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九章「大運動会」8

 どこまでも腕が痛く筋肉痛な日々が続いたけれど、がんばった甲斐があって、ゆうちゃんが俺たちの騎馬にまたがったとき、どれだけの比重がかかるか、体重移動のときにとの部位に負担がかかるのか、それらは全部慣れしたんだものになった。

 大太鼓の合図と共に、ゆうちゃんを載せて立ち上がったとき、なんとも言えない安定感に手ごたえを感じた。人馬一体ってこういう感覚だろう。

 前に向かって右斜め後ろに位置する俺は、ゆうちゃんと佐倉さん半田君に左半分の視界がさえぎられて見えない。こんなに制限されているので、あまり視界に頼り過ぎないことも学んだ。長い鉢巻をたらすゆうちゃんの背中と佐倉さんにすべてを託すことも。

 心の準備を促すように、太鼓の音がどんどんどぉんと響く。運動場ぎりぎりまで引かれた円の外側で、一定の距離をおいて囲む形で待機する騎馬たち。組のくくりはない。出て行けば全員が敵だ。

「行きましょう」

 ゆうちゃんが言った。おお、と佐倉さんがつぶやいて、はい、と横の半田君も。

 ドンドンドンドンドンドン太鼓の鳴る感覚が短くなる。無理に追い立てるように迫ってきて、忙しなさ緊迫感を煽る。パァンッ! とピストルの音が空に響いた。

 まずは、目立たない動き。

 自信がなさそうに迷いの多い行動をしているところを見つけて、刺激しない程度の速さでゆっくりと進む。

 騎馬戦と言ったって、所詮はクラブ対抗のお遊びにすぎない。それもリレーのメンバーをそろえられなかった、あるいは面倒だった、という理由でこちらへの参加を決めた部も多い。また体育会系はかなりリレーに流れたのもあって、消極的な騎馬も多い。

 それでも中には血気盛んな戦いをさっそく始めて観客を沸かせている騎馬もいる。俺たちは地味に地道に背後をとってほとんど戦いは仕掛けない。

 彼らが自滅していくのを、あるいは強気な騎馬に消極的なやつらの鉢巻がどんどん取られていくのを被害が及ばないように見守る。

 崩れたり奪われた騎馬が撤退して減っていくと、だいぶ運動場は広くなったような気がした。それと同時に目立たぬように動いていた俺たちも、目にとどまりやすくなる。

 残っているのは男子の騎馬ばかりだったので、積極的にゆうちゃんを狙いに行くのは気が進まない、というそぶりを見せる騎馬もいた。でもやがてひとつの騎馬が、一直線にこちらに向かってきた。

「来ました」

 半田君がささやく中で、明確に狙いを定めた動きで近づいてきたのは、男女混合の騎馬で、上に乗っているのは少し小柄な男子だ。覚悟は決まっていた。というか、覚悟が決まるのなんて悠長に待つ余裕はない。ぐっと加速した前に置いていかれないように必死についていくのみだ。

 相手は今から攻撃を仕掛けにいこう、とした相手が急に間合いを詰めたのに戸惑ったようだった。その隙をついて一気に肉薄する佐倉さん。必死についていく俺たち。相手の男子はこちらの素早い接近に反射的に身を後ろにひいたが、立て直してゆうちゃんめがけて身を傾ける。

「――ハイッ!」

 佐倉さんの歯切れ良い合図と共に。

 俺は開いていた足にぐっと力を入れる。抱えた身体が斜めになることなく。

「わっ、、とっ」

 向かい合った騎馬の上に乗る、男子の驚いたような声が聞こえた。俺にはゆうちゃんの影がかかっているし、なにしろ人を抱えながら中腰、膝おりという過酷な体勢中なので、状況をこの目で見て把握するのは不可能だ。

 だが、うまくいっていたなら、勇んで腕や上半身を伸ばした相手はすかっとからをつかんでバランスを崩しかけているはずだ。なにしろすぐ前にいた相手が突然、騎乗からは届かないほど低くにぱたりと消えたのだから。

「ハイ!」

 同時に足を伸ばした。わっ、とまた声。と同時に、小さな悲鳴やらなにやら。

 すでにしびれが走っていた足で立て直した先に、バランスを崩して馬から落ちる生徒が見えた。鉢巻きはついたままだけれど、それはいいのだ。

 ようし、撃退。

 延々と俺たちはこういう練習ばかりをしたのだ。相対した瞬間に、突然騎馬全体ががくんと低くなって旗手も倒れることにより、相手の旗手の手が届く範囲から完全に消える。そんでつんのめるところをまた急に高さを戻して相手のバランスを崩して倒す方法。低身長なら負けません、と言った半田君の言は今考えるとあながち間違いではない。

 ひと一人を担いで中腰キープとかマジできついんだけど、そこは必死に練習。足が震えてぷるぷるしながら二階の自分の部屋にあがる日とかざらだった。

 ちなみにゆうちゃんも、下半身はしっかり捕まえてもらっているとはいえ空中で身体を倒したり引き戻したり負けずハードな動きをしている。

 いそべん先輩、結城君、時任のでかい騎馬を相手に、たくさんたくさん練習した。ただ、この方法で鉢巻は奪えない。いいのだ。ゆうちゃんに鉢巻は奪えない。ともかく生き残り、相手に去ってもらう。を目標だ。

「逃げるー!」

 間髪いれずに別の相手が来たのか、楽しそうな佐倉さんのかけ声と共に置いていかれないように必死に走る。

 本能的に佐倉さんは敵の動きを察知したり、回避の行動に鼻がきく。だから舵取りは任せて心配ない。問題は、俺たちが佐倉さんの動きについていく、というところ。ここがとにかく一番しんどいところだった。でも仕方ないじゃないか。がんばるしかないところじゃないか。

 そうして、一本も鉢巻はとらないまま、なんとかのらくらだったり倒したりして夢中で駆け回りつづけた末。不意にわあっと声が聞こえた。

 不自由な半分だけの視界で、ひとつの騎馬が見えた。その前に崩れるもうひとつの騎馬。砂埃の中で、ほかの騎馬は見えない。俺たちより高い場所にある騎乗で、赤い鉢巻を握った姿が見える。――きたはら。

「先輩、そっちに他の騎いますか?」

 息をきらしながら、でもどこかでひそめた半田君の声に、俺は素早く横と斜め後ろを見まわした。「いない」

「一対一」

 佐倉さんが言った。

 わあああああっ、と興奮の声がどこからか聞こえる。広い運動場で、俺たちと。そして今、最後の相手を倒した一騎がゆらりとこちらを向く。

 今日にいたるまでみんなで、徹底的に騎馬戦を考察・研究したけれど、騎馬戦は正面からの一対一だと、圧倒的に高い位置に手がある方が有利だ。

 故に身長で負けるものは、集団戦でよく周囲を見て横や背後からの奇襲攻撃で鉢巻を奪うのが定石。ただ今回は組対組ではなく、完全に各グループの個人戦だからそうもいかなかったけれど。

 自分たちで言ったように、西崎を入れた騎馬はバランスがあまりよくない。それでも、乗っている北原の上背もあわせれば容易にゆうちゃんの上を行く。俺たちもゆっくりとそちらに歩を向ける。

 どどぉん。

 太鼓が鳴った。



 それまでの荒々しさの名残のように、運動場には砂煙がたっている。それを独占するには少々広い運動場に、在るのは二つの騎馬だ。

 片側は男女混成のグループで、前方の少女・佐倉晴喜の肩に両手をしっかりと置いて上半身を伸ばす黒髪の少女篠原友子を旗手にいただく。

 もう片側は男のみのグループで、がっしりとまではいわないが、物足りなさは感じない広さの肩の上に、この学校のものならば誰もが知っている顔が乗っている。斜め右の男子西崎が低いのでバランスこそはあまりよくないが、それでも前と左後ろをつとめる東堂南城の二人の騎馬と、乗った北原透の背も決して低くはないので、向かいあう騎馬との身長差は大きい。

 互いを意識しながら騎馬が歩を詰める。旗手も騎馬もお互いを見据えて。じりじりと距離が詰められる。手を伸しても届かない位置で、生徒会の騎馬がとまる。

「お前、そももそも手を離せるのかよ?」

 前面に位置する東堂の見下した声。騎馬の方は挑発に少し反応したが、旗手は動かない。相手はまた一歩、踏み出した。それでもまだ手は届く位置ではない。もっとも篠原の手はまだ佐倉の肩から離れてはいない。顔だけが前を向いている。

 揶揄するようにまた一歩。今度は微妙な距離になった。新生生徒会の騎馬は初めて少し躊躇い半歩引いた。

「君が、その手で何かをつかめるの?」

 南城の言葉に篠原の肩が震える。まだ離せない両手を伝って、佐倉晴喜にも届いたかもしれない。そして初めて、そこだけは前を向き続けていた顔がうつむく。相手が顔をそらせば、こちらも他に目をやる余裕ができる。生徒会の騎馬の集中がその時、篠原からわずかに外れた。

 瞬間だった。

 弾かれたように篠原をのせた騎馬が前進した。ほとんどつんのめるような、石につまづき前にふっ飛ぶかのような動きだった。一度も離されなかったはずの友子の手が指を尖らせた形で宙を横切る。

 生徒会側の反応は完全に出遅れた。上位からだったポジションも攻め込まれて背が後ろに反る。ただ攻め込む指は咄嗟に受け止めた。

 片方は手首を、もう片方は攻撃にとがった指をそのまま正面から握り、北原はなんとか奇襲を受け止めた。しかし、体重をのせられてマウントをとられた状態だ。篠原友子の身体が北原のわずか上にのしかかる。

 一瞬の理解のための空白の後。

 おおおおっ、驚愕が運動場を包む。

 篠原友子が、近づいた騎馬に気後れしたよううつむいたとき。同時に。秘密裏に。両手の指が見えないようにそっと佐倉の首の裏に振動を送った。それに佐倉が動いた。騎馬二人も合図を見失わなかった。一心同体になった騎馬は跳ねるように前進し距離を無にし襲い掛かったのだ。

 しかし受け止めた北原の顔に焦りはない。また一瞬驚いた騎馬の面々も。

 奇襲にしなければどうにもならない、という圧倒的な力量差がある。そして奇襲はいささかの虚はつけたが受け止められてしまった。あとは新生生徒会側が少し力を受け流して押し返せばそれでしまいだ。

 立案時、時任大介はそこで十分だ、と言った。一瞬でいい。攻撃性を、奇襲をかける場面を見せればいいと。事実、観客には一定のインパクトを与えた。篠原友子は与えられた役目を見事に果たした。

 けれど。

 ひどく間近で向かい合った北原の瞳が見開く。光をうつして瞳孔が大きさをかえる猫の瞳のように。その目前には。

「私は手を、伸ばせないわけじゃない」

 同時に握った指が食い込む。明確に。攻撃性を持って。

「ただ」

 瞬間。友子は身体のすべてを右横に投げ出した。どうっと降る自身の重みで、支えるものがない場所へとつながった相手を引き摺り下ろす。

「――!」

 相手の騎馬もハッと動こうとするが、倒れこむほうが早い。一度落下へと向かった身体は、不完全な体勢と力では引き戻すことは無理だ。

 ただそれはもちろん、共に落ちる相手も同じことだったはずだ。しかし。避けられぬ運命に身を任せるよう、地面へと向かう彼女に突然騎馬が奮起した。

 ぐっと騎馬が極端に低く下がり、ふんぬっと突き上げるようなうめき声と真っ赤な顔。過重にうめきそれでも救わんと一歩も引かぬ騎馬。

「篠ちゃん手!」

 ハッとした篠原が、それまでしがみついていた北原の手を振りはらう。崖底でひとり命綱をくくりつけていたよう、落ちる北原を残してとどまろうと必死に手を伸ばす。それでも、完全に地面へと向かっていた身体はとどまれない。

 どんっと何かにぶつかって、落ちるだけの身体が止まった。

 見開いた瞳の先に、下方から腕を伸ばす国枝宗二の顔がある。無理な態勢にぶるぶる腕を振るわし、首筋まで真っ赤にした宗二の顔が。

 それを目にした瞬間、友子が無理にひねっていた身体をさっと戻し、自身のすべてをいっさいの躊躇いなく国枝の手の中に投げ出した。

 佐倉と半田の手を離し、横側に移動していた国枝は、友子を一度完全に受け止める。佐倉が絶妙に動いて、乗る場所を失った友子の体重を首にうつす。

 半田もよく見て動いた。佐倉の上に肩車のような状態で固定された一瞬、半田、佐倉、国枝の一度離れてしまった手がまた集結する。人ひとりを上に乗せた状態での、綱渡りのような動きに騎馬はふらつきぐらついた。

「――」

 砂埃が舞う運動場の真ん中に、向けられる数多の視線にうつるものは。

 運動場に崩れた一騎。地面に旗手が腰をつけている。鉢巻はまだ頭にあるが、騎馬は完全に崩壊していた。

 その前に篠原友子がいた。長身を誇る彼らより、高い位置に。

 友子たちの騎馬は、まだ立っていた。乱れた息で髪でそれでも立っていた。

「……」

 やがて友子が体勢を立て直し上半身をあげる。自身の健在ぶりをアピールするように。

 静けさの中で、笛が鳴る。ピーッと鋭く、終了を告げる笛。どどどんっ、太鼓が鳴った。

 驚愕、驚愕、驚愕――そして拍手。

 それが包む中で、にんまり笑う佐倉の上、なるだけ高く上半身をあげた友子は、まだ少しのぎこちなさが残る動作で片腕をあげてそれに答える。

 もはや誰もいなくなった高い場所から、瞳は周囲を見回し。そして最後に見下ろした。さまざまな悪意と敵意をもって自分を見上げる彼らに、篠原友子は今度こそ目を伏せるのではなく見下ろした。伸ばした背筋と同じく凛として。そして言い放った。

「私の手は、まだ握ってるだけ」



 馬上からグランドにおりたったとき、ゆうちゃんは少しふらつくように見えた。でも自分で持ち直して、しっかり立っていた。

 土ぼこりが少し舞う広い運動場で、はだしで鉢巻をしたゆうちゃんが立っている。その姿が、まるで夢の中の出来事のようにも感じられた。

 ずっとずっと練習してきたことだけど、なんだか現実味がなくて。

『――で騎馬戦は終わります。次のプログラムの準備に入ります』

 少しのハウリング、聞こえてくる機械を通した声。

『びっくりな結末になりましたね、真上先輩』

『ええ、本当に。見せてくれましたね。まあ、私としては自分の後輩たちがレディーファーストだけは守ってくれたのを、ありがたがるところでしょうか』 

 笑いが漏れる。

『なにはともあれ、彼らは生徒会に立候補していると聞いています。強敵ですね。私の立場から言えば、後輩たちを思えば、どうかお手柔らかにとお願いしたい気持ちです』

 真上の声が、すべての締めくくりだった。



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