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十章「決戦の文化祭」19

  結城清明が時任達と一緒に駆けつけたとき、黒塗りの大層な高級車の中で、うずくまるようにした京免信也の顔は薄暗く見えた。

 Sealが時任たちや先生方と一緒に行ってしまっても、外には出ずに座席の奥でまるで怪我をした動物のように身体を丸めた姿。ついてやってくれ、と時任には言われたが、言われずとも放っておけるものではない。

 金本という運転手に請われて同乗した車の中で、丸まった身体は動かない。正門につけた車が、学校をぐるりと回り裏手にある駐車場につけるまでのそのわずかな間に、京免はどうやら寝ていたらしい。

 着いたよ、と声をかけるのも躊躇ったが、エンジンが停止する音に、京免は顔をあげた。隈が色濃く、短期間で頬がこけたのか目は少し飛び出ている。

 それでも車から出てふらふらしながらも歩こうとするので、金本は一瞬逡巡したようだが主人の意を優先させ、脇について腕をとった。結城も急いで車から出て金本の反対側にまわる。

 小さな彼の頭ごしにたまに目があう金本に、どうしたのか、と聞きたいがその間に本人がいるので、口にするのは憚られる。

 また、進むうちにすぐに話ができるような状況ではなくなってしまった。

 熱狂に揺れる運動場において、一度閉ざされてしまったステージへの道を切り開くのは並大抵のことではない。自分だけなら人の隙間になんとか身体をおしこんで力技を通しただろうが、ふらふらした小さな京免を連れていかなければならないのだ。

 興奮状態で渦巻く生徒たち、それを必死に抑えるスタッフの攻防。その隙をつき必死に通る傍らでも、縄を張り叫び誘導してステージが崩壊もなく成立している辺りは、緊急によくこんな体勢を取れたものだと呆れ半分な感心をしてしまう。企画力といい行動力といい、やはり彼らは只者ではない。

 わずかに覚えた疎外感をふりきって、なんとか京免を舞台袖まで送り届けた。その時にはすっかり汗だくになってしまっていた。金本も疲労困憊という様子で、京免だけはもともとぐんにゃりした人形のようなので、当初と変わりないと言えば変わりない。

 激しい音楽とマイク越しの声がガンガン間近に鳴り、運動場からの何百もの絶叫が寄せられる場所は決して静かとは言えないのに、京免はまた眠りにでも入ったのか木箱に背中を預けて動かない。

 それを見てようやく結城は金本の近くに寄って、小声でけれど周囲の音に負けないように音を区切って

「どうしたんですか、いったい」

「ここ数日、ほとんど寝てないんです」

「紅茶だ!」

 続けて何か言いかけた金本の声をさえぎるように、顔を伏せたままの京免が叫んだ。舞台横なのもおかまいなしの大きさでひやっとするが、幸いSealの面々は気づかなかったようだ。

「も、持ってきます」

 飛び上がるようにして金本はきびすを返す。飲み物ならスタッフ用に舞台袖にもあるかもしれないが、紅茶まで限定するとなるとこの裏側から脱出せずに手に入れられる可能性は少ない。ましてや伝え聞くところ京免の紅茶はなんだか面倒臭いらしいのだ。

 けれど止める暇もなく気の毒な運転手は袖向こうに消えてしまった。ぴくりとも動かない京免と残されて、結城は困って意味もなく周囲を見回した。

   横から垣間見れる舞台には、奇変隊メンバーと篠原友子と国枝宗二がもう登場している。篠原をボーカル菖蒲のすぐ横につけて、Sealのメンバーとのトークが始まっている。相手は場慣れしたプロのおかげもあるのか、進行は特に躓く様子もないようだ。

 ゲームの正解者が舞台に呼ばれ、手ずからプレゼントを渡し始めた。羨むため息や嬌声が聞こえる。

「結城氏。君は、出ないのか」

 顔を戻すと、京免が少し顔をあげていた。濃いくまで縁どられ、どろりとした疲れが濃く現れた目が自分を向いている。あまりに意表をつかれて「へえっ」と声を跳ねさせてからはっとして口をおさえ。

「ああ。勧められはしたけど」

「なぜ?」

 率直な問いかけに結城は少し黙った。こいつが自分のびびり癖をよく知っていればそんな疑問は出ないのだろうな、と思いながら。ただ期せずして他人のことにあまり関心を払わない京免は、多くの旧知が当然たどりつくであろう推論を外し、そしてそれ故に惑わされなかったのだ。

「……それが、俺の仕事かなあ、って思ったから」

 もし、自分が出ることで篠原への支持が高まれば、出たかもしれない。いや、出ただろう。がくがく震えながらでも。本音を言えばこの企画が持ち上がる前からSealの曲はよく聞いていたし、ライブに行くほどではないけれど新曲が気に入ればネットで落とすくらいには知っていた。そちらの方面からの個人的なミーハーさもあった。だが。

「体育祭の時は、それが新生生徒会に注目を浴びさせるためだと思って出たよ。でも、今回に限っては大勢並んで注目を分散させるよりも、篠原さんに集約するべきかと思ったんだ。それにスタイリストがああいうところ出るのも本来おかしい話だし」

 言ってから、結城は頬を赤らめた。こいつにそんなことを言ってしまってどうする。プロにも認められるこいつに。胸のそこにくすぶっていた劣等感がちり、と再燃するのを感じる。

「いや、ついスタイリストとか言っちゃったけど、俺なんかスタートにもたどり着いてないのに、ごめん気取って」

 京免は疲れせいか、どこかぼんやりと見上げている。その視線が意味を孕むのが怖くて、結城は慌てて舞台を見返って話を変えた。

「凄いな、Seal、本当に呼んだんだな」

「ふん」

 と京免はうなる。

「絶対ムリだと思ったのに。ずいぶんムリを通して呼んだんだろ?」

「僕の十曲と引き換えだ」

 一瞬、眉をひそめた。それから驚いて

「作ったのか?」

「だからここにいる」

 傲然とも言える仕草で京免は腕を組んだ。口の端にはやや攻撃的な笑みが浮かぶ。

「諦めると思ったんだろうな。あいにくだ」

 結城はしばし息を吐きだしていたが、もう葛藤を感じる余地すらもなくしてしまったように声を落とした。

「凄いな。そこまで認められているなんて」

「ふん」

 また京免はうなった。

「全部没」

「え?」

「全部没をくらった。こんなつまらない未熟な曲は使えないと」

 仰ぐように天井を見上げた横顔を、結城はぽかんと見下ろす。

「成功したのは、両親にすがったからだ。結局な。僕の曲はなんの意味もなかった。精々親への耳辺りのいい言い訳だ。がんばって作ってきたからなんとか時間を捻出する、と恩着せがましく。十曲の交換条件など、初めから嫌がらせのつもりだったんだろうな」

「だ、だって初めの曲は」

「良くて話題作りに耐えれるレベルに達したビギナーズラックか、妥当に考えるならそれも僕の両親へのゴマすりだろう。実力が通じたなんて、簡単に夢を見れるような、そんなに甘い世界じゃない。がんばったから届くだろうと、そんな綺麗な世界でもない」

 疲れに翳っていても京免の目は、にごっていない。すぐそばに目と鼻の先に熱狂に染まる世界がある。プロの世界がある。こんなに近いのに、まるで別次元のように。その距離を熟知している目だ。

 横から、きゃーっ! と大きな歓声が寄せた。びくりと肩を震わせそちらを見てから、結城はまた京免に視線を戻した。暗く殺風景な隅で力を使い切ってうずくまる小さな身体に添う影に改めて気づく。

 華やかな舞台と薄暗い舞台袖とは、隣りあわせなのにスクリーンの向こうよりも果てしない隔たりがある。手を伸ばしても力の限り駆けても生半可には埋められぬ圧倒的な壁。あがる歓声も大きな音響も何かを通したように鈍くて。やがてステージのトークは終わったらしい。

『正解者のみんなおめでとうー。我らが愛用グッズ。今日の記念にしてね。さてさてさて。名残惜しいけれど、ラストソング。ここで本邦初公開、初めての曲を披露。新生生徒会メンバーのヒストリーを織り込んだ歌こそ、ここを飾るにふさわしいね。そしてなんとこの歌は、学園にいる子が作曲してくれたー! すっごい高校生! その子に演奏に入ってもらうよー! 名前はなーに?』

『二年の京免信也くんです』

『おーらい。京免くーん! みんなも呼んで。京免くーん!』

『京免くーん!』

 上着をかけていた木箱を支えにして、京免は立ち上がる。少し皺が寄った制服の上着に腕を通し

「仕事を持った以上、君はプロのスタイリストだ。僕もプロのピアニストだ。誰がなんと言ったって。結城氏、君は聞いたな。不測の事態にプロならどうするかと」

『京免くーん』

 華やかな世界が彼を呼んでいる。美しく眩い――虚構の世界。あるいは茶番の世界。誰もが笑みを貼り付けて、彼と彼の魂を平然と切り裂く世界。

 けれど、それにたいし、京免信也は臆さなかった。

「なんとかするのがプロだ」









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