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第21話 猛牛

 セイジは左に走っていた。左側から大きく半円を描くように走り込んでいく。レナードも同様に、右側から半円を描くようにミノタウロスへと走って行く。

 ミノタウロスは大きく首を左右に振った。セイジとレナードどちらに狙いを定めるか、迷っているようだ。


 ……凄いな。


 走りながらセイジは舌を巻いていた。

 これが自分の体か、と心の中で唸っていた。ものすごいスピードで走っている。軽く走っているはずなのに、普段の全力疾走よりも格段に早い。体が羽のように軽く、ほとんど重さを感じない。今ジャンプすれば天高く飛び上がって空を飛べそうな気がする。

 加えて、体中に力がみなぎっている。全身の筋肉が張り裂けんばかりに膨張し、血液が止めどなく循環している。血が、体が沸騰して、蒸発せんばかりに熱い。

 あっというまにミノタウロスの近くまできた。セイジの方が元々足が速く、装備が軽いため、レナードより先にたどり着いた。

 ぎょろりとミノタウロスの目玉が動いて、セイジを捉えた。歯がむき出しになり、にやりと獰猛(どうもう)な笑い顔を作る。


「ガアアッ!」


 雄叫びと共に、ミノタウロスの体がくるりとセイジの方を向いた。同時に巨木のような足を振り上げた。

 それはセイジを蹴るために振り上げたのではなかった。

 前足がぬかるんだ大地に差し込まれ、巨大なシャベルとなって土を掘り起こす。大量の土砂が空に打ち上げられ、セイジに降りかかろうとしていた。


 だが、土砂が降りかかる前に、セイジはその場に居なかった。止まらずにそのまま走り抜け、ミノタウロスの後ろに回り込もうとする。

 セイジを追ってミノタウロスが体を回す。その体が、バチンという重い音と共に、がくりと揺れた。レナードが槍の柄で、膝裏を叩いていた。だが、倒れる事は無かった。太い首が後ろに回され、目玉がぎょろりと動いてレナードを見る。


「ちっ、この程度じゃ効きませんか……」


 レナードはぼやきつつ、素早く後ろに逃げていた。ミノタウロス相手にまともにやり合う気など毛頭無い。ヒット&アウェイだ。槍穂で斬らず叩いたのは、相手がどの程度固いか試してみたのだ。


「ガッ!」


 声と共にミノタウロスがレナードに振り向きつつ、右手を握り、勢いよく後ろに振った。いわゆる、バックブローだ。

 レナードは既に間合いから外れていた。ぶうん、と凄まじい音を立てながら、レナードの前を岩石の様な握り拳が通過する。

 瞬間、ぞくりと背中に恐怖が走り抜けた。

 後ろに下がっていたレナードの体にドン、と何かぶつかった。マッチョ体型の100キロ近い自分の体が一瞬浮いたように感じた。

 ミノタウロスの拳圧……バックブローの拳が作り出した風圧が、レナードの体にぶち合ったのだ。レナードの体勢が大きく崩れた。


「くうっ!!」


 呻いてレナードは後ろに転がった。転倒しないよう体を無理に支えるよりも、転がった方が良いと判断したからだ。


 来る!


 後ろに大きく1回転して、レナードは立ち上がった。ミノタウロスが振り向き、タックルに来る、と思ったのだ。いくらクレアの魔法で防御力が上がっているとは言え、あの巨体でタックルに来られては一撃だ。

 だが、起き上がったレナードが見た光景は、自分に背を向けているミノタウロスだった。こちらすら見ていなかった。


 ミノタウロスは正面を向いていた。虎が吠えかかる寸前のように、鼻先に皺を寄せて歯を剥き、低い唸り声を上げていた。

 目の前にあった餌を急に取り上げられた熊のように、怒っていた。ギョロリと見開かれた目が、正面の男を睨み付けている。

 そのミノタウロスの目を、セイジは刀を片手に、悠然(ゆうぜん)と睨み返していた。



 兵達は声も出せず、ただただその光景を見ていた。


 凄い光景だった。

 4mはあるミノタウロスと、身長180cmの人間が相対している。

 しかも、人間はミノタウロスの殺気のこもった視線を、正面から見据え返していた。

 人間とミノタウロスのガンの付け合い。

 睨まれただけで正気でいられない、失神しかねない、いや死にかねない、それほどの強烈な視線を人間は、それがどうしたとばかりに睨み返している。

 口元にうっすらと笑みを浮かべながら。



 ミノタウロスは怒っていた。

 目の前の獲物を潰し損ねたからだ。

 後ろから叩いてきた男を潰そうと、拳を後ろに振った。

 当たらなかったが、男は体勢を崩した。後ろにひっくり返っていた。

 チャンスだった。振り向き、体当たりをしてもいい、近寄って拳を振り下ろしてもいい。


 だが、出来なかった。正面に凄まじい気迫を感じた。走り寄った男が、強烈な殺気を放ったのだ。

 野生の直感が、ミノタウロスに振り向かせる事を止めさせた。ミノタウロスは体を戻し、男を睨み付けた。

 男はミノタウロスの殺気のこもった視線を、正面から受け止めた。


 そして、にやりと口元を歪ませ、笑った。



 セイジはミノタウロスの正面にいた。

 いつものように右手に刀をぶら下げるようにして、構えている。

 目の前のミノタウロスを見上げる。自分の身長の2倍以上ある巨大な肉の壁が、顔面に皺を寄せ、荒い息をついて怒っているのが解った。


 こりゃあ、死ねるな。


 そう思って笑った。笑おうとして笑ったのではなかった。自然に口元が歪み笑っていた。


 ミノタウロスは今にも飛びかからんばかりの勢いで、牙を剥いて唸っていた。後一歩、大きく踏み出せば、セイジに拳が届く。

 が、ミノタウロスはその場に留まり、唸っていた。

 両者睨みあっているだけで、動こうとはしない。


 猪突猛進(ちょとつもうしん)かと思ったが、そう単純でもないか。


 セイジは左手の掌を上にして、顔の位置まで持ってきた。何やらミノタウロスに向かって手を動かしている。

 それを見ていた兵士達は、初めセイジが何をしているのか解らなかった。

 1人2人とセイジのしている事に気づき、顔を青ざめさせる。


 セイジは左手の人差し指から小指まで揃えて、くいくいと自分の方へと引き寄せるように大きく動かしていた。


 さあ、どうした。かかってこいよ、牛野郎。


 セイジは口元に笑みを浮かべながら、ミノタウロスを挑発していたのだ。



「オオオォォォ!」


 挑発が通じたのか、ミノタウロスが大きく一声、啼いた。左足を大きく踏み出し、体をたわめ、拳を握り、突きだした。

 大きく振りかぶった右ストレート。完全なテレフォンパンチだった。

 余裕で避けられる……相手が人間ならば。

 振り下ろされる巨大な拳、眼前に迫る、威圧的な4mの肉の壁。

 普通ならば、相手は1歩も動けずに叩きつぶされ、もの言わぬ肉塊となるだろう。


 だが、振り下ろされた拳は、セイジに当たる事無く、地を叩いた。

 セイジはミノタウロスが動くと同時に走っていた。振り下ろされる拳の内側に入り込み、滑るように地を滑走する。

 刀で右足を薙いだ。そのまま刀の動きに合わせ、ミノタウロスの横をすり抜け、反対側に駆け抜けた。

 レナードの所まで駆け、くるりと反転する。ミノタウロスもセイジ達の方向にくるりと向き直った。


 ミノタウロスの大腿部に、斜めの傷が走っていた。ぱっくりと割れ、中から血が垂れだした。セイジが思ったより深く斬れている。

 いける、と感じた。自分の刀と技術はミノタウロスも斬れる、と確信を持った。

 ミノタウロスが傷口をポリポリと掻いた。斬ったところが痒いのだろう。

 すっぱりと切れた切口は、痛いというより痒くなる。痛みが出るのはその後だ。


「どうだ、レナード」


「どうにもこうにも、なんともかんとも」


「そうかい」


 2人はそれだけ言葉を交わすと、また左右に分かれた。再びミノタウロスを挟み撃ちにする。


 今度は睨み合いにならなかった。セイジが自分から突っ掛ける。

 まっすぐ走り込んだ訳ではなかった。右へ左へと飛び跳ねるように大きくジグザグと走って行く。素早くジグザク走行するセイジを、ミノタウロスが顔を振って追いかけている。

 クレアの魔法補助があるから出来る芸当だ。これを普段のスピードでやっても何の牽制にもならない。


 ミノタウロスの間合いに自ら踏み込んだ。入るとジグザクをやめ、左に走り込んだ。また、ぐるりと後ろに回り込むように走る。

 ミノタウロスが動きに合わせるように体を回す。その図体に似合わず俊敏な動きだ。


「ガアァ!」


 雄叫びと共に、右手で殴りかかってきた。今度はセイジの走る方向をふさぐかのごとく、右から大きく弧を描きながら殴りかかる。


「ゴガァ!」


 殴りかかっているミノタウロスが悲鳴を上げた。顔が上がり、声と共に唾液を天に吐きだした。


「忘れちゃ嫌ですよ」


 ミノタウロスの脇腹にレナードの槍穂が埋まっていた。そのままぐい、とひねった。

 パキン、と乾いた音を立て、槍穂が折れた。レナードはすぐに下がる。

 自分の槍穂が、ミノタウロスに通用しそうにないのは解っていた。元々レナードの槍穂は対人間用であり、対魔物用だ。ミノタウロスなどという規格外など考えてはいない。

 折れた、のではなく折った。ダメージが残るよう、体内に突き込んだ上で折った。槍穂は綺麗に傷口に埋まりこんでいた。


 殴りかかる途中で脇腹に走った激痛。体をひねっているため、埋まった刃が肉を裂く。ミノタウロスが再度野太い雄叫びを上げた。

 セイジに殴りかかろうとしていた右手の威力が弱まる。セイジは迫り来る右手を躱すと、そのまま刀を振り上げる。


 いけるか!?


 問いかけた。誰も答えない。自分も答えない。セイジは刀を振り下ろす。

 問いかけた時にはもう刀を振り下ろしていた。考える前に体は動いていた。

 刀がミノタウロスの右手首の少し下に振り下ろされる。笛の音がした。刃が空気を切り裂く時に生じる音だ。


 拍子が合った。会心の一刀だった。

 刃が手首の肉に埋まる。ずずずと肉を切り裂き、埋まった刀を、腰を据えて一気に引き斬った。

 刃がすー、と走る。太い骨を裂いているはずなのに、刀にほとんど抵抗を感じない。


 どかっ、と音を立て、重い物が大地に落ちた。

 後方の兵士達から、「おお」という歓声が上がった。


「オゴアアアアァァァ!!」


 ミノタウロスが吠える様な悲鳴を上げた。そのままどたどたと後ろによろけながら下がっていく。

 ミノタウロスの右手首より上が無くなっていた。大人の胴回りほどの太さがある手首を、一刀の元、切り落とした。失った手首からどくどくと赤黒い血が吹き出し、血だまりを作り出す。切り口から黄色い骨が見えた。

 岩石の様な拳が、握られたまま落ちていた。ミノタウロスの右手だ。


 セイジはレナードの方に駆けた。駆けながら刀を目の前で横に動かした。

 欠けてはいない。ミノタウロスの手首を切り飛ばしても、刀の刃は欠けなかった。

 セイジの腕と、重ねの厚い刀、腰と足の動きが、あれだけ太い手首と骨を一刀両断したのだ。


 レナードに駆け寄り、並び立つ。ミノタウロスは血走って真っ赤になった目を、2人に向ける。


「ウオオオオオォォォォォ!!!」


 ミノタウロスが天に向かって吠えた。怒りの雄叫びだ。失った右手首から、雄叫びに合わせるように血が噴き出した。

 真っ赤に充血した目を、2人に向けた。歯を剥き、鼻息荒く走り出した。

 手負いの獣となったミノタウロスが迫ろうとしていた。



「頭を下げさせたい」


 レナードの元にたどり着くと同時にセイジが短く言った。同時に後ろへと大きく飛び下がった。左手を突き出し、目をつむる。

 ミノタウロスが雄叫びを上げた。セイジも叫んだ。


「15秒稼げ、レナード!」そのまま魔法の詠唱し始める。


「無茶を言う!」


 言いながら、レナードは前に出た。猛り狂うミノタウロスの前に立ちふさがる。

 レナードの人生で1番長い15秒が、始まろうとしていた。

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