十章「決戦の文化祭」9
放課後の職員室。テスト期間中でもないため、生徒の姿があるのは別段珍しくない。しかし、多くの職員より頭ひとつふたつ分つきでた頭身の、白のブレザーが甚だ似合わないその存在は一定の注目を浴びるらしい。
知らないものにははて、二浪か三浪かと邪推される主は、誰かを探すように机から机へと動いている。
「磯部」
ふいに声がかかり、足がとまった。
「どうした?」
見ると彼の担任教師が「何か用か?」と目を向けている。
「こっちだ。磯部」
と職員室の端で竹下が手をあげて呼んだ。竹下は担任教師に向かい
「すみません。ちょっと手をかしてもらってたんです」
「そうでしたか」
あっさりうなずいた担任教師に軽く会釈してから、磯部善二郎は竹下と一緒に退出した。廊下に出ていくつかドアを越えた先の小さな会議室に入りしっかり戸を閉めて。
「……どうだった?」
はき出された言葉には、先ほどの職員室での会話にはなかった、重く緊張した響きがこめられていた。
「反応なし。撤去されてますね」
こちらは竹下のように特に気負いなく、ブレザーのポケットから黒いリモコンのような形の機械を取り出す。
「生きているなら、音が出る仕組みです」
機械に目を落としながら平然と言う磯部に、竹下はやや承服しかねる、という目を向ける。
「本当に、盗聴器なんて仕掛けられていたのか?」
「じゃないと、西崎が仕掛けたことに説明がつかないものが多いんで。ここいらで尻尾つかんどくかと思ったんですがね」
入れ知恵されたな、とポケットに戻す。
「ま。これ以上の情報はとられない、って確信が出来ればこれも無駄じゃない」
そこで磯部は竹下の顔に浮かぶ苦汁を読み取ったようだ。
「先生。心苦しいなら、この手のに無理に手をかさなくてもいいですよ」
「そうじゃない。いや、そうなのかな――。うまく言えないが、……」
「言いかけたなら、言ってもらうのが助かるんですがね。俺の性分としては」
竹下は磯部を見返した。そして。
「彼らは、恐ろしいと思う。危険だとも思う。お前が言ったように、手が、つけられないと思う。俺達<教師>では御せないと思う。でも」
「でも?」
「……どこかで、思うんだ。彼らの更生も」
やるせない光が瞳に溢れる。すまないな、と竹下は息を吐き出して。
「教師として学校という世界にいると、日々のねじれを見ていると、正常な感覚が麻痺するのかもしれない。ただでさえ揺れやすい、ストレスに感敏な年頃の子どもたちが、ひどく危ういバランスで複雑な社会を作ってる。まったく劣等感や過負荷がない生徒なんて極少数だ。自分が覚えた鬱憤を、周囲にあたらずにいられるものならさらに少数だ。報道世界ではいつでも過多だと騒がれるが、いじめ、なんて呼ばれるものがこんなに少ないことに、俺はたまに驚きを覚えるよ。それに加担することが、どんなにたやすいか。この世界ではどんなに当たり前なことか。俺達、大人が思う以上に、お前達は強いんだろうな。暴走する反面、しなやかで柔軟でぎりぎりのところで踏みとどまれる」
「……」
「お前は踏みとどまったよ」
小さく息を詰めた磯部に、大丈夫だ、と竹下は静かに首を振る。「お前を責めたわけじゃない」
「もちろん。どんなに誘発されやすいとしても、許されることじゃない。許していいことじゃない。それを免罪符にはしない。させない。だけど」
一息に言い切って、見つめる磯部の前で、考えることはやめられない、と一人の教師は呟く。迷いと煩悶と意思を抱いて。
「境界線はどうやって越えられるんだろう」
やるせなく遠くを見る横顔を、夕日の朱が影と光に染めて。
「きっと答えは出ない。でも誰もが瀬戸際にいる」
結城君復活の報に、部室は歓声に包まれた。いつも喜怒哀楽豊かな佐倉さんに半田君は特に凄く嬉しそうで
「結城先輩のイケメンは奇変隊の重要文化財ですからね!」
僕らの手で大切に守りましょう! と半田君が演説調子で声をはりあげると、佐倉さんは両手万歳でおー!おー! と飛び跳ねる。
まあそこまではよかったんだけど。
いつまでも跳ねてる佐倉さんの頭をぽかっとノートでして
「じゃあ、仕事に戻るか」
と時任が締めくくり、それに従おうとした――ところで半田君があれ、と呟いて俺をまじまじと見た。
「国枝先輩。なにか、顔が赤くないですか?」
そりゃ赤いだろう。セルフ往復ビンタ。が、ゆうちゃんもいるこの場で、ちょっとふがいない自分の顔に活入れてましたー、なんて言えるわけもなく。
「少し熱っぽいかも。体育で走ったし。でも大丈夫だから」
「ダメですよ! 風邪はかかり始めが一番重要なんですよ」
「大丈夫だって。大げさ大げさ」
「ダメです」
半田君はかぶりをふって妙にきっぱりした態度で
「今日ははやく帰って体休めてください」
その後でふっと表情を柔らかくして
「先輩も、最近ちょっと元気なかったですし。大事にしてください。先輩だって僕らの超重要文化財なんですよ」
ね、と半田君。うん、とうなずく佐倉さん。
「……」
俺は見返した。時任がああ…という目で見て「国枝、佐倉はともかく半田はあざとさわかってやってるからな」という注釈もされた。わかってる。わかってる。
――が。
……もう俺消えた方がよくね?
顔を覆ったのは、二人にたいして合わせる顔がなかった仕草だったが、半田君たちには余計誤解させてしまったようだ。
「先輩、ほんと、大丈夫ですか!? 送りましょうか? あ。そうだ。ナイチンゲール担当に篠原先輩をつけましょう!」
思わずがばっと顔をあげた。まさかのゆうちゃん巻き込み!?
「いや、いいって! それにゆうちゃんにはゆうちゃんの仕事があるんだし」
「じゃあ下足まで、篠原先輩」
お・み・お・く・り、とどこかのクリステルさんの手つきで再現してくれた(すげえ力抜けた)半田君に一切勝てる気がせず、時任に助けを求めたけど、奴は苦笑まじりに手を振ってきた。
「お大事にー」
「大事にー」
佐倉さんと半田君は廊下を曲がるところまでハチ公みたいに見送ってくれた。
……ほんっっとごめん。ごめんなさい。
元気出してよって言ったって自信喪失する気分とか二人にはわかんないだろーしー、誰もが半田君や佐倉さんみたいにはなかなか思えないだろーしー。
と早くも黒歴史確定の過去の自分(って本日だけど)がところどころでよみがえり、罪悪感をずきずき刺激してたので、気を抜くと本当にどこかしんどいみたいな顔になってしまいそうだった。
が、ゆうちゃんにまでまったく無用な心配させてしまうわけにはいかんと、本当に平気なのに半田君心配性だなあ、とか笑ってみせて、部室ではあんまり詳しく話せなかった結城君との顛末をざあっと語ってみせた。
「そんな感じで、結城君。なんとか元気出せたみたい」
話しながらふと、これを続けていったら今日俺が二人に相談した話にたどりつくな、と思った。そしてどうしよう、と迷った。ゆうちゃんに言うべきだろうか。まだ全然形を成していないものだから黙っとくべきだろうか。
急に浮かんだ考えに気をとられていたせいか。俺は自分の言葉に相槌が返ってこないことにしばらく気がつかず。
あれ、と思って横を見たら、歩くゆうちゃんはうつむきがちだった。
「ゆうちゃん?」
ゆうちゃんの顔があがる。
「うん」
ちょっとだけ違和感を覚えたけど、眼鏡の奥でほんのひそやかに笑った気配を感じたので、気のせいかと話を続けた。
「京免君のも誤解だったみたいで結城君ほっとしてたし」
「うん」
「今回のであらためて思ったけど、結城君って、ほんといい奴だよ。凄く京免くんを心配してたし、教室でも人望あるみたいだしさ」
「――うん」
さて。
どうしよう。
話そうか話すまいか。
そもそも俺は、ゆうちゃんが俺の「あれ」をどう思っているのか、今ひとつわからないのだ。そりゃ短い期間とは言え、一回くらいは目にする機会もあったと思うけど、はっきり聞いたわけじゃないし。
まあ、ゆうちゃんが悪くなんか思うわけないけれど、自分に向けられるとなると話は別だろう。恥ずかしいとか居たたまれないとかあるかもしれないし。それに現段階で何かが決まったわけじゃないし。ああ、でも迷うくらいなら、こういうこと思ってるんだー、と軽く伝えた方がいいか? ちょっとにおわす程度なら。
下足が見えてきたことで、俺は思い切って口を開こうとした。
とき。
ふとゆうちゃんから携帯の振動音が聞こえた。
目でいいよ、と言うとゆうちゃんが上着のポケットから取り出す。画面を眺める。震え続けるそれは、明らかにメールの着信音ではなく、電話の呼び出しだったけど。
「とっていいよ」
「……ううん。いい」
ゆうちゃんは携帯をポケットにしまいこんだ。やがて振動がとまった。するとゆうちゃんはまた携帯を取り出し
「……お母さん。メールしとく」
ゆうちゃんが携帯を操作する。
「連絡してないなんて珍しいね」
「ちょっと、忘れてた」
”お母さん”の話題は俺たちの間ではふるわない。ゆうちゃんは打ち終わると携帯を今度はスカートのポケットに用心深くしまった。
携帯が鳴る前に紡がれかけた話は、そのまま続かなかった。
下足で手を振って別れた。後から悔やんで思い返すと、俺は自分の迷いでいっぱいで、またちょっと腫れてる頬もあまり見て欲しくなかったから、ゆうちゃんに顔をそんなに向けていなかった。それは逆に俺自身がこのときのゆうちゃんをよく見ていなかった、ということになる。携帯が鳴ってからは余計に視線をそらしていた。
熱っぽいのも、身体を休めなければならなかったのも。俺じゃなくて。
じゃあ、と手をふった国枝宗二の姿が正門の角から消えると、全身にどっと何かがのしかかってきたような気がした。
その重みをこらえていると、メールの着信音が再び鳴り、取り出して目を落とす。先ほど送られてきたものと追加して、自分の体調を心配する内容だ。大丈夫です、と短く打ち、来た道をゆっくりと戻る。
途中で女子手洗いに寄った。ことさら意識して顔をあげて映った鏡の中、自分の顔はいつものように薄暗いが特別な異変は現れていない。それを確認して顔をさげる。その動作だけでずいぶん残りの力が減ったのが感じられる。知らず手をついていた洗面台をつっぱねて、なんとか離れる。
手洗いを出て、再び離れ校舎の四階の部室に向かって歩き始める。どこからも遠いその部室に通うのも慣れていたが、今はずいぶん果てしなく思えた。
たいした運動量でもないのに弾んでいく呼吸の中で、けれど頭の一部は冷静に。自分自身の状態を把握する。
アンダーウェアを着込んでいるので、寒さは問題ない。少しでも休めばだいぶ気力を取り戻せる。部室で待つ彼らには、メールを送ればしばらくの間は心配をさせない。どこか人目のつかない場所。ひと時腰を下ろして身を縮め休める場所。それがあればやりすごせる。
一人で生きてきた中で、身につけた、それは正確な把握と冷静な判断だ。誰も自分に気を配ってはくれない。誰も自分の体調をこまめに管理してはくれない。だからこそ一人で対処できるようになった。
大丈夫だ。なら、誰にも察知させたくない。決して破らぬ戒律のよう、それを抱いて歩き出す。一階には校務員室や物置などで空き教室はほとんどない。二階まであがらなければならないだろう。階段を。
くらりと。
酩酊は突然にきた。引きずられそうになるそれを、ふりちぎろうとなんとか背中を壁にぶつけるようおしつけた。視界に広がるぐらぐら揺れる世界と戦おうと、足をつっかえぼうにぐっとこらえる。抑えきったか、とわずかに気を緩めた瞬間。
ぷつり。
予期せぬ唐突さで意識が途切れた。
綺麗な球形を描く輪郭の端。それがわずかに途切れた水玉が視界いっぱいに広がっている。水底のようだが、青ではない。白だ。病的な白。
視界に入った情報を処理しようと脳が動き出し、ゆっくりと意識が追いつく。
覚醒してすぐに身を起こそうとした身体に、誰かが反応したようだ。上体は途中までは動いたが持ち上げるもの重さに、そして持ち上げる力の儚さにあえなく落ちた。
「まだ無理よ」
誰かが苦笑して体温計を目の前に持ってきた。小さな液晶に浮かんだ数字はぼやけていたが、読み取れた。
「まだ流行っていないし、インフルエンザじゃないと思うけど」
「……疲れたら、一時的に熱が出ることが多くて。でも、大丈夫です。一日二日で引きますから」
「そうなの」
と見上げた先にいた相手は、養護教諭だった。軽く周囲に目を走らせて、保健室だと確かめる。
「寝起きにずいぶん過剰反応だったわね。びっくりしたの?」
くすりと笑う。四十を過ぎたほどの、こざっぱりとした養護教諭と、友子はあまり接点はない。見上げる視線に、彼女はああ、と了解して
「おうちにはもう連絡したわ。すぐ来てくださるって」
人の良さそうな彼女は見下ろす患者が一向に安心した顔を見せず、むしろ逆になったことに戸惑ったようだ。
「どうしたの? 都合が悪かった?」
「……いえ。大丈夫です」
「そう?」
「……先生が連れてきてくださったんですか」
ありがとうございます、と紡ぐ口をさえぎって養護教諭は首を振る。
「誰に連れてきてもらったか覚えていない?」
「……はい」
「私が来た時はあなたはベッドでもう寝てたの。私は放送で呼び出されて。これがあったわ」
差し出されたのは、どこにでもある大学ノートの切れ端だ。シャーペンの薄い字で
『二-E 篠原友子。熱があります。手当てをお願いします』
そう、つづられていた。
「知り合い?」
紙切れを見つめたまま、かすかに首を横に振った友子に、そう、と呟いて、養護教諭は
「篠原さん、荷物はどこにあるのかしら?」
「……離れ四階の長州風俗研究会の部室です」
「――ああ」
急に目覚めたように数度瞬きした養護教諭は、ふふっと笑った。
「あなたが寝ているベッド、覚えがない?」
「……?」
「いつぞやそこの部室に誘拐された子よ」
「……!」
顔色を変えて謝罪を口にしようとしたのを読み取り笑う。
「ほんと、とんでもないことするわよね、あの子たち。忍び込んで寝てるってのは今までも何回かあったけど。ベッド持って行くって。しかも四階まで! 見上げた大馬鹿よ。そうそう、あの時もメモが残ってたっけ。『急病人が出たら即効返却しますのでお知らせください』って携帯の番号つきで。ぶっとんだいたずら坊主どもだけど、そういうとこで憎めなさ――って、もしかして彼らかしら、この手紙」
「……違うと思います」
「そう。じゃあ、誰か通りすがりの人かしら。荷物とってきてあげるから、休んでおいて。あなた、荷物も名札もなかったから、クラスと名前が書いてあって助かったわ」
切れ端を見て、くすりと笑った。
「ちょっと下手な字ね」
「……」
扉が閉まる音がする。かぎなれない匂いのシーツの上で、横を向いた身体が身じろぎしてスカートのポケットから携帯を取り出した。掛け布団が作り出す茶色の影の中で、液晶が目に痛いまでに光る。メール欄の一番上にあるのは、先ほど受信した母親からのものだ。新着メールはない。
操作してメールの新規作成を開く。頬のすぐ横にはノートの切れ端を置いて。打ち込む。
『今、目を覚ましました。お手をわずらわせてすみませんでした』
送信しますか。
現れたウィンドウ。液晶の光が照らし出す中で、瞳がひとつ瞬いて。そして。――伏せられる。
→いいえ。
「篠原先輩が!?」
「篠原さんがですか?」
養護教諭がドアを開けたとき、怪訝にしていた中の三人は用件を聞くなりそれぞれ驚きの表情を広げた。
「そう。今は保健室で寝てるわ。おうちの方にお迎えを頼んだから鞄を取りにきたの」
これかしら、とソファに置いてある学校指定の鞄を持ち上げる養護教諭に、初めの驚きからさめた三人が慌てて取り囲む。
「体調悪かったんですか」
「今は少し落ち着いたわ。ただ、熱が結構あるの。しんどかったと思うわ」
三人の顔にそれぞれ衝撃が走る。半田が愕然と
「お・み・お・く・りとか言ってる場合じゃなかった!」
「本当だよな」
冷淡に答えて、ふと思い出したように時任が眉を寄せた。
「先生、国枝は?」
「国枝?」
「篠原さんは同級生の国枝って奴を下足まで見送りに行ってたところだったんです」
「その子が連れてきたのかしら?」
「?」
とりあえず歩きながら話しましょ、と鞄を持って廊下へ出る彼女から、歩きながら事の次第を聞くと
「それは国枝じゃないですね」
「そう?」
「意識がない篠原先輩を置いて国枝先輩が帰るなんて、忠犬ハチ公が飼い主待つのに飽きて桃太郎のお伴をするって言い出すよりありえませんよ」
そ、そう、と若干引き気味にうなずいて
「じゃあ、その子と別れた後ね」
「国枝に心配をかけまいと無理してたのかもな……」
廊下をまがって階段に出た。
それまで黙って養護教諭の左横をぺたぺた歩きながら、話に耳をすませていた佐倉が急に横を抜き、大きく床を蹴って空中に飛び出した。だあんと派手な音がしてその身体は折り返しのステージに着地している。
「隊長!?」
「先行く」
「佐倉さん! 保険医の前で危険行為をしない!!」
背中に養護教諭が怒鳴るが、あっという間に消えた壁の向こうでだあんっと派手なショートカットが続く音はとまらない。
「時任君!」
「すみません。ああ見えて心配しているみたいで」
「もう!」
「怪我しない程度に急ぎましょう」
離れの校舎を抜けて一階にある保健室のドアを開いた。
「佐倉さん!」
一応中の病人を気遣ってボリュームを落とした声で呼ぶ。けれど怒りと心配は次の瞬間、霧散して困惑になった。保健室には誰もいない。佐倉だけではない。眠るはずの友子が、並んだベッドのどこにもいないのだ。わずかに布団が乱れた後があるので、寝ていたことは白昼夢ではないだろうが。
「し、篠原さん?」
戸惑って呼びかけると、もぞ、とシーツの端が動いて。ベッドの下から顔が出た。頬に埃をつけた佐倉だ。唖然と見下ろす三人に向かい、佐倉が無垢な丸い瞳で告げる。
「篠ちゃん。いないよー」
「い、いないってあなた…」
一気に困惑が広がる教室に、けれどドアの向こうで足音が響き、ドアが開いた。
「坂井先生」
「加藤先生!」
ドアをあけた中肉中背の眼鏡をかけた男は、二年の担任の社会科教師だ。
「うちの篠原なんですが、おうちの方が先ほどお迎えに来ました」
「え、もうですか」
「はい」
「でも荷物が……」
「はあ。そう言ったんですが、荷物は後からでも取りに来ますからと。ずいぶん慌しくて」
病院の予約でもとったんですかね、とあまり興味がなさそうに続ける相手は、そういえば友子の担任だったと時任が思い出す。
「そうですか……」
「お世話をかけました。鞄は――」
「あ、あの。僕らが届けに行きます」
「お。そうか」
助かるよ、と軽い調子で加藤がきびすを返した。残された四人は少し間をあけて
「なんなのかしら」
ぽつんと漏らした養護教諭の呟きが場の状況の当を得ていた。
肩すかしの気分は同じくだったが、誰もいない保健室にそのまま留まるわけにもいかず、住所だけを聞いて別れの挨拶をし保健室から出た三人は
「どうしますか?」
「先生も言ってたけど、病院に行ってるかもしれないから、もう少し後に行った方がいいだろうな。家族と連絡がとれるといいんだが」
「僕ら篠原先輩自身の携帯番号しか知りませんしねえ……。そうだ、国枝先輩に聞けば! ――と。これはこれでダメですね。先輩も体調悪いのに、こんなの聞いたらベッドに寝てても這ってきちゃいそうだし」
うーん、と悩む半田の横で時任はちょっと目を横に走らせつつ
「――が、まあ。篠原さんのことを知らせてないってのもそれはそれで問題なりそうだし、国枝には連絡とっとく」
携帯を取り出して片手で選択し、耳をつける。数コール待って繋がった回線の向こうに口を開いた。
「……ああ。国枝か。悪いな、俺だ。実はな――」




