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九章「大運動会」9

 始まる前はそりゃ大変だった。最中も本当にせわしなかった。でもこうして一日が終わってしまうと、何もかもがあっという間だった気がする。そしてとても呆気なく。

 打ち上げをしようか、という声もあったけれど、俺たちはぷつりと糸が切れてしまった。

 借りていた生徒指導室の片付けと着物をしまいこむと、もう口をきくのも億劫、というだるさが全身を襲い、とにかく熱い風呂かベッドしか思い浮かばなくなってしまった。

 とにかくお開きにしたい、とそれだけが全員の意思だ。京免くんがスマホをちょっと操作して

「正門に車を呼んだ。結城氏、乗っていけ」

「……うん、ありがと」

 獅子奮迅の働きをした結城君はみんなの中でもさらに疲労度がひどく、いつもは恐縮するところだろうけれど、そういう元気すらないみたい。

「あ、方角一緒だから、ゆうちゃんも頼めるかな」

「ああ」

 ゆうちゃんが何か言いかけたけど、結城君に負けず劣らず疲労している。それにお父さんとお母さんが待っているので、今日は俺と帰れない。

「俺たちは帰るよ。自転車もあるし」

 一人だけけろりとしている佐倉さんと、ぐったり気味の半田君。時任も疲れているが、前かがみになったりはしないで、首を回して

「先輩――」

 いそべん先輩にかけた言葉が途中でとまる。「先輩?」

 俺もいそべん先輩の方を見ると、イケメンバージョンの先輩は何事か考えこむように顔をしかめていた。

「どうしたんですか」

「お腹いたいのー?」

 佐倉さんの言葉を無視していそべん先輩は、細めた目をじろりとこちらに向ける。

「……なんか引っかかるんだよ」

「なにがですか?」

「真上だ」

「会長?」

 確かに、あのコメントはどう受け止めていいかわからなかったけれど。でも思ったほど彼女はでしゃばってくることはなかった。せいぜい放送部の隣で後は当たり障りのない言葉を吐いていただけだ。

「おとなしすぎる。あれは、あんな風に引っ込む女じゃねえぞ」

 髪をまとめていたゴムを、わずらわしそうに外していそべん先輩。

「今日は変に対抗すると悪目立ちすると思ったんじゃないですか」

「かもしれねえがな――」

 頭をがりがりかきながら、いそべん先輩は釈然としないようだった。でもそれ以上は確証もなく、反論もなかった。そうこうしているうちに、京免くんのスマホに到着の知らせが入ったので、京免くん、ゆうちゃん、いそべん先輩と門に通じるスロープの前で、お疲れ様と別れた。

「時任たちはどうすんの?」

「ご両親にもう一度礼を言っとこうと思って」

「いいのに」

 ほんと律儀。

「職員室だっけ?」

「うん。先生たちに挨拶したいって言ってたから」

 体育祭の後なので、校舎の中は人がまばらで職員室すら数人の先生しかいなかった。お父さんとお母さんもいない。

「すいませーん。国枝君のご両親はどちらに?」

「ああ。竹下先生、成田先生と第四会議室に行かれたよ」

 成田先生はうちの担任の美術教師だ。

「まさかの個人懇談かな」

 苦笑まじりに軽口を向けると時任はちょっと思案顔で

「最近の行動について何か言われてないかな」

「竹下先生もいてくれているから大丈夫だよ」

 でも竹下先生、結局、羽織を着せられて走らされたからなあ。――まあ、でも万が一そうでもかまやしないだろ。今回の件で俺がどういうことをしているのか、またどういう人たちと一緒にやっているのか、お父さんとお母さんはよく見てくれただろうから。あの人たちは反対なんかしない。

 そう思いながら、職員室の三つ隣の部屋にある第四会議室を叩こうとしたとき。少し開いた扉の向こうから声がした。話し中か、と手をとめたときに、え、と大きな声が響いた。成田先生の声だ。瞬間、俺はこの中でなんの話をしているのか、なんとなくわかってしまった。時任たち三人がこちらを向いていたけれど。予想はついていたけれど。

 わずかな隙間を開いていたドアを無理に閉める気にはなれなくて。

「す、すると、その、その宗二君は」

「入学前の調査票に、養子だと書く欄はなかったもので……」

 なんでもないような緩やかなお父さんの声。音が立たないように俺は隙間をしめて、三人を見返す。佐倉さんはあまり変化なし。半田君ははっきり驚いてて、時任は驚きよりすまない、という色を全面にしている。

 俺はしーっと指をたてて、離れた。角の階段まできて振り向いた。

「正直、うすうす気づいてなかった?」

 困ったように眉を寄せる時任と半田君。彼らを見てて思う。後悔はない。それが本音だとわかってさっぱりした。

「前から言っときたかったんだけど、改めて切り出す、っていう場面も想像しづらくてさ。ちょうどいいや」

 困惑の顔を見返して言葉を捜す。

「本当にちょうどよかったんだ。――いや、違うな。うん。知ってて欲しかった、だな」

 何か言いかけていた二人が口を閉じた。

「こんなの、言う機会がないじゃん。いきなり切り出しても困るだろうからさ。やっぱいま困らせてると思うけど。でも、俺は知ってもらって嬉しいと思う」

「国枝……」

「なんか複雑っぽく聞こえるかもしんないけど、そう複雑な話じゃないんだよ。みどり園って名前がついてるのに木が少ない施設ですくすく育ってたら二人に引き取ってもらってめでたしめでたしって。お父さんお母さんとは血は繋がってないけど、もう10年近く親子してるから、ほんと家族で身内だし。すっげえ尊敬できる親だしさ、あの人たち。天国の生みの親たちもマジで安心してると思う。まあ幼少期は人よりはちょっと苦労したかもしんないけど、いまはハッピーエンドの後にいる状況だし」

 ハッピー、と佐倉さんが笑った。この人の笑顔は本当に素敵だなと俺も笑い返す。いつの間にか時任の眉間の皺も消えていた。

「そうか。なら、もう言わない。ただ、盗み聞きしたのは悪かったな」

「不可抗力だって」

「あの」

 ひとりだけまだ気がかりそうな半田君が控えめに口を開いた。

「その、篠原先輩は」

「ゆうちゃんの件は別だ」

 半田君の肩が跳ねた。その表情を見てハッと俺は自分の過剰反応を悟った。ほころびかけた空気がまた凍てついた。心底しまったと思った。半田君は多分「篠原先輩はそのことをご存知なんですか?」ぐらいを聞こうとしていたに違いない。俺が勝手に自爆した。

「リーセットー!」

 突然、佐倉さんが叫んだ。それに固まっていた半田君がハッとして佐倉さんに飛びついた。

「ママン!!」

 全身をくねらせて半田君が佐倉さんにすがる。「ああ、ママン、やめてよやめて! このゲーム、まだセーブしてないんだよ!」

「ダメだ。ゲームは一日一時間という約束だ」

 腕を組んで重々しく告げる時任。両手をあげてリーセーット! と叫ぶ佐倉さん。うわあああん、うわあああん、僕のスーパーマリオテトリスクエストがあ、と泣き喚く真似の半田君。

 ちょっ…。もう。その。

 ぶふ、と俺は吹き出してそれから力が抜けてずるずる座り込んでしまった。うつむいた上から、おろおろする気配が伝わってくる。ちょっと笑えた。「どんなゲームなんだよぉ…」ほんと、なんでこいつら、こんなに優しいんだろう。

 その小芝居に、力が抜けて、それを紡がせる心に、意地も抜け落ちて。うつむいた先で地面を見ながら。でもどこかでほっとしている自分にも気づいた。もうこいつらに隠さなくていいと。

「俺とゆうちゃん、施設で一緒にいた」

「……」

 小さなゆうちゃんと、小さな俺。そう広くもないあの敷地の中で、そう少なくもない子供たちや大人たちに囲まれて。それでも。俺たちは。

「さびしかったんだ」


 ――そうちゃん。

 ――ゆうちゃん。


 みどり園って名がついても壁を緑に塗ってるだけで木々は少なかったあの敷地の中。そう広くもない建物の中で、さびしかった俺たちは出会って、そして、いつも名を呼んだ。ゆうちゃん。そうちゃん。ゆうちゃん。そうちゃん。こだまのようにかえる自分の名前に安堵して。

 時任たちの顔を見てどうしてか自然とこみあげてきた苦笑を浮かべていると、足音が近づいてきた。

「おや、待たせたか。宗二」

 お父さんと、お母さん。その後ろにやや呆然としたような竹下先生がいて、俺の顔を見てぎょっとした。

「皆さん、今日はありがとうございました」

 挨拶をするお父さんに慌てて時任と半田君が頭を下げる。

「お礼を言うのはこっちです。着物や着付けまでお世話になりっぱなしで、本当にありがとうございました」

「こちらもとても楽しい体験でした。若い人たちの間でこちらも久々に若返ったようで」

 お父さんはそう言って俺を見る。

「宗二。担任の先生と竹下先生にはお話したんだが、お前はお友達には?」

「うん。もう俺から話してたよ」

「そうか」

 二人が笑う。

「お話したとおり少し変わった境遇ではありますが、今後とも息子をよろしくお願いします」

 二人が頭を下げる。俺も頭を下げた。その先で、俺は小さな自分が呼ぶのをやめて、立ち上がり歩いていくのを感じた。



 夕焼けももう終わりかけの、橙が闇に侵食され、どこかしら心を騒がせる空色だ。見事な秋晴れの今日の幕をおろすには、日中の華々しさの記憶を持ってしてもこの禍々しさをはらせるものではない。

 緩やかな坂が続く一本道を、ジャージ姿の三人の学生が歩いている。彼らの中の一人が続く沈黙にうんざりしたように息をついた。

「ぶれるのもなんだから、見解を統一しておくか」

「はーい」

「了解です部長」

 背の低い方の二人がそれぞれ返事をする。

「国枝のは、本人が話したからよしとしよう」

「ご両親も気にしてませんでしたしね」

「篠原さんのは不可抗力とみなして、聞かなかったことにする」

「異議なしです……ちょっと何年かぶりに自分の口を呪いました」

「リーセーット!!」

「よし」

 パンと打ち合わせた手で目を覚ますような音を響かせて、時任大介は切り替えた。

「話は終わりだ。この後だが、お前らどうする?」

「ハハはいなーい」

「最近うちの近くに新しいお好み焼き屋さんができたんで、どうです? いっぱいのかけそばならぬ「いっぱいの焼きそば」で」

「できて早々出入り禁止食らうぞお前」

 一転して砕けた雰囲気で、彼らの足が軽く向かいかけた先。ふと、半田が足を止めた。半瞬遅れて佐倉晴喜と時任大介も足を止めた。

 曲がった角の公園の入り口に、柵にもたれ一人の女性が片手に持ったスマートフォンに目を落としている。音楽でも聞いているのか、耳にはイヤホンをつけた人待ち風の相手は、こちらに顔をあげてスマートフォンをバッグにしまいイヤホンも外して近づいてきた。

「こんにちは。佐倉さんに、時任君に、半田君、だったわね」

「……名前を覚えてくれているとは思いませんでした」

「生徒会の長なんて、ひとつだけ特技があればいいの。人の名前と顔を覚えること。――後は常にはったりをかませることかしら」

 くすりと笑う彼女から、支配力はきえていない。直感的に危険を感じ取ったよう時任が眉をしかめた。先ほど垣間見せた磯部の危惧が、自分の中で急速に具体化する。

「用件は?」

「話をしたくて」

「先輩にこういうことを申し上げるのも失礼かもしれませんが、俺たちは別にしたくありません」

「どうか、お願いできないかしら」

「……承諾はしませんが。何についての話ですか」

「簡単なひとつのテーマ。単純にして、根源的なものよ」

 一拍おいて真上は彼らを均等に見据えた。

「『篠原友子とは、なにか』」

 夕暮れの街角を沈黙が包む。

「申し訳ないですが、意味がわかりません。わからないなりに、俺たちにとってあまりいい話題じゃないと推測します。失礼させていただきます」

 軽く頭を下げて真上の横を足早に抜く時任に、はっと気づいて半田も後を追い、さらに先ではっとして置いてけぼりの形になっている佐倉の手をつかんで慌てて引きずる。進路を阻みはせずに真上は呼びかけた。

「もう一言だけ聞いて。この問いにノーならそのまま歩いていってかまわない。『あなた達は篠原さんに違和感を感じたことはない?』」

 足をとめたのは三人が一緒だった。振り向いた先で、真上は少しほっとしたような顔をした。

「そうだと思ったの。磯部もダメ。竹下先生もダメ。でも、あなた達なら――と。賭けだったけれど、良かった」

「なぜ、そう思ったんですか」

「彼女の近くにいる人間の中で、あなた達は唯一、篠原さんに罪悪感を持っていない人たちだからよ。だから彼女をありのままで眺めることができる」

「でも、僕らは篠原先輩の味方ですよ。どこまでいったって」

 半田の言葉に、真上の瞳が瞬いた。まるで意外な台詞を聞いたように。

「もちろんよ。だから話しているの。私は別に引き抜きや妨害にきたわけじゃない。むしろ私がこちらにいるように、あなた達にはずっとその位置にいて欲しいのよ」

「なぜですか」

「物事を、多角的に眺めるために」

 すっとあげた人差し指を艶やかな唇の前にあてて、瞳が薄くなる。

「人格や人間性は平面じゃなくて立体に近いものだから、他方から光をあてないとその全容ははっきりしないわ。あなた達は私とは逆側から照らすライトになって欲しい。彼女の違和感を考えて欲しい。あなた達なりに」

 そこで真上美奈子は微笑んだ。スイッチを切り替えるように見事に。

「今日はありがとう。一人のお客として、見ていてとても楽しかったわ。佐倉さん、あなたの活躍はほんとに目を引くわね。同じ学校にいれた頃にもっとあなたを知っておけばよかった。時任君は、安心感を抱かせる冷静な司令塔だし、半田君の度胸や愛嬌も素敵ね。あなた達は生徒会に向いているかもしれない。三人とも、今日はお疲れさま」

 軽やかにきびすを返す彼女から、少なくとも敗北のにおいは感じない。角が彼女の姿を阻むまで見送ってしまってから、立った三人は顔を見合わせた。我に返るのが一番早かったのは時任か。頭をかきながらため息を吐く。

 そして自分に向けられた二つの視線に肩をすくめて

「とりあえず。――そのお好み焼き屋に行くか」



 闇が混じり始めた、橙と朱の街の中を佳人は歩く。大げさな賛美者から生きているだけで絵になる、とも言われた彼女の歩き姿だ。

 テントの下とはいえ、まだ残暑のあとを残す一日中の観戦は相応の疲労をもたらしたはずだが、軽やかで堂々とした仕草からそんな様子はいっさい感じさせない。

 歩きながらバックを開いた。片方だけ取り出したイヤホンを耳にあてて、そしてすぐにしまい、かわりにスマートフォンを取り出す。履歴からすぐに出た。一二度の操作で発信をすませて耳にあてる。

「お尋ねしたいことがあるのですが、そちらの活動は部外者でも参加は可能ですか?」 ――ええ。はい。はい。ええ。ぜひともお願いしたいです」

 電話の合間に左手が何かに触れている。手慰めのおもちゃのように白い指先が握り転がしているものは、黒く四角い小さな機器だ。側面にイヤホンのジャックが差し込んである。

 影に侵食されていく、最後の橙を残す世界の中で。話す佳人の微笑みは誰にも見られず消えていく。

「はい。事務所にお伺いします。サイトで拝見しましたから大丈夫です。次の活動日は――ええ。大丈夫です。活動場所は――」

 不吉が迫る空の下、それすらも楽しむように。遊ぶように。声は鈴のように転がって。

「みどり園、ですね」

 



 荷物を置いた生徒会室はすでに薄闇に包まれている。自分の肩を叩きながら、西崎蓮が

「あーあ。負けちゃった」

「いや、見事にね」

「笑ってる場合かよ」

 毒づくのは東堂だ。

「なぁに? 『キィィィ! 悔しい!』ってハンカチ噛んで欲しい?」

「ずいぶんピエロをしたから今日は勘弁して欲しいな。――そう言えば、会長はあのともは初めて?」

 南城のふりに窓際の席にいた北原が顔をあげる。運営と競技参加の疲労がまったく現れていない顔にやはり表情というほどの色はない。かすかにうなずいた。

「そっか。ファーストインパクトか。どだった? さすがにびっくりした? 完全人格かわってるもん。ああいうのも、キチガイって言うのかな」

「挑発なんかすっからだ」

 東堂が嫌そうに顔をしかめる。

「なんかめんどくなっちゃったよね。向こうはなんも考えなくていいけどさ。こっちは受験に仕事にその片手間だもん」

「すると、西崎は勝負から降りる?」

 南城の一言に、丸い瞳は薄まった。

「だけど、やっぱともたん必要だよ。最近、ストレスがなかなかとれないし、これから受験シーズン突入すると思うとさあ」

「よわっちいこと言ってんじゃねえよ。理由はひとつだ。思い知らせるためだろ」

 華やかな顔に浮かぶ唇の端をつりあげて南城も一言。

「俺も引く気にはなれないんだよね」

 ふと言葉が途切れた。北原が立ち上がったからだ。

「方針は変わらない――それが総意か」

 三者それぞれの癖のある笑みが返答だった。 

 仕事を片付け、誰もいなくなった生徒会室に。薄闇から真の闇へと支配が移った窓の向こうがのっぺり広がる。

 パイプ椅子に腰掛けた北原はずっと机の上にあった携帯を耳元に掲げた。幾度かのコール音の後に、プツと向こう側に繋がる音がした。

「ああ」

 平坦な声音が幾度か「ああ、」と繰り返す。

「そうだ。これまでどおり。スタンスは変わらない。――それで、いいんだろう?」

 受話器の向こうから、沈黙がきた。北原はしばらく話が続いているかのように待った。暗い闇を見つめたまま。




 電源がぷつりと切れた。握った携帯電話から。

 六畳ほどの部屋は、十分すぎる。居場所としても寝場所としても。与えられた主はただ恐縮する。

 ひどく申し訳なそうに脇に片付けられたわずかな荷物が人柄を物語る。部屋の端に、回転椅子に腰掛けた部屋の主は、姿勢正しくこざっぱりした机に向かい合っている。けれど彼女がしているのは勉強ではない。誰が見ているのでもないのに、まっすぐな背で腕は耳につけられて。

 携帯を耳に押し当てたときは折り目正しく、真っ直ぐに前を向いていた首がゆっくりと横に垂れた。やがてかすかに開いた唇からかすれたメロディが漏れ出す。

「かーってうれしい……はないちもんめ」

 一人で遊ぶ子どもの声。出せば出すだけ惨めになるのに、とめられない音色。

「まけーてくーやしい……はないちもんめ」

 六畳ほどの部屋、主はいつも恐縮する。与えられたすべては恐縮の末に収まる。喜びも嬉しさもほのかにも香らない。与えられるものを怖がり、それでも拒むほどの強さもなく、受け入れてただ竦む。なにもつかめない掌。携帯を握った指から力が抜けていく。

「……たーんすながもち、どのこがほしい」

 力なく開かれた指先から、ついに携帯電話が滑り落ちた。傷ついたような大げさな音をたてて、転がる。頭を抱え絶望しそれでも紡ぐ。すぎた祈りは呪いだ。だからとめられない。


「……がほしい」


 小さく、でも、強く強く祈った呪った呪ったことば。顔のすぐ横で揺れるボブの黒髪の中から漏れる。


「そうちゃんがほしい」




毎日更新続けてきましたが、これから少しペースダウンして週1か週2くらいの頻度になります。必ず完結はさせますので、これからもよろしくお願いします。

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