロスの右側に向かって走り込んでいた。
狙いは首。少し高い、だが、今の期を逃がす訳にはいかない。
「カアアアアァァ!!」
気合いを込めて、ミノタウロスの右首筋に刃を叩き付けた。
刃が入った。腰をすえて刃を埋める。
固かった。まともな刀では弾かれただろう。踏み込みの速度と、重いセイジの刀が何とか刃を首に埋めさせた。
斬馬刀……セイジは自分の刀をそう名付けている。数打ちの刀では無い。
知り合いの武器商人のつてで、刀匠を紹介してもらい、自分好みの刀をオーダーメイドして作り上げた。そのため値段は跳ね上がり、刀1本がファイナリィの平均年収とほぼ同じ値段となった。
それだけの金を払うほど、刀はセイジの手に合っていた。重ねは厚く、ずっしりと重い。普通の人間では振るのはおろか、もって歩くのも一苦労な刀だった。だが、それだけによく斬れた。
「この刀ならば、馬でさえ一刀で切り捨てる」
そう刀匠が豪語したので、セイジはこの刀を斬馬刀と名付けたのだった。
実際、馬を一刀両断した事もあった。胴では無く、首を落として見せた。
首を落とすのは胴より難しい。胴は硬い背骨さえ斬り抜けてしまえば、あとは何もない。
だが、首は違う。刃を叩き付けても弾かれる。幾重に重なる硬い筋と太い骨が、刃を通さないのだ。
それを一刀で切り落とした。硬い筋と骨を持つ馬の首を斬って落としたのだ。刀とセイジの刀術が成せる業だった。
今回は首を切り落とす必要は無い。頸動脈まで……首の血管まで届けばいい。
手応えはあった。刃は埋まっている。このままいけるはずだ。
斬り口からちろちろと血が流れたかと思うと、どっといきよいよく血が溢れだした。
刃が届いたか。セイジの心に歓喜が生まれる。
瞬間、セイジの体がぐいと持ち上げられた。
痛みか、驚きか。すねを砕かれ、立ち上がれるはずの無いミノタウロスが立ち上がった。首にしっかり刀が埋まっているので、セイジは引っ張られるように浮いてしまう。
しまった! と思ったが遅い。
刀で斬るのに重要なのは、力では無い。足と腰だ。
刀は引いて斬るもの。足運びと腰の動きが寛容と言われる。
地に足が付いて、初めて刀はその真価を発揮する。飛んで斬り下ろすというのは刀には無い。飛んで斬り下ろすなら重要なのは腕の力と刀の重さになる。空中では足と腰が使えない。だから刀に飛んで斬り下ろすはない。剣ならまだしも、だ。
セイジは空中に浮かされた。これでは足と腰は使えない。
ままよ、と力任せに無理矢理引き斬ろうとした。もう少しで頸動脈を破れるはずだ。
パキンと、手に嫌な感覚が伝わった。ぞくりと背中に冷たいモノが伝う。同時にセイジの体が地に落ちていった。
刀が鍔元で折れていた。1番弱いところだ。刀が折れるのはだいたい切先3寸、鍔元3寸と言われている。
「グギャアァ!」
ミノタウロスの目が動いた。落ちていくセイジを捉えると、体をひねるようにしゃがんで左手を振るってきた。
それは掬い上げるようなアッパーカット。
逃げられない!
空中では逃げる事も転がる事も出来ない。セイジはガードしようと手をクロスさせる。
地面に付くか否かの所で、地を這うようにして飛んできたミノタウロスの拳がセイジにぶち当たる。
体を貫く様な衝撃に、セイジは声も出なかった。
落ちていたセイジの体が、ミノタウロスのアッパーで再び宙に舞った。空高く打ち上げられていく。
ガードした腕がぐしゃぐしゃに砕けた。肘の部分の骨が肉を突き破って、肉片がこびりついた尖端をさらした。
衝撃はガードを突き抜け、体をも突き破った。
腕に続いて体中の骨が砕ける感触、胸骨が砕け、折れた骨が各部に突き刺さって暴れる。背骨がへし折れ、砕け散るのが解った。
「がっ!!」
10mほど吹っ飛んでいって、大地にしたたか背中を打ち付けた。肺に残っていた息をすべて吐きだす。
血を盛大に吐きだした。折れた骨が肺に突き刺さっていた。息を吐きだすと共に吐血した。目の前が一気に暗くなる。
ぱらぱらと自分の顔に水滴が落ちてきた。暗くなる意識の中、雨が降ってきたのか? とセイジは思った。
血の雨……吐血した血が自分の顔面に降りかかっていた。
体中の骨が砕けた。内臓も幾つか破裂した。折れた骨が体中を暴れ回った。
普通なら衝撃死している。普段から体を鍛えていた事と、クレアの強化魔法がなんとか即死を免れさせた。
だが、即死を免れただけだ。セイジの意識は今、闇に落ちようとしていた。
これだけ体を滅茶苦茶にされながら、ほとんど痛みを感じなかった。
むしろ心地よかった。そして猛烈に眠りたかった。まるで何日も徹夜した後のように。
ここには布団もベッドも無かった。湿った土がベッド……それでもよかった。少し寒いが、これだけ眠たければどこでも眠れる。
セイジは目をつむって眠ろうとした。
……イジ様!
誰かが呼んでいる。
うるさい、俺は今から寝るんだ。後にしてくれ。
セ……ジ様!
しつこい、少しでいいから寝かせてくれ。3時間たったら起きる。
セイジ様!
瞼に光を感じる。寝ようと思ったらもう朝だってのか? あと5分だけ……。
……朝? 朝って何だ?
というか俺は今、何をしていたんだったか?
セイジ様! セイジ様!!
聞き覚えのある叫び声に、闇に落ちようとしていたセイジの意識は、再び光へと戻っていた。
目の前の闇が晴れた。
クレアの顔が目の前にあった。クレアは泣きながらセイジの名を叫んでいた。跪き、腕の中に、セイジの顔を抱いていた。
セイジの体は光に覆われていた。クレアの回復魔法がセイジを包んでいる。
なんだ? 何故俺はクレアに抱かれている?
セイジはクレア、と呼びかけようとした。
とたんに全身に激痛が走る。腕が、体が焼ける様に熱い。肉を引き裂かれているような痛みが体中を駆け巡る。
「ぐううっ」
呼びかけようとして、声にならなかった。かわりに出たのはうめき声だ。
「セイジ様、大丈夫です。私に任せて下さい」
クレアは涙を流しながら優しく微笑んで、セイジの頭をぎゅっと抱きしめた。
体の熱が、痛みが急速に消えていく。セイジを覆っている光のオーラはいっそう強くなっていった。
クレアの涙がぽとりぽとりと頬に落ちる。セイジはそれを拭おうとしたが、手がうまく動かない。
涙が頬を伝い、口の中に入った。塩辛い涙の味と、むせかえるような血の味。
血の味? 何故涙に血の味が?
とたんに頭が冷静になった。飛んでいた記憶が一瞬で戻ってきた。
セイジはクレアの手に抱かれたまま、首をひねった。ミノタウロスは立ったまま、こちらを睨んでいた。
首元には折れた刃が埋まったままだった。右半身が真っ赤に染まり、したたる血が地面に池を作り出している。斬り落とした右腕の斬り口からは、もう血は流れていなかった。
決まっていた。もうミノタウロスからは生気を感じなかった。血を失いすぎている。もはや後は死を待つだけだろう。
すぐ斜め前にレナードが立っていた。へし折れている鉄の槍を手に構えていた。
ミノタウロスが1歩、2歩と歩みを進めた。足を引きずり、蹌踉めきながらじりじりと近づいてくる。
「クレア……」
ようやくうめき声程度の声が出た。が、体は動かない。
「セイジ様、喋らないで。後は私にお任せ下さい」
「違う……まだ、死んでいない……離れるんだ」
ミノタウロスは死んでいない。最後の力を振り絞ってセイジ達に迫ろうとしている。
「早く、離れろ。まだ奴は……」
「お断り致します」
クレアがはっきりとした口調で拒絶した。
「セイジ様を置いてはいけません。置いていくのなら、死んだ方がマシです」
そう言ってにこやかに微笑んだ。もう、涙は止まっていた。
ミノタウロスが立ち止まる。顔を天に向け、吠えた。
「オオオオォォォォ……」
首筋から埋まっていた刃が滑り落ちた。同時にそこから血がどぉ、と吹き出た。
ミノタウロスがゆっくりと前のめりに倒れていく。ずずん、と音と共に砂煙が舞った。
セイジ達のわずか2m前に、倒れたミノタウロスの顔が見えた。黒目から白目になったかと思うと、また黒目に戻る。また、白目になって、今度は戻らなかった。
口元が半開きになり、だらりと長い舌がはみ出ていた。もう、ぴくりとも動かなくなっていた。
ミノタウロスの最後だ。
「はあ……」
レナードが息をつくと、手から曲がった槍がこぼれ落ちた。そのままぺたんと尻餅をついて座り込んだ。
後ろの兵士達から、地鳴りのような歓声が上がった。




