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十章「決戦の文化祭」22

 脱力ってほんとに力を脱ぐ、って感じだなあ。

 と、ソファに崩れながら考える。

 ほんの一時間か二時間前のことなのに、あの熱と光の洪水のようなステージはまるで遠い昔みたい。「楽しかった」とシンプルだけどすとんとくる一言を残して車に乗ったSealのメンバーを見送ってから。

 天候と運動場の様子から予定されていたファイヤーストームは中止になり(多分少なからずライブの影響はあったんだと思うけど)、花火だけがぱらぱらとあがった。すっかり暮れた校庭の夜空にあがる花火は、そう派手でなくとも感慨深いものであるだろうけれど。一般生徒のようにそれをゆっくり見る余韻などは、残念ながら俺たちにはなかった。

 先生たちや関係者一同に厚く礼を言って、迷惑かけた相手には深く頭を下げてから、花火があがる運動場の片隅で俺たちは再び手分けして事の後始末に奔走した。

 俺が主にしたのは準備係として今夜のうちに片付けなきゃいけない荷物返却の手配。

 こまごまとした荷物はともかく、大きな物や重いものはこれどーしよ…と途方に暮れたところに(だってアップライトピアノ返却もいつの間にか俺の仕事になってたし!)「うーす」と何気ない挨拶と共に現れたのが藤田さんとバスケ部の面々。

「手を貸そうかって言ったら、腕力ある奴らはこっちに回ってくれって言われたけど」

 みんな俺より身長高いけど天使に見えた。

 そんなバスケ部と一緒に校舎に荷物を運んで困難なのはあらかた片付いた。(ピアノほんとありがとう!)

 自分たちの屋台撤収だってあるのに。何度も頭を下げると

「面白かったぜ」

 にっと一言残して去る高身長の天使たちに、やべえかっこいいなあ、と思いながら残った段ボールを部室に全部なんとか運び込んで。

 最後のダンボールを運び終わった瞬間、俺はタコになった。

 あれ、と思ったけれどソファの革張りに頬をつけて、身体が全然動かない。くらっと一気にフェードアウトしそうになったけれど、他のメンバーがまだ働いている可能性が頭にちらつくと、ぐっと最後の意思が落ちる意識を引き止めた。

 まだ誰もかえってきてない一人の部室で、抗いがたい誘惑を必死にふりちぎり、身を起こそうと葛藤していると

「国枝」

 不意にかかった声に、俺はそれまでどうしてもあがらなかった重い身体を持ち上げた。開いた戸口にスタッフTシャツを着た時任がいた。

「そのままでいい。もうどこの部署もほとんど終わった」

 いつもは先輩にすら見える奴も今は汗だくのTシャツと乱れた髪と息で年相応に見える。だって一番疲れているのは時任だしな。俺がソファ陣取ってる場合じゃない。

 なのに時任は真っ直ぐに冷蔵庫に行って、ソファでもがく俺にポカリを差し出し

「水、補給しとけよ。かなり水分失ってると思うぞ」

 今、優しくされるともう立ち上がれない…。

「みんなのところも、大丈夫?」

「ああ。もうほとんど終わったって言っただろ。すぐ帰ってくる」

 時任は俺が受け取れなかったポカリをひねってあけ、そのままソファの背もたれに軽く腰掛けて中身を煽る。そんな時任から、急く気配や去る気配は感じられない。ということは本当にほとんど終わったのか。

 なんとか俺は上半身を起こした。そして時任を肩越しに振り向いた。

「なあ、時任。いつからわかってたんだ?」

 何もかもが終わってようやく。俺は時任が真剣な顔で「Sealが来る」と言ったあの時から(と言ってもわずか三、四時間前の話だが)ずっと聞きたかったけれどそれどころではなく聞けずにいたことを聞けた。

 時任は口をつけていたペットボトルを少し離し

「前に結城が落ち込んで、京免に電話をかけたときだ。今からでも舞台は手配できるかって聞いてきてな。そのときにわずかだけど、まだ呼べる可能性があるって聞いた。ただ確定ではまったくなかったし、生徒会の耳に入って妨害されるのを警戒して隠してた。受理された企画書も初めの名残で「本人が来るかもしれない」の文言が入ってたから既成事実でいけたんだ。少し揉めたが、熟考する時間なんかほとんどない。流しきった」

「なるほど」

 さすが時任。理にかなっているなあ、と思う。

 中身を全部煽って、時任はからになったペットボトルを部室の端にあるゴミ箱にシュートした。見事にゴール。

 なんとはなしにその行方を見送ってから、俺は時任に視線を戻し、そして本当は一番聞きたかった部分を、思い切って口を開いた。

「でも、なんで俺達には言ってくれなかったんだ?」

「悪かった。水臭かったな」

 時任は素直に謝った。

「佐倉は馬鹿正直――いや単に馬鹿だから意識せずばらす可能性があると思った。嘘とか隠すとかには無縁の奴だからな。お前には言っても良かったんだが、佐倉や他にたいして隠し事をさせるのもどうかと思ったのと」

 言葉途中で時任はちょっと黙って。なんだかいらついたように、汗で乱れた頭をがしがしとかいて

「……うちの馬鹿後輩が、あれだけ真剣になったのは初めて見た。あいつバカみたいにポジティブなアホだろ。叩かれて叩かれてもへらへらしてる、もぐらたたきみたいな奴だから、あれだけ落ち込んだのも正直初めてだ。まあただの腐れ縁の付き合いだが、変に期待を持たせてやっぱりまた無理でした、は、さすがに、な」

「……」

 水臭い、とかいう問題以外にも、俺達には言わない=俺達の力は借りない、を選んだことになるんだから、裏でこんなものの進行をすすめる時任の労力は半端ないもんだったろう。でもそっちを選び取った時任の動機って。

「半田君を傷つけないため……?」

 苦虫を噛み潰したような顔。でも時任は否定の言葉は吐かなかった。

 ……うわあ。もうちょっと。これ。半田君。だって多分、一度は潰れてしまった半田君の案を叶えてやりたい、ってのも動機に入ってんだよね。口には出さないけど。

「そ、そっかあ……」

「磯部先輩には生徒会対策で吐かざるを得なかったし、竹下先生にはほんと多方面に手伝ってもらったしな。ひとりでしたわけじゃない」

 まあ、確かにな。あの二人も相当手を貸しただろう。

 でも俺は時任を何度目か、本当に何度目かつくづく眺めて思った。凄い奴だ。ほんとうに凄い奴だなあって。いつだって仲間を全力で守って。夢想を現実に変えていって。

 時任だけじゃない。全校に向けてメッセージを放ち、こんな舞台を作れて、そして達成してしまった。佐倉さん、半田君、いそべん先輩、結城君、竹下先生、京免君。その他にもさっき手伝ってくれたバスケ部みたいに色々な部の色々な人たち。

 ほんとによくもまあ、手をかしてくれたもんだ。俺は自分じゃなんもできない、とそれだけは正確にわかってたから、すぐに仲間探しに着手したもんだけれど(無知の知って奴?)こんな奴が仲間になってくれて。ほんとに。

「時任」

「ん?」

「ゆうちゃんが今日の朝に少し言ってただろ。あれ、俺も言う。ありがとう。ほんとにありがとう」

 他の奴だったら、この唐突な礼に訝しい顔をしたかもしれない。だが、時任は正確に俺の意図を見抜いた。もしかしたら俺自身の認識以上に見てとったかもしれない。真顔になった。

「国枝、今日の舞台で、思い出したか?」

 時任の言葉に、どきっとした。なんでいきなり、と思いながらも真剣な時任の顔に、ちょっと黙る。

 心臓が跳ねたのは、意表をつかれたせいもあるし、まるで予想していなかった部分で、とても正解に近いところをつかれたせいもあった。

 場所も状況も全然違うものだけれど。確かにあの熱気はあの興奮は同じものを孕んでいた。たった一点に全部が集中するような肩がびりびりする緊張感。どこまでも広がっていた真夏の青空。熱狂を孕んだ息遣い。躍動する生命力。むかし、むかし、どこかで、同じものを味わったと、懐かしさに知らずに胸を弾ませた。

 ――宗二の…は、凄いなあ。

「いいなあ、って思うんだよ」

 はっ、と戻った時、時任は穏やかな目を向けていた。

「お前がうらやましい」

 理解できず戸惑う俺に向けて

「俺はさ、こんなこともなければこんなスタッフTシャツを着て、ステージを切り盛りするなんて経験一生しなかったと思う」

「う、ん」

「佐倉が昔俺に言った。面白いことがしたい。いっぱいしたいって。――俺もそうだ。なんでもしてみたい。したことがないことをやってみたい。見たことのないものを見たい」

 眼鏡の奥の時任の目がふと純粋に輝いた気がした。未知なるものに、知らない世界に焦がれる光。けれど、ふっと輝きの中の水底から諦めが生まれる。

「だけど、俺にはお前みたいなことはできない。夢見て考えつくこともできない。自分ひとりじゃ満足にやりたいとも言い出せない。誰かに手を引いてもらうか、ドアの向こうから誘われない限り」

 時任の中にあるものはなんなんだろう。全校生徒の前でもたじろぐことない度胸に、現実を考えられるバランス感覚に、計画性。本当にこいつなら生徒会長だって余裕でこなせるだろうに。なのに何が時任の前に立ちふさがり、何が時任を躊躇わせるんだろう。わからないけれど、時任がずっと自分のそれと、悩みながら向き合ってきたのは感じられた。

「だから国枝、誘ってくれて、ありがとう。俺に新しい世界を見せてくれてありがとう。おかげで、俺は、楽しい。凄く」

 夜の部室の薄暗さの中で、汗だくの身体に張り付いたTシャツを着た時任が笑った。どきっとくるほどほどけた表情だった。

「いつか、俺も、お前みたいになりたい。やりたいことを全部自分からやれる自分に」

 不意に古い旧校舎の廊下を近づいてくる足音がして振り向いた。にぎやかな話し声も。きっと一緒にきたんだろう。凄くて楽しくて頼もしくて輝いてるみんな。時任に向き直り

「時任。俺」

 つまづきそうな言葉を急いで伝える。

「やるよ」

 誰もがみんなまぶしくて。太陽みたいな恒星のそばで、自分に光なんかあるのかって、ちっぽけに光ってなんになるんだって煤けそうだけれど。

 自分の光がほんのささやかでも誰かを照らすなら。眩くて激しくて気後れしても、ひとつ深呼吸して新しい世界に行ける。

 笑ってうなずいてくれる時任に、ぐっと握った拳の中の確信に、俺は力強くうなずいた。

「やってみせる」




「突然、代役を任せてしまって悪かったね。トラブルが起こってどうしてもいかなきゃならなくてね」

 南城の言葉に「いいえ、大丈夫でした」と相手は呟いた。

 失礼します、ときびすを返した相手の腕には、実行委員の腕章がある。文化祭実行委員の役員で、話しなれている様子もあったから台本まで用意された舞台の代役もそう苦ではなかったのだろう。

 廊下の向こうに響く足音まで去ると、急に部屋の中のトーンは白々と下がる。

「気にいらねえ」

「あの後で出て行ったらおしまいでしょ」

 剣呑な声を出した東堂に、苦々しさを隠そうともせずに西崎は呟く。

「そうかな。どっちみち時間の問題じゃないかな」

 南城が自分の顎に軽く触れる。そして繊細なつくりの横顔をしばし物思いに飛ばして。

「――これは負けたかな」

 部屋に響いた決定的な一言。あるいは決壊の一言。けれどその部屋で撃墜する言葉は返されなかった。

「もともと未練はねえよ」

「まあ、ね。基本、雑用押し付け係でしかないわけだから」

「だが、ともに勝ち誇られるのは我慢できねえ」

 同意することが苦痛のようにやや芝居がかった表情で南城は掌を返して「同じく」

「一度負けてから夢見させて潰す? 大々的な交代をしたはいいけど、一ヶ月も持たなかった、みたいな醜態劇でもいいかもよ」

「悪くはないけどね」

「それでも前提で”一度負けた”がつくのは気に食わねえ」

「あのねえ。いやいやするなら二歳児でもできるんだよ」

「そうだな。却下するなら代案を提示するのは基本だ」

「無用な考えだ」

 部屋の中に一拍の沈黙が落ちる。しばらくして東堂が訝しげにソファの背からそちらを見返った。

「……おい?」

 執務机とした窓を背にしたそこで、いつものように座る相手の様子はいつものように見えた。けれど、話しかけられない限り、あるいは意見を求められない限り、ほとんど言葉を挟むことなどない彼の声だった。

 北原透は、一枚の紙に目を落としている。東堂たちのところからかろうじて「講堂使用申請」の文字が見える。それを明確に眺めながら淡々と呟く。

「篠原は、勝てない」










 先の廊下から光が漏れていることには、早くから気付いていた。まだ残っていたのか、と軽く思う。今回のことは、それなりに彼らに衝撃を与えたのだろうかと。

 けれど、薄暗い廊下から光漏れる部屋の入り口に手をかけようとしたとき、真上美奈子は止まった。細い隙間から細く切り取られた中の様子が見える。奥の執務机に座った北原がひとり、椅子を斜めに窓を見ながら何かを話している。

 他のメンバーがいるのかと思ったら、どうやら携帯で通話をしているらしい。他のメンバーはどこ、と思ったとき、その声が聞こえる。

「国枝宗二が、講堂での応援演説に出る」

 必要なとき以外、無色透明な彼らしい声音だ。けれど、不思議とどこまでも届く。別段高いわけでもないが、北原の声は通りがいい。無感動で情動とも無縁、理想や目標とも程遠そうな彼の特性を考えれば長たる立場であることに疑問も抱くが、”長で在る”ことにたいしては北原は造作もなくこなせる。

 誰もが去ったひとりの部屋で。北原透は一度目を閉じて、そして開いた。斜めに見える横顔は、暗い窓の向こうを見据えて呟く。

「――おめでとう」

 不思議な芯が、その言葉にあった。変わらない横顔にもかすかに掠めた無以外の影。

 それに気をとられているうちに、いつの間にか電話は終わっていたらしい。耳から外して机の上においた携帯に、重ねた掌を外すことも思いつかぬように。それをまた無感動な目で見下ろして。

「誰も勝たない」





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