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十一章「応援演説」下

 集会は朝一で行われることになっていたので、学校についてすぐ部室に直行した。待ち構えていた結城君に、先にゆうちゃんをセットしてもらった。と言ってもあのステージバージョンではない。いつものゆうちゃんを丁寧に整えた感じ。

「悩んだけど、最後はこれでいいと思う」

 静かに告げた結城君に、異は誰も唱えない。俺もそれでいいと思う。黒髪ボブに眼鏡のゆうちゃん。待ち構えていた佐倉さんたちと一緒に先に送り出してから、俺も急いで鏡の前に座る。時任も残ってくれた。残りのメンバーは講堂の方の準備をお願いしている。

「京免、やっぱりダウンしてるみたいで」

 休むことなく手を動かしながら結城君が話す。

「ごめんね。結局、代役の俺になったけど」

「全然いいよ」

 一応、大太鼓を京免くんに頼めないかなあ、という案もあったんだけれど(佐倉さんのときに見せた腕が凄かったから)彼は文化祭前はまったく顔を出さなかったので、ずっと結城君が代役でつきあってくれていた。

 そして文化祭が終わった途端、京免君はそれまでの無理がたたってぶっ倒れてしまった。今現在もダウン中。(なんでも四、五日は軽く徹夜したとか!)それくらい無理をしてSealを呼んでくれた彼を、衰弱の床から引っ張ってこれるわけもない。

 それに、確かに京免君は凄いだろうけれど、俺は結城君のでまったくかまわないと思う。だいたいスタイリストさまに演奏させるってこっちが頭を下げるところだし。(いま頭セットしてるから下げれないけど)

 結城君の慣れた手つきで、髪はさくさくと仕上がった。先輩達の中にはオールバックでびしっと前髪固める人も多かったけれど、俺がするとどうも小粒みたいにかたまってしまうのでなし。若干柔らかい髪を少し硬そうにセットするだけに抑えて、紐のブーツも履くけど靴底のシークレットもなしにした。も、小柄さはいいんだよ。ギャップで行くぞ、といそべん先輩もうなずいてくれたし。

 髪を整え終わり、最後にきゅっと結城君が白の鉢巻を巻いてくれた。額を心地よい圧迫感で締め上げるそれは、長さが背中まである。腕まわりも同じもので縛っているので、学ラン周りにひらひらと白い布が舞う。

 結城君は手早かったし、着替えとかも急いだつもりだけれど、朝の時間は短くてあっという間に、集会時間間近になってしまった。ここは旧校舎四階の部室なので行く時間も考えれば急がないとな。

 時任と結城君の二人に他の荷物とかも持ってもらって部室を出たとき。先行した時任が一瞬止まって、そして俺の腕をつかんでぐいっと引っ張った。え。なれないブーツにちょっとよろめいた俺の視界、艶やかな黒髪の女性がうつる。

 げ。

 という顔をしていたと思う。えっ、と結城君が呟く。時任だけはがん無視で俺を引っ張っていく。一瞬すごく混乱したけど、そうだな、と奴の意向に従った。

 目の前をすり抜けた俺達に、真上は何も言わなかった。ただ、ついてくる気配がした。時任は後ろを確認して小さく舌打ちすると荷物を押し付け、先に行っとけ、と残してぐっと俺達を先に行かせようとする。時任の意図はわかったけど。逡巡する俺に

「待って」

 真上が言った。その響きだけは、少し気をとられた。早口で時任が

「結城、頼む」

 う、うん、と同じように迷って、でも俺よりかは幾分か覚悟を決めていた結城君が俺の背をおした。俺も抵抗はしない。でも肩越しに見やった、真上のどこか必死そうな、けれどそれでいて自分のしていることに今ひとつ自信が持てないでいるような、そんな様子が心に少しだけ引っかかった。

 幸先のいいスタートとは行かないけれど、とにかくそれからは邪魔も入らず講堂についた。

 裏口から入るとステージ袖に佐倉さん、半田君がいた。ゆうちゃんは、すでにステージに出ていた。向こう側の幕近くに用意された椅子に腰掛けている。近くの椅子に北原もいる。候補の二人という立場で座っているんだろうけれど、近い距離にやきもきする。

 壇上でマイクを持って生徒に指示を出しているのは竹下先生だ。本来ならそこで進行を進めるのは、生徒会の奴らなんだろうけれど。奴らは袖の向こう側にいるのが見えた。

 まあ自分たちもかかる決選投票を仕切るわけにもいくまいか。ステージ挟んで離れているので幸いだ。あいつらの先輩にはちょっと軽いジャブ貰ったけど。

「かっこいいです先輩」

「いー!」

 俺の姿を見て寄ってきた半田君と佐倉さんが口々に言ってくれて、さざなみだった気持ちがちょっとおさまる。恥ずかしいけれど、褒められて浮上する俺は単純だ。

「だよね。びしっと決まってる」

 結城君が二人にちょっと自慢げに白い歯を見せて笑う。さっきの出来事で結城君も動揺してると思ったけれど、そんな様子は微塵も見せない。もしかしたら俺を落ち着かせるためかな、と思う。

 ふと、ちらと視線を感じた。壇上の竹下先生だ。俺を横目で見て、いけるか、と口の形で問いかけるので、はい、とうなずく。

「では、候補者の応援演説です」

 さあ――、と心臓が鳴ったところで、白手袋をはめた手に感触を感じた。見ると半田君がぎゅうっとしている。佐倉さんも反対の手を握っていた。え、と言ったら、結城君が後ろから両肩に手を置いた。三人の手の感触からふわっとあたたかいものが身体に流れ込んできた気がした。

 額の鉢巻の締め付け具合がちょうどいい。

 少しだけずれた白手袋の縁を引っ張って、俺は舞台へと踏み出した。




 袖を越えると、一気に観客席が露になった。数日前にステージを体験したけれど、あの時は俺への注目度などたかが知れていた。なのに今は鳴り物入りのひとり登場なので、注がれる視線は物理的に肌に痛いほどだ。

 それでもまだ横向きだったから、なんとか平静を装って演台まで行った。先ほどまで竹下先生が立っていた場所にたどり着き、そして覚悟を決めて向かい合った。

 ばっと全面に見えるのは、講堂の中で整列し床が見えないほどに詰まった全校生徒。全体的には制服の面積が締めて白っぽい。その上に浮く柔らかい茶色が多い頭は三年の方にいくにつれて黒の比率が高くなっていく。

 白制服の揃いはどこかしら宗教めいたものを感じさせ、統一されて無個性にも感じられるけれど、すべてはみんなばらばらの己で。ここにいる人間の数だけ過去があり生活がある。無数に別れる未来の先に続く、ほんのひと時、運命であるいはまったくの偶然で今ここに居合わせた。そんな彼らがいっせいに自分に視線を向ける、その光景はなんだか冗談のようだ。

 ああ、これか。と不意に思う。これが奴らの見ている風景か。そうしてゆうちゃんが行こうとしている世界か。俺はその瞬間、開けた世界を、憎めばいいのか受け入れればいいのかわからずに立ち尽くした。

 ただ身体の方はとくと承知とばかりに、マイクを取ってスイッチをいれていた。プツッ、と爪を立てるような音とともに、音響が入る。

「どうも。こんにちは。二年C組の国枝宗司です」

 マイク越しに響く自分の声の感触を確かめ確かめ話す。平均身長には届かないし、華やかな容姿とも言いがたい。俺の学ラン姿など、せいぜい黒いから目立つ、くらいの認識だろう。

「篠原友子さんの応援演説ということで、ここに立っていますけど。あいにく口下手なんで、演説とか苦手で。だから、演説の部分はスパッと切り離して、俺は、応援だけストレートにいきます」

 俺はマイクのスイッチをきった。手を離して一歩ひいた。両足を肩幅まで開き、手を後ろで組み、背筋を張った。ダダンッ、と斜め後ろから太鼓の音がする。結城君が鳴らしてくれているんだ、と思うと心が少し軽くなった。いい音だ。鼓動と重なる。

 す、とひとつ息を吐いて。

「篠原友子のー」

 特徴的な節に、あんまり抑揚はつけないで。音程はまっすぐに伸ばす。ダン、と響く。

「勝利を祈願してー」

 え、マジでその応援なの? と前方から聞こえる声。

「エールを送りまーす」

 苦笑とざわめきが返る世界に向けて、顔をあげすうっと俺は深く息を吸い込む。腹の中で溜まるそれをゆっくりと探って。最初の音。フ。その形に口を開く。そして。腹の底の空気を、血の流れを、俺の中にある全部をさらって。ダダダダダダ、とすばやいテンポにのせて。フ――

 

「ッレエエエエエエエエエエエエエッ!!」


 身を折るように搾り出しそしてまた上半身をあげた流れで、見上げてくる生徒の顔が見える。突風を浴びた人のように目と口を開いたそれめがけて、腹の中にまだ十分に残っていたものを叩きつける!


「フレエエエエエエエエエエエエエッ!!」


 存分に震わす腹が熱い。自分が放った声が広がる波の向こうに、たった半年だけ参加した応援団の思い出が浮かぶ。声が大きい。徹頭徹尾、それだけが取り柄の俺を見出してくれた先輩達。厳しかったけど、いい人たちだった。なによりも、揺るがぬ意思や目的を持っている人たちだった。彼らの熱にほだされてのめりこんで。高校野球の地区予選応援でいきなりセンターに抜擢されたのはもう遠い昔のように思える。青い空。数多の歓声。一度きりの公式戦。


「シィーノーハーラァッ!」


 ラァッ! と最後の言葉を跳ね上げて。太鼓が必死に作り出す流れにのせて、弾き出した声が飛んで寄せて天井に壁に跳ね返ってくわんと響きが何十層にもなって飛び交う。あちこちで声たちは追いつき追い越し交差して、場は音のカオスだ。それが鳴り終わるのを待っていられない。


「つらぬけえええええええええええええええええええっ!!」


 まだ来るのかとぎょっとしたような顔に向けて容赦なく食らわす。熱く腹を震わせて。音はさっきより乗った。太鼓の音色に響かせる。

 言葉に熱がともるなら、きっと胸でどれだけ暖められていたかだ。俺はずっと暖めてきた。ずっと言いたかった。過ぎてしまう君に、自分を追い詰めすぎてしまう君に言えなかったけれど。今なら言える。大丈夫の、その先の言葉。背筋を張って息を吸う。


「がんばれえええええええええええええええええええええっ!!!!」


 先輩達が教えてくれた。こみあげてくるものを、全部つぎこめ、すっからかんになるまでつぎこめ、吐き出せ、送り出せ。傷つく人に。背負う人に。それでも行く人に。みんなに向けて。世界に向けて。そしてたった一人に。ゆうちゃん、君に。がんばれ。――がんばれ。


「シィーノーハーラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」








声の波が消え、返るのは沈黙ばかりになった場で、俺は後ろ手にして、胸をはった状態からぐっと頭をさげた。下げた先でもまた沈黙。顔をあげる。丸い目。見開いた口。全体の沈黙の中で。崩壊は同時に来た。


 なっ…に、今のっ! うそ? 拡声器とか使ってないよね。マジで!?


 使ってないよ、とざわめく客席に苦笑いしかけた、そのとき。

 不意に。すぐ後ろで異様な音色があがった。

 俺は反射的にそちらを振り返った。俺の目に飛び込んだのは、パイプ椅子が倒れてゆうちゃんが、膝から崩れ落ちて沈んでいく光景だった。

「ゆ、ゆうちゃん!」

 焦った俺は、間近にいたゆうちゃんにとって声がダメージになったか、と馬鹿なことを考えた。俺はガキの頃、声で薄い硝子を一枚割ったことがある。老朽化とか色々あったんだろうけれど、あまりのインパクトに超音波星人、とからかわれた。だから。

 俺の声に強引に突き上げられたよう顔があがる。見上げるゆうちゃんの目が俺とあった。

「――」

 そんな顔を見たことがない。

「ゆう、ちゃん」

 ゆうちゃんが悲鳴をあげた。そして頭を床に打ちつけて亀みたいにうずくまった。激しさに眼鏡がとんで、叩きつけられたガラスが音もなく割れた。

 袖から時任が走り出てきた。異変に気づきざわめく生徒に向けて、マイクを持って何か話している。佐倉さんと半田君がゆうちゃんを両左右から支えるように舞台袖に連れて行く。

 世界はなんとか動き出したが、俺の頭は何も考えられなかった。

 指一本動かせない俺の前で、佐倉さんと半田君が戸惑いながらでも懸命に、しゃがみこむゆうちゃんに声をかけたり撫でたりしている。でも、嗚咽はとまらない。しゃくりは激しくなるばかりで。ゆうちゃんの身体はがくがくゆれている。全身がとてつもない苦痛に苛まれているように。ひどい痙攣に一瞬だけゆうちゃんの背がそってその顔がまた見えた。涙があふれた瞳は絶望いっぱいにひび割れて。

「―――……っ! ――――っ……」

 俺はゆうちゃんのそばにいこうとした。でも誰かがとめた。それに俺は従わざるをえなかった。動かない頭、認められないどこかでも、わかっていた。誰を見て、誰の動きで、ゆうちゃんが。

 竹下先生がきた。谷村先生もいた。どうした、と誰かが聞いた。誰からも答えは返らない。愕然と見下ろす真上、生徒会の連中。号泣と尽きぬ悲鳴が満ちる中、誰もが立ち尽くしていた。何も出来ないまま。

 ステージの床をゆっくりと響く、足音。俺は顔をあげた。

 誰とも違う足取りで、一人、歩いてきた。とめよう、と思った。俺は許さなかったはずだ。そいつが近づくことを。でも、混乱と酩酊の世界の中でそいつだけは確たる意思を持っている気がした。そいつはすぐそばにはいかなかった。でも迷いはなかった。

「篠原」

 びくりと跳ねた肩を、北原は表情なく見下ろした。

「笑え。すべてお前が望んだとおりになった」

 一拍後に。

 ゆうちゃんが顔をあげた。

 両の目から次から次へと涙が溢れ頬をつたう。口の端が震えながらつりあがる。それまでゆうちゃんの中にあって、ぎりぎり張られていた糸。それが、その瞬間、きれたのが見えた。ぷつりときれたのがみえた。目を見開いて、涙を流し続けて、弛緩したようにゆうちゃんが笑う。さまよう目はどこも見ないで。

 でも最後に切れた糸の端をつかんで一瞬だけでもつなぎとめるように、瞳が一縷の意思を宿し俺を見た。震える光、心の底からすがるように、でも助けがないことを心の底より深くから知っている光。震える唇が開かれる。音もなく白い朝の中で、動いた口の形。

「――ごめんなさい」







 ゆうちゃんが、きれた。






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