エピローグそしてプロローグ「YELL」
「悪かったな」
「すまなかった」
「……。ごめん」
職員室横の会議室。居並んだ東堂、南城、西崎の三人からの、謝罪はほんとにあっさりしてた。そんなんで許されるかよ、って逆上する場面かもしれない。
でも。
本当にいいのか、とのぞいてみても自分の中にそんな気持ちはなかった。ゆうちゃんがもう納得しているから。いや、そうだけじゃない。今ならわかる。こいつらが傷つけたのはゆうちゃんだけじゃない。ゆうちゃんとゆうちゃんを思う俺と他にもいろんな人や気持ちを全部まとめて踏みにじった。
そんなんで許されるかよ。
答えはひとつだ。
許されない。
そう。こいつらは、決して、許されるわけじゃない。多分、今後もずっと。
すまなそうな顔をしているわけでもないけど、口先だけ謝っているという風でもない、なんとも微妙な立ち位置のこいつらを眺める。真上会長はこいつらをガキだと言った。自分のことにいっぱいで他人の気持ちなど慮れない。自分が感じる以外の世界を想像することができない。どれも正しいだろう。
ぱんぱんになっていた感情がなくなってみて、初めてふと思った。知りたいと思った。
「どんな気持ちだったんですか」
「……?」
「やってるとき。どんな気持ちだったんですか?」
三人は報復かと一瞬警戒したような顔をした。でもこちらを見つめ返してまた複雑な立ち位置に戻った。やがてぽつり、とこぼすように。
「あんまり、たいした気持ちはなかった」
「苛立ちとか嫉妬とかは、あったと思う。でも、そこまで複雑な感情はなかった」
「罪悪感なんてのはないし、強い動機もない」
俺は、これが聞きたいと思ったのだ。
今の静かな気持ちで。憤激にぶつけるだけじゃなくて。信じられない、人間じゃない、と気炎をあげるんじゃなくて。理解できる今こそ。
心は麻痺する。
いま自分がしていることがたいしたことがない、と。心の不確かさを。危うさを。心は麻痺する。それを認めて、今こそ思える。それは自分にもありえると。
だから。絶対に。絶対に。絶対に。そうしまい、と戒める。激しく刻む。どんなに麻痺しても、何も感じなくなっても。空っぽになって壊れていた、君を忘れない。
静かに見ていたゆうちゃんが三人に言ったのはひとつだけだった。
「私は何も悪くない相手に、悪意をぶつけたことがあるから、死ねと思ったことがあるから、何か言えるわけじゃありません。でも、ひとつだけ。もう、誰にもしないでください」
三人は瞠目した。呆気にとられたようにゆうちゃんを長いこと見ていたけれど、やがて同意した。それを眺めて思う。
これからも、こいつらと和解することも別の関係を築くこともないだろう。
ただ、他人にはなれそうだ。
それがきっと俺達には一番必要なことだ。
ドアを出ると、奇変隊のみんなが待ってくれていた。大丈夫だよ、と目で送って、こんな場所からはさっさと離れた。階段をおりながら半田君が肩をぐるぐる回し
「終わりましたねー」
「そうだな」
時任が穏やかにうなずく。んー、と佐倉さんが組んだ両手を突出し背筋を伸ばして
「楽しかったぁ!」
そう、笑った。ゆうちゃんのことを知ったとき、胸が引き裂かれるかと思った。辛かった。過去もさかのぼっていろいろとぐるぐるした。
でも。
よくわからない小芝居からはじまって、バスケットボール対決に頭が焼けついた勉強漬けに駆けずり回った体育祭に新しい世界を開きかけた文化祭に細かい日々のあれこれならもう数えられないほど。
「ほんと、楽しかった」
自然と俺の頬は緩んでいたらしい。ゆうちゃんも隣でうなずく。俺達の前でにこにこしている三人を、思いっきり抱きしめてありがとう、って千回くらい言いたい。
「お二人もすっかり見事な奇変隊節ですね」
そう嬉しそうに言った半田君の後ろから、ふいにおおい、と声がかかった。見ると廊下の向こうに結城君がいて手をふっていた。日曜日の学校なのに、彼わざわざ来てくれたのかな。と思ったら角から京免くんまで。
「知らせ聞いてさ。来ちゃった」
「知らせ?」
「先生から。当選確定したって。おめでとう」
僕がBGMを弾いたんだから当然だと京免くんは我が手柄とばかりに。結城君は握手を求めて手を差し伸べてくれたけど、俺達はそれを前にちょっと止まって。
――
お、おお……。勝ったんだ、選挙。
「すごく嬉しいよ」
はにかむ結城君に慌てて手を差し伸べた。ぎゅっとこめられた力から彼の偽りない気持ちが伝わってきて、うわっ忘れてたよ、という焦りが消えて、じんわり感謝がわいてくる。 俺はありったけの気持ちをこめて握り返した。
「こっちこそ、ほんとにありがとう。君達がいないと絶対無理だったよ」
「選挙の結果とかすっかり忘れてましたね」
半田くーん! 背後からの言っちゃいけないよ発言につっこみつつも。
「ゴールはゴールなんだが、考えてみれば生徒会にならないといけないんだよな」
「生徒会ですかぁ……」
どんなもんかな、と呟く時任と半田君に
「面白きことなきこの世を面白く!」
拳を握った奇変隊隊長は百万ボルトの笑顔で言い切った。そうですね、と半田君。
「面白くないなら面白くしちゃえばいいんですよね。企画総選挙もそろそろ始めたいですし。あ、ついでに生徒会室のプレートに、(奇変隊)ってつけちゃダメですかね」
「のぼりくらいにしとけ」
ようやく結城君は俺達のぼけっぷりに気づいたみたいだけど、目を丸くした後で、あはははは、と笑った。
「俺もさ、これからも手をかさせてもらっていい? 一度手がけちゃうと手放すのすっごいストレスになるんだよね」
「いや、こっちから頼みたいほどだよ」
「僕、ちゃんと痩せたんですから。これからもよろしくです」
「僕の演奏はきちんとアポをとれよ」
はいはい。
なんか京免君にたいしても、慣れきったというか自分の諦めが行き着くところまで来てしまったなあ、という感じ。でもいいか。ちょっと悔しいけれど、なんだかんだ言って彼の演奏は好きだ。
「あ。」
角から竹下先生が顔を出した。
「良かった。話があったんだ。月曜日の集会でさっそく就任挨拶が入ることになってだな――」
途中で竹下先生は気づいたように口を閉じて。
「いや。その前に、だな。――おめでとう。篠原、国枝、時任、半田、佐倉」
「ありがとうございます」
「職員室でもえらい騒ぎだったぞ」
「僕ら、実は忘れてたんですよね。すっかり」
また言ったぞ半田君。しかもさり気に「ぼくら」で人を巻き込んだ彼の発言に、竹下先生は軽く苦笑して
「おいおい。ここからだぞ、なんでも。まあ、俺も生徒会顧問は初めてだが。――なんとかするさ。誰だって最初はみんな「初めて」だ」
頼もしく微笑んで、不意に面白いことを思い出したみたいに口元をおさえ
「谷村先生は最初凄い顔をしてたがなあ。生徒会に入れたら取り締まりがしやすくなる、って最後は無理に自分を納得させてた。あの人、下手したら副顧問になるかもな」
げえー、という顔をする俺達に、竹下先生が声をあげて笑う。竹下先生もよく笑うようになったなあ。
「ま、そういうのは後においといて。就任挨拶はちゃちゃっと決めて。お祝いしましょうよ。いっちょぱーっと。なんなら、泊りがけで旅行でも。竹下先生もいますから引率ありでどこでも出かけられますよ」
「泊まりは難しくないか。費用がかかるぞ」
「どこかの家から車出してもらってキャンプでもいいですけど」
「別荘ならあるぞ」
ブ、ブルジョアだー。「軽井沢と、富良野、どちらがいい?」とか普通に聞く京免君にちょっと引くものを感じながらも、このメンバーで旅行かあ。滅茶苦茶になりそう。そして滅茶苦茶楽しそうだ。
「そう言えば磯部先輩はいらっしゃってませんか?」
「一応磯部にも連絡したが……」
するとまるでひとつの磁石に引き寄せられたみたいに、階段上からいそべん先輩が降りてきた。おう、と軽く目を細めて。
「やったみてえだな」
「はい」
「まあ、よくやったな」
頭を軽くかきながらいそべん先輩の口調は何気ないが、もしゃもしゃ前髪の向こうの目が優しい。先輩にもほんとお世話になりました。半田君が今の話を持ち出すと、受験生を誘うな、と言いながら「ま、一日二日ならつきあってやってもいいか」と。おお! なんか今日はいろいろソフトだな。やったと半田君がはしゃぐ。
「先輩も聞いてきてくれたんですよね」
「いや。元々、学校に用があっていた。先生からの電話も学校でとった」
「新聞部ですか」
「いや、真上と話してた」
意外な名に俺達はぎょっとした。しかし、今日姿を見なかったけれど、あの謝罪をお膳立てしたのは多分彼女だろう。真上会長か。俺、あれからまったく話をしていないな。怒りで手をあげてしまった相手だ。
「真上会長、まだいらっしゃいますか?」
「ああ。生徒会室にいたぞ」
「俺、ちょっと謝りにいってきます」
気がかりそうなゆうちゃんに、一人で大丈夫、なんだったら先部室いっといて、と言う。残りのメンバーも俺を見送ってくれた。階段を駆け上りながら背後から半田君が、磯部先輩、と呼びかけた声が何気なく聞こえて
「真上会長、最後の方はけっこう協力してくれましたし、険悪なのはダメですよ」
「してねえよ。よりを戻しただけだ」
……!
な、なんか変な言葉が聞こえたような気がしたけど。(そんで盛大な絶叫があがったような気がしたけど)四階まで階段をのぼった踊り場で、俺は真上会長を見つけた。それと同時にもう一人。――北原だ。
一瞬足がとまったが、踏み出した。
「真上会長」
振り向いた彼女は、少し上気した頬をしていたけれど、俺の登場に目を大きくさせた。
「あの、ずっと言いそびれてたんですけど、以前、あなたに暴力振るったこと、本当にすみませんでした」
「……私こそ。ごめんなさい。一人よがりに決めつけて、ひどく無神経だったわ」
「いいえ。弁解はできません。すみませんでした」
腰を90度にまげて頭をさげる。
「お願いだから、おあいこにして。結局、私のきめつけと思い上がりが招いたことだったのもの確かなのだし」
顔をあげると真上会長が笑った。嫣然とも悠然ともしていない。頬をほんのり染めたそれは、不遜ながら、凄く可愛い笑顔だった。
「……あの、磯部先輩と?」
「話したの? そう。焼けぼっくいに火がついたって感じだけれど」
秘密にしてね、とゆるむ頬で指を立てる。な、なんか凄く可愛くなっているんだけど、この人。
聞き間違いじゃなかったのかと、そう思いながら隣の北原を見た。俺もいくらか聞いたことがある元会長との噂だけど、この様子じゃ根も葉もなさそうだ。ゆうちゃんは、気にしてたのにな。
気にしてたのに。
北原も俺を見た。いや、おそらく奴はずっと俺を見ていた。
「選挙の件は?」
「聞きました」
そうか、と薄い男は言う。
「おめでとう」
一瞬迷った。が、ありがとうございます、は言わなかった。
「篠原はいい会長になる」
「はい。俺もずっとそばにいます。もう手をはなしません」
少なからず俺は挑戦的なものをこめて言った。が。
薄い男は真顔でうなずいて
「そうしてやってくれ」
……。
俺は北原を見つめた。表情乏しいけれど、そこにあるものはなんとか読み取れた。ゆうちゃんにげろげろ本音吐いちゃったけど、もう嫌い嫌い嫌いで、こういうところも含めて今でも、いや前よりもっと嫌いだけど。
「俺は、もう自分からは絶対にゆうちゃんをはなしません」
ああ、とうなずきかけた頭を北原は途中でとめた。
「だから、どうしても欲しいなら、お前がゆうちゃんに手をはなさせてみろ」
顔をあげた北原が俺を見る。薄い薄い表情にわずかな驚きが。こちらははっきり驚いていた真上会長が、思わず、というようにその肩に触れてうながす。それに揺らされて、北原が少し動く。おい保護者つきかよ。とシビアに点数下げてる俺の前で、北原透は覚悟を決めたようにうなずいた。
「長期戦で」
あったりまえだろ、やすやす奪えると思うなよ! 胸中で盛大に怒鳴って背を向けて
「あと、死ねって言ってすんませんでしたッ!」
そう一方的に投げつけて俺は階段を下りる。初めは一段ずつ、やがて勢いをつけて何段も飛ばしながら。
――宗二の声は凄いなあ。
風を受けてがたがた走る俺の中を、父さんの声と共にいろいろなものがまわり出す。
――でも、宗二。誰かを応援するときは、その人だけに任せちゃいけないよ。エールを送る相手を、ひとりにしちゃいけない。一緒に背負おう、一緒にがんばろう、って気持ちをこめるんだ。お前が誰かを応援するとき、お前はその人と共にある。だから――
施設で世話になった職員さんたち、優しく迎えてくれた俺の大切なお父さんとお母さん、別れは寂しかったけれどたくさんできた小中の友達、応援団に参加してみろと勧誘にきた先輩たち、クラスの馬鹿仲間ども、男気溢れる藤田さんとバスケ部の面々、文化祭で手伝ってくれた他クラブの生徒達、顧問を頼んだ無気力な先生達、気炎をあげる谷村先生、笑うようになった竹下先生、ようやくまあ可愛いかと思い始めた京免君、凄くいい奴な結城君、最後に爆弾かましてくれたいそべん先輩、妙にはしゃいでた真上先輩、北原の馬鹿野郎、落ち着きも頼りがいもありながらそれで世界を求めて目を輝かせる時任、いつでも明るさ全開で笑いつづけてる佐倉さん、わりとなんでもありに人生を楽しむ半田君。俺の大好きな三人組。そして、ゆうちゃん。俺の一番大切な女の子。
がんばれ。
駆け下りながら呟いた。
がんばれ。
胸が熱い。もっとはやくもっと大きく。
――お前が誰かを応援するとき、お前はその人と共にある。だから、お前は決して独りにはならないよ。
父さん。母さん。夕子。
笑っていたと思う。同時に泣いてもいたと思う。笑いながら泣きながら駆け下りながら叫びながら、そうせずにはいられなかったから。がんばれがんばれ叫びながら、口も目も全開で駆け下りる。汗や唾やら垂れ流しで。
階段の最後に、みんながいた。こっちを見上げてぎょっとして顔をしていた。でもとまらなかった。とまる気もなかった。踏み切り足で思いきり床を蹴る。
「がんばれっ!!」
二階から一階へ、ジャンプした。高く高く、ジャンプした。
<ゆうちゃんがキレた>完
ここまで読んでくださってありがとうございました。 2014年6月 葉山郁 拝




