十章「決戦の文化祭」18
四時を告げるチャイムが模擬店終了の合図だった。うあーっとかおあーっとか歓声に似た声も聞こえれば、売れ残りを必死に片付けようとあがく客呼びの声もある。
そんな中で、俺が感じたのは脱力、だった。口をあけた風船みたいに、頭のてっぺんから魂がふしゅるふしゅると抜けていきそう。
とは言ってもまだまだ今日は終わっちゃいない。なんとか気を引き締めて足早に本部に戻ったつもりだったけど、もう大半のメンバーは帰ってきていた。
同じようにさすがにくたびれたのか(だってこれってひたすら歩き通しだもんなあ)パイプ机にもたれたり、結城君のしいたブルーシートに座り込んだりしていたが、こっちを見ると
「お疲れー」
と声をかけてくれる。
うん、と言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。ブルーシートのそばに立っているのは――
「ゆうちゃん」
思わず近づいた。そして上から下までまじまじ見た。結城君にちらっと視線を送って、得意そうな彼の顔にうなずいてまた戻す。うわあ。
「すごい。よく似合ってる。可愛いよ」
近年稀に見るくらいはっきり顔が見えるゆうちゃんが照れたようにちょっとうつむいた。うつむいても十分に顔が見れるとは。
変なところで感動していると、不意に周囲ではあ、とため息が吐かれた。え。
「国枝先輩の愛に関しては外れがなさすぎて感嘆を通り越します」
「え」
なんかダメだった?
「隊長の野生の勘でも判別に十数秒かかったところを。僕なんか、先輩見ても全然気づかないで第一声が「スタッフの方ですかー?」でしたよ」
ようやく、イメチェン後のゆうちゃんがよくわかったね、と言っているんだとわかった。いや、まあ、確かに凄く変わったけど。ゆうちゃんはゆうちゃんだし。
ね、とゆうちゃんに同意を求めると、肩をすくめてちょっと困ったように笑う。しかし本当に似合ってるなぁー。一番化けると言ってくれた結城君の言葉は伊達じゃない。
「先輩たちが舞台にいます。そろったら皆さんですぐ来てくださいと」
珍しく先導するように先に立つゆうちゃんに、テントとか荷物は置いといて歩き出した。撤収作業も一応一時間設定されているが、代休となる明日の午前中でもいい。
雨があがった後の運動場では片付けやらゴミ捨てやら、あるいは俺達みたいにいったんそれは置いといてまだ続けられている舞台に向かう者で別れている。
一日歩き回った疲れとでも祭りの中特有の高揚がせめぎあう、なんともふわふわした着地どころのない状態で
「どうでした? 参加券」
僕、40枚ゲットしました、と半田君。いきいきした目は早くも疲れから回復した感じだ。
「25枚ー!」
”疲れ”という概念がそもそもあるのか怪しい佐倉さんが叫ぶ。
「先輩は?」
えーと、と言いながら俺は制服ポケットに突っ込んでいた券を取り出した。左と右と上着の分と取り出すたびに声があがる。
「すっごい! 百枚以上あるんじゃないですか?」
「あー。あるかも」
なんか凄い貰った。
「それも納得だけどね」
「結城君のおかげだよ」
笑う結城君に言うと、いやいやいやいや、と横から半田君。
「そんなのここのみんなと条件同じじゃないですか」
とは言われてもなあと俺は頭をかいて、そしてもうかぶっている必要がないと気づいて、ウィッグをずるりとった。頭が涼しいと思いながら、汗で張り付く本物の髪の毛をぐしゃぐしゃかいてほぐす。
「むしろ、これ、正解者0の無理ゲーだったんじゃないですか?」
「いえ。あの、たまには私、ウィッグかぶって眼鏡をつけていたので、そのときに当選者分ははけました」
ゆうちゃん、イメチェンの上からまた普段の自分の変装したのか。ややこしいなあ。まあ嘘ついてるわけじゃないけど。
「部長と磯部先輩は、ギャグ票か0でしょうね」
そう呟いてからふと半田君は思い出したように
「部長、なんだか慌しそうでしたね。途中でフェイクもやめちゃってたみたいだし」
「人手が足りないのかな」
「篠原先輩、何か知ってますか?」
ゆうちゃんは少し先に視線を逃がして
「時任さんが話すと思います」
なんだろ、と半田君。なんだろ。
運動場の左側に作られた特設ステージは、高校の文化祭にしてはきちんと業者を入れて作った、それなりに頑丈なつくりになっている。鉄パイプで枠組みが組まれた壇上は、ぎりぎり十人くらいなら並んでダンスを踊れるくらいの広さはあるし、雨がよけられるひさしもついている。
俺達が近くにいくと、スタッフTシャツを着た生徒達が縄を持って「さがってください!」とステージ前から観衆に距離をとらせている。気をつけて! のとがった言葉に振り向いてみると六人くらいの男子生徒と音楽の先生が荷台を使いながらもピアノを運んできている。(なんとアップライトピアノだよ!)
物々しいなと思いながらまわったステージ裏の簡易テントは、さながら戦場のようだった。何人もの先生達が血相を変えた様子で話しているし、見慣れたスタッフTシャツ(ってもふつーの無地の黒Tシャツに「しのちゃん」のステッカーべったりはりつけただけだが)の生徒達が大急ぎで動きまわっている。ともかく目に入る人すべてがせわしなく駆け回っている感じは殺気立つ、と言っても言いすぎじゃないくらい。
何もわからないまま、気圧されるだけの中で、竹下先生と時任を見つけた。
二人はこのばたばたの中の、中心に位置しているらしく、詰め寄るような何人かの先生達に竹下先生が防波堤のように対応していて、その脇で時任が紙の束を手にして周囲に何か言いまくっている。奴に話しかけにいくための生徒が常時三四人待機している感じだ。
ち、ちかよりがたいけど…。
話が切れるのを待っていたらいつまでたっても話しかけられそうになかったから、半田君がやや強引にわりこんだ。
「何かトラブルでもありましたか」
「ステージが変更になる」
一刻も惜しい、というように時任が口早に言った。
「変更?」
「今からSealが来る」
え。と半田君が呟いた。それきり沈黙。その言葉を意味を、俺達が呑みこむのも待たずに、導線は頼むぞ、と時任が俺の腕に紙を押し付ける。ちらっと目を落としたら、俺が作っていて変更により破棄されてしまった最初の案だった。
俺達はまだ思考が停止している状態で。ようやく「……どうやって?」と半田君が声を出した。その目が広がっていく。丸く。とても大きく。そこに光が生まれだす。
次の相手の対応にうつりかけていた、時任が動きを止めた。そしてじっとこちらを見据えた。
「京免が執念で呼んでくれた」
なんだか全てが現実味がなかった。ともかく半ば唖然とした状態で動いていた気がする。身体は動いていたし、肝心の頭も仕事の判断はなんとか出来ていたけど、感情を感じるところは置いてけぼりというか。
正門まで迎えにいったところ、凄い勢いでやってきた京免くんちの車から出てきた、すらっとした三人の――Sealのメンバーに会って、サングラスをかけていた彼らに、よろしく、と手短に挨拶されて返したときも。同乗していてなんだか凄い眼の下にくまをつくった京免くんが、ヘリを飛ばした、という話をしても「ああ、そう」で流したくらいには俺達は呆然としていたと思う。
どれだけ来るぞと大騒ぎした台風も、来てしまえばもう後は――という感じなのか、ダダダダッと慌ただしく現実は無我夢中で通り過ぎて。
舞台に出てきたメンバーを見て、集まった生徒たちも俺たちと同じ状態だったと思う。テレビで見た姿が舞台の上に出てきて、『永誠高校のみっなさん、こっんちはー』とテレビで聞いた声がマイク越しに届いても、場は静まり返っていた。ぽかんと見上げる生徒たちに
『やべ。間違えた? ここ永誠高校じゃない?』
とsealメンバーがぺろっと舌を出す。
誰かが、う、と呟いてそれを誰かが引きついで。うああああああああああああああああああっ! と絶叫が響いて。ちょっとびびりそうなそれをさらっと受けて
『サンキュー!』
メインボーカルの菖蒲さんが、長い手をふる。顔は美人と言ってもいいけど、造詣より表情がくるくる動くのに目がひかれる。腰くらいまでありそうなストレートの髪に、反して服装は短パンのジーンズにちょっと着古した感じがあるTシャツという取り合わせが印象的だ。無造作というかカジュアルというのかもしれないけど、かえって只者じゃないというオーラを漂わせてる。ともあれ俺が生まれて初めて見た芸能人だ。テレビで見たときはそこまで気にならなかったけど、身体がめちゃくちゃ細い。あと
『文化祭、楽っしんでるかーっ!』
マイクを片手に手を広げて地面に置かれた機材に足を乗っけて叫ぶ、わりとノリが佐倉さんっぽい。この人。
『わたしも数年前にはいた文化祭ー! 今日は青春がんがん取り戻してくっからよー!』
『ただいまのメンバーの発言で間違いがありましたので訂正します。ボーカリストが申した数年は十年の間違いです』
淡々と言ったのはギターの清二さん。自分の発言に視線が集まったのに気付くと、帽子をとって華麗に礼。『まことに申し訳ありません』
『おいこら同い年ー!』
マイク越しに叫ぶ菖蒲さんに、わきあがる爆笑。
『そしてこのやりとりをノースルーのノーネクタイにノースリーブドラマー、クールガイのじゅんじゅんでーす!』
どうも、とぺこっと頭を下げるドラムのお兄さんは、つんつんした短髪の順哉さんだ。メンバーの芸人みたいなやりとりで、爆発した興奮もだいぶ和んだようだ。まあ中にはまだうそうそうそうそ!と興奮して泣きじゃくっている子も何人かいるけど。
『ぴちぴち輝く君たちに悲しいお知らせだー! 意外に短いぞ高校時代! だからはじけてこーぜ! 飛び跳ねてこーぜ! 今日は思い出作るぞーっ!! 』
そう叫ぶ菖蒲さんに嵐のような歓声が寄せる。それを真っ向から受けて。
『一曲目は一見さんにも優しい、メジャー曲』
俺でも知ってるタイトルの声と共にギターが鳴らされた。




