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第20話 咆吼

 ミノタウロス。

 人間よりも遙かに高い身長と、分厚い筋肉と体毛で全身を覆った、牛の顔を持つ獣人。知能はそこそこに持つが、言葉は持たない。角があれば雄、無ければ雌である。一般的に雌は大人しく、暴れる事は少ない。

 ファイナリィの北部、雪に覆われた山岳部に生息している。個体数は少ない。

 普段は、人里に出現する事はない。ただし、個体が増加しすぎたり、餌である動物等が少なくなったりすると、まれに人里まで降りてくる事もある。


 全身の分厚い筋肉にふさわしい馬鹿力を誇り、普通の家屋など一撃のもと粉砕する。

 また、姿に似合わず俊敏であり、馬と同じ位のスピードで走る事が確認されている。そのスピードとパワーを持っての体当たりは、石垣すらも簡単に破壊するほどの威力を誇る。


 ミノタウロスが出現すると、数百人単位での軍隊、もしくはエミリーナの精鋭部隊グランナイツが出動する事になる。そうでなくては止められないからだ。街の自衛団程度では数千人集まろうが、全員ミンチにされるのがオチだった。




 兵士達がざわめき始めた。静めなければならない兵長も、ぽかんと口を開けている。

 それもそのはず、ミノタウロスがセイジ達がいる内陸部に出現した事などは、一度も無かった。彼らにとってミノタウロスとは御伽噺(おとぎばなし)の住人に等しい。

 それが今、目の前にいる。ざわめくな、唖然とするな、という方が無理だった。

 二人を除いて。


「ミノタウロスって俺、初めて見た」


 刀を右手にぶら下げたまま、どこか他人事のようにセイジが呟いた。


「私は2度目ですね。グランナイツの時に、ですが」レナードも飄々(ひょうひょう)とした口調で返した。


「ふーん。で、どうだった」


「グランナイツ2部隊、100名と魔導士10名にてどうにか……といった感じでしょうか。ちなみに10名負傷、2名死亡です」


「……そりゃ、また」


「ただ、あのミノタウロスはまだ小型のタイプですね。私が相手したのは7mはあったタイプでしたので、それに比べれば、まだなんとか」


「ちなみに逃げられるか?」


「ミノタウロスはあの図体で結構素早いですからね……走れば馬にも追いつきますし。ばらばらに逃げれば……。もっとも何人かは犠牲になりますし、ミノタウロスがどっちに来るかも解りませんが」


 ゆっくりとミノタウロスがセイジ達の方向に歩み寄って来た。肩をいからせながら、こちらまで聞こえそうなほどの、荒い鼻息をついている。


 レナードは小型のタイプだと言った。だが、とてもそうは見えない。人間の2倍以上ある身長、さらに全身を覆う分厚い筋肉。大人の胴よりも太い腕、木の幹の様な足、巨大な頭に、そこから生えている天を貫かんばかりの角、それらを支えるぶっとい首。

 4mのタイプでこれだ。レナードが言っている7mのタイプとはどれほどのものか……考えたくもない。


 とりあえず先に司祭達を逃がさないと……。

 兵達はいいとしても、バル司祭、クレアは逃がさなくてはならない。椎茸はついででいいが。

 セイジは前を向いたまま、後ろに下がった。ミノタウロスに目を向けたまま、バル司祭の所まで下がる。


「バル司祭」


 セイジが司祭に話しかけようと目をミノタウロスから外した。

 その時だった。


「やばい!」


 レナードが声を荒げた。セイジは一瞬外した視線を、ミノタウロスに戻す。

 ミノタウロスは100m程離れた所で足を止めていた。その場で屈伸運動するかのように体を上下し始める。

 なんだ? とその場に居た全員が思った。


咆吼(ほうこう)が来る! 全員、腹に力を込めろ!」


 レナードが前を向いたまま叫んだ。普段の冷静なレナードからは信じられないほどの、大声を上げている。

 その瞬間、



「オオオオオォォォォォ!!!」



 ミノタウロスが叫んだ、いや、叫んだと言うレベルではなかった。

 まさに咆吼だった。猛烈な重低音の声に空気が振動し、木々が震え、大地が揺れた。どん、と体になにかでかいものがぶつかった感触がした。びりびりと肌が震える。

 咆吼が体を貫き、心臓を鷲掴みにした。呼吸がうまく出来なくなる。全身がミノタウロスの放った気迫に覆われた。まるでミノタウロスの馬鹿でかい両手に押さえ込まれているかのように、体がぴくりとも動かなくなる


「くっ!」


 セイジは歯を食いしばり、軽く呻いた。それで体は動くようになった。

 危なかった。あの咆吼を気の抜けた時に食らえば、どうなっていたか解らない。


「バル司祭、クレア、大丈夫か?」


「うむ、なんとか」


「は、はい、大丈夫です」


 バル司祭は苦虫をかみつぶしたような顔をして、ぎゅっと拳を固く握った。

 クレアは多少息を荒げていたが、セイジを見てはっきりと答えた。意識ははっきりしていた。

 セイジは兵達に目を向けた。全員、呆然とした顔のまま固まっている。咆吼に飲み込まれていた。呼吸すらままならなくなっているのだろう。


「叫べ! 腹から声を出せ、それで動く!」


 セイジは叫んだ。兵達は口をぱくぱくと動かし始めた。叫んでいるつもりなのだが、声は出ていない。やがて、かすれたような声が出始めたかと思うと、すぐに叫び声になった。一応鍛えている兵士達だ、完全に飲み込まれてはいなかった。

 1人、2人と叫び声を上げ、金縛りがとける。とけた兵士はその場にへたり込んだり、剣を杖のようについて体を支えている。皆、肩で息をついていた。まるで1kmを全力疾走したかのように息が上がり、まともに立ち上がれなくなっている。


 さて、後は……。

 セイジは椎茸の元に歩み寄った。椎茸は完全に飲み込まれていた。目をかっと見開き、微動だにせず、瞬きすらしていない。呼吸もしていなかった。このままでは窒息死する事になる。

 セイジは椎茸の後ろに立った。小刻みに震えている椎茸の尻に刀の尖端をぶっ刺した。


「ギャーーー!」


 悲鳴を上げて椎茸が飛び上がった。そのまま倒れ込み、水からたたき出された魚の様に、泥の地面をぴちぴちと跳ね回った。


「き、貴様、何を……」


「息出来なくなってたのを、助けたまでですよ」


 セイジは懐紙で刀の先をぬぐいながら、レナードの元に戻った。歩きながら、ミノタウロスの方を見る。

 ミノタウロスは動いていなかった。片足を地面に突き、肩を激しく上下させ、荒い息をついていた。あの咆吼は奴も相当疲れるようだ。


「覚悟を決めるしかないようですね」


 セイジが隣に立つと、ちらりと後ろを見て、レナードが言った。

 後ろにいる兵士達は皆、まともに立ち上がれなくなっていた。雨の残る大地に横たわっている者もいた。もはや死屍累々と言った有様だ。

 司祭達を逃がそうにも、まともに動けるのはバル司祭ただ一人。クレアは倒れ込んではいないが、息も絶え絶えで、歩くのがやっとだろう。椎茸に至っては論外だ。

 セイジとレナードの二人だけで、あのミノタウロスを倒さなければならない。かなり厳しい戦いだ。


「ところで隊長、お聞きしたいのですが」


「なんだ?」


「先程の魔法、あのミノタウロスには命中していないのですか?」


 言われて、セイジは気が付いた。確かにあのミノタウロスは傷一つ無かった。

 暗黒暴嵐(ブラックストーム)はこちらに殺気を持つ者を対象に放った。当然、あのミノタウロスにも命中しているはずだ。しかし、傷一つ見られない。


「ミノタウロスってのは魔法抵抗が高いのか?」


 暗黒球体は魔法力の爆発だ。魔法抵抗が高いと、相手にダメージが通りにくかったりはする。


「逆です。奴の弱点は魔法です。だから魔導士を連れて行くんです」


 ミノタウロスと戦う時は、兵士達で引きつける。そして後方から魔導士が魔法を連発する。これが基本戦術だ。

 魔導士がいないと一大事だ。厚い筋肉と硬い表皮、凄まじい攻撃力と剣がまともに通らない程の防御力。被害は甚大となる。


 セイジはミノタウロスをまじまじと見つめた。

 ん? と首をかすかにひねる。奴の体から黒い炎のようなオーラが立ち上っていた。


「レナード、奴から黒いオーラみたいのが出てないか?」


「は? オーラ?」レナードもまじまじとミノタウロスを見た。「いえ、特には」


「見えます」いきなり後ろから声がした。セイジが振り向くと、そこにはクレアが立っていた。手には先程までは持っていなかった、木で出来た杖を持っている。


「クレア、危ないから下がっているんだ」セイジがクレアを後ろに押しやろうと、手を伸ばした。


「セイジ様、あのミノタウロス、何かされています」


「何か?」セイジの手は、クレアの肩に触れたところで止まった。


「黒い炎のようなオーラがミノタウロスを包んでいます。魔法防壁(マジックガード)のようなものが展開されているのだと思います。魔法でダメージを与えるのは難しいかと」


「解るのか?」


「黒いオーラの波動から感じた事ですが……おそらくは間違ってはいないかと思います」


「ふう……するとますますやっかいですね」レナードが大きく首を横に振った。「弱点がなくなってしまいました」


「セイジ様、レナード様、あのミノタウロスと戦うのですよね?」


「ああ、とりあえず危ないからバル司祭の所まで下がれ。俺らがやばくなったら二人だけでも逃げるんだ」


 ミノタウロスがゆっくりと立ち上がろうとしていた。どうやら息は整ったらしい。

 セイジは一歩前へと踏み込んだ。レナードも槍を構え直す。


「いえ、私もお手伝いします」


「いや、手伝うって」


「失礼します」


 クレアは手に持っていた杖で二人の肩をそっと叩くと、少し下がった。そして、杖を顔の前に持って行き、詠唱し始める

 クレアの体が光を帯びだした。大量の魔力がクレアの体から溢れだすのが解った。その魔力が、セイジとレナードを包み込んでいく。

 どくん、と心臓が一度大きく鼓動した。同時に全身に力がみなぎっていく。体が妙に軽い感じがした。

 全身の血が沸騰したように熱くなってくる。頭に汗がぶわっとしみ出していくのが解った。気温は低いはずなのに全身から汗が出てきてしょうが無い。着ている服を脱ぎたい位だった。


「これは、強化魔法(ステイアップ)……しかし、これほどのものは」


 レナードも驚いた表情で呟きながら、手をグーパーしている。


 強化魔法……対象の人間の能力を引き上げる魔法だ。

 術者が詠唱している間、攻撃力、防御力、敏捷(びんしょう)性のどれかを引き上げる事が出来る、と聞いていた。

 1つ引き上げるにも相当の魔力を使用するはずだ。しかし、クレアはこの3つ全てを引き上げている。しかも二人同時にだ。クレアが並外れた魔法力を持っているとは感じていたが、まさかこれほどまでとは……。


 セイジは驚きの表情を隠せずにいた。自分の魔力だって相当ある。だが、クレアの魔力はセイジの数倍……下手すれば数10倍あるのだろう。


「すまない、君たちに頼る事になる」


 バル司祭がクレアの隣に立って、セイジとレナードを見た。


「クレアは私が守る。ミノタウロスを何とか……たのむ」


 セイジはじっとバル司祭の目を見た。バル司祭はじっとそらさずセイジの目を受け止める。


「……わかりました。お願いします」


「うむ、クレアは私の命に代えて守る。エミリーナの名に誓おう」


「俺たちがやられたら、司祭はクレアを連れて逃げて下さい」


「……了解した」


 ミノタウロスが雄叫びを上げた。セイジ達の方に再び歩み寄ってくる。


「やるぞ、レナード」


「了解です、ご武運を」


 二人は左右に分かれると、ミノタウロスに向かって駆けだしていった。

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