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第9話 運命

(まぶた)に光を感じる。

 クレアは目を開こうとした。

 だが、瞼は上下が張り付いてしまったかの様に開かない。

 数秒経った後、なんとか片目だけを少し開けることができた。


 そこは暗闇ではなかった。外でも無く、どこかの室内だった。


 もしかして……自分は生きているの?


 見えている景色はゆがんでいてよくわからない。どこかで見た様な部屋に見える。しばらくして、それが自分が乗っていた馬車であると気がついた。

 意識が混濁(こんだく)している。鉛を飲んだ様な感じ、とはこういうことを言うのだろう。頭が激しく痛み、体が言うことを聞かない。

 回復魔法(ヒール)を口ずさむと、光のオーラがクレアを包み込んだ。オーラが霧状になり体に降りかかる。


「うう……」


 呻きながら上体を起こし、軽く頭を横に振る。ようやく両目を開けることもできた。自分が毛布にくるまっていることが解った。暖かさと体の痛みをはっきりと感じ、自分が生きていると実感する。

 体はまだ重く、頭の根っこに痛みが残っている。回復魔法は傷は治せても、体力までは全快にできない。とはいえ動けるくらいには回復した。


 起き上がろうとして、自分の衣服の違和感に気がついた。修道衣ではなく、臙脂(えんじ)色の上着を着ていた。上着とは言え、クレアが小柄な為、膝辺りまで届いている。袖はクレアの腕より遙かに長い。指先すら出なかった。

 服は厚手の服で、びっくりするほど硬く重い生地だった。立ち上がり、外に出ようと扉を開けるだけでクレアには一苦労だった。


 扉を開けると、肌寒い空気が吹き付けてきた。

 冷たい風に乗って、不思議なニオイがする。生臭いというか、嗅ぎ慣れない不快なニオイ。その正体はすぐにわかった。

 平原いっぱいに散らばる一面の死体。魔物がほとんどだが、ぽつりぽつりと銀色の鎧を纏った死体が見える。


 クレアは呆然とその光景を見ていた。やはり昨日の出来事は夢ではない。やがて、はっと気がついた様に身を(こわ)ばらせる。


 そうだ……司祭様は!? 


 クレアはもう一度目をこらして平原を見渡した。しかし、特徴ある法衣は見当たらない。

馬車の反対側に回ろうと、クレアは小走りで反対側に向かった。


 そこには一人の男がいた。

 何気のない衣服を来た背が高い男。一見すればがたいの良い町人に見える。ただ、両腰にはそれぞれ武器を携えていた。

 鉄の棒を組み合わせた台の上には鉄鍋が置かれ、下から火であぶられている。何か料理を作っていた。右手にお玉を握ったまま驚いた様にクレアを見ている。


「お、お前! 動いて大丈夫なのか?」


 見た覚えのない顔だった。だけど声に聞き覚えがあった。

 誰だろう? 格好からして帯同してきた兵士ではない。でも敵意は一切感じない。クレアは男の顔を見つめたまま考える。


 ……俺はセイジっていう者だ。お前さんは泉に落ちて体温を失っている。このまま大人しくしているんだ。


 頭の中で優しい声が響く。さっきの声と同じ声だった。

 とたんにクレアに記憶がよみがえる。水から救い上げてくれ、馬車の中で凍えきった体を温めてくれた男性の姿を。


 ああ……ああ……! 



 息を吹き込まれた記憶がよみがえる。息が止まりかけていたとは言え、それは接吻(キス)に他ならない。

 服を脱がされ、生まれたままの姿になった。緊急事態とは言え、男性に裸を見られたことに他ならない。

 男性に裸同士で抱きしめられ、朝を迎えた。救命措置とは言え、互いに抱きしめ合い、一夜を明かした事に違いない。



 ぼっと顔が真っ赤になるのが自分でも解った。頭が沸騰したかの様に熱い。火照(ほて)った頬に手を当て、クレアは膝を折ってその場にへたり込む。

 そんなことしている場合じゃないでしょ! 頭の中で自分を戒める声が聞こえる。しかし、クレアは赤くした顔を上げることができない。

 男はどこかおたおたした様子でクレアを見つめていた。鍋をかき回しているつもりなのだろうが、お玉が完全に見当違いの所で回っていた。


 数秒後、クレアは我に返った。すっくと立ち上がり、深々とセイジに頭を下げた。


「取り乱し、申し訳ありませんでした。私はクレア=ヴィンテージと申します。お救い頂き感謝の念にたえません」


「あ、ああ、気にするな。俺はセイジ=アルバトロス。ロウガ傭兵団っていうところの傭兵だ」


「はい、セイジ様ですね……あの……その、覚えていますので……」


 言いながらクレアの顔が真っ赤に染まった。へたり込みそうになるのを必死に堪えた。


「と、ところでもう立って歩いても大丈夫なのか? 無理しない方が良いぞ」


「はい回復魔法(ヒール)でほとんど回復しました。歩くくらいなら問題ありません。あの……この服は」


「ああ、俺の着替えだ。まあ、ちょっと臭うかもしれんが、裸よりはましだろう」


「いえ……あの……」


「なんだ」


「その……その……私の裸を……」


「ああ」セイジはこめかみをポリポリ掻きながらクレアから視線を外した。「まあ……うん、見た。すまん」


「いいえ! 違います、その、責めてるんじゃなくて」


 続く言葉が出てこず、クレアは再び黙ってしまった。セイジもクレアとは逆の方向を向いたまま鍋をかき回し続けている。


 そうだ、照れている場合じゃなかった。

 クレアはようやく我に返り、辺りをくまなく見渡し始めた。


「セイジ様、お聞きしたことがあるのですが」


「ん?」セイジが視線をクレアに戻した。


「司祭様……法衣を来た初老の男性なんですが……その、いらっしゃいませんでしたか?」


 遺体を見ませんでしたか? とはどうしても聞けず、酷く濁した聞き方になってしまった。

 セイジはお玉を鍋に放ると、無言で馬車の裏側に回った。すぐに戻ってくると、


「これか?」片手に持っていた焼け(ただ)れた法衣をクレアに渡す。


「ああ……」クレアは絶望的な声を上げた。「そうです……」


「だが、あったのはこの焼けた法衣だけだ。お前さんの言う初老の男性というのは見なかった」


「え?」俯かせていた顔をクレアは上げた。目にはうっすらと涙が滲んでいる。


「俺は朝起きてここらの周りを全部見回った。だが初老の男性の死体なんてモノはなかったな」


「そうなのですか?」


「ああ、もっともその場合は……」


 セイジは言い淀んだ。クレアの方をちらちら見ながら頭をボリボリと掻く。


(さら)われた……ですか?」答えたのはクレアだった。


「そうだ、昨夜俺がここに付いた時、賊らしき奴らがいた。おそらくはそいつらが攫ったと思われる」


 クレアは悲しげな表情を浮かべ、少し微笑んだ。


「でも……生きているなら希望は持てます」


「……そうだな」


 セイジは答えた。もっとも司祭が生きて捕らわれたとは限らない。死体を処分した可能性もあったが、その点についてはあえて触れなかった。


「クレアだったな」


「はい、セイジ様」


 セイジは木の器にスープを注ぐと、クレアに差し出した。


「きついだろうが、飯、食っとけ。胃に入れとかないと回復せんぞ」


 差し出された器をクレアは驚いた表情で見つめていた。


 どくん。


 心臓が高鳴った。鼓動はどんどん早くなる。

 クレアは右手を軽く握りしめ、己の心臓にそっとあてた。昨日止まりかけたとは思えないほど心臓がどくんどくんと暴れている。


 ど、どうしよう。まだ、出会ったばっかりなのに。


 再びクレアの顔が赤くなる。頭が高速回転し、オーバーヒートを起こしかけている。もっとも考えているのではなく、どうしようでいっぱいになっているだけだが。

 そんな様子をセイジは不思議そうに見ていた。何故この子はスープをもらうのに、こんなに照れているのだろうと。


「遠慮はいらんぞ。馬車に入っていた食材をもらっただけだ。元はそっちのモノだからな」


 セイジは受け取ろうとしないクレアに優しく話しかけた。

 鉄鍋も、鉄の台枠も、食材も、すべて馬車に積まれていた非常食、元はクレア達のモノだ。


「………………はい」


 しばらくの逡巡しゅんじゅんの後、クレアは両手を震わせながら差し出し、器を受け取った。


「承ります、セイジ様」


 承ります? セイジは不思議に思ったが、特には突っ込まなかった。

 クレアは先ほど以上に真っ赤な顔になりながら、無言でスープを飲みはじめた。


 ……味付け辛かったかな?


 スープを一口飲みながら、セイジはそう思った。




「これからどうするんだ?」


 互いに無言でスープを食べた後、焚き火を消しながらセイジが聞いた。既に日は昇っている。空気は冷たいが、日差しは強く暖かい。


「司祭様からはメルドムに向かえと言われて……あ」


 クレアは急にあたりをきょろきょろと見回した。


「あの、修道衣はご存じですか」


「そこの木に干してある。その……下も一緒だ」


 セイジが指さした方に、背の低い木があった。クレアの藍色の修道衣は枝に引っかける様に干してあった。隣には可愛らしいフリルつきパンティーも干してある。

 クレアは小走りで向かうと、修道衣の内ポケットを漁る。まだ、修道衣は半乾きだった。


「あった……けど」


 中から取り出した封筒を見て、顔を曇らせる。


 それはライトンから託された手紙だった。湖に落ちていなかったのは幸いだが、ぐっしょりと濡れ、端から水がしたたっている。糊付けされた口は開き、中の紙が水を吸い込みよれよれになっている。

 これでは文字は(にじ)んでしまってだめだろう。中を確認しようとしたが、つまんだだけで破れそうになったので諦めた。


「それは?」


 いつの間にか後ろにセイジが立っていた。


「司祭様から託された手紙です。これをメルドムの司祭様に渡すようにと……でもこれでは」


「ふーん、まあ、とりあえずメルドムに向かうしかないな」


「はい……あの、それで厚かましいとは存じますがお願いが……」


「いいよ、メルドムまで送ってやるよ」


 ぱっとクレアの顔が上がった。


「よろしいのですか?」


「流石にこんなところに女の子……一人で置いていく訳にいかんだろう。急ぐ仕事もない」


 言いながら、あ、男の子か、とは思ったが訂正はしなかった。


「ええと……できれば、その後もしばらくご一緒して頂きたいのですが。もちろん教団の依頼として御代は払いますので」


「……考えとく。じゃあ行くぞ」


「え、すぐにですか?」


「ああ、他に何かあるのか?」


「仲間の兵士を(とむら)いたいのですが……これではあまりにも彼らが無残で」


 クレアは振り返り、悲しげな目を兵士の死体が転がる草原に向ける。


「気持ちはわかるが、時間がないな。今は一刻も早くメルドムに付くのが先だ。兵の方は教会に任せればいい」


「……そうですね。ごめんなさい」


 クレアはそう言って平原に向かって一礼した。このままで置いていく兵達に謝っていた。


「じゃあ、いくぞ」


「あ、あ、ちょっと待ってください」


「……今度は何だ」


 セイジが少し苛ついた口調でクレアを見る。クレアは顔を真っ赤にして、


「その……下着を履かせてください」


 語尾はほとんど聞こえなかった。セイジは頭を掻きながら無言で背を向けたのだった。

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