第13話 不測
「大丈夫ですか?」
「ああ、もう大丈夫だ、ありがとう」
セイジはソファーに座り直し、クレアの回復魔法を受けていた。痛みは完全に無くなったが、頭の混乱はちっとも直らなかった。
「ええと、どうしてあのようなことを……」
「い、いや、酔いを覚まそうとしてね。ところがちょいと痛飲しすぎていたせいか、強く殴りすぎてしまって」
「え? 自分を殴って酔いを覚ますんですか?」
「……ああ、俺たち傭兵の中では常識だ」
「そうなんですか」とセイジの隣に腰掛けたクレアは小首をかしげた。もちろん嘘八百だ。
「そんなことよりもクレア、その、婚約って言うのは……」
セイジはクレアに向き直る。クレアは顔を赤らめ、視線を斜め下に落とした。
「も、申し訳ございません、浮かれてしまいまして。今はそれどころではありませんよね」
「い、いや、まあそうなんだけど、そうじゃなくてこ……」
「今は仲間の弔いも、司祭様の御身も知れぬ状況でこのようなこと……はしたないとお思いでしょう」
「いや、はしたないとかそ……」
「でも、嬉しかったんです」
クレアは視線を上げた。その視線はセイジを捉えているが、見えてはいない。もはや完全に自分の世界に入っている。ついでにセイジの言葉は一切聞こえてはいない。
「昨夜、命を助けて頂いただけではなく、凍えていたところを優しく抱きしめてくれて……その時に感じたんです。この方が私の運命だったら、と」
「はあ……」もはやセイジは相槌を打つことしか出来なかった。もっとも、相槌すらクレアには聞こえていないが。
「だから……だから嬉しかったんです。セイジ様から婚約を申し込まれて、本当に」
「はあ……ん?」
セイジ様から婚約を申し込まれて? 俺からクレアに求婚?
セイジはクレアをじっと見た。クレアはセイジから顔を背ける様に、視線を下ろしていた。その目から一筋の涙が零れて、頬を伝っている。
ぞくりとする色気があった。頬を伝う涙と、長い金色の髪から覗く白いうなじに、セイジは息をのんだ。
「ごめんなさい、泣いたりなんかして。とりあえず私は湯浴みに……」
クレアは立ち上がり、涙を掌でぬぐいながら、風呂場に向かおうとした。が、テーブルの角に腰をぶつけて大きくよろけた。
「きゃっ」
「おっと」
セイジは右腕を差し出して、クレアを受け止めた。
「す、すいません」
「いや、気をつけろよ」
「はい……」クレアは潤んだ瞳でセイジを見上げている。その瞳は完全に恋する少女の瞳だった。
やばい、なんかスイッチ入っちゃたかも……。
クレアの熱い視線に、セイジの背筋に冷たい汗が流れる。
セイジは醜男ではないが、美形というのはほど遠い容姿をしている。女性の視線を受けるのは、女性がいる店に飲みに行った時と、娼館に行った時くらいだ。
こんな熱を持った視線を受けるのは生まれて初めてだった。もっともそれが女性じゃなく男の娘なのだが。
「セイジ様……あの……」
クレアが何か言おうとした時だった。
ドンドンと扉が強くノックされた。びくんとクレアがセイジの手から跳ね起きた。セイジは何故か助かった、と思った。
「夜分遅く申し訳ありません。よろしいでしょうか?」
「あ、ああ、いいぞ」
セイジが答えると、タキシードを着た男が「失礼します」と言い部屋に入ってきた。
「セイジ様に、レナード様とおっしゃるお客様がいらしていますが、どういたしますか?」
「レナードが?」
何故レナードがここに? と首を捻った。ニード村の用が終わったのならナロンへ帰ると思ったのだが……。そもそも何故ここにいると解ったのだろう?
「お断りいたしますか?」考えている様子を見たタキシードがセイジに聞いた。
「いや、呼んでくれ」
「はい、畏まりました」
タキシードは一礼して、部屋から出て行った。
丁度良かった。いろいろレナードには聞きたいことがあったからだ。エミリーナ教徒であり、元グランナイツならば解るかも知れない。
何故俺がクレアに求婚したことになっているか? だ。
すぐにレナードはやってきた。部屋に入るなり、目を細めてセイジを見据える。
「どういうことですか? こんな馬鹿高い部屋に泊まって……どこにそんな金あったんですか? ニード村の報酬全て使っても足りないでしょうに」
「ちょっといろいろあってな、それよりお前、何故ここに俺がいると解った?」
「は? 隊長が私を呼んだのでしょう? わざわざニード村まで伝令よこして」
「え?」セイジは目を丸くした。
「もうボケが始まりましたか? メルドムの兵士がニード村までやってきて、隊長が呼んでいるから来てほしいって。だから兵士と交換で私がここに来たんでしょう」
「俺が……」といいながらセイジは少し思い出してきた。確かにメルドムの司教にあったときに、ニード村にいたレナードを呼んできてほしいと頼んだ気がする。
「大体ナロンに戻らず何をしているので?」
「いや、ちょっと事件に巻き込まれたというか、何というか」
「事件ってな……」
レナードが言葉を途中で止めた。視線がセイジとは違う方を見たまま止まっている。
セイジはレナードの視線を追った。すると部屋の隅でどうしていいか解らず、ぽつんと立っていたクレアにぶつかった。
レナードは数歩クレアに歩み寄ると、右膝を折って地面に跪いた。右手を胸に水平にあて、わずかに頭を下げる。
「失礼いたしました。私はレナード=ヘイルマンと申します。こちらにいるセイジ=アルバトロスの同輩です。エルドシスター、よろしければお名前をお教えください」
クレアが驚いた顔になった。が、すぐに微笑み直すと、両手を胸の前で組み、レナードの方に歩み寄った。
「ご丁寧にありがとうございます。私はクレア=ヴィンテージと申します。お顔を上げてください、騎士様」
「ありがとうございます、エルダークレア。しかし、私は騎士ではありません。ただの流れ者です」
「そうなのですか? あまりにも堂に入った挨拶でしたので」
「昔取った杵柄です」レナードは顔を上げてクレアに微笑んだ。そしてセイジの方に向き直った。
「さて、何故、隊長がシスターと一緒の部屋にいるのですか?」
「私が賊に襲われているところを、セイジ様に助けて頂いたのです」
答えたのはクレアだった。
「ほう、成程」
「少しややこしい自体になってしまってな。ここまでクレアを連れてきて、教会から仕事に依頼を受けた。ロウガにも伝令は出してあるはずだ」
「それに……」クレアが顔を赤らめて、俯きながら話す。「私たち婚約しましたので」
セイジが「あ」と思った時には遅かった。レナードの表情が一瞬にして固まった。セイジに向けていた顔を、ゆっくりと数秒をかけ、クレアの方に向け直した。顔には奇妙な微笑みが張り付いていた。
「婚約……ですか?」
「はい」
「隊長と、エルダークレアが」
「はい……」クレアは両手を頬にあて、目をつむって恥ずかしそうにくねっていた。
「もっとも今は喪中ですので、結婚は明けになりますが」
「はあ……まあ、そうですね」レナードが毒気を抜かれた表情で呟いた。
喪中? クレアの家族で誰か死んだのか? と一瞬思ったが、すぐに違うと解った。
クレアが言っているのは、通称『エミリーナの喪』だ。
エミリーナの喪とは、法皇が在任中に死去した場合に発生する。
法皇の死去から1年間、全てのエミリーナ教徒は喪に服す。その後、3ヶ月間に渡り、次期法皇を決める選挙が行われ、新しい法皇を決定する。ここで初めて喪が明けることになる。この1年3ヶ月間を『エミリーナの喪』という。
エミリーナの喪の期間中、教団は殆ど行動を起こさない。
この期間、全ての祭事等は中止になる。その為、各地で祭関係を仕事にする人達……いわゆるテキ屋が悲鳴を上げる。大陸に信徒が多すぎるため、関係ない式典も次々と中止になるからだ。エミリーナ教以外の人間にはいい迷惑とも言えた。
また、結婚も禁止とまではさすがにいかないが、いい顔はされない。この時期に結婚すると、周りの目も冷ややかだったりする。当然、結婚関係を仕事にする人達は仕事がなくなり、危機に追いやられる。
政も同様である。今の教団は最低限の動きしかしない。
かつては山賊退治や、魔物退治等を精力的に行っていたが、今は殆ど行動をおこしてはいない。
ファイナリィの山賊被害、ドラグーンのガガンボ被害等が増えているのも、これが大きな一因となっている。
というか、こんな事考えている場合じゃなかった。
これ以上ここにいて、クレアの暴走に付き合っていたらとんでもないことになる。
セイジはレナードに歩み寄ると、
「レナード! お前、飯まだだろ?」
いきなりレナードの肩を抱いて、話しかけた。
「は? まあ、そうですが」
「そうか、それはいかん。飯食いに行こう。さあ、レナード行くぞ」
「ちょ、たいちょ」
セイジは扉を開け、まだ何か言おうとしているレナードを外に押しやった。
「クレア、俺はレナードと明日からの打ち合わせを兼ねて飯を食いに行ってくる。先に寝てて良いからな。あと、念のため、外には出るんじゃないぞ」
「は、はい……行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
セイジはテーブルの上にあった鍵を手に取ると、いきなりの展開に、戸惑いの表情をしているクレアから逃げる様に部屋から出ていった。




