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十三章「訪問者たち」3

 ピリリリ、とあがる電子音に気づいたのは、タクシーが姿を消してすぐだった。半田と佐倉の目が向かう中、時任が携帯を取り出し、画面を開いて一気に顔色を変えた。

 通話ボタンを弾くようにおして耳に押し付ける。

「ッ……もしもし! 時任です」何事かと見つめる半田と佐倉が、時任の次の言葉に息を呑んだ。「――篠原さん」

 必死な顔で時任は呼びかけていたが、言葉を途中で打ちきって苦渋の顔で携帯を耳から離す。

「切れた」

 半田は言葉に詰まったが、すぐにハッとして

「メールですよ! そもそも耳が聞こえないんですから!」

 まだ眉と眉の皺が消えないが、時任は小さくうなずいてすぐに打ち始めた。『送信しました』の文字が浮かぶ画面を見つめながら、三人は道路の真ん中で棒立ちのまま息を詰める。

「……なにか、言ってました?」

 時任が首を横に振った。「息を呑むような音だけだ」

 メールの着信音があがった。携帯に三人が頭をぶつけんばかりに飛びついた。(案件無し)の文字が記載されたメールの中身は一行だけ。

『キタはら会長はどこへ』

 入力途中で変換したのか不自然な並びの字は、それだけ送り主の動揺を物語るようだ。

 顔を見合わせて時任が『国枝のところへ向かった』と打ち込む。

 『送信しました』の文字の後、切に返答を待っていたが、それから携帯はうんともすんとも言わなくなった。ようやく返信はないのだと諦めかけたとき、ピリリリ、と携帯が鳴る。

 通話ボタンを弾いて時任が耳に付け、半田と佐倉も身を乗り出したが、「も、」しもしと言いかけた瞬間、崩れるように時任がしゃがみこんだ。

「…………」

「ぶ、ぶちょう?」

「…………いや。ああ、――ああ……ソウダナ……」

 眼鏡の奥で眼差しが遠い。一方、携帯からはなにやらけたたましい声が聞こえる。

「わかった、後で連絡するから――いやな。だから、悪いが今はこっちも手が離せない」

 はたから聞いていてもまったく気持ちはこもっていない。かなりどうでもいい相手のようだ。時任はなかなか切れない相手を迷惑そうにあしらっていたが、ハッと何かに気づいたように瞳を瞬かせ、俄然、身を入れて

「お前、車、出せるか? ――ああ。今、篠原の家にいる。説得して連れ出そうと思う。住所を送るから、なるべく大きめので来てほしい。五、六人は乗れる奴。わかった。頼むぞ、京免」

 最後に言った名前に半田と佐倉に驚きが走る。

「京免先輩だったんですか!」

「ああ」

 通話を切って時任がうなずく。

「さすが京免先輩。タイミングも凄いピンポイントに空気読んでないですね」

 天然って凄いなあ、と感心してうなずく半田に時任は一瞬物凄く物言いたげになったが 

「めんめん来るの?」

「ああ」

「なんで呼んじゃったんですか?」

「足が必要だからだよ」

「足?」

「これから竹下先生に連絡して、もう一度篠原さんの説得に行く」

「竹下先生はわかるんですが。また、篠原先輩の、ところですか」

 去り方が去り方なだけにどの面さげて舞い戻れるのかと、半田は微妙な顔をしたが、時任はきっぱりと首肯した。

「ああ。聞こえなくなった原因はともかくとして、さっき真上がお母さんに治ったきっかけを聞いたときの様子を見ただろう」

「あ、はい」

「お母さんははっきり怒りを示していた。あの人が怒りを見せるのはいつもひとつのことだけだ」

 少し考えて半田があ、と口を開く。国ちゃん、と佐倉も呟く。

「国枝が言葉を話せるようになったきっかけは、離れ離れになった篠原さんを見つけたことだ。篠原さんも、同じだという可能性は高い。お母さんのあの態度を見たらなおさら」

「じゃ、どうやっても篠原先輩と国枝先輩を会わせなきゃ!」

「そうだ。けれど、あの家ではそれは無理だ。どうしても篠原さんを説得して連れ出さなきゃならない。そして連れ出せたら連れ出したで迅速に篠原さんを国枝の元に運ぶ足が必要だ。……京免つきは諸刃の刃だがな」

「……篠原先輩にまず会うことを果たして、説得して、なんとかお母さんに許してもらうなりかいくぐるなりして連れ出して、どこにいるともわからない国枝先輩に会わせる、ってわけですか」

「そうだ」

 半田が並べたことごとくな条件に、楽観は一切見せずに時任は重々しくうなずいた。ごく、と唾を飲み込む音の後。

「やりましょう! 部長、隊長! ミッションインポッシブルミッションパートⅡ!」

 おおー! と佐倉が両手で万歳をして飛び上がる。事態の困難さは増すばかりだが、それでも朝に三人でインターフォンに向かったときの閉塞感はない。放っておくと永遠に飛び跳ね続ける佐倉の頭を抑えながら時任が

「竹下先生に連絡する」

「できたら、先生にも来てもらえませんかね。大人がいたらまた違う話のもっていき方ができるかもしれないし」

「それも頼んでみるか。京免に途中で拾ってもらおう」

 幾度かの通話の後で、竹下への連絡はスムーズにいったが、京免への電話で時任はまた躓いた。

『教師の件は了解した。あと清明も連れていくぞ』

「は?」

『だから清明も連れて行くと言っている』

「……結城か」

 せいめい、の響きに戸惑った後に、思い当たり時任がつぶやく。

『おそろしく君たちのことを心配していたからな』

「いやちょっと待て」

『清明には関わる権利があるぞ!』

「心配かけたのは申し訳ないし後でちゃんと話すが、京免、今はだな立て込んでいて――」

 時任が言葉を重ねるが、受話器の向こうのまくしたてる声はやまない。不意に時任の携帯を持つ方の腕にぐっと半田が身を乗り出して

「京免先輩! ついでにいそべん先輩も連れてきてください! 住所送るんで!」

「半田!?」

『わかった』

 短い承諾の声と共に通話が切れる。

「おい!」

「もう京免先輩いる時点で結城先輩の一人や二人いてもまったく無害ですよ。うまくいけば相手して抑えてくれるかもしれませんし」

「だがな、」

「心配かけてるのは確かでしょう」

「結城だと逆にもっと心配をかける羽目になりかねんぞ」

「それでも一緒ですって。報がないのもあるのも。だったら一緒に心配しましょうよ。いそべん先輩もです。僕ら、三人で行ってもダメなんですから、みんなで説得してみましょうよ」

「……」

 半田の言に一理を認めつつ、まだ迷いが消えない時任にうん、と急に佐倉が大きくうなずいた。

「みんないっしょ。それがいーよ」

 笑いかける佐倉を見下ろし、ようやく時任の迷いも解けたようだ。少しだけ目を和ませた後。「まあ、でも京免先輩は大変だと思いますけどね」とさらりと言を翻した半田を返す拳でごつんとやった。  




 車中からでもわかりやすいように、大通りに移動した時任たちの目の前に黒塗りの大型ベンツが乗りつけた。ウィィンと開いた窓から開口一番に

「僕が来た!」

 叫んだのは、高校生とは思えぬ体躯、少しつり気味の目を猫のように輝かせる、京免信也だ。落ち着いて再会したのは、よく考えればあの文化祭の夜以来だが、小さな身体に反しそこに満ち満ちた多大な自信に溢れた態度はまるで変わらない。

 「ながーい」と簡潔な感想と共に表面にぺたぺた指紋をつける佐倉の横で、「諸刃って言っても逆刃の方が格段に大きい刃ですよねこれ」と言う半田の横で、自身の判断にさっそく迷いが差し込んだ時任が額を押さえる。

「最大十人乗れる」

 一番前の座席でふんぞりかえる京免の後ろの席から、竹下が顔を出した。時任は居住まいを正し

「先生、お休みのところ、ありがとうございます」

「そんな気を使うな。当然だろう」

 京免の横には慣れぬ高級車中に緊張で強張った顔の結城と、それとは対照的に四列になった後部座席に泰然と腰掛ける磯部の姿も見える。窓から顔をのぞかせ時任は声をかけた。「二人も、ありがとうございます」

「そ、そんな! 俺こそ押しかけてごめん!」

「目的についてはやぶさかねえけどよ――」後部座席からは長い脚を組んだ磯部が、前座席の京免を指してずばりと突く。「あれ連れてってどうする気だ、いったい」

「聞き捨てならないぞ社会人!」

 当の本人が背もたれから身を乗り出した。その横で顔をこわばらせていた結城が慌てて止めようとするが、京免は止まらず

「僕を連れていけば間違いなく篠原は出てくる!」

「なぜですか?」と車外から半田。

「君達は日本人の癖に天岩戸の伝説を知らないのか?」

「知ってるが」

 磯部の素っ気無い返答に、京免信也は本当に愚かしい奴らだなとばかりに目を細めて。

「いいか。岩穴に閉じこもった女神は舞踏と演奏という素晴らしき芸術に感銘をうけ出てきたんだ。舞踏はないが、問題ない。この僕が演奏すれば篠原の一人や百人喜びいさんで飛び出てくる!」

「……」

 謎の岩穴から喜びいさんで出てくる百人の友子の光景を一瞬でも想像してしまったのか、車中と車外に沈黙が広がる。ひとり意気揚々と「説得役に僕を見込んだ、君の判断力は評価に値する」と果てしなき上から目線で声をかけられた、ただ単に車目当てで呼んだ京免の、輝かしいばかりの勘違いをまともに受けた時任は無意識にか胃の辺りを押さえている。

「天岩戸の実際は日本最初のストリップショーだがな」

「それで篠原先輩出てきたら今度は国枝先輩が引きこもりそうですよー……」

 淡々とした磯部の言葉に半田が小さくうめいた。




 タクシーは大通りから外れて郊外へと入った。小さな町工場や古い家々がまちまちに見える光景は、やがて一度駅から降りて歩いた記憶と一致していく。

「もうすぐよ」

 話しかけたが、横の北原は反応らしき反応は返さない。真上も特にとがめることはせずに、やがてタクシーは「みどり園」と書かれた小さな門扉に停車した。

 助手席から運転手に待っているように頼み込み、扉を閉めて真上は北原へと目をやる。

「ここが、篠原さんが育った場所よ」

「……」

 茫洋と見つめる北原を放置して、真上はインターフォンを鳴らして手短に名乗る。

「園長先生をお願いします」

 程なくして訝しげな施設職員に案内されてスリッパに履き替え、園長室に入ることができた。地味なスーツを着た園長は前とまるで変わらぬ様子で真上を目にして、穏やかな顔で微笑した。

「あら、あなた」

「ご無沙汰しております」

「まあ、お座りなさい」

 案内してくれた職員が、紅茶のカップを載せてやってくる。それを受け取って扉が閉まると、真上はすぐに切り出した。

「突然の訪問、すみません。今日はお願いがあって参りました」

「なにかしら」

「私は永誠高校の卒業生で、こちらの北原は現在同高校の三回生です。私達の後輩に国枝宗二さんという男子生徒がいるんです。昔、彼の名前は佐々木宗二でした。ここでお世話になっていた男の子です」

 園長の微笑みは消えない。

「至急、彼と連絡をとって会いたいのですが、電話が通じなくて。最後の糸とすがってここに来ました。園長先生、ご存知ないでしょうか。彼のお父さまやお母さまでもかまいませんから。本当に緊急の用件なんです」

 園長は自分のカップをとって一口飲んで、ソーサーに置いた。柔らかいふちからこぼれる視線が真上を向いた。

「あなたは、今日は率直ね」

「……」

「でも、早すぎて年寄りにはちょっとついていくのが大変。それに色々なことが抜けている気がするわ」

 ゆっくり腰をあげて園長は棚に近寄る。いや、棚ではなくその横の壁だ。真上が行く先に気づいて少し背筋を伸ばす。園長の視線の先には確かに、白黒の写真がある。あの日、ここで確認した二人の佐々木が映る写真だ。

「それはひとりの話じゃなくて、ふたりの話じゃないかしら」

「……」

 うつむく真上に園長は穏やかに。

「宗二君の居場所なら存じています」

 北原が初めて反応した。真上も思わず腰を浮かしかけた。

「けれど、こういう話はすぐに結論を出してはいけません。どんなに急いでいても、飛ばせないものが、必要な時間をかけなければいけないものがこの世にはあります」

 最後の言葉を口にした時、一瞬、園長の目の奥に遠い光がよぎった。けれどすぐに瞬きして微笑みを戻し、二人の前で自分の席によいしょと座りなおし

「真上さん、最初から、すべてを話してくれないかしら」



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