十章「決戦の文化祭」
記憶の中は、いつも白い。遠い昔に知らぬ誰かが顔に布をかけられて眠っていた部屋も、一人で過ごした空間も、振り返るとすべては儚く白い。あるいは、白、ではなく色がなかったのかもしれない。
その部屋も白かった。白い床に、白い書類がぶちまけられている。労力を数えることなど、当の昔にやめた。屑箱に向かわせるためだけに、一枚一枚を拾う。ふと顔をあげると、その人がいた。
白い部屋にその人は、いつからいたのか。白い部屋の中で、白い記憶の中でも特に、その人はどこまでも白くて。見下ろして静かに。静かに見下ろして。視線は意思をほとんど孕まないけれど、真っ直ぐで。いつもなら、何事もなかったかのように自分の席に戻って自分の仕事に取り組むその人は、今はその場から動かない。動かずに見下ろしている。
唇が動いた。「何故」と。
紡いだ言葉に弱く笑う。
「君を傷つけることは、誰にもできないだろう」
これは夢だ。あるいは記憶の反芻だ。所詮は頭の中の出来事にすぎない。
だから、そうできた。現実では自分は決して紡いでいないと言い切れる言葉を。
「あなたも、そうだからですか」
『たこ焼き』『あかし焼き』『もんじゃ焼き』『お好み焼き』『モダン焼き』『全部混ぜて焼き』『←やめろそれ』『フリースロー勝負』『PK勝負』『テニス勝負』『バッティング勝負』『卓球勝負』『にらめっこ勝負』『←誰がするんだ…』『腕相撲』『指相撲』『普通に相撲』『金魚すくい』『スーパーボールすくい』『人形すくい』『人間すくい』『わたしをすくって』『←?』『射的』『占い』『お化け屋敷』『劇』『吉本漫才』『人間びっくりショー』『アイスクリーム屋』『かき氷』『←秋だぞ』『クレープ』『パフェ』『団子屋』『まんじゅう屋』『わたあめ』『フィッシュ&チップス屋』『タコス』『トン汁』『ラーメン屋』『うどん屋』『さぬきうどん屋』『←なんの違いが?』『さぬきの方が売れますよ』『じゃあたぬきうどん屋』『女装喫茶』『男装喫茶』『執事喫茶』『武将喫茶』『志士喫茶』『高杉晋作喫茶』『野立て』『ダンス』『クイズ大会』『展示』『コスプレ写真館』
ホワイトボードを埋め尽くすのは、これでもかこれでもかという案。細かい字でびっしりと書き連ねたその様は壮観だ。途中で全部消して字をかなり小さくして書き直してもつるつるのボードの表面は黒がしめる割合が圧倒的に大きくなっている。
その前のソファでうーんと顔をしかめる俺たち。内訳は俺とゆうちゃんに、時任、佐倉さん、半田君の奇変隊、そしていそべん先輩と竹下先生。
流し台近くに立っていたいそべん先輩が、急にホワイトボードにつかつか近寄ってそれを裏返しにした。あう、と半田君がアシカのような声をあげたけど
「これを睨んでても意味ねえってわかっただろ」
といそべん先輩はにべもない。
「むしろお前がうち出した奴のどれかの方がマシだ。インパクトも規模も」
「いそべん先輩にそう言っていただるのは光栄ですけど、僕がうち出したのはイベントですから、文化祭の出し物にあてはまるものじゃないですよ」
ここ最近で一番がんばっているのは半田君だろう。いろんな部と連携し、前に言った「ぼくが考えたさいきょうのいべんと」案を次々とポスターやパンフレットにしていっている。
半田君は出来上がっていくそれをためておいて、一気にばばんと打ち出そうかどうか悩んでいたけど、結局二、三ぐらいの小さなまとまりで小出しにすることを選んだ。それだけたくさんの数をそろえるのに時間がかかりすぎる、との判断だ。
物凄い数のインパクトはないかもしれないけれど、週一くらいに更新される案に注目が増していった。んで評判もそのたびにあがっていった。
もう少し数がたまったらAKB総選挙にかけて投票制でもしようかと思います、と半田君。ちなみに部との連携や場の設定は時任が結構噛んでいるから奴もがんばっているんだろうけど。
中には完全にネタに走っているのもあるけど、それもばかばかしく笑えるし無駄に壮大なところも見るだけで楽しい。実現できたらほんと面白い、と思えるのもいくつもある。
ただ、彼が言ったように文化祭の出し物規模ではないんだよな。基本的に全校生徒参加型の発案ばかりで、まとめてしまうと半田君の企画は文化祭と同じレベル。今の段階でとても実行できるものじゃない。
そういうわけで、それとは別物で文化祭案を考えたわけだ。竹下先生が
「その、京免のつてでバンドを呼べるという話になっているんじゃないのか」
「はい。それは実現できそうなんですが……」
「知名度高い奴らなら、一緒に舞台にあがってるだけで一定の支持率はあげられそうなもんだけどな」
そう。そもそもはそういう方向性でいったわけだ文化祭。
――でも。
「それだけだと、俺たちへの注目のインパクトに欠ける気がするんですよ」
そうなんだ。
「バンドを呼べればそれだけ力を見せ付けられますし、一緒に舞台にあがらせてもらえば注目も浴びれますが、でも人の目がいくのはそのバンドなんですよね。有名人だから余計。有名人と友達であることで、権威のおこぼれを狙うってのはもちろん有効だとは思いますが」
「まあ芸能人が支持したとしても、必ずしも政治家が当選できる世の中じゃねえからな」
立候補者当人が芸能人ならほぼ確実に当選する世の中だがよ、と皮肉げにいそべん先輩。
「バンドはバンドでいいとして、俺たちが中心になった何かも同時に打ち出すべきだと思うんです。これでラストですし」
「一理ないこともないな。――それの答えがたこ焼き屋はねえと思うが」
アイディアマンのプライドがうずくのか、くぅ、とうめく半田君。
ふと竹下先生が助け舟を出してきた。
「アイディアが出ないときは、方向性や目的をはっきりさせた方がいいだろう」
「勝利!」
「その勝利のためにどうすっかだよ」
さっそく飛びついた佐倉さんに、時任が冷たく言う。
「勝つためには何が必要か、ひとりひとり出してみないか」
竹下先生の提案に、俺たちはうーんと考えた。勝つために必要なこと。インパクトとか印象的とか、なんか抽象的な言葉しか思いつかない。半田君が手をあげた。
「僕らの出し物が全校生徒の注目を浴びること、です」
「うん」
全校生徒の注目、と竹下先生がいそべん先輩が裏返したホワイトボードに書き付ける。
「注目だけじゃなく、関わらせた方がいいな。全校生徒は無理でも、なるだけ多くの生徒を関わらせる、あるいは巻きこむ」
「いい考えだな、磯部」
竹下先生が『なるべく多くの生徒の参加』と書き付ける。時任がそれを見てうなり顔のまま
「面白――いや。その多くの生徒を、出し物に熱中させたい」
『熱中させる』と竹下先生が書く。
全然考えが思いつかなくて、徐々に焦ってくる。ゆうちゃんを見るとちょうど考えがまとまったような顔をしていた。
「生徒会からの差別化です」
「差別か。正しい言葉の選択だな」
『ライバルとの差別化』と書いた。いよいよ俺は困ってしまった。俺と同じく唯一意見を出していない佐倉さんを見る。運動会では大活躍した彼女。でも同じ事をしてはだれる。しかも騎馬戦で綺麗にしめられたけど、佐倉さんばかりが目立つのでは――。不意にひらめいた。
「ゆうちゃん!」
「しのちゃん!」
気づくと声がかぶっている。
竹下先生が俺と佐倉さんを見ている。
「えっと、その。篠原さんが主役で一番注目を浴びるもの、です」
佐倉さんを横でみたら、うんうんうなずいていた。竹下先生も俺を見てうなずいた。
「核だな」
篠原が中心になる、と書いてホワイトボードを見返す。先ほどの黒いホワイトボードと違ってシンプルにすっきり書かれたのは。
1、全校生徒の注目を浴びる。
2、多くの生徒を参加させる。
3、多くの生徒を熱中させる。
4、生徒会からの差別化をはかる。
5、篠原友子が中心になる。
の五条。はっきりはしたけれど。それができれば苦労はしない、という内容が多い気はする。でも竹下先生はあまり怯むことなく
「この五番目、篠原が中心になる、をスタートに考えていったらどうだろうか」
「そうですね」
それができれば苦労はしない。
の最たる項目だった気がしたけど、俺は口に出さなかった。はっきり言えばゆうちゃんにスター性はない。ゆうちゃんが佐倉さんみたいになれることはまずないだろう。
でも確かに。立候補したのはゆうちゃんだ。俺たちの旗頭もゆうちゃんだ。ゆうちゃが目立たなければ芯が通らないものになるだろう。
今までの努力で支持率は悪くない、と聞いている。前回の新聞部がとったアンケートでは四割に迫ったと聞いてる。まだ予断は許さないが、ここいらでどかんと何かかませばひっくり返せる数だ。といそべん先輩のお墨付きももらった。だからこそ悩みどころだ。
沈黙する部屋の中、廊下がきしむ音がした。遠慮をしらない誰かの失踪にかわいそうな廊下がキィッギイッキシッ!と鳴る、その音が近くなる。既視感。これはあれだ。――ちょっと頭いたい。
「僕らが来た!」
扉が開いて京免くんが現れた。いや、彼も俺たちのメンバーだし、今回の文化祭ではメイン人物の一人だけど。基本頭が痛いときによく現れるせいで、彼が出ただけで反射的に頭が痛くなる気がする。
ところで今「ら」って言ったな、と思っていると、後ろに結城君の姿が見えた。ちょっと息を切らした口調で京免くんに「なんで走んの」と言っている。京免君はそんな結城君を振り向いて
「曲ができたからだ」
?
「一刻もはやく聞きたいだろう」
なんの話だと横を見ても、時任も半田君もゆうちゃんもみんな同じ「?」をのせていた。いつも自信満々な京免君はなぜかウォークマンを掲げながら
「君たちのテーマソングだ」
「てーまそんぐ?」
「僕にとっては手遊びみたいなものだがな」
この展開の説明を求めて俺たちの視線は、鼻高々な表情でウォークマンをふる京免くん――の上を素通りして、結城君に向かう。結城君は困った顔で
「あの、作ったみたいだよ」
いや、なんで?
「君たちの立場を考えるに、レジスタンス、反政府、反逆者という立場かと思い、ワーグナーやフランス国歌などをオマージュして少しな」
なにしてんの?
意味わかんない流れなりに、どうやら京免くんが(頼んでいない――どころかまったく寝耳に水な)俺たちのテーマソングとかいうものを作曲したらしい、と飲み込めたけど。反政府とか反逆者とか、フランス国歌にワーグナー? ダメだ。嫌な予感しかしない。
「聞きたいか」
「聞きたーい!」
とめる間もなく佐倉さんが手をあげてしまった。ふふんと京免くんがまたそりかえる。最初こそ果たし状とかぶつけたけど、基本彼のキャラクターにとって佐倉さんって貴重だよな。この流れじゃ聞きたいとか他に誰も言い出さないよ。
竹下先生が結城君と似たような表情で京免くんを見る。そして俺たちに強いお願いをこめて見やる。……まあ、態度はあれだけど、一応俺たちのためを思ってなんかしてきたんだろうと思うと、聞くぐらいしてもいいか。
問題は、彼のことだから、聞き終わったら絶対にふんぞりかえった態度で感想という名の賛辞を要求する点だ。京免くんの実力は認めるところだけど、無駄に格調高そうなピアノ曲のイメージしか出てこないしなあ。そんなの、どうやって褒めたらいいんだろう?
上機嫌でスピーカーつきのウォークマンを京免くんが操作する。聞く前から感想どうしよ、と思いながら俺たちは聞こえてきた音に耳を傾けて。
「……」
五分程度の曲が終わった。沈黙が広がった。
「片手間で作ったものだし、僕の実力はこんなものじゃないが」
自信満々の京免君。
……。
「……いや、すごい」
初めの一小節で、あれ? と思った。流れてきたのは、確かに自身が言うように激しいところもあるけど、今風のポップ調だったのだ。
ピアノだけじゃなくいろんな楽器の音が入り混じってるし、京免くんだから嫌な予感はなかなか全部はとっぱらわれなかったけど、終わりまで聞くと盛り上がりやサビにあたる部分もあって普通にかっこいい曲だ。ボーカル部分がないからカラオケパートみたいな感じだったけど、完成度も極めて高い。普通に商業レベルじゃないだろうか。
「てっきりクラッシクみたいなのだと思ったら、ちゃんと今風なんだ」
「僕を誰だと思っているんだ。市場はきちんと理解している」
京免君の数少ない常識ポイントだったみたい。
「正直意外だが、よかった」
「ほんとかっこよくてびっくりしました」
「グー!」
普通に紡げた賛辞に京免君は満腹したパンダのように鼻を鳴らす。可愛げがないのはもう慣れた。
そんな京免君を、動物園の知らない動物をあまり興味なさそうに見るような目を向けていたいそべん先輩がふと
「で、どうやって活用する?」
「え」
「テーマソングなんだろ。仕上がりもわるかねえ。なら、活用方法考えた方がよくねえか」
……そうだなあ。
別に俺たちが依頼したわけでもなんでもないけど、これだけちゃんと作ってくると俺たちだけで聞くのも勿体無い感じがする。
「文芸部に歌詞つけてもらってコーラス部で声つけてもらって校内に流したりしてみましょうか」
「好きにしろ」
高い高い鼻で京免くんは言った。
「で、話もとに戻すぞ」
「あ、はい」
「すみません。話し合い最中に――」
結城君が謝りながらホワイトボードに目を向けて言葉をとめた。
「……文化祭?」
「うん。そう」
「もうすること決まった?」
「それを今から決定するところだ。時間があったら結城……と、京免もいてくれるか」
僕の時間は高いぞ、とソファのふんぞりマンはもう無視するとして、結城君はなぜかじいっとホワイトボードを眺めている。やがて
「この一番下の篠原さんを中心っていうの、どう考えてるの?」
「いや、勝つために必要な条件をあげていっただけで、まだ具体策には程遠いんだが」
「裏はびっしり黒いんですが、使えそうにない案で」
「目立たせるわけ?」
「まあ、そうだな。なるだけ多くの生徒の注目が篠原さんに集まるようにって――……」
時任が途中で言葉をとめた。結城君がぱっと顔を輝かせて、よし、とばかりにこぶしを握ったからだ。
「どうした、結城」
「やっときたと思ってさ。仕込みが生かせるの」
「仕込み?」
「俺、ずっと篠原さんをプロデュースしてたんだ」
え?
「どういうことだ?」
こちらも寝耳に水な中、いそべん先輩まで聞いてきたので、結城君に視線が集まった。
「先輩は俺に篠原さんは最後にとっておけって言ったでしょ。確かに篠原さんは普通に可愛くなると思いました。化粧栄えもしそうだし。でも。それでインパクトはどうかなあ、と思って別路線でひとつ仕掛け考えといたんです」
「仕掛け?」
「キャラクター化」
「キャラクター?」
「記号化ともいうかな」
結城君は楽しそうに
「たとえば、有名人の似顔絵を描くとき。誰もがそれを見て一目でああ、この人だとわかる特徴があるだろう? 右頬にえくぼがあるとか、耳が大きいとか。明石屋さんまなんて出っ歯と細い目を描けばほぼ特定できたりするし。そういうのをピックアップして強調して篠原さんの特徴にしてきたんだ」
「ゆうちゃんの特徴……?」
「そう」
結城君は力強くうなずき
「篠原さんは、眼鏡とボブだ」
……
……
「……」
――いやちょっと待て! 俺、結城君いい奴だし好きだけど。さすがに失礼じゃないかそれ! なに、眼鏡とボブって!
俺の反応がひときわ顕著だったとしても、周囲もベクトルはだいたい同じだったと思う。みんなえ? って反応だよ。唯一、いそべん先輩だけがあー、とうなる。
「証明して見せるよ」
結城君はカバンをおろして、透明なジッパーを取り出した。げ。なにそれ。とぐろまく黒いどう見ても髪の毛みたいなものを手に取った結城君が、ばさばさとふるとほんとに人間の髪の毛みたいで。
ちょっと待ってね、と後ろを向いてしゃがみこむ結城君。セットでなぜか入っていた眼鏡をとり、ばさっと髪の毛もかぶってごそごそし始めた。随一の常識人の突然の奇行に京免くんすら目を見張ってる。
「どう?」
立ち上がって結城君? は自分を指差してみせた。……
「……」
「……」
……
「しのちゃんだー!」
「篠原先輩だー!」
佐倉さんと半田くんが叫ぶ。く、く、くう。身長170半ばを当に越したがたいのいい相手に認めるのはすっげえ悔しいけど、誰の変装? と聞かれたらまず間違いなくゆうちゃんのそれがそこにある。いや、もうバランス変だけど。でもゆうちゃんの変装だ。これは。ボブのカツラと眼鏡つけただけなのに。
「初めて篠原さんと会ったときから、ちょっと旧式の眼鏡をつけてるなあと思ったんだけど。それを徐々に段階つけてもっと極端に変えていったんだよ。髪型も少しずつ意識に残りやすいボブにしていってた」
結城君(ゆうちゃんver)は得々と語る。時任はちょっと首をかしげて
「髪型はわかるが、眼鏡を……?」
「あ、あの」
ボブの髪と眼鏡の隙間からほんのわずかにのぞく頬をちょっと赤らめて、ゆうちゃんが口ごもるので俺は時任に耳打ちした。
「ゆうちゃん、伊達なんだよ」
賢い時任はそれ以上聞かないでいてくれた。
「学校のほとんどの奴に聞いても、篠原さんの変装だって答えてくれると思うよ」
心情的にはすっごい微妙だけど……。うちのスタイリストは確かに優秀だ。どう贔屓目に見ても地味なゆうちゃんに個性を人知れずつけていっていたわけだ。そのスタイリストに吸い付くように半田君は立ち上がってぐるぐるゆうちゃん化した結城君の周りをまわって、そして叫んだ。
「これです!!」
「あ?」
「これを生かさない手はないですよ! 文化祭企画。一億総篠原計画!」
ああ、なんかいたたまれない、おれのゆうちゃんに変なのが次々にくっついていく気がして――
「結城先輩みたいに全員で篠原先輩化! 文化祭の学園内に大量にあらわれる篠原先輩! 本物はその中のたった一人! 人ごったがえすその中で、探すなウォーリー! 探せしのはら! ミッションインポッシブルミッション「生徒会長候補篠原友子を探せ!」ゲェェェェム!!」
ああああぁぁぁ。
両手をあげて叫ぶ半田君の言葉に、時任、いそべん先輩、竹下先生の視線がちらっとホワイトボードに向かった。
1、全校生徒の注目を浴びる。
2、多くの生徒を参加させる。
3、多くの生徒を熱中させる。
4、生徒会からの差別化をはかる。
5、篠原友子が中心になる。
三人が納得した気配が伝わる。俺でもわかるよ。ナイスアイディアだよ、半田君。これで1、2、4、5が一気に解決したよ。猪木もダァーッ! と叫ぶよ。1.2.3。
「3はどうする?」
いそべん先輩。
「競馬、競輪、競馬はどうしてあんなに人を熱狂させるのか。そこには金銭が関わるからです」
「半田!?」
竹下先生がぎょっとした。確かに教師的にアウト。
「要は物欲ですよ。商品で熱狂させればいいんです」
今のはセーフか? と竹下先生が迷いだす横で、時任が
「そんな予算はないぞ」
「商品というのはレア度が高ければ高いほど価値があるでしょう? いるじゃないですか、呼んでるじゃないですか、当日にすっごくレア度が高い存在が」
あ。
「芸能人か!」
「そうです。握手券でもトーク券でも写真つきサイン券でも権利をさばけば、予算いらずでレアな商品でしょう」
部屋が静まった。荒唐無稽と感じたわけじゃない。半田君の言い出したことが、かなりいける、という予感が迫ったからだ。確かに話題性抜群。生徒も乗り気になりそうだ。それで……若干認めがたいが、全校生徒の脳裏にゆうちゃんの存在は焼きつくだろう。
「お前、企画の才能あるな」
いそべん先輩がちょっと感心したように見る。「今年最大のひらめきだったと思います」と半田君。「いいと思うよ」と自分の仕込みが全開に生かされたおかげがテンション高めの結城君。いい加減、眼鏡とカツラを外して欲しい…。
するとばんばん机が叩く音がした。京免君だ。ちょっとむっとしたような視線を向けている。注目をとられてすねたな。
「ちなみに。その参加バンドだが、これでいいか」
差し出されたのは茶封筒。時任が受け取って中を取り出した。何枚かの紙が入っている。
「正式な返事、でいいのか」
「ああ」
「決まったんですか、バンド」
時任がうなずいた。
「Seal」
結城君が思わず声をあげた。おお…。マジで決まったんだ。芸能人に詳しくない俺とゆうちゃんも知っていた。佐倉さんもかろうじて、歌が聞いたことがある、と言った。
ボーカルの女一人とギタードラムの男二人のバンドで、のびやかな歌声とさわやかな曲調で、紅白にも出たことがある。なんかのドラマの主題歌にも使われてたはず。
詳しくはないけど、一級の人気者だってのはわかる。これが他人事でどこそこの学校の文化祭に来た、って聞いたらえ、ありえるの? って思うくらいには。
「最近のポップカルチャーの中ではマシなほうだ。世界に通用するレベルじゃないがな」
京免くんは黙ろうか。呼べたのは100%君のおかげだけど、怒って帰られるのも100%君が原因になりそうだよ!
「もらえる時間は全滞在時間をあわせて三時間だ。準備・撤退を30分とみて、一時間半ほどライブをしてもらって、後でその券のための時間が一時間程度とれる、といったところか」
「反対の方がよくありません? 券があたらなかった人の方が多数なわけですから、ライブで盛り上がった後にその人たちが向かっていいなあ、と思うより、先にすませてライブで気持ちをぱっと晴らしてもらう方が」
「そこいらは任せる、半田。運営はまわしてもらっていいから」
「はい。多分僕ら以外にもスタッフが必要ですよねえ。これはサインとかでつれるかなあ」
うきうきしながら半田君。
「俺は、材料集めとくよ。眼鏡は100均のちょっと細工すればできるし、ウィッグも古いのなら親父のツテがあると思うから探しておく。あと、俺、当日美容室やろうかな。ボブ専用の。そうしたら、篠原さん似の子がもっと増えるだろし。まあすると校内のウォーリーにはなれないけど」
「それはそれで結城先輩の特技を生かしてますね」
「俺も髪型はボブで決めてやってみるよ」
結城君笑顔で言う。もともと長髪が似合う彼だから、ボブもかっこよくできるだろうな。というか必然、俺たちそろって篠原友子スタイルになるというわけで。つまり、ボブと眼鏡と……
「あとは女子の制服をどれだけ調達できるかだな」
くそうっそんな真面目な顔で言い出すなよ時任!
「卒業生に連絡をとって頼んでみよう」
「ありがとうございます、先生」
「がんばれよ」
その口ぶりだと竹下先生は当然してくれないわけですよね。ああ。うまい逃げ方。体育祭のリレーだって着付けが無理ってことで羽織だけだったしな。大人って汚い。
「いそべん先輩と俺の体格で入る女子制服があるかは問題ですが」
「俺もかよ!」
いそべん先輩は逃がさない。逃がさない。ぜったいに。
「制服の調整もがんばってみる。無理だったら家庭科部にいくし」
今回の結城君、どこまでもさわやかだな。いや、さらにきらきらしてるから、もしかしたら彼なりのいそべん先輩への遥かなる復讐なのかも。京免君はなんでもなさそうに「スコットランドの民族衣装だと思えばいい」と言っている。彼の思考判断も相変わらず読めない。
「フェイクはもっといっぱい欲しいですから、間違えた人に罰ゲームで篠原先輩の仮装してもらいましょう」
「眼鏡は量産できてもウィッグの数の問題があるけど」
「なら、ボブの子中心ですかね。参加賞あげるからとかで、前もって頼んでみましょうか」
「しのちゃんいっぱい!」
「コレクション!」
さっきまでの停滞が嘘のように、ごとごと音をたてて何もかもが動き出す中で、俺は隣のゆうちゃんを見た。俺の視線に気づいたゆうちゃんはちょっと困ったように首をかしげる。
「スカート、似合うかな」
膝の横においた指に、ゆうちゃんの手がそっと触れて一本の指を握る。くすっとした。控えめな笑顔。それを見ると思う。俺は君のためになんでもする。
えーい女装がなんだ。どんとこい!!
……でもお父さんお母さんには来ないでって頼もう!




