第12話 衝撃
それから先、部屋で起こった事を、セイジはあまり良く覚えていない。
覚えていない最大の理由は、部屋の落ち着かなさだ。豪華な装飾品で囲まれたこの部屋は、気疲れすることこの上ない。部屋に自分一人なのに、誰かに見られている気分になる。まるで見世物小屋の動物だと思った。
かろうじて覚えているのは、エミリーナ教の司祭が部屋に訪れてきたことだ。クレアが部屋に戻ってきた時に、後ろにいたのを覚えている。やたらがたいが良かったのと、メルドムを預かる司教だと言っていたのだけ覚えている。
クレアを助けた事の礼を言われたのと、クレアのボディーガードとして、十日間ほど契約したいと言ってきたので契約した。書類にサインしたのは覚えているが、まともにサインできたかまでは覚えていない。また幾つか言葉を交わした様な気がする。多分、今回の事件に関することを少し話した気がするのだが、全くと言って良いほど覚えていない。
その後、食事となった。宿の食事と言えば、食堂に行き適当にかっ食らい、その後足りない分を、外で酒と共に補うのがセイジの普通である。
当然、ここではそんなことはない。食事は部屋に運ばれた上、一品ずつ、時間をかけ、シェフ自らが切り分けて提供するスタイルだ。
前菜に始まり、サラダ、スープ、魚料理、肉料理ときてデザートでしめる。上等なパンが目の前のバスケットに盛られていた。いわゆるドラグーン式のフルコースだ。ファイナリィとイーストは米食が基本である。両国の土地が、パンの原料である小麦の栽培に適さない為だ。
最初の一品が出てきてからデザートまで締めて1時間半。食事にこんなに時間をかけたのは生まれて初めてだった。味は確かに美味かったが、量が微妙すぎてちっとも満腹にはなっていない。あの程度なら3人前はいける。
セイジはソファーでぐったりしていた。なんかもう疲れ果てていた。
部屋で何もしないで、飯食って疲れるというのは生まれて初めてだった。正直もう勘弁だった。
貴族達はこのちっとも機能的とは思えない部屋と、時間がかかってしょうがない食事に喜んで大金を払うのだろう。セイジには到底たどり着けない境地だった。
「あー、酒が飲みてえ……」
思わず呟いた。食事の最初に食前酒がグラス一杯出されたが、度数は弱いし、何より量がちっとも足りない。あの程度ならバケツ一杯いける。
「お酒をお召しになりますか?」
テーブルで何か書き物をしていたクレアが顔を上げ、セイジに聞いてきた。独り言が聞こえた様だ。
「何か頼めるのか?」
「いえ、頼まなくともありますよ」
クレアは椅子から立ち上がると、すぐ後ろの戸棚を開いた。
そこには数10種類の酒瓶が所狭しと並んでいた。セイジの顔色が変わった。ソファーから飛び上がる様にして立ち上がり、戸棚の方へと歩み寄る。
「すごいな、これは。どれも超高級酒じゃないか」
セイジは一つを手に取り、驚きの声を上げた。その戸棚にはファイナリィは元より、ドラグーン、イーストと全ての酒がそろっていた。しかもどれも超一級品だ。名前を聞いたことはあるが、当然飲んだことはない。
「お召しになりますか?」
「いや……いくら何でもこれは高すぎる」
セイジは手に取った酒を見ながら言った。どれもこれも一本当たりがとんでもなく高い。ここにある酒、数10本全てを足した額は、ニード村の報酬とほぼ変わらない額だ。
「いえ、これはサービスですよ」
「へ!?」思わずセイジはクレアの方に振り返る。
「この部屋のサービスです。フリードリンク、じゃないですね、フリーアルコールです」
「フリー……」セイジがぼそりと呟いた。
「よろしければ、クーラーボックスとクラッシュアイス等を御用意させますが」
セイジは手に取った酒をじっと見て、ゴクリと唾を飲んだ。クレアはにっこりと微笑むと、扉へと小走りで向かった。もちろん氷等の用意するためだ。
そして1時間が経った。セイジは窓から見えるメルドムの夜景を見ながら、酒を飲んでいた。
「いやー、幸せだなあー」
セイジはすっかりできあがっていた。さっきまでの気疲れでへばっていたのはどこへやら、上機嫌で酒を煽っている。
混じりものの一切無い高級酒だ。すっきりとした酔いと味が楽しめた。
テーブルの上には、既に空になった酒瓶が3本転がっている。銀色のクーラーボックスには、細かく砕いた氷がいっぱいに入っている。その中に酒瓶が首だけ出して埋まっていた。当然、次に飲む分を冷やしているのだ。
つまみとして置かれているチーズをかじりつつ、グラスを空にする。肴にチーズなんて言う飲み方はしたことがなかったが、これが結構いける。癖になるかもと思えてきた。
「よかったです」
クレアはセイジの隣に座り、にこにこしながらお酌をしていた。クレアは果汁100%のフルーツジュースを飲んでいた。このフルーツジュースですら、普段セイジが飲んでいる酒より高い。
「お疲れのご様子でしたので。当然ですよね、私をおぶってここまでいらしたのですから」
「ああ、いや」
セイジは言葉を濁した。まさか部屋酔い、雰囲気酔いしましたとはいえない。なんとなく気まずくなって視線を外すと時計が見えた。午後10時、もういい時間になろうとしている。この街的にはまだまだの時間だろうが、普通ならばもう寝る時間だ。
「クレア、そろそろ寝なくて良いのか?」
セイジが時計を見たまま問いかけると、クレアはジュースを飲んでいた手をぴたりと止めた。
「そ、そうですね……もうお休みの時間ですね」
クレアはグラスをテーブルに戻した。その手がかすかに震えている。ソファーから立ち上がると、セイジの方を向いた。
「あの……ええと……私、湯浴みして参ります。セイジ様は……どう、いたしますか?」
「湯浴み? ああ、風呂か。俺は後でい……」
いいかけて、ふと思った。
あれ? 風呂入る? 俺の部屋で? 自分の部屋じゃなくて?
というか、さっきまでテンパっていて気付かなかったが、クレアは何故ずっとここにいるんだ? という今更過ぎる疑問がセイジの脳裏に浮かんだ。
セイジはぐるりと視線を回す。ベッドが見えた。天蓋付きの、一人で寝るには大きすぎるベッドが並んで2つ。そう2つ。
え、クレアはここに泊まるのか? 俺と一緒に?
それとも俺の部屋が別に用意されている? だが、そんなことは一言も言っていない。クレアの性格から言って……といっても昨日合ったばかりだが……部屋に入った時に言うだろう。
一緒の部屋に泊まる? それはまずいだろう。でもボディガードを頼まれた以上、離れない方が良いのか? いや、でも仮に男と女が一つの部屋とかまずいだろう、あ、クレアは男だから問題ないのか? いや、でもクレアは完全に男の娘だし……男の娘って何だ?
セイジの頭が急速回転しだした。もっとも、酒をしこたま飲んだ頭は、錆び付いたゼンマイの様に回らない。そして無理に考えれば考えるほど視界がぐらぐらし出した。酔いが急速に回ってきている。
しかし、次のクレアの一言で酔いは完全にぶっ飛ぶこととなる。
「あ、あの私はかまいませんよ。そ、その婚約したんですから」
セイジの手からグラスが滑り落ちて、絨毯の上を転がった。
セイジは固まっていた。落としたグラスを拾い上げることもなく、クレアの一言でメデューサに睨まれた旅人が如く石化していた。○の針もスト○も効果がなさそうだ。
しかし、そんな様子に一切気が付く様子はなく、クレアは高揚した表情で話し続けた。
「セイジ様がよろしければ、ですが。その……結婚して夫婦になった時の予行演習として……そんな夫婦だなんて、まだ結納も済ませてないのに」
クレアは自分で言った言葉に照れていた。頬に手を当て、どこかうっとりとした表情で頭を左右に振っている。対してセイジは未だ固まったままだった。固まったまま頭だけ必死に動かした
い、一緒に風呂? 婚約? 夫婦? 結納? 俺とクレアが?
頭の中にいろんな事がぐるぐると回っている。それに合わせるかの様に、視界もぐるぐると回り始めた。
こ、これは夢なのか? そうだ、これはあの超高級酒が見せている夢に違いない。
セイジは右手に力を込め、握りしめた。そのまま自らの顎へと思いっきり打ち抜いた。
ゴンッと鈍い音が部屋中に響き渡り、セイジの目の前で火花が散った。脳天に突き抜ける様な痛みが走る。そのままソファーの裏にひっくり返った。
「って、ええ!? セイジ様!? セイジ様!?」
自分の世界に浸っていたクレアが、あわててセイジの方に駆け寄ってくる。
ゆ、夢じゃなかった……。
酒か痛みか、ゆがんで回る世界を見ながら、頬をつねるぐらいにしときゃよかった、とセイジは思った。




