十章「決戦の文化祭」4
「あれどうなった?」
「え。あ、ごめん、ちょっと待って。これ終わったらすぐやるから」
「打ち合わせは終わりましたが、いくつか問題点が出されて」
「出て来ます! 何かあったら携帯で呼び戻してください」
「忙しいところごめん。店の場所、変更って言われたんだけど大丈夫?」
Sealのライブ企画をついに解禁してから、俺たちの忙しさは尋常ではなかった。
ひとつのライブステージを作り上げるためには、人に物に時に場と、全ての連携が必要になる。音響とかは放送部に担ってもらって助かるけど、それだって細かな打ち合わせは必須で。突き詰めていくうちに歪みが出て修正するけど、そしたらまた全体だって変更しないとならない。
後は広報。問い合わせが山のようにくるだろうから、予想される質問は全部先に開示しろ、といそべん先輩に言われてしてたけど、それでも問い合わせが山のようにきた。
その処理だけでも一人二人はかかりきりになるし、他にもスタッフの募集にその采配に教育にライブの構成に――。普通に目が回ってくる。
なにかを心配なくやりとげるためには、これだけ細部まで気をつかわなきゃならないのか。規模の大きな企画を主催する、ということ自体が始めてだったけど、ちょっとこの大変さは予想をこえていた。
「とりあえず、することを書いていくから、それを見てくれ。スケジュール表も篠原さんに頼んで作ってもらったから、よく参考にしてくれ」
企画を骨組みし肉をつけていく作業は、時任とゆうちゃんの二人がよく担った。
まったく初めての俺と違って、数々の係を(押し付けられて)担当したゆうちゃんに、人望故にかかわることが多い時任にとってはまあ慣れたものらしい。それ以上に二人とも凄い働き者だ。結局、当日の動きとか肝になる部分は、二人が全部した。
俺が主に担当したのは、準備物係。時任に比べれば大変さなんてしれてるけど、これがまた結構神経を使う。
なにしろ金がないので基本ほとんど借り物だから、学校のどこに何があってそれを誰に交渉していつ借りてどうやって運ぶのか。またその置き場所は? 当日の運搬だと動線っていうどういう時間帯にどういうルートを使って運ぶのかという計画まで考えなきゃいけなかった。
わからない時は時任や先生に泣きついて、ともかく全部リストに書き出して、緊急度が高い順番に整理して、後はしらみつぶしにともかく教師や部活責任者を捕まえるため駆け回る、そして頼み込む。校舎の見取り図も何十枚も用意して赤で書き込みまくった。
もう物の歯車を組み合わせるだけで頭が狂いそうなのに、ゆうちゃんと時任は他の要素をも全部調節してあわせなきゃいけないんだから。矛盾をなくすなんて神業じゃね? と思う。また時任はそれに加えてSeal側との打ち合わせもかねている。
広報担当の半田君もがつがつ働いている。いそべん先輩に監督してもらいながら、宣伝ポスターに放送原稿・新聞部との交渉にスタッフ集めに問い合わせの処理、それに関わる各部との交渉で飛び回っている。
半田君も俺と同じで計画立てとか緻密さとかは苦手みたいだけど、彼には交渉力というか、懐に入る能力がある。俺ではダメだった道具の交渉も半田君だったらOK貰ったこともある。わかるけどなあ。半田君に生命保険とか新聞勧められたら、断るのは難しそうだもん。
佐倉さんは――、正直あまり事務仕事に向いている方ではないので、アピール係といったところか。主に広告塔として校舎を練り歩いたりゲリラでチラシを配ったり、一定以上のポスター掲示は禁止されているので、背中にでっかい看板を担いでひとりでてけてけ校舎を練り歩いたりしている。
そんな格好で、ひとりどこまでも楽しそうにSealの歌を歌いながら校内を延々闊歩する佐倉さんの姿は変に評判になった。納豆の歌はぷちブームになった。
あと、舞台用の看板や工作などの大道具係な作業はほとんど彼女がしてくれた。時任に言わせると、佐倉さんは細かいものを作るのは苦手だけれど、大きな物づくりは得意らしい。(三月さんにもしょっちゅう助言を貰ってたみたいだ)
そんな風に全員がほとんどフルで働いていたけど、それでも誰にも担えずにいた仕事は、思いついた端からホワイトボードに全部書き出した。手があいたものからそれをこなして丸をつけていく。暇があれば(ほとんどなかったけど)半田君の印刷や佐倉さんの大工の手伝いをわずかな時間を見つけてやった。
いつもにぎやかな奇変隊部室が、全員そろいながら書類をめくる音や金槌やペンキを塗る音だけでまったくの沈黙に包まれる、そんなことすらしばしばあった。
結城君も企画に関するウィッグ作りに、並行してボブの猛練習。普段は受験を優先するいそべん先輩ですらかなり頻繁に顔を出し、半田君の監督以外にも企画の進みを逐一チェックしてくれる。
京免君も交渉の件で部室にきたり時任と長電話をすることが多くなり、垣間見る俺たちの力の入れようにちょっと物思うところがあったのか「金本(あの運転手さんらしい)が持っていった方がいいと言った」とカップ麺とかがたくさん入ったコンビニの袋を下げてきた時には、初めて彼が天使に見えた。
竹下先生は考えうる限りの助力と配慮をしてくれた。企画に穴がないかの確認はもとより、どうしても無理だった交渉は融通をきかせるように他の先生達にかけあってくれたり、まだ文化祭準備で下校時間延長時期が来ていない中で交渉して時間を延ばしてもらったり自分が監督するからと一緒に残って少人数ずつ車で送ったりしてくれた。(それでもまだ足りず放課後も佐倉さん邸に押しかけることがたびたびだったが)
あの数学テストの時ほどしんどいことはない、と思ってたけど、正直途中であれを完全に超えた。時任が初めて授業で居眠りしていたときは、近くの席の奴に衝撃が走ったもんだ。(俺は先生に気づかれないようにと必死に念を送っていた)
日増しに忙しくなる、仕事は次から次へとわいてくる。そんな毎日に、基本好きにさせてくれるお母さんも
「最近、忙しそうだけど、大丈夫?」
と控えめに聞いてきたりした。それに俺は
「うん。大丈夫」
夢中でご飯をかきこんで、テーブルを立ってカバンを持っていったり。(朝は登校時間制限なんかなかったし)
朝から晩まで働いた。しんどいし、きつかった。でも、俺たちは苦では全然なかったと思う。正直無茶もした。でも、心はいつも弾んでいたと思う。ベッドに沈み込んで意識を失う直前まで、ずっとドキドキしてたと思う。
そうだな。いつかいそべん先輩が言ってた、テンションって、これかな。
みんなと一緒にひとつの大きなことをやり遂げようとする時の、ふわふわした気分。あったかい気持ち。疲れも全然気にならない。いくらだってがんばれる気がする。
全体主義の幸福だな、といそべん先輩が言ってた。それがナチズムの最大の動力さ、と皮肉も忘れずに。間違えなきゃいいんでしょー、と意地悪なゲッペルスに舌を出して。
楽しかった。小さな気がかりや心にかかることもかまわないくらい。
月並みな思いを月並みな言葉にすると。
生きててて良かったなあ、って、そう思えたそんな日々。
奮闘して時には悪戦苦闘して無我夢中で駆けて、立ちふさがる遥か先の目的地に、ようやくぼんやりと道筋が見えてきた――。
そう思えた頃に、それはやってきた。
時任と連れ立っていた移動教室の途中で半田君に会い、花の男子高校生達が寄り集まって
「朝夕の気温の差には気をつけろよ。無茶をするな、とは言えんが、身体壊したらなんにもならないからな。手洗いうがい、あと部室に生姜湯ストックしといたから飲め」
「栄養ドリンクもいいですよねえ…。タウリンが何か知らないですけど、1000㎎とか聞いてるだけでご利益ありそうで」
「お父さんにわけて貰ったけどサロンパスも意外ときくよ」
なんてかなりトホホな会話をしていたときのことだ。半田君が、廊下の向こうを見て
「あ、竹下先生」
その声につられて、俺たちも竹下先生の顔を見た瞬間。
心臓がはねた。
たった一瞥。それだけで悟れるくらい、問題がありそうな顔だった。
竹下先生が近づいてきて、話がある、と言われたとき、ふと、嫌なことを思い出した。
俺の人生でもとても嫌な場面。あれはみどり園で、園長先生が俺だけを園長室に呼んで。あのね、佐々木君、と切り出したとき。そして小さなゆうちゃんが、そうちゃん、私ね、と近づいて囁いたとき。
一番手近な会議室に入って。紙のような顔色の竹下先生はかすれ声で言った。
「学園祭の日程がずれる」
日程がずれる。
それがどうした――
一瞬でもたいしたことがない、と思った俺の鈍い頭に一歩遅れて追いついた理解は鉄バットみたいな重い衝撃を伴っていた。いくら全校あげてのゲームを企画したところで。初めから変わっていない。俺たちの目玉は。
日程変更。
時任も青ざめた顔で慌てて携帯を打ち始める。俺もわかった。言葉が出ない。電話の通じる先でいくらかのやり取りの後。
「日を変更? ――無茶を言うな!」
電話越し、悲鳴のような京免君の声を生きた心地がしないように聞いた。時任が言葉すくなに切って竹下先生に向かった。
「覆せますか?」
青い顔の竹下先生が、ゆっくりと。首を――横にふる。
「そんな!」
「もう、各方面への通達も終えている。向こうは、それだけを――絞ってきたんだ」
奴らは無闇な手はくり出さなかった。心臓を一撃。それで、THE END。




