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十五章 「The End」下


「テレパシー?」

 本当にそれは、何気ない話だった。少なくとも彼にとっては。たわいもない軽口の一つにすぎなかったろう。いつもと同じような自由時間に、いつもと同じように一緒にいるときに、なんの話のきっかけかふってきた。

「そう。双子って、できるんだって」

「なにができるの?」

「だまってても相手の考えてることが聞こえるんだって」

「……できたの?」

 ずきんと痛む胸を抱えてたずねると、何も知らずけらっと彼は笑う。

「ぜんぜん。そもそもべつに夕子の考えてることしりたくなかったし。たいてい腹立つかくっだらないことだから」

 その表情や口調を見れば、まるでたいしたことではない、と考えているのがよくわかる。そうなんだ、と控えめに同意しながらも、息を詰めて伺うこちらの視線に気づいたのか

「興味あるの?」

 飛びつけはしなかったが、否定はできずにうつむくと、のぞきこんで彼は

「やってみる?」

 そのときはお互いに顔をしかめて眉間に力を入れてみたり、離れた距離で考えたり思い浮かべたことのあてっこをしてみた。途中から完全に彼は新しい遊び気分だとわかっていたけれど。

 君とならできるかも、と。屈託なく笑う彼は自分の罪作りさを知らない。

 夕やけぞらに切り立った声。あの声。何度も何度も木霊するそれに、初めは耳が何かの病気になったのかと思った。あるいは頭がどうかなったのかと。多分広い意味ではそれは間違いではない。自分のそれが楽器なら調律の余地もなく狂っている、と表現されよう。がんばれ、と叫ぶ彼の声がいつまでもいつまでも制御なく繰り返される。

 でも、狂っていて良かったとさえ思う。今となっては唯一の聞ける方法だから。幾度でも幾度でも記憶の中の声を聞いた。繰り返されるたびに耳をすませた。

 それでも、足りない。飢えてむさぼる餓鬼のように、貪欲に耳も心も生のその音を欲した。耳にしたあの時から鳴り続ける心臓に熱くなる胸。いつしかそれは言葉を与えられた。あの声を向けて欲しい。自分のために紡いで欲しい。

 けれど現実がいつだってそうなように、この世に彼女の物はない。人も物もいつも誰か他の人のものだ。彼も、この耳に響く彼の声も、泣いていたあの子のもの。いつだってうずきだす胸を黙りなさいと叩くよう繰り返した。

 でも。頭の中の声は、夕子には聞こえない、と彼は言う。

 彼女にも聞こえない声が聞けたなら、それは自分だけの彼の声だ。

 目がくらむ。身震いがする。狂おしく未知の力を欲した。幾晩も寝ずに額をしかめ続けた。けれど、望むものは手に入らなかった。涙を出さずに泣いた。見えない場所を打ちつけた。聞こえない耳など、いらないのに。

 手に入るなら悪魔に何百回でも魂を売ったろう。でも、どうしても。彼の声は聞こえない。


 だから、悪魔になったのだ。







 何度目かの車の停止に、友子はもう震えて懇願するようなことはなかった。運転席へと静かに目を向ける。

「――篠原さん」

 開きかけた口より一歩はやく、時任が制した。

「君は、国枝の所に行って、どうするつもりなんだ」

 友子が時任を見返す。

 ゆっくりと微笑んだ。

「大丈夫です」

 おそらく今この場でこれ以上に聞くものを不安にさせる言葉はないだろう。聞いた半田も苦しいように一度目をぎゅっとつむる。

「わたし、初めて、そうちゃんのためになることをしにいくんです」

 微笑は澄んで綺麗だ。けれどそれ故に命あるものが紡ぐ、生々しさが一縷もない。

「十年間、一度もできなかった」

 不自然な清らかさに負けまいと、時任がぐっと拳を握る。

「国枝のため、ってなんだ」

「私から解放するんです。全部言います。そうちゃんが一生懸命してくれる裏でどんなことを考えていたのか、そうちゃんの罪悪感も辛い気持ちも平気で利用したことも、何もかも全部だしにして自分に向かせるためならなにをしてきたかも。私が小さい頃から、夕子ちゃんの死を願っていたことも」

 静まり返った車内に、動かないなら私は歩いて行きます、と友子は静かに言う。「もう歩いてもいける距離ですから」

 時任が思わず運転席を見る。振り向いた金本の顔に答えを見つける。友子は場所を知っているのだ。何かアクションを起こさなければ彼女はその言葉どおりにするだろう。一種の緊張が漂った車内に

「先輩!」

 半田が自分のポケットから財布を取り出して、チャックをあけて一枚の十円玉を取り出し、友子に突きつけた。

「この十円玉、手を動かさずに浮かべてください!」

「……」

 真意をはかりかねる車内に、ひとり興奮したように半田は「できませんよね! できたら超能力研究会はいってますよね!」と勢いこんで

「先輩は、ターミネーターかもしれないけど、エスパー魔美じゃないんです! ぼく、ひどいこと言いますよ最初に謝りますすみません! ――先輩は、覚悟が足りないんです」

 半田、と時任が眉を寄せる。

「思いやりがないとかエゴだとか言ってるのに本当のところでそうなりきれてない」

「……」

「略奪愛なら略奪愛で、もういいじゃないですか。その後、本気で幸せにしてあげられれば。信じさせてあげればいいじゃないですか。要は甲斐性ですよ。夕子さんが亡くなったのも、先輩は自分の呪詛だか貞子のビデオだか思いこんでますけど、結局、この十円ひとつ持ち上げられないなら、不幸な偶然でしかないんだし」

 今までいくらでも場や相手を煙に巻いてきた半田の論調だ。だが、この友子をそれに巻けるかは読めない。制止しようとして迷ったように時任が結局思い留め見つめる。

 なぜか友子は少し間を置いて。また微笑んだ。

「なりたかった」

 吐息のような声音だった。だれも意味を悟れないまま、友子はうなずき続けた。

「仰るとおりです。私は、覚悟も強さも足りないんです。自分が願ったことなのにすくみあがってしまって。とりかえしのつかないことを前になんとかならないかって無様にあがいて。十年間ずっとそうしてきた。そうちゃんのためならもっと自分を堕とさなきゃいけないことにも躊躇った。自分可愛さにどっちつかずで傷つけ続けた。一度もそうちゃんのためにと思わなかった。十年間、私は自分で証明し続けてきたんです。篠原友子はそうちゃんに相応しくない、そばにいてはいけない人間だって。でもエゴだけが強くて、欲しいと願ったそうちゃんの手を離せなくて。……――講堂での応援演説」

 突然出てきた単語に時任たちが怪訝そうな顔をして、そして思い当たる。

「私の、最後の糸でした。私が人の死を願ってまで望んだ夢でした。それが、あの日、全部、叶ったんです。夢は叶いました。だから」

 終わりです、と。

 ひらりとなめらかに。最後の一葉は落ちた。 




 毎夜毎夜、夢に見た。小さな棺に敷き詰められた白い花の中に、寝かされたその子。冷たく凝って息はなく、小さな胸はとても静かで呼吸に膨らむことは二度とない。

 それが自分の夢だった。一途に願った夢だった。

 でもきっと自分が見ていない間に、その身体は起き上がって自分につかみかかるだろう。テレビで見たキョンシーやゾンビのように。自分の肉を食いちぎって存分に恨みを晴らすだろう。

 いっそそれが待ち遠しいほどの気もした。死の重さが喉をふさいで心にのしかかってじわじわと窒息していくよりかは。いいや、わかっている。そうならないからこそ恐ろしいのだ。

 どれだけ叫んでもどれだけ泣いても決して何も返さない、一縷の慈悲もない絶対。いつまでも逃れられない。取り返しがつかない。初めて直面した死は、自分がもたらしたもの。それはなんと圧倒的なのか。

 毎晩毎晩、震え慄いた。夜はいつまでも深くて明けなくて、どうやって一夜一夜これを越えていけるのかわからない。

 なにもかも奪った。奪って奪って奪いつくして、最後に生命も奪った。

 自分の身にあまるそれらを両手で抱えて、圧死しそうだ。全てな故にどこにも逃げ道はない。完璧に叶った夢に、もう隙はない。でも、どうしても生きていけない夜に、必死に一筋の逃げ道を見出した。

 全てを奪った。いいや、ただ一つ。小さな身体に抱いたまま彼女は逝った。そうだ。それは確かだ。だからまだ、夢は叶っていない。細い糸は繋がっている。大丈夫。叶わない夢だけが自分を支えている。

 自分は彼女から、彼の声だけは奪えなかったのだから。



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