四章「いそべんはいかにしてイソゲッペルスに進化するか」5
フラッシュもたいたりしてみて、それから何枚か撮った後、新聞部が撤退していった。じゃあ、半田君がコピーしてきてくれた過去の所信表明にちょっと目を通そうかということになったけれど
「いそべんに会ったかー」
その前に一服することになり、半田君とゆうちゃんが入れてくれたティーパックの紅茶をすすりながら、茶菓子代わりにいそべん先輩の話題になった。
「どんな人だったの?」
「う……ん。なんて言うか、変わった人というか、迫力あるというか。見た目がともかくインパクトあるから、一度見たら絶対覚えるよ。正直、最初、高校生に見えなかった」
「あれで磯部先輩、髭そって髪あげたら男前なんですよ」
なんだって?
「弁論大会ではパリッとしてるんです。じゃないとどれだけいいこと言っても印象が悪いって。服装も、もともと上背がある人ですしね、決めてきますよ。あの変身にはびっくりしますよ」
「うわー……想像つかないけど、見てみてえ」
「同感だ。半田から聞いてはいるけど、見ないと信じられないよな」
「半田君、仲が良いんだっけ?」
「仲が良いというか。僕が磯部先輩を個人的に好きなんで、一方的に話しかけにいってるんです」
「え…と、好きなの?」
「はい。先輩、面白いんで。見てて飽きないし」
「イソゲッペルスー!」
「ですよね、隊長。磯部先輩入ってくれたらいいですよね」
突然叫ぶ佐倉さんに、食いつく半田君。知らないとほんと意味不明なやり取りだろう。だからお前らはよくてもな、とため息の時任を横に、磯部先輩引き抜き案にこんなのどうですか、と半田君が熱心に続けている。
みんなで三味線を調達して先輩のもとに奇襲してかき鳴らし、べんべんべんべん――「いそべん!」とタイミング合わせて叫ぶとか、先輩が廊下を歩いているところへ、みんなで手を繋いで道を塞ぎつつ「たーんす長持ちどの子が欲しい」「いそべんが欲しい♪」で満面の笑みでじりじり近づいていくとか――ほんっっとくだらない。いやほめ言葉だけど。
不覚にもツボに入りそうで笑いをこらえつつ、ひとりいそべんを知らないゆうちゃんは置いてけぼりだろうな、と思って目をやると、不思議と身を乗り出して耳を傾けていた。 そして半田君の馬鹿案の数々が途切れたところでふと
「佐倉さんも、磯部先輩を気に入っているんですか」
ゆうちゃんの質問に、佐倉さんは実に勢いのよい首肯をした。ぶんっと目の前に物を置いたら、それが地面にめり込みそうな。
顔をあげた佐倉さんと、俺はふと目が合った。俺を見た佐倉さんは、にぱっとした。控えめさがどうしてもにじみでる、ゆうちゃんのとはまた違う。邪気がなくてそれでいて人の意思も気持ちも問答無用で引きこむような吸引力を持つ笑み。それに引きこまれるかどうかは別として。この人には確かに魅力がある。
「いそべんは、楽しそう」
そんな感じで横道にそれまくって所信表明の検討はあまりはかどらなかった。各自で家に帰って検討、という宿題つきで俺たちは解散することにした。
宿題かあ、というところで、俺は数Ⅱの宿題を思い出した。いつもは置き勉をしているその教科書が、教室の机の中にあることも。
どうせついでだからと旧校舎の部室の鍵を預かり、職員室に返すついでに自分のクラスの鍵をとる。
「ごめんね」
「ううん」
廊下で待っててくれたゆうちゃんと一緒に、新校舎の三階に向かうがてら。ふとさっきの身を乗り出していたことを思い出して
「ゆうちゃん、磯部先輩に会ったことはないんだよね」
「うん」
ゆうちゃんは何か言いかけた。でもその言葉が出る前に、俺は階段からぶらっと出てきた相手に気づいてそっちを見た。うわあ、と思わず声が出かけた。何故か新校舎から出てきた相手は、本日の話と噂の種であったいそべん先輩だったからだ。
昨日と同じで前髪後ろ髪もしゃもしゃの無精ひげ。本来ならスマートな制服が競馬場にいるおっさんのそれにしか見えない。今日で二回目だけれど、一回目のインパクトがぜんぜん薄れない、まごうことなきいそべん。まぶしいほどにいそべん先輩だ。
セカンドインパクトに面食らったけれど、ゆうちゃんには一度見せたかったので、都合が良いと言えば都合がいい。ただ、あれが磯部先輩だよ、とゆうちゃんに耳打ちするには距離が近すぎる。
「国枝」
いそべん先輩は当然俺に気づいていた。どうも、と口の中でごもごも言ってから、そうだ。磯部先輩、と俺が挨拶がてら呼びかければ自然にゆうちゃんに知らせられるじゃん、とひらめいて口を開きかけたとき
「ちょうどよかった。始末しとけ」
「へ?」
まるで何気ない仕草で、俺の腕に大量のザラ半紙が載せられた。軽く見積もって千枚近くはあるだろうか。A4くらいの大きさなので、それほど重っ! というわけではないけれど。
「ちょっ、ちょっと、先輩?」
「じゃあな」
ひらひらと手を振っていそべんは、くるっときびすを返して階段に消えてしまった。引き止める暇もない。残されたのは腕に大量の紙束を載せられ唖然とする俺と、びっくりした目をしたゆうちゃん。
「あの、あれが磯部先輩」
「うん……」
予想がついたのか、それともそれ以上に突拍子もない行動に気をとられていたのか、ゆうちゃんは軽くうなずいただけに留め、俺の腕の中の大量の紙に目を落とした。
「なんだろう」
ゆうちゃんがじっと見ているので、俺も見てみた。綺麗に枠組がされた二段組の情報誌のようだ。小さな文字がびっしり詰まっている。見出しは上段にひとつ、下段に二つあって、エジプト情勢、TPP交渉会合、大学定数制とかともかくお堅そうな文字が見える。ぱっと見た印象は、経済新聞の一面を縮小したようなもの、だろうか。白黒でぼやけてはいるが写真もついているし、円グラフもしっかり収まっている。
新聞としては綺麗に整頓されているんだろうけれど、内容の濃密さに普段活字に親しんでいるとはとても言えない俺はちょっとくらくらした。けど逆にゆうちゃんはますます熱心に目を走らせている。そうしてそっと俺の手から一枚とった。
「そうちゃん、ここ見て」
「え?」
ゆうちゃんの指先が示したそこは、記事の一番後ろだった。もともと小さな縦書きの文章の後ろ。さらに小さなフォントで
【文責・磯部善二郎】
俺は二度見返したけれど、そうとしか見えない。
「先輩が書いたもの?」
所詮は紙なのでそこまで重くはなかったが、俺はこの姿勢がいい加減ちょっとしんどくなってきたので、床に紙束を下ろそうとした。するとゆうちゃんが慌てたようにちょっと待ってとポケットを探って、ハンカチを取り出し広げた。え? と思ったが、ゆうちゃんの顔を見てその上に下ろす。
ハンカチの上に置かれた紙の束を改めて見下ろす。タイトル欄にあたるところに「時事月報」という硬い文字。そして確かに三つの記事のどの後ろにも、【文責・磯部善二郎】の控えめなフォント。
置いて少し離した状態で改めて見ると、新聞としての体裁が見事なのがよくわかる。内容は俺には硬すぎるけれど、見た目や言動があんな人が、ここまできっちりしたものを仕上げられるなんて、と唸らされる。市販の×○新聞を縮小コピーしたんだよ、と言われて差し出されたら俺は多分なんの疑問も持たずに信じたと思う。
「先輩、ほんとにすげえんだ……」
呟く俺の横で、ゆうちゃんはじっと視線を落としている。それがあんまり熱心なのでどうしたの?と聞く。
「ここに、日付があるの」
「?」
「明日の日付」
言われてみると確かに。これから先輩はこれを配るつもりだったのか、と思ってふと初めて会った印刷室を思い出した。そう言えばあの時、いそべん先輩は直したばかりの印刷機を使ってかなりたくさんの枚数の何かを刷っていた。
「始末しろって言ってたから。刷り直しとか、何か失敗したのかな」
「それなら、印刷室に再生利用紙の箱があるから……」
そうだ。そこにどんっと置いておけばいい。何も抱えてわざわざゴミ倉庫に向かう必要はないだろうし。あの時刷っていたものならばタイムラグがあるから、一度印刷室から持って出てどこかに置いといて、いまミスに気づいたとか。そういうことかな。
どっちにしろ相変わらず横暴だなあ、と息をついたとき。三度俺はゆうちゃんの様子に気づいた。ゆうちゃんは俺と同じ考えではない。どころか、ぜんぜん違う点を見ている。
「どうしたの?」
「そうじゃない気がするの。ミスじゃない」
「どうして?」
疑ったんじゃなくて、うながすように言ったけれど、ゆうちゃんはちょっと言いよどんでいた。
「先輩に、見覚えがあったの」
「見たことあるの?」
「ううん。先輩本人は初めてお会いした人だけれど、さっき先輩が持ってた気持ちに」
気持ち?
「どんな気持ちだったの?」
ふっとゆうちゃんが遠い目をした。
「……一生懸命作ったものが、何の意味もなくなっちゃった」
何の前触れもなく、爆弾は二日後に来た。思った以上に難航する所信表明に取り組んでいた俺たちのもとに、新聞部の二年生三人がおずおずと一枚の紙を届けに来た。
時任がそれを受け取って、あれ、前のから改稿したのか? と問いかけたが、その二年生は口の中でもごもご言っただけだった。カラープリンターで印刷されたのだろう、ほぼ完全版みたいな綺麗な上質紙。時任は何気なく目を落として、顔の前から跳ね除けた。
「――なんだ、これは」
初めて聞いたような時任の低い声だ。もともと低いので迫力がある。新聞部の三人もモロにそれを感じたようだ。
「どうした、時任」
つかんだ端がぐしゃりとつぶされたそれを、時任に見せられた。俺は文字を追った。そして気がついたらそれをぐしゃぐしゃに丸めていた。そうちゃん? と戸惑ったように呟くゆうちゃんを見て、俺はさらにぐしゃと小さくした。これを見せないために。それからこの世から消す方法を考えた。捨てても残る。紙だから――そうだ。食器棚の引き出しに百円ライターがあったのを思い出して、俺はおぼつかない手つきで食器棚を引き出した。中に無節操に入り込まれたものが、引き出した勢いでざらっと流れてきた。
「そうちゃん」
「大丈夫だよ。篠原さん」後ろから時任の声。フォローされていることも、自分が奇妙に見えるのもわかっているけれど、棚から眼を離せない。ライター、ライター、ライターだ。
「ちょっと新聞部に行ってくる」
あった、とライターを握り締めるのと時任がそう言ったのは同時だった。新聞部の三人を囲い込むように戸口に向かって押している。ライターとそちらを交互に見て、俺も向かった。時任は拒まずうなずいて
「佐倉、頼む」
あいさ、と短い返事と共に佐倉さんがゆうちゃんの腕をつかんでいる姿を、最後に戸を止めて。脇から見せてください、と小さな声がした。いつの間にか一緒に出ていた半田君だ。手の中のぐしゃぐしゃの紙くずを俺はすぐさま燃やしてしまうつもりだったけれど、彼の必死な顔にひとまずライターを尻ポケットに入れて、渡した。
時任と並んで、びくつく三人を追い立てるように前を歩く。半田君はついてきながら俺がぐしゃぐしゃにした新聞をがんばって広げたみたいだ。そして息を呑んだ。必死に目を走らせそして最後に小さな高音を喉ではじけさせた。
顔をあげ小走りになって並んだ半田君は、時任に懸命に視線を送る。
「わかってる」
時任はそちらも見ずに言った。彼が指摘しているのが何か、俺にもわかった。文章の最後に刻まれた【文責】の小さなフォント。
新聞部の部室はいぜん行った時とは、まるで違う空気が漂っている。部員の姿は変わらない。おろおろしている数人の生徒に、俺たちが囚人のように前を歩かせた三人が合流する。部屋の様子だってほとんど変わらないのに、そこには圧倒的に前来た時とは違う。落ち着かないその真ん中に、ひとつだけパイプ椅子が置かれている。そこにふんぞり返るいそべん――いや。磯部善二郎がいるだけで。
「よお」
もじゃもじゃ髪の向こうから、磯部はまるで普通に挨拶をした。向こうは普通でこられても、こっちはそうはいかない。
部員の一人におずおずと持ってこられたパイプ椅子をけんもほろろに断って向き直る時任の声は険悪だ。
「単刀直入に聞きます、磯部先輩。あの新聞、どういうことですか?」
「よくできてると思わねえか?」
肩をすくめて笑う磯部に時任の顔が引きつった。
「プロバガンダとしては実によくできています」
「大仰だな。たかだか学校新聞に」
「先輩!」
こらえきれないように半田君。
「この新聞、本当に先輩が書いたんですか?」
「文責の意味を知らねえのか?」
「先輩、こういうのが一番嫌いだったじゃないですか! 底が薄いし、悪意が見え透いてる。それにこれ純粋にすっごくつまらないです。煽るだけ煽って中身はすかすかで」
磯部はぴたりととまった。そして片頬を歪ませる器用な表情をしてみせた。
「言うなぁ、半田」
「だって先輩――」
「そうだよ。それは、お前が言ったとおりのもんだよ」
「先輩……?」
半田君が顔をしかめる。
「だけど、それを見抜ける奴がいくらいると思う?」
「……」
「俺はそこに気づかせないようにそれなりに手を入れたぜ。顧問だってOK出すだろうな。そんでウケる」
「……」
「磯部……先輩。なんで、そんなことをするんですか」
パイプ椅子をぎし、と鳴らして磯部は座りなおした。
「なあ。半田に時任。お前らに言ったことがあったよな。今の報道の世界は屑で下種だって」
唐突な切り口に、戸惑い顔だが半田君はうなずいて、時任は相手の真意が読めないためか厳しい顔で黙ったままだ。
「現状はそれから一歩も改善されていない。その通りだ。でも、なんでそうなっちまったのかわかるか?」
「……」
「受け取り手だよ」
磯部が長い足を組みかえる。
「報道ってのは、それだけじゃなりたたねえ世界だ。耳を貸す奴らがいなけりゃな。下種な記事を追放するなんて簡単だよ。耳を貸す奴さえいなけりゃいとも簡単に。でもなくならないのは、流れ続けてんのは、それに耳を貸す奴――いや、それを積極的に見たがって聞きたがっている奴らがいるからだ。マスコミは糞だ。それを成り立たせている奴も糞だ。レベルが落ちたのはどちらが先だ。堕ちたのは卵かニワトリか? どっちでも一緒だ。報道と聞き手は、べっとり絡んでもつれあって、堕ちつづけてんだよ。仲良くな」
「……」
「そういうのが報道の現実なら、染まってみんのも一興かとね」
時任は言った。この人は、報道に関しては誰よりも真剣だと。それは本当だと思った。この人は真剣だ。そしてその真剣さが、暴走してる。それがわかったのか、半田君が鼻白む。それでも時任は他の新聞部員をにらみつけた。
「新聞部でこれを出す気か? 約束はどうした? 中立は? 報道の精神は?」
磯部がバカにしきった笑い声をあげた。時任に睨まれた新聞部員は気おされたようだが、こちらに歩み寄る気はない。やがて二年が、
「時任、その……記事自体に問題があるわけじゃないだろ」
「問題がない? 表面はな!」
「じゃあ、ないってことだろ、それ……。磯部先輩は継続して書いてくれるって言うしそれに……その記事なら。絶対にうける」
俺は彼らを見た。磯部を見た。こいつらはあの新聞を出すという。悪意が見え隠れしたあの下種な刃物。その切っ先は明らかにゆうちゃんに向いたものを。承知して。傷つけることを承知の上で。パチンと部屋のスイッチを何気なく押すように、自分の中で何かが切り替わったのがわかった。
「その新聞は出させない」
自分の声は他人ごとのように遠くから聞こえる。俺はさっき確認した部室の机にある閉じられたノートパソコンを見た。そしてつかんだ。
「国枝!?」
パソコンが床で跳ねる。誰かが小さな悲鳴をあげる。
「他にデーターは?」
俺が見回す。誰も答えない。不意に笑い声が聞こえたので、そちらを見た。磯部が笑ってる。
「パソコン壊しても、USBへし折っても一緒だ。俺の頭の中には詰まってる。何度でも記事におこせる」
俺は尻ポケットに手をつっこんだ。硬い感触を引き出して、顔の横にあげ百円ライターのスイッチを押す。あがる小さな炎を掌に、腕を横に伸ばした。
「ならこの部室ごと燃やしてやる」
沈黙が満たす部屋の中。俺が睨む磯部が目を見開いた後、
「赤軍かよてめえは。――面白え。報道の自由のために戦ってやらあっ!」
「国枝!」
「先輩!」
報道の自由? 自由ってなんだ? 人を傷つける自由か? バカを抜かすな。そんなもののために、ゆうちゃんは傷つけさせない。あれはゆうちゃんを傷つけるものだ。だから消す。こいつも消す。もう二度と。誰にも。ゆうちゃんを。
――あんな目には遭わせない。
「そうちゃん!」
突然響いた声に、びくっと俺の身体が跳ねた。耳をついた響きが信じられずに横を向く。ゆうちゃんがいる。そのことに俺は心底おびえた。
ゆうちゃんの横に険しい顔をした佐倉さんが見えた。だめ、ゆうちゃん。来ちゃだめだ。ここには君を傷つける物がある。傷つけようとする者がいる。来ちゃだめだ。せめて俺が排除するまで。
「そうちゃん!」
ゆうちゃんが俺に寄ってきて、俺の右手を両手でつかんだ。ぐっと力を込める。その強さに俺の中からしおしお力が抜けていく。最後の抵抗にゆうちゃんを見たけれど、ゆうちゃんは上目遣いに必死に俺を見上げている。わずかに残った気力も溶けた。
「いそべん!」
不意の叫びがあがった。佐倉さんだった。半田くんと時任を飛び越すように押しのけて前に出る。そしてさらにぐいぐい歩を詰める。パイプ椅子に腰掛けた磯部めがけて頭突きでもかましそうな勢いで顔を突き出し、距離を数センチ残すところでとまった。佐倉さんの睫なら触れるかもしれなかったけれど、瞬きもせずに磯部をにらんで。
「バカなことした」
「バカなこと?」
ハッ、と肩を跳ねさせて磯部が笑った。
「おたくさんに言われるとはね」
「違う!」
初めて聞いた佐倉さんの大声。いや、よく叫んでいるけれど。こんな、糾弾するような響きは初めてだ。彼女が怒ったのも、そういえば初めてだ。
「全然違う! 奇変隊は一度だって楽しいとも面白いとも思ってないことなんてしなかった!」
気づくと磯部が笑いを消していた。椅子に腰掛けているため、ねめつける視線は下から。不機嫌そうな眼で、轟くような低い一言。
「――遊びじゃねえんだよ」
「だからなんだ!」
佐倉さんは叫び返す。
「面白かったものも、楽しかったものも、ぐしゃぐしゃだっ! つまらないものにした! 自分でした! 自分でむちゃくちゃにした!」
激した佐倉さんは盛大に唾を飛ばしながら磯部に迫る。
「もっと真剣にやれっ!」
普通のときだったら、誰を抜かしてもまさか佐倉さんからその台詞がと、盛大に目を丸くするか笑うところだったかもしれない。でも誰も笑わなかった。佐倉さんが真剣だったからだ。息を飲むほどに、人を止めるほどに、彼女が真剣だったからだ。静まり返った場で佐倉さんだけが吼える。
「いそべんの――」
近すぎた顔を一度引いて、そして、一気に。
「バカっ!!」
白いおでこを一直線にもしゃもしゃ頭へ打ちつけた。