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十三章「訪問者たち」6

 佐倉の横で正座する友子は、小さくうつむきがちで眼鏡と前髪で顔の半分が見えない、というある意味でいつもの彼女に戻ったようだ。泣いた後の残滓はまだ少し残っているが、ひとまず衝動は落ち着いたと見ていいだろう。

「国枝の場所はわかったんだな」

「住所を聞きました。真上先輩に」

 ふん、と磯部が面白くなさそうに前髪をかく。竹下は

「根拠のないことじゃないだろう。とにかくそちらに」

「――篠原」

 前髪にさしこんでいた手を放して、不意に磯部がトーンを変えて呼んだ。友子の肩がびくりと震える。その反応だけで半ば答えが出ているとばかりに磯部は淡々と

「流してもいいと思ったが、一応確認する。お前、耳は大丈夫なんだな」

「僕のピアノを聴くためなら耳の一つや二つ」

 京免はちょっと待って、と結城が抑える中で。友子は肩を少しだけ強張らせたが、こくり、とうなずいた。

「……はい。――前も、ほんとは、そうだったんです。ずっと聞こえないってわけじゃなくて。聞こえるものもあって。……でも」こくんと唾を飲み込んで、けれど友子は止めずに続けた。

「そうちゃんの声が聞こえないなら、何も耳に入れたくなかった」

 強い響きではない。だが、その言葉にこもる断固とした芯を感じ取って視線が集まる。

 それを受け止めた後、しばらくして友子はうつむいた。

「そうちゃんとは、違うんです。……わたしは、いつも、そう」

「そこはどうでもいい」

 かぶせるように磯部が言い放つ。

「外に出るんなら、聞こえないってのは俺らが思う以上に危険があるだろうから、危険回避のために聞いときたかっただけだ。聞こえるんならいい。当たり前だろ」

「そうですよ。問題ないなら行きましょう。篠原先輩。国枝先輩のところ」

 友子が顔をあげた。けれどその顔には陰りが濃い。

「お母さんが……」

「……」

 奇変隊の面々には身にしみて、まだあまり把握していない磯部たちも、一気に重苦しくなった彼らの反応から手強さを読み取ったらしい。

 つと佐倉が立ち上がった。何事かと視線が集まる中で、かかったままのカーテンをはいで窓を開ける。明るい外を背景に、なんの問題もないように笑って佐倉は振り向いた。

「ここから出れる」

「あ?」

「屋根伝って、道路に降りれる」

 へ、と結城がすっとんきょうな声をあげるが、時任、半田は顔を見合わせて立ち上がり窓へと寄って同じように見下ろした。

「――いけそうだな」

「え?」

「こそっと行ってばれないように帰ってくれば無問題」

「さすが隊長。下見に余念ないですね!」

 なんのだよ、と磯部が呟き、結城が理解しきれずおろおろ首を回し、ニンジュツかと京免は何故か納得顔だ。

「あそこのでっぱりに足をかけて――」「塀に移れますよ。部長ならジャンプなしで――」と、すでに実行計画を話し合う時任たちを、やはりついていけず見つめる友子の肩がそっと叩かれた。

「篠原、行ってきなさい」

「……先生」

「お母さんとは俺が下で話してくる。長話をして時間を稼ごう」

「で、でも」

「大丈夫。毎年、何十人もの親御さんとひとりの人間の将来についてなんて重い話をするのが仕事だ」

 プロに任せておきなさい、と竹下が笑った。

「――んじゃあ、俺はこの部屋に残りますよ。先生だけ残していってもめたら立場的に厄介でしょ。最悪、お袋さんがあがってきても、先生が話してるうちに、俺達が勝手に逃がした、無理を言った、で通す。うまく進めるには、頭の回転が速いのがいた方がいい」

「自分で言うな社会人。浅慮だ、小さな家の屋根の上など歩くと響いてすぐばれるぞ」口を挟んできた京免が腕を組んで胸を張る。「僕がピアノを弾かなければな。僕のピアノが響けば、屋根の上の足音に気をとられる人間など存在しない」

「じゃ、じゃあ俺も残ります。京免放っておけないし、特に役に立たないけど、頭下げるのは慣れてるから」

 意見が合った、と言えなくもない風情で視線を交わした三人は、同時に奇変隊の面々を向いて

「今日から君たちは『あの京免信也にピアノで屋根の足音を誤魔化させた何某』と名乗っていいぞ」

「が、がんばって」

「エスコート、ナイト役は任せた。精々うまくやんな」

 それぞれなりの激励を受けて、時任、半田、佐倉は顔を見合わせる。そして、大事な支援者たちを向いて、あわせたように敬礼のポーズを決めた。

「まかされました!」





 窓を開けて、佐倉がまず一階の屋根の部分に降り立つ。「ちょっと滑る」と小声で後続に告げた。続いて時任が降りてきて、体勢を崩したときにはすぐ支えられるように、後ろにつかせた友子をふり向く。無事に友子が降り立つと、その後ろをサポートするように半田が続いた。

 先導する佐倉は迷いのない動きで軒まで下がっていき、玄関横のブロック塀へと軽く跳びうつり、着地した細いブロック塀の上から家の前の道路へするりと跳び降りる。

 佐倉を見ていると恐ろしく簡単そうに思えるが、油断なくそのルートを検分した時任が、算段がついたのか手まねきして友子を伴い動き出す。

 ゆっくりと慎重に軒近くまで進み、友子にはその場で止まるように手で示してから、先に屋根からブロック塀へと足を伸ばした。

 屋根と塀の間を、時任の体格なら無理せずまたいで足をかけられる。友子を抱きあげるようにブロック塀にうつし、先に塀の外側に降りていた佐倉の所で無事着地するまでを見届けた。

 それから、後ろの半田に目をやり、いけるか? と目で問いかけるが、ぶんぶん首を横に振ったので同じように手をかした。そうしてブロック塀から道路へと降り立った先。

 佐倉と友子が並んで立ち尽くしているのに気づいて、どうした? と時任が声をかけようとして、二人が見ているものに気づいて言葉をとめた。

 曲がり角の向こうに一人の男性が立っているのが見えた。会社帰りのサラリーマンなのかスーツにカバンを持っている。態度から見るに、一連の行動は目撃されていたのだろう。

 一般家屋の二階の窓から泥棒のように次々出てくる高校生達。色々と物申したい光景であったのは確かだろう。どうするかと考えたとき、友子がぽつっと呟いた言葉に背筋が伸びる。

「お父さん、」

 綺麗にワックスをかけた髪に少しだけ白いものが混じった男性は、時任が発見したときこそ立ち尽くしていたが、すぐにつかつかと近づいてきた。間近で見ると時任ほどの上背はないが、それなりに厳格そうな父親だ。

 心中をつとめて表情に出さないようにしているのか、彼が動転してるのかそれとも怒りを抱いているのかはわからない。ただ少し細めた目で、友子、そして時任たちを順に見て、そして足元を見る。

「……」

 お父さん、とまた友子が呼んだ。そのことにふと気づいたように

「聞こえるのか」

 弱くうなずく友子に、そうか、とうなずいて。少し思案したらしい彼は、唐突な行動に出た。いきなり友子たちの前で方向転換をして家の中に入っていったのだ。

 真意がよめずに今のうちに、いやしかし、と焦りの思考が決着するのも待たずに、彼はすぐ出てきた。カバンのかわりに何かを腕に抱えている。

「おそらくこのうちのどれかだと思うが」

 小山になった学生靴だ。道路に置かれたそれらを一瞬ぽかんと見下ろして、それから慌てて口早に礼を言いながら、汚れた靴下を自身の靴につっこむ。急いで靴を履いてから、また沈黙が漂う

「お父さん…」

「お母さんは、中――なんだろうね」

 一拍置いて友子は小さくうなずいた。

「そうか。今からどこに行くのか、聞いてもいいか?」  ぎゅっと友子がキュロットの端を握った。

「……国枝、宗二さんのところ」

 息を呑みながらも時任と半田は友子の父親から目を離さないでいたが、彼の顔にこれと言った変化はない。

「……ごめんなさい」

「何に対して謝っているんだ?」

「……お母さんを、傷つけるってわかって動いてること」

「……お母さんはいま?」

「先生たちとお話している」

「友子」

 呼びかけに友子が顔を硬くさせうつむいた。

「私達が初めは男の子を迎えようとしたことを知ってるかい?」

「……はい」

「お母さんが言い出したことなんだ」

「……」

「なぜかと言えば、お母さんのお腹の中で死んでしまった子が女の子だったからだ」

 友子が顔をあげた。そんな娘を父親の目は穏やかに見返す。

「もう子どもが産めなくなったこともあわせて、お母さんは泣いて泣いて。それでもなんとか立ち上がって。自分で産めなくなっても、親のいない子に寄り添いたいとたくさん話し合って決めて。でも、女の子はやめようと言ったんだ。新しく迎える子が可哀想だからと。その子は決して亡くなった子の代わりじゃないんだからって。お父さんはそれを聞いてお母さんは大丈夫だ、誰かの母親になってあげられる芯の強さを持っている人だと感じた。でも。お前を前にして、男の子とか女の子とか、それは本当は小さなことだった。私達が迎えたかったのは、女の子じゃない。ましてや男の子でもない。お前だったんだよ」

 腕を伸ばし、途中で少し躊躇ったように止まったが、その手は友子の頭に触れた。

「でも、お母さんはずっと罪悪感があったんだよ。自分が決めたことを、迎える子を思っての決心を、かえてしまったから。結局、代わりにしてしまったんじゃないかって。お前を思えば思うほどにね。――お母さんのことを、全部、肯定はできない。だが。お前を思った故の間違いだとは、わかって欲しいんだ。……ごめんな。親が子どもに物分りのよさを頼んで」

 友子の目が瞬く。そして我に返って必死でうなずく頭を、何度かあやすように叩いて。

「私も中に話に行こう。お母さんに無用な心配はかけさせないよ」

 不意に後ろで車が近づく音がした。京免のベンツだ。振り向き確認した時任たちは我に返り急いで

「あ、ありがとうございます」

 玄関に向かいかけた彼は軽く笑って

「娘を、よろしく頼みます」

「は、はい」

「お父さん」

 友子の必死な呼びかけに、振り向いてその人は小さく微笑んだ。「大丈夫だから、行ってきなさい」









 あらかじめ携帯から連絡がいっていたのか、金本は飲み込みはやく住所を聞くとすぐに走り出した。車が走り出すと、背後に残してきた者たちも気になったが、それ以上に後部座席の友子に視線が集まった。

 父親の話の後から、友子の様子が明らかにおかしい。半田と佐倉が両脇に座って肩に触れたり気遣っているが、身をかがめて両手で顔を覆って動かない。

「篠原さん」

 車を止めようか、と前から時任が気遣わしげに声をかけるとかすかに首を横に振って。

 そして顔をあげた。予想していた表情は、そこにはなかった。

「みなさんに、話しておきたいことがあるんです。そうちゃんの所につく前に」

 真正面を向いた顔は力が入りすぎて震えているようだ。ただ極度の緊張に襲われながらも、背筋を伸ばすよう、その顔からは並ならぬ決意が見えた。膝についた両手はふるりと揺れる。

「私が、そうちゃんに、したこと全部」









 どうぞこちらに、と立って案内された内部は、長い間、住まれていなかった家とは思えない。確かに人気はないが、こざっぱりして家具も不自由ない程度にはそろっている。

 廊下を歩く真上の前に、いつの間にか北原が立っている。時任達との約束を思い出し、前方を陣取るべきかと真上が思案するうちに、奥の部屋にたどりついた。

 十二畳ほどの広さの和室に四角い大きなちゃぶ台が一つ。その手前の座布団の上に彼は座っていた。

 こちらを見てはっきりと驚愕の色を濃くして。知らなかったのだろうか。腰すら浮かせた。

「お二人に来ていただいた」

 上着を脱いで淡々と言った父親の言葉に、浮かせかけた腰が落ちるように戻る。

 だが視線は決してこちらから外されない。

 まるで亡霊でも目にしたように、現れた北原と真上を、国枝宗二は凝視していた。




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