十三章「訪問者たち」4
閑静な住宅街では、大きな洋車を路上に駐車しておくわけにもいかない。ひとまず乗り込んで流してもらいながら車中で手短に事の次第を話した。
耳の件は電話で伝えていたが、北原や真上もからんでの経緯には、竹下は顔を険しくさせ、磯部はそうそう顔には出さないが時たま目を細め、結城は聞くたびに顔が青くなっていく。
「く、国枝の話題はタブーってこと?」
「少なくともお母さんの前では」
「北原が何を話したかはわからないんだな」
「僕はあの人もうターミネーター1のタフガイじゃないシュワちゃんだと思うことにしました。未来を変えるために過去から送り込まれて石につまづき頭打って目的見失ったI`ll be backしない方のターミネーターで。真上会長はスカイネットの研究者でいいですよ」
「北原が何かを握ってたってのは確かだったってわけか。――まあ、さほど意外には思わねえけどな」
「そうですか? 僕らが言うのもなんですけど、あの人、ほんと、とんちんかんですよ」
半田の言葉に磯部は少しの間口を閉じ、窓からのろのろと流れる住宅街を眺め
「前、俺が篠原に演説指導したことがあるだろ?」
「え、あ。はい」
「北原にも同じことをしたことがある」
え、と半田が呟いた。
「二年の時だ。同じクラスだったが、それまでほとんど口もきいたことがなかった奴が、急に言ってきた。会長に立候補するから演説のコツが知りたいってな」
「教えたんですか?」
「無碍にする理由もそのときはなかったしな。この能面野郎がどこまで出来るかとは思ったがよ」
「どうだったんですか」
半田の問いにじろりと横睨みで一言。
「『気味が悪ぃ』」
「……」
「そう、思った。お前のターミネーター評もあながち的外れじゃねえな。物覚えがいい、勘がいいってレベルじゃねえ。コピー&ペーストって感じか。俺が見せたのをコピーして自分に貼り付けて上書き保存。生身の人間にやられるとぞっとするな」
磯部はそこで口を閉じて、一度、静かに目を伏せた。
「篠原を指導したとき、そっくりだと思った」
「……!」
「篠原はお前らと合流する前に、生徒会連中にかなりやらかしたんだろ? ぶちぎれてたとしても、普通はできることじゃねえようなことを。話には聞いてたが、俺も半信半疑だった。ただ演説指導した時に思ったよ。奴らの所業をそっくりコピーして貼り付けてりゃ出来たかもしんねえってな。事が起こる前には、生徒会にはそういう人間が二人いたってことだ。どんな化学変化が起きたのか、想像もつかねえが、単純に苛めた苛められたって話じゃねえだろうな」
車中に沈黙が落ちる。物苦しい沈黙だ。
「で、も」声を少し途切れさせて、半田が顔をあげた。「篠原先輩は、違いますよ」
「お、俺もそうだと思います」
第一声こそ出せなかったが、結城が声を絞る。
「篠原さんはほんとに控えめでシャイで自分もほとんど出さないけど、見た目もちょっと作り物みたいだなって思ったことも正直あるけど、篠原さんにはちゃんとあります。その、なにって言われるとあれですけど、あるな、って感じたっていうか」
「篠ちゃんには国ちゃんがある」
ぽんと佐倉が出した言葉に、半田が両手を叩いて
「それです隊長! 篠原先輩は百万歩譲ってターミネーターっぽいかもですけど、2の方のシュワちゃんですよ! 味方で愛を知ってI`ll be backするほうです!」
「国枝への態度を見てると、北原とは全然違うと思います」
口々に言う彼らを見返して、磯部は
「だろうな」
あっさりとうなずいた。
「最初は国枝は真上と似たようなもんかと思ったよ。介護士っつーか、後見人っつーか。ああいうタイプには自然とそういうポジションの人間が付く。だが、国枝は真上とは違う。それで篠原も北原とはまったく違う。なにがどう絡まってるのかはわからんが、そこは会って確かめるしかねえ」
「しめあげられて、苦しんでいるなら。ほどいてやりたいと思う」
それまで黙って聞いていた竹下が静かに告げる。先ほどとはまた違うしんみりとした沈黙が落ちた。
「ともかく、お母さんが凄く憔悴してらっしゃっていますので、お母さんを安心させてそれから篠原先輩に取り継いでもらうようにお願いします」
「そうだな。お母さんとはなるだけ俺が話をしてみよう」
「お願いします」
「ようやく出発か!」ずっと黙っていた京免が急に叫んだ。「僕はこのままここで日が暮れるかと思ったぞ!」
たちまち頭痛が舞い戻ったように時任が顔をしかめたが、自ら呼んだ責任故か身を乗り出して
「京免。今から篠原さんの家にいくが、とにかく絶対に礼儀を守れ」
「僕が礼儀を守れないというのか?」
不快そうに眉を寄せた後、つんと気取って宣言した。「僕は敬語だって使えるんだ!」
そらすげえや、と磯部が呟いた。結城はおろおろしている。
あの、と運転席から振り向いた金本が申し訳なさそうに
「篠原さんのお宅ですが」
「ここの角を右に曲がって赤い屋根です」
車がゆっくり向きを変えて、赤い屋根の家に停車した。全員を下ろした後、運転席で金本は
「ここに止めておくのはご迷惑でしょうから、私は近くで流して待機しております。お話がつきましたら、すぐご連絡ください」
うまくいくことをお祈りしております、と丁重に頭を下げ、住宅街には似つかわしくない車は去っていった。車と運転手だけ欲しかった、ともう率直に思う時任の横で
「ここか。小さい家だな」
「京免――」
不安しかかきたてない発言で、迷うこともなくインターフォンに飛びついた身体を、時任が肩をつかんで引き戻す。かわってインターフォンに出た半田のかわす声を横に、声を潜めて
「いいか。何度も言うが、篠原さんのお母さんはいま、深い心痛の中にいらっしゃる。絶対にそれを逆撫でするような行為や言葉は謹んでくれ」
「君は何度そう当たり前のことを繰り返したら気がすむんだ。僕は敬語を使えるんだ」
やりとりする合間に、きい、とドアが開いた。結城が少し息を呑む音がする。顔をのぞかせた友子の母親も、玄関前に立つ大所帯には面食らったようだ。
年長者らしく竹下が上着のあわせを少し引っ張って足を踏み出し――かけたとき。ぴょんと野うさぎのようにその横を何かが飛び出した。
「ピアノはどこですか?」
「――は?」
竹下に向いていた母親の視線が一瞬迷って、それから下に向いた。そんな彼女を見上げて小さなニューフェイスは繰り返す。一応敬語で。
「いいからピアノです。弾きますから。家の中にありますね」
「え、ちょっと、その」
「京免!」
「ピアノです。ピアノ。どこですか。一階、二階? あまり高い場所に置かない方がいいですが」
「あの、」
「二階ですか?」
矢継ぎ早な意味不明さに、うなずいたのか単に驚いてかすかに首肯したように見えたのか。
「お邪魔します」
ちょっとぼく、と声がしたが、小さな身体は横をすり抜け玄関に消えた。一瞬唖然と見送ってしまってからちょっと待ってください、と追いかける母親に、やはり一瞬唖然と見送ってしまってからハッと我に返り時任たちも続いて急いで靴を脱ぐ。
階段を駆け上る足音に慌てて全員で押しかけるには狭い階段に駆けつけた瞬間、二階から「ピアノはここか!」との叫び声と同時に乱暴にドアが開かれる音が降ってくる。「天の岩戸どころじゃありませんよ!」叫びつつ息せききって階段をのぼりきった先には、二階の廊下で立ち尽くす友子の母親が見えた。その向こうでは京免の声だけが響く。
「アップライトか。仕方ないな。ああ、篠原、ちょっとそこどけ。そうだ。僕がピアノを弾くからな。君は確か前、エルガーを弾いていたか。特別に弾いてやるからさっさと出て来い」
動かない友子の母親に駆け寄った。大きく開け放たれたドアの戸に「友子」とプレートが下がっているのを半田が横目で確認する。
暢気にピアノが流れ出す部屋の中、友子が息を呑み目を見開いてこちらを見ている。
「……馬鹿が通れば道理が引っ込む」
磯部の低い声が響いた。
完全などさくさ紛れでのぞいた友子の部屋は、小奇麗に整頓された八畳間だった。壁際には確かに古いが手入れされたアップライトピアノがある。飾り気は少ないが、几帳面な女子高生らしい部屋と言えるだろう。そのピアノに座ってばんばん好き勝手に弾く闖入者さえいなければ。
当の部屋の主は、主なのに机の前に所在なさげに立っていた。チェックのキュロットと白い上着というラフな部屋着。久しぶりに見る友子だ。痩せて表情にも影があるが、思ったよりもしっかりしている。少なくとも母親よりは話が通じそうだ、と時任たちも思わぬ成り行きに呆気にとられつつ思った。
あんな別れ方をした仲間達との再会に、友子の方にも気まずさや戸惑いの色は見えるが、それより我が物顔でバンバンピアノを弾く京免のあれさが勝るのか、首を回しておろおろしている。
慌てて追いすがった母親も部屋の様子を見て、完全に度肝を抜かれてしまったらしい。立ち尽くす彼女に
「お、お母さん、本当に突然すみません。友子さんの高校で教諭をしています、竹下と申します」
「は、はあ……」
竹下が頭を下げるが、視線は部屋に釘付けで首も動かさない。その隙にそっと時任が友子と目が合う位置に移った。机の前の友子に、こんなことになってごめん、と言う素振りをして頭をさげる。それは伝わったらしく、友子が慌てて手を横に振った。
それから、友子は少し冷静さを取り戻したようだ。竹下の挨拶にも半ば上の空な母親に近寄って肩を叩き、手振りで何か伝える。母親は一瞬、娘を見つめてそれからぐるりと部屋を回し、
「はい、皆さんにお茶でも入れます……」
とふらふら下がっていった。容量が完全にオーバーしたようだった。
時任がそれを見送って、ふう、と息をついたとき、同時に友子も同じように安堵して息をついたことに気づいた。横を向くと自然に目が合う。手振りで彼女は一同を部屋の中に招いた。
「思ったより元気そうで良かった」
言ってからこれでは届かないのかと、時任は思い出し口を噤む。「部長」と半田がノートとマジックを差し出してきた。一瞬躊躇ったが、母親の不在もそう長いことではあるまい、と覚悟を決めてマジックで書き付ける。
『突然ごめん。まさかこういうことになるとは』
友子が首を横に振った。そんな彼女に向けてまた一瞬の躊躇いの後。思い切って時任は書き付けた。
『篠原さん。お願いがある。国枝の所に一緒にいってくれないか』
ノートの文字を目にしたとき、恐れていたほど友子の表情は変わらなかった。だが、青みを増した頬にわずかな震えが走る。その友子に向かって急いで書き付けて示しながら時任は頭をさげた。
『ごめん。君にこんなことを言うのは酷だってわかってる。でも、君がいないと国枝も二度と帰ってこない気がするんだ』
ぴくりとその言葉に友子の目が見開く。その前に駆けつけて半田も頭をさげる。「篠原先輩、お願いします」
「お願い、篠ちゃん」
佐倉も並んで深く。言葉が切れた世界で、ただピアノが流れる。
次に、篠原、と口火をきったのは磯部だ。もしゃもしゃ頭をかきまぜながら寄ってきて、片手で一通の封筒を差し出した。「読め」と手で示す。戸惑いながら友子が開いた手紙に目を落とす姿を眺めながら
「うまく言えねえんだが、……このうまく言えねえってのは、報道には屈辱なんだがよ。まあ、言うだけじゃねえからな、報道ってのはよ。手紙、張り紙、伝書鳩、電報、モールス信号、新聞、ラジオ、テレビ、ネット、ケータイ、人間はそれこそ思いつく限りの伝達の手段を生み出してきた。年代が進むほど方法は増えた。じゃあ昔より人の気持ちや意思や物事はずっとうまく伝わるようになったか。そうじゃねえ。大量の情報がノイズになって逆に気持ちなんかは伝えにくくなってる」
文字をおそるおそる追っていた友子が顔をあげた。絡まった前髪の向こうから、磯部の瞳が鋭く光る。
「報道の根本は、伝えてえ。それだけだ。それだけが難しい。いつまでたったってな。じゃあ諦めるか。諦めねえよ。伝えてえと思うのは人間の本能だ。通じてえと思うのも本能だ。難しくてもやんなきゃなんねえからやるんだよ。伝えきろうと泥沼でもがいてな」
不意に、磯部の脇に結城が投げ出すような勢いで膝をついた。
「ご、ごめん。篠原さん。正直言って、俺、君を傷つけるのが凄く怖い。ここに来るのも凄く怖かった。俺の言葉が、存在が、行動が、君をもっと追い詰めたらどうしようって思ったら。――でも」
結城が顔をあげる。
「俺は君を飾って君を演出したけど、君も国枝も本当にがんばってくれた。全力で応えてくれた。俺のすることを全部信頼して任せてくれた。俺、それが嬉しくて。それで、君たちがみんなに認められるのが凄く嬉しくて。でも、全部、篠原さんたち自身が凄いんだ。君ががんばっていなかったら何にもならなかった。俺は何もできないんだ。ごめん。傷つけちゃったらごめん。でも、お願い。篠原さんが動かないと、なにもできない。君が動いてくれたら、俺、なんでもする。お願い。君も、国枝も、俺には恩人なんだ。俺に自信をつけさせてくれた。夢に向きあわせてくれた。その二人が、こんなの辛い。今の篠原さんもあんな国枝も見てられない」
言葉の途中でじわっと結城の眦に涙が生まれ、袖で乱暴にこすった。「ごめん。俺が泣く立場じゃないのに」
友子は動かず結城を見下ろしている。そんな結城の背中を優しく叩いて、竹下が前に出てきた。時任に借りたペンをずっと走らせていたノートをめくる。
『篠原、一年の時から、お前は誰よりも真面目に仕事をする生徒だったな』
『なのにいつもうつむいていた。いつも自分に自信がなさそうだった』
『お前に自信を与えないものが、お前をうつむかせるものが何なのかわからない』
『きっとそれはお前の中にあって、お前しか触れることができないものなんだろう』
『俺は未熟で保身に揺れて致命的な失敗もした、教師なんて続けていいのかもわからない人間だが、お前に何かを教える立場でありたいと思う。お前に何かを示してやりたいと思う。お前が誇りを与えてくれた。そんなお前こそが誇りだ。ここにいるみんなそうだ。お前が自分に自信をもてなくても、お前は俺たちの誇りだ。こっちを見てくれ。心を閉ざさないでくれ。傲慢かもしれん。そんな資格はないかもしれん。だが、俺はお前の教師でありたい。お前が悩むならせめて一緒に、同じことで悩む立場でありたい』
かわす間にも流れるピアノの音色。不意に弾きながら京免が振り向いた。
「篠原、僕の演奏はどうだ?」
聞こえないんですってばー…と弱く半田が言い、佐倉は友子の腕に触れて京免の方を指差した。京免と目があって戸惑いを見せながら、こくこくとうなずく頭に京免はさも当然というように
「君は誇っていい。京免信也が自分のためだけに弾いたんだと。今日から「あの京免信也にピアノを弾かせた篠原友子」と名乗っていいぞ」
このピアノもとっておけよ、としごく楽しそうに小さな彼は鍵盤に指を走らせて。
曲が変わった。別の曲と曲をうまくアレンジしてまるでひとつの曲のように滑らかにつないだ。ごく自然体に京免信也は弾き続ける。
「僕も部屋にこもっていた。他に何の音もしない部屋でひとりずっとピアノを弾いてた。世の中のピアノ全部を破壊しろと泣き喚いたこともある。油をぶちまけて火を放とうと考えたこともある。それでも何にもならなかった。部屋の中では何も返ってこなかった」
くるりと鍵盤の上で指は踊る。
「そしたらある日、小人が僕の前に立ちふさがったんだ。仕方なく出た部屋の外には不恰好な世界が広がっていて、その中にはうじゃうじゃ人間がいて、そいつらがガチャガチャうるさい音色を出して。静かな部屋とは大違いだ。外には人間も障害も雑音も山ほどで。だけど新しい音があった。部屋の中では変わらなかった僕の音も、人間や障害にぶつかってまったく別の音になった。多くは雑音だが、中には本当に美しいものもあった。欲にまみれて僕を傷つける音もあった。でも、損得なしで祝福してくれる音があった。僕は、嬉しかった」
京免、と意外そうに結城が呟く。
「僕も君に向けるぞ。篠原、誰だって自分に出来ることしか出来ない。僕もそうだ。どんなに憎んでも苦しくても。結局、ピアノを弾くことしかできない。でも、だから、やめない」
新しく紡がれた曲からささやかさは消えた。BGMではない。間違いなくソロだ。「威風堂々」と誰かが曲名を呟く。凛とした雄大な曲調は独立した音と音とが繋がりあって波になって寄せていく。あるときは胸を叩く。あるときは静かに染みこむ。強く弱く、そっと激しく、呼びかける。砂浜に寄せる海だ。いつまでもいつまでも飽くことなく焦れることなく。静かに誇りをよみがえらせる。
「世界に押しつぶされるな。自分に失望するな。胸を張れ、篠原。僕は君のためにピアノを弾くぞ、ずっと」
――けほ、と漏れた。小さな咳だった。けほけほ、と友子が咳を繰り返す。あるいは何かを言おうとしたのかもしれない。咳を繰り返していたが、やがて顔をあげる。
かすかに潤んだ瞳は自信がなさげで、結局言葉が出なかった喉を抑えながら。
篠原友子はうなずいた。自分を見つめる全部を見返して。まだ弱くとも、懸命に。
友子の様子に、現れた変化に、集まった視線は大小とも喜色に満ちた。あはっ、と半田が弾んだ声をあげて、両手を打ち合わせ
「はい皆さん恒例、篠原先輩を包んでー! 抱きつけ第――」
言い終わらぬうちに正面から勢いのままに佐倉が飛びついた。あ、と誰かの呟きと共に腕だけではなく全体重をかけられた身体は、なすすべもなく背後に倒れこむ。幸い後ろはベッドだがまともに倒れた。
「篠原さん!」
慌てて駆け寄った時任が佐倉を引っぺがそうとするが、佐倉の手足は蛸のように絡み付いて離れない。ぎゅっと抱きつく佐倉の下で、いささか事を飲み込めていないように目をぱちぱちさせていた友子だが、時任の心配に気づいて大丈夫とばかりに急いで首を横に振る。
瞬間、ガチャリ、とノブが回る音が響いた。部屋の中の住人の肩が揺れる。
物音とピアノ音溢れる何が起こっているのかまるで想像つかない二階に、慌ててやってきたのだろう。強張る友子の母親の目に入るのは、腰を浮かせた男達と、ピアノの前に陣取る子どもと、何故かベッドの上で横たわる少女二人――のうちひとりは自身の娘、という謎の構図だ。
一気に混乱する相手に、磯部、竹下、時任辺りが視線を急いで交わす。
「すみません、お母さん。生徒が少しじゃれてしまって」
「――あ、は、はあ」
竹下がつとめて何事もなさそうに軽く頭をさげる。友子の母親は上ずった声をあげたが、そのとき上半身を起こした友子が、母親を見て首を横に振った。手振りで問題ない、とも伝えたようだ。いまだに自分に覆いかぶさる佐倉に目をやって、ほんの一瞬柔らかさが掠めた。笑みはまだ儚すぎて戻っているとは言いがたいが、その表情を目にして母親の目から混乱がす、と消える。
「……いえ。すみません。お邪魔してしまって」
もう一度娘を見て、何かを確認したように、ごゆっくり、と付け足しドアが閉まった。
ほっ、と緊張から弛緩へと部屋の中の空気が変わる。
けれどその隙をつくように、不意にかん高い着信音があがった。誰もがびくりとして、発信源に視線が集まる。時任の胸ポケットからだ。
自分も負けず劣らず驚いた発信源を、時任は忌々しそうに一瞬無視しようかという目をしたが、浮かび上がる受信元を見て急いで通話ボタンをおし耳に付ける。
「はい。時任です。はい。――わかりましたか!?」
思わず跳ねた声に周囲がなんだと目を向ける。
「はい。こっちも篠原さんと会えました。はい」
肩に挟んで半田にノートをよこせ、と小声で指示する。ペンで急いで書きとめた。
「埼玉!?」
また跳ねる声に、半田が怪訝さを強くさせる。書きなぐった時任は肩に挟んだ電話口に「はい、大丈夫です」と口早に受け答えし、驚きの表情を消しきっと顔を引き締めた。
「――すぐ向かいます!」
携帯を切って時任はぐるりと自分に集まる視線を見返した。
「国枝の居場所がわかった」
「!」
本当ですか、と言いかけて半田が鋭く息を詰めた音にそちらを見た。場の他のメンバーも気づいたようだ。彼らの視線の中心に友子がいる。目を大きく見開いて立ちあがっていた。やがて。薄く開いた喉がひきつって。
「そう、ちゃん」
震える喉から、ぽろりと一粒の言葉がこぼれた。




