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第14話 婚約の儀

「どういうことだ、レナード」


「その台詞(セリフ)、そのままお返ししますよ、隊長」


 レナードは(さかずき)をぐいと傾けた。次を注ごうとして、徳利の中が空だと気付き、振りながら「2本」と店の親父に言った。親父は無表情で奥へと引っ込んだ。


 ここはセラヴィからほど近い大衆酒場。あと1時間ほどで日付も変わろうかというのに、店内にはまだ客がちらほらと見える。他の街ならばもう看板の時間なのだが、さすがは眠らない街、メルドムである。

 レナードは、目の前に所狭しと置かれた小鉢をつついている。30分ほど前に入ったのだが、既に隣の空きテーブルに空いた徳利が10本置かれていた。全てレナードが空けた酒だ。セイジも良く酒を飲む方だが、レナードにはかなわない。蟒蛇(うわばみ)というにも程がある。


 セイジは茶を飲みながら、小鉢をつついていた。中身は、豆腐にそぼろあんかけがかかったモノだ。豆腐を突き崩すようにして、なめるように食べている。流石にもう酒を飲む気にはならなかった。


「俺だって知らねえよ。いきなり婚約した事になってるんだ」


「そこが解らない。エミリーナの婚約の儀なんてやり方を知らないでしょ?」


「婚約の儀? なんだよ婚約の儀って。婚約って相手に結婚してください、って言うだけだろう?」


「エミリーナでは、相手に言葉に出して結婚を求めるというのは、はしたない行為なんですよ。特に女性から求婚する行為はNGですね」


 レナードの元に追加の酒が届いた。(かん)されているので、ほんのりと温かい。早速杯に注ぎ、ぐいと飲む。


「エミリーナの婚約の儀というのは、まず両者が衣服を脱ぎ、裸の状態で口づけをかわします。最近では下着でもOKですね。そして共に床につき、抱き合った状態で一晩を過ごします。この際、性的行為は全てNGです。許されるのは、キスをするとか、頭をなでるとかそういうことだけですね。

 朝を迎えたら、男は女より早く起床し、朝食を作ります。女の方は男の妻となって良い場合、朝食を共にします。断る場合は辞退しますが、まあ、ここまで来た以上、ほぼ無いですね……っていうか聞いてますか? 隊長」


 セイジはレナードの説明を聞いてテーブルに突っ伏していた。やがてぶるぶると体を震わせたかと思うと、勢いよく起き上がった。


「なんだその設定は! どこの夢見がちやろうが考えた設定だ!」


「知りませんよ。多分昔の教会に童貞(こじ)らせた奴がいて、そういう奴が考えたんでしょう。よく言うでしょ、風邪と童貞は拗らせると長いって」


 レナードは二本目に手をつける。


「で、その様子を見るに、思い当たる節があると」


「ああ、あるよ畜生、大ありだよ」


 セイジは頭をかきむしりながら、レナードにクレア救出の話をしてやった。




 レナードは黙って聞いていた。途中で酒をさらに2本追加した。

 やがてセイジが喋り終えると、杯をぐいと開け、わざとらしく大仰(おおぎょう)に首を横に振って見せた。


「王都の2流作家が書いた、恋愛小説のような内容ですね」


「うるせいよ」


 セイジが呻く様に呟いた。喋り通しで喉が渇いたので、すっかり冷めた茶をぐいと飲み干した。


「で、俺はどうしたらいい?」


「どうしたらいいとは?」


「クレアとの婚約をなしにするには、どうしたらいいかと聞いている」


「無理かと」


 レナードは冷たく言い放つと、空いた徳利を隣のテーブルに置き、新しく届いた分を自分の方に引き寄せた。


「お前なあ……」


「言っておきますが、適当に答えている訳ではありませんからね。無理だと言っている理由は、経緯はどうあれ、婚約の儀を申し込んだのは隊長です。婚約の儀は申し込んだ方に解消権はありません。

 さらに、それをシスタークレアは受け入れています。先ほども言った通り、嫌ならば朝食を受け取らず、断れば良かっただけです。それを受け入れたという事は、シスタークレアの方でも隊長と結婚したいという意思表示に他なりません。信じ難い事ですがね」


 嫌みったらしい笑いを浮かべながら、レナードは首を大きく横に振った。


「まあ、教会のシスターなんて箱入りばっかりですしね、ちょいとした事でなびいてしまう場合が多いですから。助けられて、ころりといってしまったんでしょうね。こういうのなんて言うんでしたっけ? 吊り橋効果?」


「うるせえぞ……この野郎」


 セイジが殺気を込めた目でレナードを下から睨み付ける。普通の男なら失禁してその場にひっくり返る様な強烈な殺気だった。レナードは素知らぬ顔で酒を飲み続けている。


「また、一般職や、普通のシスターならば何とかなったでしょうが・・・彼女は高位シスターですから」


「高位シスター?」


「エミリーナの女性職は一般職、修道職、聖教徒職の3つがあります。一般職とは教会に従事する者のうち、回復魔法が使えない者達を指します。まあ、半分以上がここに当たります。

 回復魔法が使える様になれば、シスターとして認められます。ここから修道職になります。シスターの上はシニアシスターとなります。ハイシスターとも呼ばれ、大勢の前で説法を説いていい許可が与えられます。教会の中級魔導試験に合格するか、シスター勤続20年で上がれます。

 その上がエルドシスターです。修道職の最高位です。同じく教会の上級魔導試験に合格するか、シスターとシニアシスター勤務合計45年で上がれます。この上が聖教徒職になり、クレリック、プリースト、ハイプリーストとなります。シスタークレアはこのエルドシスターにあたります」


 そういえばレナードは、クレアの事をエルダークレアと呼び、(うやうや)しく(ひざまず)いていた。元グランナイツとして、高位シスターだと気が付いたからこその行為だったのだろう。


「エルドシスターというのは条件から解る通り、かなりの高魔力を持っているか、教会に長年従事(じゅうじ)した女性に与えられる役職です。シスタークレアは当然前者でしょう。将来の聖教徒職間違いなしの逸材に婚約を申し込み、了承(りょうしょう)を得たにもかかわらず、男の方が勘違いだったと言って撤回したいと申し出た……さてどうなると思います?」


「ただじゃ済まない……と」


「その通り、教団がただじゃ済まさないでしょうね。というか様々な手を使って、この結婚を成立させるでしょう。教団は目的のためならえげつない行為も平気でやりますよ。所属先であるロウガ傭兵団を、圧力をかけて潰す事だってしかねません。さらに、もしこの一連の流れでシスタークレアが自傷行為に走れば、教団は全力を持って隊長に責任を取らせようとするでしょうね」


「……クレアが我に返って取り消してくれる事を願うしかないのか」


「無いとは言いませんが、確率は相当低いですよ」


 レナードは銚子の縁を人差し指でなぞりながら言った。追加を頼む様子はないので今日はここまでのようだ。


「教会のシスターなんてかなりが温室育ちですから。よく言えば教会の教えに従順(じゅうじゅん)、悪く言えば世間知らず。教会の教えは全て正しいと思っている人間ばっかりですよ。婚約、結婚なんていうのはその最たる例で、妻は夫の前に出る事無く、常に(かしず)き、敬愛の念を持ち、生涯を夫の為に尽くせと言う教えですから。時代錯誤(さくご)(はなはだ)だしい」


「クレアもその(たぐ)いっつー事か」


「間違いないでしょうね。あの若さでエルドシスターですから。上に上がるには魔力だけではなく信仰心を問われますから。骨の髄までエミリーナと考えるのが自然でしょう。エミリーナは離婚も許さない傾向にありますから、シスタークレアが撤回する可能性はないに等しいかと」


セイジは腕を組んで上を見上げた。そして大きなため息をつく。予想は何となく付いていたが、何ともやっかいな事になった。


「考える必要は無いと思いますが。シスタークレアを妻に迎えれば済む事です」


「嫁にしろって……お前、人ごとだと思って好き勝手いいやがって」


「好き勝手言っている訳ではありませんよ。隊長ももうそろそろ30になるのでしょう? この辺で身を固めたらいかがですか?」


 レナードは芋の煮転がしを口に運んだ。彼は食べながら飲むという事をしない。


「結婚する気が無いのですか? それとも故郷に女を待たせているとか」


「いや……そういうわけではないのだが」


「ではよろしいではないですか。下衆(げす)な言い方になりますが、相当な上玉じゃないですか。あれほどのまばゆい美人、しかも上位シスター。才色兼備(さいしょくけんび)とはまさにこのこと。何が不満なのか私には解りませんがね」


 セイジは腕を組んだままジロリとレナードを睨んだ。レナードは素知らぬ顔で小鉢の中身を胃の中に流し込んでいる。

 セイジは腕を組んで、目をつむって考える。


 別に結婚願望がない訳ではない。傭兵などと言う荒っぽい仕事をしているが、あと数年したら傭兵を辞して、のんびり暮らしたいとも思っている。

 特にセイジは、暗黒魔法という特殊能力を持っている。魔法が使えれば、仕事はいくらでもある。食いっぱぐれる事はまず無い。

 今でさえ金は余っている。ロウガ傭兵団では十分すぎる報酬をもらっている上、元々がそれほどの浪費家ではない。家を購入してもまだ十分過ぎるほどあった。金を使うと言えば刀、飯、酒、後は女だ。高級な物に、ほぼ興味は無い。


 結婚のチャンスもあった。ロウガ傭兵団のあるナロンには、一種の歓楽街と呼ばれるような場所がある。そこに行けば極上の女と共に酒が飲める。夜を共にしてくれる女を買う事だって出来る。

 彼女たちは高給取りである傭兵団の財布を狙っているのだ。ロウガ傭兵団は150人ほど、仕事柄かその大半は独身である。己の命をかける商売である、ストレス発散の場を求めて歓楽街をうろついている事が多い。また、払いも一般人に比べて格段に良い。用は店にとって良い財布なのだ。


 セイジはそのロウガ傭兵団のナンバーワンである。当然稼ぎもいい。その為、店の女性達がセイジを狙って動き出す事もままあった。露骨に体を寄せてきたり、耳元で愛を囁いてきたりする。

 しかし、セイジは乗ってこない。店のナンバーワンである女性が寄ってきた時も、終始冷めた態度であしらっていた。そのせいで一時期ホモの噂すら立っていた。

 冷めるのだ。目を見れば解る、セイジを見ていない。見ているのはセイジの背後、つまりは金や家などの資産だ。そういう女を妻に迎える程、まだ心は渇いていない。


 そう意味ではクレアはセイジだけを見ている。後ろなど見ていない。純真無垢な瞳だった。少々若すぎるが、レナードの言う通り妻に迎えるのも悪くはない。

 もっとも、問題はそこでは無い。最大の問題であり、難関はクレアに紛う事なきパオーンが付いている事だ。


 大体、何故彼女……彼? は女性の修道衣を着ているのか?


 その事もまだ、クレアには聞けていない。もっともクレア自体の事すら殆ど知らないのだ。いろいろありすぎて、聞くタイミングがなかったと言う事もあったが、何か聞いてはいけない気がしたのも……特に女装の件に関しては……事実だった。


「なあ、レナード……レナード?」


 修道衣の事を訪ねてみようと呼びかけたが、返事は返ってこなかった。目を開けると、いつの間にやらレナードはテーブルに突っ伏して、いびきをたてながら眠っていた。

 いつものパターンだった。浴びるほど酒を飲み、しばらくしていきなりひっくり返る。路上に寝る事など日常茶飯事だ。今回はテーブルをひっくり返さなかっただけまだ上品と言える。


 セイジは立ち上がり、入り口近くでやる気なさそうに本を読んでいた店の親父に歩み寄った。近寄っても親父は視線すら上げない。


「親父、相方がひっくり返っちまった。悪いがここに泊めてやってくんねえかな? あのまま転がしといてかまわないからさ」


「あー? ちょっと困るよ、うちはそんな事……」


 嫌そうな顔してセイジを見上げた親父の言葉が止まった。親父の目の前にセイジが金貨を1枚転がしたからだ。


「釣りはいらない、迷惑代としてもらってかまわないからさ、頼むよ」


「はいはい、喜んでお預かりさせていたします」 


 しかめ面だった親父は一瞬で破顔し、揉み手をしながら立ち上がった。気持ちが良いほどの変わり身だった。

 二人でさんざ飲み食い……もっとも大半はレナードの飲みだが……しても会計は金貨一枚で十分にお釣りが来る。そこに釣りはいらないと渡したのだ。レナードを押しつけられたとは言え、親父としては最高のボーナスだろう。


 礼を言い、セイジは店を後にした。親父は満面の笑みでセイジを見送った。

書き貯め分が無くなりました。

ここからは週1~2更新となります。


12~15万文字位を終了予定としております。

この後もおつきあいいただければ幸いです。

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