プロローグ
そろそろ日が沈もうとしている。
ぼんやりとセイジ=アルバトロスは、椅子に座って窓から見える沈む夕日を眺めていた。
彼の目の前には、この近辺に生息している色とりどりの花が、ガラスの花瓶に入って置かれている。
以前の彼の家にはない、こじゃれた風景だった。
奥の台所では藍色の修道服を着た小柄な女性が、ゆっくりと鍋をかき回していた。
機嫌が良いのだろう、鼻歌が聞こえ、歌に合わせて体が左右に動いていた。腰まである長い金髪の髪が、細かな動きに合わせゆらゆらと揺れている。
クレア=ヴィンテージ、セイジの……婚約者である。一応。
「旦那様、お待たせいたしました」
満面の笑みをうかべながらクレアが振り返る。
おそらくこの笑顔で100人、いや1000人の独身男がいれば999人は落ちるだろう。
すっぽりと腕に収まる小柄な体、透き通るように美しい白い肌、すっと通った眼鼻に優しげな微笑みを浮かべた口元。
彼女を美女と呼ばないのであれば、この世界の女は皆、醜女と呼ばれる。
それほどに美しく、可愛らしく、可憐な女性であった。
クレアは鍋を食卓中央に置かれた鍋敷きに下ろした。今日の夕飯はマスラー肉のシチューとパンにサラダの様だ。
自らの器になみなみと注がれたシチューをセイジは一口食べる。
「……うまいな」
「本当ですか? 嬉しいです!」
クレアは満面の笑みを浮かべ、手を合わせる。天使の微笑みとはまさにこのことだろう。
そのシチューは本当にうまかった。
材料、クレアの味付け、煮込み時間、すべては完璧で王宮料理でもこうはいかないだろう。
セイジはシチューをむさぼるように食った。鍋にあった4、5人分のシチューは、瞬く間に消えていった。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。ふふ」
クレアは微笑むと、セイジの食器を持って奥に消えていった。
洗い物を始めたのだろう。水の音と共に楽しそうな鼻歌が再び聞こえてきた。
食事は一人でいたときに比べて格段によくなった。味はもちろん、栄養バランスに至るまで一人の時とは比べものにならない。
掃除洗濯も一人で完璧にこなす。手伝おうとすれば
「これは私の仕事です。旦那様はどうぞお休みください」
とやんわりと制される。
実際セイジが洗ったときよりも綺麗だった。力はセイジの方が圧倒的にあるにもかかわらずだ。洗濯というものは力ではないのだなと思い知らされた。
そして、なによりその美貌だ。
共に歩けばほとんどの男はクレアに目を奪われる。
振り向かない奴は男色か、よほどの年上好きの男だけだろう。
対してセイジは普通の男であった。
いや、普通と言うのは少々異なるかもしれない。
彼、セイジ=アルバトロスは傭兵だ。
身長は180cm近くある。ただ、傭兵としては飛び抜けて背が高い訳ではない。
筋肉もマッチョタイプではない。もちろんなよなよしている訳ではなく、細くしなるような筋肉が全身に付いていた。
この世界には珍しい黒髪であり、顔は不細工ではないが、眉目秀麗というにはほど遠い。
年齢は30にそろそろ届こうとしている。
そんな彼が突然女神のような女性を連れてきたのだ。
仲間達はセイジに憎悪や羨望、あるいは疑いの眼差しを向ける。
「どこで拐かしてきたんだ」と本気で問い詰められた事もあった。
それほどクレアはセイジにとってよくできた女性であり、不釣り合いだった。
なのに、それなのに、
セイジの表情は暗い、鼻歌を歌いながら洗い物をしている妻を尻目に、テーブルで祈るように両手を組み、その上に額を押しつけ俯いている。
はあ、と大きなため息をついた。
クレアは美しい。その点に何の不満もない。
クレアは性格もすばらしい。もちろん何の不満も無い。
料理は美味い、掃除洗濯もばっちり、どこにも不満などあるはずもなかった。
それなのに、それなのに……
セイジは顔を上げ、天を仰いだ。
何故だどうしてだと問いたかった。もっとも誰も答えてくれないのだが。
何故……
何故クレアにはあれが付いているんだぁ!
セイジは心の中で絶叫した。
奥様の名前はクレア。
旦那様の名前はセイジ。
彼らは数奇な出会いの元、大きな運命の荒波に揉まれ、つい先日幸せな婚約・・・をしたはずでした。
ただ一つ違っていたことがあったのです。
それは奥様……クレアは男の娘だったのです。