十二章「〇〇〇」2
乾いて冷えた生徒会室には、今、怒りの粒子が充満している。金属的な声に引火して弾け飛びそうなほど濃い危険な密度で。気がなさそうに構えていた南城、東堂、西崎の三人が三人とも、いまや全身で感情を露にして席を立った。
「なになかったことにしようとしてんの? なんにもなかった? ――あったよ!」西崎の顔が常にない激情に歪んでいる。「大ありだ!」
その声に呼応するように何かが容赦なく衝突する音が響く。壁に叩きつけられたパイプ椅子が崩れ落ちる。元をたどれば立つ東堂がいる。その長い足がパイプ椅子を壁まで吹っ飛ばしたのだ。
「くそアマ。あの偽善者面最後まで貫くかよ。それともいたぶりすぎて頭がいかれて吹っ飛んだのかよ。てめえがなにされたか。どんな目に遭ってきたか」
瞳は血走り血管が浮き上がり、今の東堂には生半可に触れれば食いちぎられそうな危険さがある。
けれど
「――なんで、あんたが怒るんですか?」
冷ややかな声がむかえ打った。パイプ椅子に座ったままの半田だ。声と同じく顔もひどく冷たかったが、やがて睨むうちに激情が瞳を揺らし始める。
「あんたらが怒れるとこが、どこかにあるって思ってるんですか」
「吼えるだけじゃなく噛み付きにこいよ、チワワ。お前にも友子と同じコースをサービスしてやるからよ」
最後の言葉に半田がさっと顔色を変え、思わず腰をあげかけた瞬間
「――いい加減にしなさい!」
高い女の一喝が響いて、腰を浮かしかけた男達がぐっと留まった。半田、と時任が身を乗り出しかけた彼の腕をひく。引かれるままに腰掛けた半田は荒い息のまま、しばらく呼吸を繰り返す。本人は収めようとしたようだが、どうにもこらえれぬものがあるのか最後は物理的にぐいっと胸を押し
「――国枝先輩の分です」
「わかってる」
時任の言葉に、半田はただ息をする。隣の佐倉は真正面を真顔で向いている。動かない。
真上が進み出て、漆黒の瞳が三人を見据えた。その艶やかな夜が少し揺れた、と見て取れた瞬間、視界から消える。
「ごめんなさい」
身体を二つに折って真上が頭を下げていた。その頭は激した半田たちも意表をつかれるほど深く、黒髪は垂れてパイプ机に流れる。
「――」
「謝ってすむことではないけれど、本当にごめんなさい」
そして真上は顔をあげた。黒い瞳には心底からの後悔と謝罪に濡れている。
「もうわかっていると思うけれど、この子達は嫌になるほど幼稚で、くだらないプライドだけが高かった。他人を勝手に値踏みしてどこにもない優劣をつけてほんの少しの勝手な外野の賛同にうぬぼれてそれを真実だと思いこんで」
一転してその瞳に軽蔑に近い光を宿し、真上は背後を見返る。さすがに彼女の行動に意表をつかれる生徒会面々を、鋭く刺して
「あなた達は我慢がならなかっただけでしょう。認めたふりをして、その実で腸が煮えくり返りながら。そう、あなた達は我慢がならなかったのよ。懐に入れた相手が本当は心を開いてなかったことを。篠原さんがあなた達を見なかったことが」
「見なかった?」
西崎が笑った、どこかしら自棄気味に。南城が続ける。
「それは半分間違ってる。確かに俺達は眼中にはなかったかもしれない。でも、全部はそうじゃない」
「ともたんはね、会長に気があったんだよ」
どこがいいのか知らないけどね、と目を向けた先で、険悪が弾ける部屋の中でただ一人変わらぬ姿勢で座り続けている男がいる。
「会長も、まんざらでもなさそうで。俺たちがつつくと、いっぱしにナイトまがいのこともし始めた。この人形会長がね。ともも態度をかえた。結局、今まで俺達のとこにきてたアバズレと何一つもかわらなかったってことさ。根暗な分だけ性質が悪い。でも、この会長とともだろ、もう、勝手にしろと思ったよ。俺達は手を出さなかった。人形と根暗のおままごとだ。関わりたくもないってね」
肩をすくめた南城の瞳に、けれど自身が語る感情だけではない、昏いうねりがふと生まれた。
「そんなときに見たのさ。あの、国枝――とかといるところ。呆れるくらい、あからさまだったよ。よだれを垂らす犬かな。あの媚びっぷりにはドン引きした」
秀麗な顔に漂うのはすさんだ投げやりさだ。東堂が続けた。
「発情した男狂いのうぜえメス犬を蹴っ飛ばしてた。それだけだ」
「会長は傍観に回っていた、今みたいにね。だから、なるべくこの部屋でした。人目にもつきにくいし」
「自分に気があると思ってた相手がね、自分が虐げられているのを、とめもせずにただ傍観してるんだ。初めて堪えた顔をした」
あは、と西崎が弾んだ声をあげた。
「傑作だったよ」
パイプ椅子が床を滑ってパイプ机に衝突した。
派手に散った金属が叩きつけられる音に、周囲の視線がその音がやってきた方を見た。
部屋で唯一の女子の制服、佐倉晴喜だ。それまで真顔で座り続けていた彼女は、すたすたと普通に歩いていって自分が蹴り飛ばしたパイプ椅子をひょいと拾った。そして、頭の高さまで持ち上げて床にがつんと叩きつける。稼動部が歪む。また持ち上げる。がんッ! と火花と部品が散る。息つく暇もなく予測のない凶暴が細い腕から生まれ散る。
やがて完全に引き曲がった椅子を手に、佐倉晴喜はくるりと生徒会に顔を向けた。露になった彼女の顔は、無表情だった。
「……佐倉さん。なにをする気?」
ハッと肩を揺らして呟いた真上の声に、曲がった椅子をゆっくりとあげられる。それが影となって佐倉の顔にかかる。
「この部屋、壊す。篠ちゃんの悪夢は全部消す」
一瞬、場は言葉をなくした。異様な佐倉晴喜に制されて。場を見据える佐倉の瞳には一片の光もなく、故に塗りつぶされた不動の意思をも思わせる。
一拍置いて、西崎がへら、と笑った。
「器物破壊宣言? いいよ。間違いなく学校やめることになると思うけど」
「あんたらは人間やめてますよ」
怒気をみなぎらせて立ち上がったのは半田だ。
「賛成です隊長。大賛成です。ここは満員御礼のゴキブリほいほいです。一足早い大掃除のつもりで全部全部、綺麗さっぱりなくしましょう」
「口の威勢はいいな。行動はどうだ?」
東堂が威嚇するよう歯を見せる。南城は侮蔑に口の端をつりあげて
「お仲間さんは殺気立ってるけど、そっちの代表さんはどうなのかな?」
矛先を向けられた時任に部屋の視線が集まる。彼だけはいまだ腰掛けたまま腕を組んでいた。佐倉の振る舞いのときすら、動かなかった。眼鏡の奥に理知的な光を灯らせたまま、時任は腕をといて落ち着いて口を開いた。
「初めの頃に、篠原さんにあんたらをどうしたいと聞いた。篠原さんははっきり言ったよ」 「……」
『「生徒会室ごと土砂でお前らを埋め尽くしたい。』」
時任はゆっくり席を立った。
「俺も同じ意見だ」
ぱっと半田の顔が晴れる。
「ええ、はい、せっかくのリクエストですもんね! 通しましょう。ブルドーザーのレンタルいくらですかね」
「一輪車でも運べる」
「うわあ地道ー。でも僕、がんばっちゃいますよー」
笑顔と無表情で、でも同時に怒気を漲らせながら呟く半田と佐倉の二人を背後に、時任は生徒会面々をキッとにらみつけ
「あんたらはほんとに何百年だって掃除してない公衆便所だ。ぎゃふんを百万回言わせたってどうしようもない。物を壊すなだと。あんたらが壊していたものを一度でも顧みて言葉を吐け。あんたらは人を壊していた。俺達の、大事な、人間をだ」
「ハッ」
その一言が返答だった。
「東堂、西崎、南城」
またも引火して爆発を起こしそうな部屋の中で、真上の言葉が最後の沈火薬のように響く。あんだよ、と東堂がかったるそうに首を曲げる。真上の次の言葉には時任たちの方が息を呑んだ。
「あの子が、篠原さんが、孤児だって知ってる?」
「こじ?」
「みなしご、って言った方がわかる? 家族を失って、養護施設で今のご両親に引き取られたのよ」
一拍の間をおいて、西崎、東堂、南城は笑い声をあげた。
「うわ、カッワイソー」
「ま。でも納得かな。あの根暗で見苦しいほど必死な感じは」
「国枝君もよ」
真上は淡々と告げた。三人の嘲りの顔に少し変化が現れる。
「真上さん」
時任が硬い声を出す。なぜそれを、と糾弾もこめた響きで。
「独自に少し調べたの。ボランティアにもぐりこんで、園にも行ってみた。園長室にはられた写真に、篠原さんと国枝くんの二人が写っていた。二人の名前があった。今とは違った。昔の苗字なんでしょうね。苗字は、佐々木と書いてあった」
「……どちらが?」
「どちらもよ」
真上の言葉にふと沈黙が落ちた。
「確かめた。ここに写っている二人は兄弟なのかと。園長先生は、うなずいていらっしゃったわ。佐々木友子と、佐々木宗二。篠原さんと国枝君は――兄妹なのよ。双子の」
真上は見据えた。
「お互いだけが、唯一の家族だった子どもたちなのよ」
「――は」
部屋に満たされた沈黙を破ったのは、その一声だった。
「は、は、は」
誰が漏らしたのかはわからない。ただ、西崎、東堂、南城のいる場所のどこからか漏れた。そして低い呟き。
「馬鹿みてえ」
「本当ね。あなた達の幼稚さが」
ひやりと答えたのは真上だ。
「篠原さんが、あなた達を差別した。人によって態度を変えた。媚を売った。そんなものは全部、あなた達の勝手な妄想よ」
また沈黙。
やがて、どさりとパイプ椅子に身体を投げる音がした。東堂が初めと同じように、気がなさそうにのけぞり空を仰いで。
「――好きにすりゃいいだろ。退学でも停学でも」
カツリとヒールが鳴った。呟いた東堂が顔をあげる。瞬間、頬を白い手が張った。思わず全員が顔をあげた先で、ヒールの踵を返して南城の前に立つ。驚いた顔をした白い頬を打ち据えた。そして間髪いれずすぐ隣の西崎にも炸裂させる。
「一秒でもいいから、自分のねたみや傷の前に、篠原さんのことを考えなさい。人の心もわからないなら、半田くんの言ったとおりよ。人をやめなさい。死になさい。死ぬ潔さもないなら、私が殺してあげる。社会的に抹殺してあげる」
真上は宣告した。君臨する女王のごとく。それを見上げていた彼らはやがて頭をさげていき
「……」
ようやく、ついに、加害者は黙した。




