第15話 酩酊
セイジはホテルへと歩み始める。200mと離れていない為、ゆっくりと歩いてもすぐに到着した。
正直、部屋に戻るのは、気が進まない。だが、今更別の宿に逃げるという事は出来ない。
日付が変わろうとしているのに、相も変わらず兵士が門をふさぐ様にして立っている。セイジが近寄ると、一礼して門を開いた。セイジの顔を覚えているようだった。一流ともなると門兵も一流らしい。
無駄に長い庭園を抜け、入り口にたどり着くと、再び兵が一礼し、扉を開いた。別に自分で開けられるが、こういうところの宿泊客は、自分で扉を開ける筋力を持ち合わせていないのだろう。
中もまだ明かりが煌々と灯っている。消すという事はしないのだろうか。
部屋の前にたどり着くと視線を上げた。扉の上部に一枚の小さな厚紙が挟まっている。出がけに扉に噛ませておいたモノだ。これが落ちていたり、位置が変わっていないという事は、セイジが出てから扉を出入りした者はいないという事だ。
クレアはもう寝ていると思い、静かに扉を開けた。部屋の明かりはまだ灯っていた。見回すと、クレアはソファーに沈み込むようにして眠っていた。空のボトルなどが散乱していたテーブルの上は、すっかりと片づいている。クーラーボックスに沈められたボトルだけがその場に置かれたままになっていた。氷は全て溶けて水になっている。
「クレア、寝るならベットに行きなさい」
セイジが呼びかけるが、クレアはぴくりとも反応しなかった。
無理もないか、と大きく息をついた。脇下に手を差し込むようにして上体を起こさせると、足に手を入れて横抱きに抱き上げた。クレアに反応はなく、静かな吐息を立てて眠ったままだった。
ベットまで運んだところで、掛け布を先に剥いでおけば良かったと気が付いた。抱きかかえたまま、足で蹴っ飛ばすようにしてめくっていく。
そっとクレアを横たわらせると、蹴り飛ばした毛布を取ろうと手を伸ばす。
下からにゅーっと細い手が伸びてきて、そのままセイジの首に巻き付くように絡みついた。セイジは驚いて視線を下に向けた。完全に不意を突かれた形だ。
「セイジしゃまー、お帰りなしゃーい」
妙に舌足らずな声が聞こえてきた。別人かと思ったが、視線の先にいるのは間違いなくクレアだった。目を細く開けて、嬉しそうににこにこと微笑んでいる。
「クレア? お前どうかしたのか?」
「どうもしませんよー。いつものクレアちゃんでっすよー」
いや、明らかにさっきまでと違うだろ! と心の中で突っ込みを入れた。
先ほどまでの様子とは一変し、今はすっかり陽気な、ただの甘えたがりの子供になっている。
クレアは巻き付かせた腕に力を込め、セイジの胸元に顔をすりつけるように甘えだした。 セイジは訳もわからず、されるがままになっている。ふりほどく事も出来ず固まっていると、クレアの息からわずかに酒のニオイがした。
「クレア、酒を飲んだのか?」
「のみましたー。セイジ様があまりにおいしそうに飲んでいたから。でもちょっとだけですよ」
と、左手をセイジの目の前に持ってきて、親指と人差し指で「これくらい」と広げて見せた。セイジが飲んでいたグラスで3分の1程度だった。
それでこのざまか。将来はレナードよりたちが悪くなりそうだ。
「クレアはもう大人だから、おしゃけだっていいんですー」
「大人……ねえ。クレア今いくつだ?」
「17ですよー」クレアは楽しそうにケタケタと笑いだした。小さかったので、てっきり14、5だと思っていた。
「そうか、だが、酒を飲んで良いのは19からだ」
「エミリーナでは16で成人ですからだいじょぶですよー」
再びケタケタと笑い出した。話が微妙にかみ合っていない。
ちなみにファイナリィもドラグーンも、酒は19歳未満禁止である。
「とりあえず酔っ払いは早く……」
寝ろ、と言おうとしたところで、クレアが巻き付かせた腕に力を込めた。とはいってもクレアの力ではセイジはびくともしない。引き寄せるために力を込めたのではなかった、自分の上体を起こしたかったのだ。
そして上体を起こした勢いのまま、
「!!!!」
自分の顔をぶつけるように、セイジの唇にキスをした。腕に力を込め、下からぎゅうっと抱きついている。セイジは驚きで目を見開いたまま、完全に固まっていた。
数秒後、クレアが腕を解いた。そのままベットにすとんと落ちる。人差し指で自分の唇をなぞっている、感触を確かめているかの様だ。
「えへへー、クレアのファーストキスどうですか?」
「お、お前なあ」
セイジがようやく石化から戻ってきた。今日何度目の石化なのだろう。
「セイジ様、好きです。クレアはセイジ様をお慕いしています」
クレアは両手を広げながら、満面の笑みを浮かべセイジに微笑みかける。
セイジはどきっとして、顔を背けた。
正視していられなかった。これほどまでにストレートに恋愛感情をぶつけられた事は今までに一度も無かった。
今までの金や資産目的の女とは違う、こっぱずかしいまでに純度百パーセントの愛をぶつけられて、どうして良いか解らない。30を目の前に迎えたおっさんが14、5の思春期真っ盛りの子供の様に焦っていた。
「本当はこんな事している場合じゃない事は解っています。師が拐かされて、多くの仲間が殉教しているのに……でも押さえきれないんです」
舌足らずの口調が抜けてきていた。クレアはまっすぐな瞳でセイジを見ている。
セイジの方は、熱くもないのにだらだらと汗を掻きまくっていた。
「い、いや、俺たちまだ出会って1日しか経っていないし」
「時間なんて関係ありません、クレアは運命だと思っています。エミリーナ様のお導きだと」
クレアが右手を伸ばし、セイジの頬に手を当てた。セイジはどうして良いか解らず、顔を背けたまま汗を流し続けている。こういうときどうするべきか、セイジの辞書には何も載っていない。
「クレアは……クレアは……」
手が頬から離れ、ぱたりとベットに落ちた。そのまま部屋は静寂に包まれる。
クレアは何も言わなくなった。セイジはおそるおそる背けていた顔を正面に戻す。
クレアは眠っていた。安らかな表情で、すうすうと可愛い寝息を立てていた。
セイジは大きく息を吐いた。思わず腕から力が抜けそうになるが、何とか堪えた。この体勢で力が抜けては、クレアに覆い被さる事になる。
「危なかった……」
セイジは呟いた。何が危なかったのかは自分にもよくわかっていない。と、同時に少しがっかりしている自分にも気が付いた。慌てて首を横に振る。
ガキか己は、と自分を戒めた。クレアの告白……もっとも、ただ酔っていただけかも知れないが……に対して何も出来ずに、ただ顔を背けて、だらだらと冷や汗を流しているだけだった。もうすぐ30なのだからもっと大人としての対応もあっただろう、と自分に問いかける。
30までまともな恋愛などしてこなかったのも原因かも知れない。セイジは子供の頃から剣術と魔導を極めようと、常に修行と勉強をしてきた。青春時代は剣と魔導に捧げたと言っても過言ではない。
結果、周りから浮いた存在となった。高い壁が出来てしまった。もっともセイジはそんなこと気にもとめなかった。ただただ純粋に、剣術と魔導に打ち込んだ。
女を覚えたのは村を出た20を過ぎてからだった。もちろん相手は商売女だった。いろんな意味で後腐れ無く、気楽に付き合うことが出来た。
恋愛経験は皆無だった。もっともこればかりは今更どうしようもない。
セイジは掛け布をクレアにしっかりと掛けてやると、傍らにあった椅子にどっかと腰を下ろした。肘を突いて、ぼんやりと眠っているクレアを見ていた。
どこまで本気なのだろうか? と思う。クレアの言葉からは、本気の覚悟とも言えるような意思を感じた。本気でセイジを慕い、妻として生きていきたいという意思だ。
教会のシスターは純情な者が多い、とレナードは言った。だから、ちょっとしたことでコロリと靡くとも。
だが、いくら命を助けてもらい、偶然とはいえ婚約の儀をかわしたとは言え、30近くのおっさんにこうもなるものなのだろうか。加えて傭兵というヤクザな商売をやっている者にも、だ。
セイジはクレアのことを何も知らない。クレアもセイジのことは何も知らないはずだ。何故クレアがシスターの格好をしているのかすら知らないのだ。
(いいじゃねえか、細かい事は)
左耳で悪魔が囁いていた。御伽噺に出てくるような、槍を持った黒い悪魔がセイジの左耳で囁いている。
(お前の事慕ってるんだ。もうやっちゃえよ。こいつだって嫌って言わねえよ、これはゴーイなのよ、解る? ゴ・ウ・イ)
(だめだよ! そんなの!)
今度は右耳の付近に天使が現れた。こちらも御伽噺のように金色の弓を持っている。
(もう2日もお風呂入ってないんだよ! まずは体を綺麗にしてからじゃないと相手に失礼だよ。それに相手は初めてなんだろうから、いろいろ準備を……)
セイジは頭の付近でぱたぱたと手を振った。なんか変な羽音の虫が飛んでいるような気がした。
これから果たしてどうなることやら……。
ぽつりぽつりと音を立て、窓に水滴が付いた。雨が降ってきたようだ。
弱かった雨音がだんだんと激しくなり、すぐにバケツをひっくり返したような大雨となった。今までは雨が降る気配すらなかったのに、一瞬にして外は嵐へと様変わりした。
セイジは雨しぶきの当たる窓を見ながら、ゆっくりと立ち上がって、浴室に向かって歩き始めた。もう風呂入って寝ようと決めた。
これからどうなるかなど、考えても答えは出ない。なるようにしかならないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、セイジは浴室へと向かったのだった。




