十章「決戦の文化祭」2
「これ、ひっどい!」
部室に響くのは絶句、あるいはその声一色。
「自覚はある」
数々の否定を受けながら、平然と腕を組んでソファに座るのは時任だ。そう時任。俺の素晴らしいクラスメイトだった。いつも沈着冷静で、判断力があり頭もきれていた。尊敬すべき男だった。だった。だった。いや、時任はいまだってそうだよ。同い年とは思えないナイスガイだ。たとえ。
たとえ。
この部室のソファに座った奴が、スカートを平然とはいていたって。
恐るべき、スカート旋風はかなり速やかにやってきた。きてしまった。
この放課後。机の上におかれた紙袋を見て、眩暈を起こしかける俺の横で、時任がさっさかと取り出して中身を腰にあてはじめた時には、きてきて眩暈カモン倒れたい! と心底思った。
でも待ち人きたらずの俺の前で時任はスカートをはいてしまった。若干腰まわりに余裕があり系女子のものだったのか入ったが、丈はかなりつんつるてんで、そこからのぞくものや全体像のため、なぜ男はスカートをはかないのかという命題を今なら大学で一席講義できるほど芯から染みた。
「スカートスカートスカート!」
時任の後ろでハイテンションで飛び回る佐倉さんのすらっとした膝元を見て、ちょっと癒されたりしてしまうくらいに。(すぐ目をそらしたよ!)
「これは……絵に描いたようにごついですね」
「着てみてわかったが、女装ってのは顔とかより体格だな。俺より、国枝の方がよっぽど違和感がなかった」
「えっ、着てみたんですか。国枝先輩」
み、みないで……。
「ってことは僕も女装では勝ち組ですね!」
はりきってスカートを履きだす半田君にすげえと思うのか、改めてついていけん、と思うのか。半田君まで来たのでおそろいおそろい、と佐倉さんはさらに喜んで、うるさいと言う時任。気づくとなぜかそんな3ショットのカメラマンとしてシャッターきってる俺。すごいよ奇変隊。もう疲れた。
「国枝先輩も!」
きらきらした笑顔でスカート姿の後輩が手を差し伸べる。俺は眺める。自分の中で何かが腕をつかんで必死に引きとめた気がした。だめだ、そっちにいっちゃいけないと。しかし。――しかし! 俺は誓った。ゆうちゃんのためならなんでもする!
うおおおおおっと内心で(自棄で)叫んで、ガッと卓上のスカートをとりあげいざとおもった瞬間。ドアがガラッと開く音と共に俺は固まった。
ち、ちがうんだ、ゆうちゃん、と数多の言い訳がぐるぐるめぐる頭で向いた先にいたのは、しかし、ゆうちゃんではなかった。
伸ばしきった片手で扉を全開にして、顔はうつむいているが、スーツ姿は他に見間違える相手がいない。
「竹――」
下先生、と言いかけて口をつぐんだ。床を向いたままの、彼の肩が跳ねて突然。
「くっそガキっ!!」
え?
部屋の中が真っ白になった。
「再検討という結果になりました」
つき返された申請書を前にして、竹下は一瞬言葉を失った。机の上をなめらかにすべったそれに目を落として、また顔をあげる。
「先生から彼らに伝えておいてもらえますか」
視界の端には真中に南城、左右に西崎、東堂がいる。彼らの表情を見てざわりと胸が騒ぐ。世の中に持ちあわせたものと持たざるものがいるならば、彼らは確かに持ちあわせたものだろう。そこに巣食うものは十七、十八の小僧の浅はかさだけではない。計算や構造把握の能力だけが高度に発達しながら、心が育っていない。
手ごわさは十二分にかみ締めつつ、腹の中でぐっとふんばり
「それは困る。すでに交渉は終わっているし、教頭、校長の許可も得ている」
「御二方でしたら僕らの懸念を伝えると、懸念が払拭されない限り許可は凍結するとおっしゃっていました」
「……懸念とは?」
テーブルの上をばさりと印刷された紙の束が滑ってくる。ホッチキスで無造作に片隅をとめられたそれを手に取り、すぐに顔をしかめた。
「アイドルライブでの暴動や事件、またはお呼びするグループの人気や普段のライブ動員数、その警備体制について。2ちゃんのアイドル板のコピペも一部」
「……」
えぐいほどに意図がはっきりしたそれをぱらぱらとめくりながら、竹下はつとめて冷静に呼吸をした。
「問題はないと思う」
「そうですか」
「うちの文化祭は毎年生徒だけのものだ。部外者は入れないようになっている。こちらもスタッフの配置や体制については協議を重ねているし、この規模なら十分に整理できる」
「今回は、外のお客さんもまねいての文化祭をやりたいと思っているんですが」
ぎくり、と肩を揺らした竹下に、南城が笑う。東堂が「あんまいじってやんなよ」とあごをしゃくった。
「ま、それは冗談ですけれど」
「でも、せんせー、大変ですよ。ふつうに学校やってるだけで、生徒殺害予告がおこるご時世ですよ? ちょっとでも目立つことをやったら、集中砲火は免れませんって」
「……校長、教頭には僕がすべての責任を負うと。それで許可をいただこう」
「さすが竹下先生。保身に走る先生が多い中で貫いてますね。聖職」
南城が微笑む。その横で東堂も
「けどよ、少しは自分の身体を大切にしねえと」
「ええ。先生は生徒から人気がありますからね」
「ところで、せんせー。僕らも先生ほどじゃないけど、けっこー人気あるんですよ。頼むといろいろやってくれる女の子とかもいて助かってます」
「……そうだな」
不意にまた印刷された紙が机をすべってやってくる。一瞥した。
「本当に気をつけてくださいね」
机の上をすべってやってきたものを目にした。コピーだ。ネットからとったのか奇妙に綺麗なカラーの。
痴漢冤罪記事だった。
半田君がお茶を入れて(悲しいかな、着替える時間はなかった)ようやく気をおちつかせた竹下先生が語ったのはそんな内容の話だった。
初めはともかく今までずっと控えめだった竹下先生のあまりの変貌にびびっていた俺たちだけど、話の途中でむかむかしてきた。
「僕、この格好で乗り込んでいって片手ホールドで呪いの呪文「この人痴漢です!」って叫びましょうか!」
「落ち着け半田。どう考えても捕まるのはこっちだ」
いつも冷静な時任。
「?」
佐倉さんはあまり事が飲み込めていないらしい。首をかしげる彼女の顔を見てるとこんなこと説明したくないなって思うけど。
「多分、というか十中八九、脅しだよ。こっちにはそちらの冤罪をぶちかませるくらいのツテはありますよっていう」
「わな?」
うなずく。
「また言葉選びが腹立つな。録音されたとしても問題ないような、はっきりした言葉は使っていない。先生、」
時任が呼んだ。竹下先生が顔をあげる。
「十分気をつけてください。俺たちよりずっと先生は風聞や社会的立場が響く身でしょう。 極端な話、女生徒と二人きりになるという状況をしばらく作らない方がいいかもしれない」
「……」
竹下先生はしばらく黙っていたが、ああ、と低い声で呟いた。それから両手で作ったこぶしを額にあてて。「――正直、腹が焼けた。」
気持ちはわかる。あいつらの手口は本当に陰険で腐ってる。
でも竹下先生はやはり大人だった。ぐっと何かをこらえたようだ。
「……取り乱して、すまない。忠告も、ありがとう。重々気をつけよう。――それから、開催に関しては任せてくれ」
「ありがとうございます」
時任が眼鏡の奥から神妙な光を灯して言う。
ああ、とお茶を一口飲んで竹下先生は立ち上がり、廊下に向かったが振り向きざまに。
「それから企画だがな、時任。お前はもう少し丈の長いスカートをはいた方がいいと思う」
そうどんなにシリアスな雰囲気にしても、下半身はスカートなのだ。
スカートスカートスカート言ってるとなんだかゲシュタルト崩壊おこして「か、カースト?」とか「ストーカー?」とか呟きそうになってくる。
いやあ、しかし。今まで俺も奇変隊の面々と付き合っていろいろやりましたよ。それらが全部いままで見たことねえくらい馬鹿馬鹿しくておかしくてこれでもかこれでもかと思った。けれど。
それらすべてを睥睨するほどに、女装の威力って凄い。そりゃ文化祭で女装喫茶が流行るわけだ。だって悪いけど。面白いもん。凄い目を引く。ましてや時任みたいなイイオトコの変貌振り。
なんなんだろうね。女性が男装したって別に全然こないのに、その逆になるとここまですげえあれにうつるのは。女性に似合わない服はほとんどないのに、男性に似合わない服は世の中に半分以上きっとある。服屋さんのメンズ・レディースの割合が全然違うのもそこいらへんに起因するのかな。
「違う。着こなしが全っ然なってないんだよ!」
そういう素人の浅はかな考察を、遅れてやってきたスタイリストさまは怒りをもって一刀両断してくれた。
衣装届いたんだってー? と嬉しそうに入ってきた結城君は、広がったスカート四連発(ひとつは佐倉さん)を目にして、ひどい! と叫んだ。
「男とか女とか男装とか女装って問題じゃない。問題はバランス。その状態はひどいアンバランスなんだ。特に時任はひどい。これでもかってくらいバランス崩してる」
「半田君が一番マシだね。だからもっとも見れる姿になってる」
確かに半田君はそんなに違和感ないのだ。スカート制服姿に。
「国枝は……まあ。時任よりかはマシだったかな」
注がれる若干哀れみ視線に胃と心がしくしくした。なにがくるって、びしばしきったスタイリストさまの横でくすくすしているゆうちゃんの姿だ。
結城君の荷物を持って一緒に入ってきたゆうちゃんを見たとき、俺は男が死ぬのはこういう時かなあと思った。ゆうちゃんはちょっと迷ったように「スカートだね」「似合うよ」「うん」と言ってきた。いや、いいよ無理しなくて。俺も正直フォローの言葉思いつかない。脱がせていただいた今でも。
「丈をなおすよ」
腕をまくってスタイリスト様はせかせかと働き始める。ゆうちゃんと佐倉さんはソファに並んで座って見学組みに。
「りんりん、めんめんはー?」
「今日は休み」口で糸を切りながら結城君。「来るようにはなったっていっても、週に出てくる日の方がようやく多くなったってくらい」
いや、めんめんとの遭遇度はそれくらいでもうお腹いっぱい。
「でもあの歌はよかったですね。コーラス部に早く打診に行きましょう」
「いや、それ、少し待った方がいい。あいつちょっと怖いこと言ってた」
「怖いこと?」
「……なんか、先方にデモを聞かせたら、歌詞つけてもいいかってきたらしい」
「先方?」
「Seal」
「……それって」
「うん。もしかしたら採用されるのかも」
どっへええ。
音楽業界の現状も困難さもまるでわかんないけど、えらいたいしたことだってのはわかる。だって紅白にも出たバンドだよ。それが一介の高校生の作曲したのを。
「京免、強気でさ。そういう主旨の歌だから改変は認めないって言ったら、逆に事情に興味抱かれてさ。ならそういう歌詞にしよう。かわりに文化祭でやるのもあわせてエピソードつきで売り出さないかって」
話の大きさにくらくらしてしまいそう。
「すっごいですね、京免先輩。ほんとに才能あるんですね」
確かに京免くんのあの性格で才能がなかったらいろいろもうだめだ。
でも結城君の顔は妙に神妙なままだった。針を動かしたままぽつっと言った。
「8時間から10時間」
「え?」
「京免の練習時間。いっとくけど一週間じゃないよ」
「一ヶ月ですか?」
いや半田君そのボケはいらない。でも。一週間でもないとしたら。ちょっと待て。一日は二十四時間だよな?
「学校に来る日は、五時間くらいに落ち込むから、その分休みの日は増やすってさ。……確かに、あるんだろうけどさ、才能ってのも。でも、かわりに捧げるものの大きさも半端じゃないって」
10時間ピアノ? 確かに半端ない。
「だけどさ本当に凄いのは、京免はそれを全然苦に感じていないんだ。毎日風呂に入るのは当たり前だろ? みたいな顔してた」
ソーゼツ、と囁く結城君の言葉。その部分が結城くんにしては珍しく感情を伴わないもので。だからこそ、そこにこめた彼の言い表せない感情が見えた気がした。
そうか。京免君はいろいろあれでいろいろあれだけど。彼のあの態度は、決して根拠がないものだったり努力の伴わないものではないわけだ。京免くんの実力はこれまでも目にしてきたわけだが、今の話を聞くと初めて彼の真価がわかったような気がした。
サポート組はそれぞれ凄いよな。情報と戦略顧問のいそべん先輩に、イメージを一手に担ってくれる結城君、プロにも届く京免君、竹下先生だって若手の実力教師でいまさっき気概だって見せてくれた。いや、サポート組だけじゃない。生徒会に堂々とわたりあえるだけのお膳立てをしたくれた時任に、十分に企画の運営を担えるゆうちゃん、佐倉さんは言わずもがな。半田君だってここ最近大活躍だ。
……。
途中からあまりいい思考じゃないとわかっていたけれど。
このメンバーで誰が一番役に立たないかと聞かれたら。俺だろう。頭も力も、何もかも。どこまでも凡人のレベルで。
そのとき。ふと視線を感じた。いつのまにか特徴になっていた眼鏡の奥から、双つの瞳でゆうちゃんが見つめていた。俺は見つめ返した。
俺は落ちこむ。俺は沈みこむ。でも、それで自分だけを見つめるような真似はしない。だって。もうしてしまったから。それで取り返しのつかない過ちをおかしてしまったから。
あの時も。夕焼けの中で、君の顔が見えない場所を選んで。オレンジ色がほんとに濃くて。影すら同じ色で。
――距離、おかない? 俺も……
同じ色で。
「そうちゃん」
「ん?」
気遣わしげに呼んできた、ゆうちゃんに向けて瞬時に過去の悔恨から自分を引き上げ笑顔を作る。ずっと一緒だったのに。俺たちは互いに笑顔を作る。お互いがお互いに対してこそもっとも素の表情を隠すようになった。どうしてこんな風に歪んでしまったんだろう。あの夕焼けの中だ。沈みかけた太陽が歪んでいたからきっと。世界も俺たちも歪んでしまった。
「なに、ゆうちゃん?」
質問返しに、気がかりそうながら首をふる君に、君にこそ、言えない。
――距離、おかない? 俺も、好きな人がいるし。
嘘。嘘だ。全部嘘。この世に君以上に。大切な人なんかいない。
いないのに。




