三章「宣戦布告」
そういうわけで、「長州風俗研究会」の下にある「奇変隊」の下に「生徒会リコール計画本部」の旗がぶらさがることになった。その旗もすでに作成済み。
奇変隊の奴らは本当にこういうものの作成や準備に努力をちっとも惜しまない性格のようだ。聞いてみるとあの一発ギャグのために、YES枕も各自の家からあるだけ持ってきてちくちく刺繍し、ベッドも保健の先生がいない放課後を見計らって保健室から三人で力をあわせて運んだそうだ。まさに「一生懸命真面目にふざける」だな。当然だが養護教諭にはとても怒られた。
「まずはリコールにあたって、どういう方法でリコールを実現させるか、ってことだ」
ソファに腰掛けた時任が言った。
「生徒会のリコールって聞いたことがないですしね」
半田くんが言う。まあ普通はないだろう。
「実際の政治の現場では、選挙権を持つ市民の三分の二以上の署名でリコール成立になるわけだけど」
「生徒の署名を集める……か?」
「ちょっと無理があるな。なんだかんだと言って生徒会は人気が高い。いきなり出てきても、署名がそんなに集まるとは思えない。まずこちらを同じ土俵にあがったと見てくれるかな」
うーん。確かに。俺が奇変隊を選んだ理由のひとつが、生徒会に負けずに知名度が高いということなんだけど。だからと言って知名度と人望はまた違うわけだし。
時任が考え込んでいたが、やがて諦めたように首を振り、半田君に目を向けた。
「半田、なんか思いつかないか?」
「これできるのか? って採算度外視のほんとに思いつきですけど」
「お前はそれしかないだろうが」
半田君は口元に手をあててんーと呟き
「イベントにしちゃえばいいと思うんです」
「?」
「土俵にあがったと見てもらうより、土俵にあがってないと成立しないような、そういうお祭り。生徒会に挑戦者が!? どちらが生徒会にふさわしいかをかけて戦う。リコールをかけて学園に風雲が駆け抜ける。勝負の行方は? 君はどっちを選ぶか!? みたいな」
「面白い!」
「隊長の面白い頂きましたー」
半田君がえへと笑った。
見ようによってはふざけているようだけれど、何か感じるものがあったのか時任はちょっと考えこんでいる。
「なんか思いついたのか?」
「半田の案なんだが……。一考には価するな」
「ほんとか?」
正直、一番荒唐無稽な気がしたけど。
「体制をひっくり返そうってなら、初めにそんだけでかいことをかまさないと無理だろう。――ただし、これができる条件は限定される」
「なに?」
「向こうがその気になるか、だ」
「……」
「なにしろそんな勝負受けても向こうには、メリットがないからな。なんか弱みでもあればなあ。政治家だったら例えば支持率が下がっているから、それのパフォーマンスが必要だとか――」
言葉の途中で時任が言葉をとめた。すっと手があがったからだ。俺の隣。ずっと黙っていたゆうちゃんが手をあげている。
「それは、私がします」
「なに?」
黒い額縁の向こうに、ゆうちゃんの瞳がある。誰も知らない、俺ももしかしたら知らなかった光を灯らせて、みんなの視線が集まる中、ゆうちゃんは言った。
「彼らをその気にさせます」
月曜日の朝に、寝ぼけ眼で登校してきた生徒達が、先に広がるものに一瞬目を向ける。ざわざわ、と声があがる。「なにあれ?」「なんて書いてあるの?」「リコール?」と時間がたつにつれてざわめきが大きくなる。
うちの敷地には、新校舎、旧校舎、体育館の三つの建物が大きくわけてある。その校舎すべてにでっかい垂れ幕が下がっている。たいていは「陸上部××選手 ナントカ大会出場!」みたいに奴だけれど。あれは。
「生徒会にリコール請求!」
「みんなの力で学校を変えよう」
「生徒会を解雇させ隊」
最後のはおかしい。
もうとっくに教師の何人かも来ているだろうけれど、屋上に通じる階段を一生懸命ふさいだのでなかなか通れずに結局垂れ幕は朝のホームルームまでぶら下がっていて、ほとんどの生徒の目に触れることになった。そして業間休み。
そうちゃん、と俺のクラスにゆうちゃんがやってきた。
「みんなが呼び出されたみたい」
「え?」
見回してみると、確かに移動教室から戻ってきてるはずの時任がいない。慌てて生徒指導室に行ってみると、廊下に響き渡る声が聞こえてきた。たくさんのギャラリーもそこにいて、興味津々でドアを見守っている。俺はゆうちゃんの肩をとんとん叩いて、ギャラリーに混じり、さりげなくドア側の壁に寄った。薄い壁越しに聞こえてくるキンキン声。
「こんなことをするのは、お前らしかおらんっ!」
一方的な怒鳴り声――多分、これは生活指導の谷村だ――の声が響きわたる。他の声は、聞こえない。時任、佐倉さん、半田君。三人とも呼び出されているのだろうか。やがてさすがの谷村も怒鳴りつかれたのか空白が来たとき。
「先生」
中から初めて谷村以外の声が聞こえた。この声は半田くんか。半田くんが呼び出されているとすると、時任、佐倉さんは確実だな。
「今までのことだけで、僕らを疑うんですか?」
傷ついたような半田君の声。急に落とされたトーンに、中の雰囲気がうってかわって気まずそうなものに変貌する。佐倉さんはともかく、半田君は見た目は大人しそうな一年生だしな。
「証拠もないのに、そんな、一方的に……。確かに僕らは、なにかと噂をされることはありますけれど、でも――……」
弱くなって消える語尾、冷たい雨にうたれる子犬のように、うつむき震えている姿が目に浮かぶようだ。「う…む」と鼻白むうなりを最後に谷村の声も途絶える。意外に演技派だな、半田くん。他の二人の声は聞こえてこないし、これで乗り切る気か。
「確かに――……」
追い打ちのように、喉奥から震えながら搾り出す半田君の声。
「僕らがやったんですけど」
……
…………
…………――あれ?
言っちゃった。
半田君言っちゃった。
ギャラリーも止まり、中も同じ沈黙に満たされて。そして、我に返った谷村の罵声の最初の音が炸裂するかしないかの瞬間。一つの影がギャラリーから抜け出てガラッと扉を開けた。
「先生!」
ゆうちゃんだった。びっくりして硬直するギャラリーの中で慌てて俺もゆうちゃんを追おうとしたが、途中で足をとめた。
「あれは私がしたことです!」
ゆうちゃんにしては最大級の大きさの声で、開けたドアのこちらから訴える。中から声は聞こえない。多分、絶句してるんだろう。
「みんなは、私に協力してくれただけです。でも、ふざけたり、困らそうと思ってしたわけじゃないんです。私たちは、本気で主張したいことがあったんです」
中からまた長い長い沈黙。やがて谷村よりずっと落ち着いた時任の声が聞こえた。
「先生、篠原さんの意思を聞いてあげてください」
結局のところ、こういうもので押しきるのは雰囲気と人望だと思う。佐倉さんと半田君ならこうはいかなかっただろう。やがて渋々と訝しげが交じり合う谷村の声がやってきた。
「……主張だと?」
はい、とうなずくゆうちゃん。そのとき、俺は穴があくほどゆうちゃんを見つめる、後ろのギャラリーたちに気づいて壁際に身をひいた。一番いい席をみんなに譲ってやったって、ここから見えるだけで十分にゆうちゃんは凛々しかった。
「今の生徒会は学校に適切ではありません。だから私たちは生徒会をリコールします」
業間のその一幕は、一部始終見ていたギャラリーそれぞれに持ち帰られ、すでに三限目の頭にはたいした騒ぎになった。
と、ともかく戻れ! と泡をふきそうな谷村に追いやられたとき、時任がそっとゆうちゃんに昼休みに部室で、と囁いていた。奴の判断は正しい。三限目と四限目の10分しかない休みでも、相当過ごしにくかった。
俺はゆうちゃんが気になって仕方なかったが、チャイムと共に教室に行こうとすると移動教室だからと時任に捕まった。
「今朝のあれで、教師がぴりぴりしてる。目立つと厄介だ。我慢しろ」
と言い含められた。せめてと通りすがりにのぞいたけれど、こっちも移動教室だったのかゆうちゃんの姿はない。一応そこまでつきあってくれた時任は
「大丈夫だよ。あんなに毅然としてたんだから」
と廊下を一緒に歩きながら慰めてくれた。
「しかし、俺もお前の認識がちょっと変わりそうだよ。国枝がそこまで過保護だとはな」
「抑えてたんだよ。ゆうちゃんのためにもよくないかなって。でも。その結果が――」
隣を歩く少しの沈黙。でも時任はすぐに声の調子を明るくさせて
「だけど、今朝の篠原さんのはファインプレーだ」
「なんだって?」
「だって、もう、学校中が知ってるじゃないか。彼女の存在も、彼女の主張も。――この調子なら、生徒会にも絶対に届いてる」
「……まさか、狙っていたとか言うなよ」
「まさか。そこまで計算なんかできるか」
しかし落ち着いた時任を見上げていると、当人が言うほど信用できないな、という思いが強くなる。でもな、と続けたのでやっぱりか、と思うと。
「ああいうのは慣れてるし、半田の馬鹿もかますだろうなってわかってたけど。それでも、ちゃんと飛びこんできてくれるっていいな。なんというか、今までは、消極的な子だと思ってたけど」
思わぬ言葉にちょっと胸が温かくなった。ゆうちゃんが褒められてる。嬉しい。目立たなすぎて、滅多に美点を見つけてもらえない子だからなおさら。
「ああいう子なんだよ。目立たないけど、不義理はしない」
うん、そうだな、と時任が頷いた。
「俺はもともと、生徒会のやりくちは好きじゃなかった」
目を瞬かせる俺に時任は高い位置から、唇をつりあげて見下ろした。
「篠原さんのこと。うちの馬鹿隊長の動機。やる気が出て結構だ。がんばろうぜ」
昼休みにクラスにゆうちゃんを誘いに行って旧校舎に向かった。ゆうちゃんの様子はいつもと変わらず、俺はほっとした。朝のことよりもゆうちゃんは抱えた大きな包みを気にしていた。そして俺に近づいてそっと囁いた。
「あのね、そうちゃん。みんなにお弁当作ってきたんだけど、もし邪魔だったら……」
「ああ、任しといて」
ゆうちゃんの弁当なら幾らでも食べれる。部室には一番乗りだったけれど、ぽつぽと奇変隊メンバーも集まってきた。
佐倉さんは至極ご機嫌だった。
「朝からずっと面白かったー!」
「お前は絶対にああいう場で喋るなよ」
「喋んなかった」
「まあな。……しかしお前を抑えてると、横で半田がかますし」
「すいません。途中まで真剣に演技してたんですけど、ここでこれ言ったら絶対面白いだろうなあ、ってふっと思ったら、もう。我慢したんですけど、魔が差したというか、誘惑が断ちきれなくて……ぶふっ」
「笑いながら謝るな!」
言い出すタイミングがなかなか見つからなかったが、ゆうちゃんのお弁当は歓声を持って迎えられた。佐倉さんがまず喜んだ。
「食べる食べるぅー!」
「あの、お昼の用意が被ってたら、気にしないでくださいね」
「パンだけど、それはおやつにまわす」
「こんなことまでしてもらって悪いな、篠原さん。ありがたく頂くよ」
「僕はお弁当持ってきてるんですけど、少し頂いてもいいですか」
ゆうちゃんが緊張した手つきでテーブルにお弁当を広げる。三段になった重箱みたいな箱におにぎりとおかずがぎっしり詰め込まれた大人数用のお弁当だ。おしぼりとお箸つきが細かい。蓋を開くと佐倉さんのテンションがまたあがった。受け取ったお箸でつーっとお弁当の空中を区切って
「こっから半分」
ん。と可愛い笑顔で自分を指し示す佐倉さんに、
「殴るぞ」
「食べられる食べられるぅ!」
「食べられる、じゃない。食べるな!」
佐倉さんと時任のやり取りを横に聞きながら、明太子卵焼きがまたあったので、俺はさっそくつまんだ。うん、同じ味。左手でいっぱい詰められた海苔巻きおにぎりを手にとって、がぶっとかぶりつく。もぐもぐと頬が膨らむのもかまわず咀嚼すると明太子と卵と海苔を混ぜた米が口の中でミキシングして。あ~、どうして米ってこんなに海物とあうんだろう。その奇跡のコラボを見つけ出した先人グッジョブ。日本人に産んでくれたことを天国の両親にも感謝多謝。
「ウィンナー! ハム! ベーコン! 焼肉!」
「半田! 佐倉を抑えろ!」
「隊長、人間は雑食です。草も食べないとダメですよ。はいブロッコリ~」
奇変隊メンバーがいるため、どうしても静かにはならないけれど、にぎやか感じでゆうちゃんも楽しそうに笑っていた。平和な昼時だった。
――この後に何事も起こらなかったならば。
ほんとにかなり食べる佐倉さんの箸とぶつからないようにして、俺たちがそれぞれ腹を満たし半分くらい食べたときのことだろうか。食べ終わった自分の弁当の蓋を皿代わりにして、ゆうちゃんのおかずをちまちまつまんでいた半田君がふと顔をあげた。
「誰か――」
突然に扉が開いた。ガンッと何かがぶつかる音がした。見ると戸の敷居のところに頭をぶつけている人間が目に入ってきた。
「なにしてんの、東堂」
呆れたような声が聞こえる。ちょっと顔をしかめて身をかがめて入ってきたのは、言われた名前のとおり。青蝿こと、生徒会副会長の東堂だ。声の主も続いて入ってきた。逆モヒカン君、会計の南城。そして大きな二人の後ろから書記のゲロ男・西崎がひょっこり現れた。
俺たちは誰も動かなかった。そのままの姿勢で、来訪者を見ていた。そんな俺たちなどいないかのように、青蝿君は周囲を見回してふん、と鼻で笑った。
「きたねえ部室」
「うるせえ今度は生徒会室にヘドロぶちまけとくぞ青蝿」
すらっと出た暴言は、お弁当に顔を向けたままのゆうちゃんだった。ファーストインパクトだろう、時任、半田君はぎょっとして、佐倉さんは目をぱちぱちしてゆうちゃんを見上げている。
前回はザッ空耳アワーを貫いた青蝿君だったが、セカンドインパクトのおかげか、なんとかそれはゆうちゃんのものだと認識してこちらを向いた。それでもやや受け入れがたそうに顔をしかめてはいたが。
「東堂へのあたりがいっちばんきついんだ」
「ほんと。僕たちには敬語だったもんね」
にやにや笑う南城と西崎に、ゆうちゃんは今度は顔を向けてにっこりして
「そんなことはありえません。みなさんまとめて等しく年単位で掃除していない公衆便所みたいなものだと認識しています」
「黒いなあ、ともは」
南城が爽やかな微笑をひらめかす。男と女に対する笑い方が全然違う奴だ。
「お昼時なので公衆便所は遠慮してくれませんか」
「お昼? ああ、とも、作ったの」
南城の視線がテーブルの食べかけのお弁当に落ちた。
「あ、ほんとだ。ともたんのお弁当だ」と西崎も見下ろして呟いた。
「ああ、あれか?」
不意に東堂がしゃがみこんだ。でっかい体躯なので、そういう動きをすると急に視点がかわる。そうして近い位置にきたお弁当の、あの玉子焼きをつまんでぽいっと口にいれた。すぐに床に吐き出して、鋭い目が嘲笑を孕んでこっちを刺す。
「――相変わらず、残飯みたいな味がすんな、お前の飯」
俺のゆうちゃんの弁当に、青蝿がたかっている。
そう思った瞬間、俺は立ち上がって重箱をとりあげ、そんで最大限に口をあけて、一気に煽った。
そうちゃん、と驚いた声がする。大丈夫、だてにでかい声を出せる口と丈夫な胃は持っていない。
全部口の中に入れて、そのままでも飲み込めそうなものから食道に送り込んで後は噛みしめる。ゆうちゃんがこいつらに弁当を作っていた、その過去ごと胃の内壁から出る消化液に送りこむみたいに。
プチトマトがのっていた銀紙を吐き出しながら、次の重箱に手をかけたとき、ふと白い手が伸びてきた俺の手をとめた。見ると佐倉さんが親指をたてて、ドヤ顔を向けている。
そして俺の指の先からまだ半分以上中身が入った重箱を持ち上げると、自分の口の上でひっくり返してざざあっと豪快に流し込んだ。
あんなに細い首をしているのに、この人の食道はどういう構造になっているのかと思う。俺でもちょっときつかったのに、俺より大漁の飯を口の中におさめ佐倉さんはまたドヤ顔で親指を立てて。
「ふにゃはひゃもひゃどひゃ」
なんか言った。
「きたねえっ!」
いろいろ食べかすがとんで一番かかった時任が非難をあげた。
佐倉さんはもぐもぐと美少女顔の下半分をカバみたいに縦横無尽に動かして、そしてようやくごっくりした喉で、まだいろいろな破片を撒き散らしながら叫んだ。
「美味しいご飯のお礼に、みんな篠ちゃんに抱きつけ!」
言うなりぎゅっとゆうちゃんを抱きしめたので、慌てて俺が続く。佐倉さん越しだ。一番下でないとは、ちょっとジェラシー。でもその上から半田君がとびついてきたのでどうでもよくなった。その上からさらにぐっと力強い締めつけ。時任だろうか。
「――というわけで、ご心配なく。先輩方が口にする機会はないでしょうから。もう二度と」
冷ややかさと微笑を混ぜたような時任の声。
「篠原先輩のお弁当はスタッフみんなで美味しくいただきました」
俺の上で半田君がくすくす笑って続ける。人間団子のようにかたまった俺たちに、注がれる視線は見えなくてもわかった。氷のように鋭い。
「ざけんなよ、下級生ども」
西崎すら笑っていなかった。うーん。さすがに三年、それもただの三年ではないのが集まると、やはり迫力がある。
特にやくざの若頭も真っ青なガン飛ばしてくる、青蝿の威圧感は半端ない。こいつはやがては蝿の王ベルゼブブに進化するかもな。
しかし、その威圧は味方うちからストップがかかった。南城が肩をすくめて
「ちょっと話が進まないから、沸点低いのは引っ込んでよ」
「あんだと?」
「ともさ。今朝、ずいぶん派手なことしたみたいだね。あれって、なに?」
「リコールです。意味がわからないなら、中学校社会の教科書お貸ししましょうか?」
「間に合っているよ。ともは、俺たちを追い出したいわけ?」
「はい」
ゆうちゃんがうなずいた。南城が腕を組んで薄く笑う。
「無理だね。リコールなんて聞いたことない。俺たちの支持も今のところ磐石だし、必要性もまったくない。とも、絶対不可能なことに挑むのって虚しくない? そこの仲間ごっこ連中も途中でモチベーションが下がって離れていくよ」
「それは問題なーい」
南城がちょっとむっとして首を回した。青蝿とは質が違うけれど、冷たい威圧感があるその視線の先、佐倉さんが平然とした顔をしてる。
「二年の、佐倉晴喜さん、だっけ?」
「イエッス。キリスト」
謎の返答と謎の敬礼ポーズで答える佐倉さん。
「なんで、そう思うわけ。ともと君達ってたいして長いつきあいあるわけじゃないよね」
「奇変隊の中にリコール隊があるから~」
南城達だけでなく俺達までちょっと?になった。佐倉さんはそれ以上言うことはないみたいに満足げに笑っている。時任がため息をついて
「つまり、数学の集合みたいなものですよ。小さな円がリコール隊の集まりとすると、それを取り入れてぐるっと囲む円が奇変隊。だから広い意味では、リコール隊は奇変隊だから大丈夫ってことで」
あれ? いつの間にか乗っ取られてる。
ちょっと物申したいけれど、こいつらの前で見解の相違なんか絶対に出したくなかったので黙っていた。それに佐倉さんの反論は有効だろう。ともかく何があろうとお前んとこに帰る気はねえよ、とそれを突きつければいいんだから。南城の目つきも鋭くなる。
そのとき。
「先輩方。提案があります」
ふとゆうちゃんが言い出した。
「賭けをしませんか」
「賭け?」
「私たちと先輩方、どちらが生徒会にふさわしいか、全校生徒にその信を問うために、二ヵ月後の文化祭で、再選挙します。旧生徒会と新生徒会メンバーで。そこで白黒つけましょう」
「ええー。前から思ってたけど、ともたんって普通に馬鹿じゃない? どこからもそんな不満あがってないのに、なんでわざわざ信を問うわけ? 黙ってたらこのまま僕達生徒会で決定なものを、のると思うの?」
「もし負けたら、私は生徒会に戻ります」
ぴたりと生徒会メンバーが止まった。いや、俺たちも止まっていた。ゆうちゃんだけが動いていた。黒ぶち眼鏡の向こうから、揺るがない視線を向けて。
「どうですか」
他人より一瞬はやく我にかえった俺は、ダメだ! と叫びかけた。でも口を開く一瞬はやく、ゆうちゃんの視線が俺をとめる。胸が震える。俺は目で懇願する。やめると言って。撤回して。はやく。
やがてうっすらと東堂が笑った。
「別にてめえなんかに未練があるわけじゃねえよ」
南城がうなずく。あまり仲良しトリオと言えない連中たちだけど、今ばかりは完全に一致したように同じ意思を漂わせている。
「ただ、ね。とも、俺たちのところに戻るのが、嫌で嫌でたまらないんだろ?」
「死ぬより嫌ですね」
「じゃあ――」南城が美しく微笑んだ。「戻してやらなきゃね」
「うわあ、凄い楽しみ! 今度は僕がともたんにぴったりの首輪はめてあげる」
西崎がはしゃぐ。そして最後に立ち上がった東堂がまた遥か高みから見下ろした。
「あの弁当、また作ってこいよ。目の前でゴミ箱に捨ててやら」
こいつら、殺してやる。
俺の肩にぐっと手がかかる。時任だ。やめろ、と目で訴えている。
「わかった。手はずはこっちで整えておく。決まったら知らにくるよ」
奴らがきびすを返す。けれどその途中でふと気づいたように南城が何気なく付け足した。
「とも。あいつにも伝えておくよ」
「――」
その瞬間、俺はゆうちゃんを見ていた。こいつらが現れてから、仮面でがちがちにコーティングしてたゆうちゃんの皮が一瞬だけ剥がれ落ちるところを。たった一つの幸いは南城たちがそれを見ていなかったことだろう。軽く髪をかきあげた南城は戸口に向かっている。
まあ、あいつはどうせ反対とかはしないだろうし――
とそんな軽い呟きを残して、戸が閉まった。
情けない話だけれども、俺はその後ちょっと軽くパニックた。あいつらへの憎しみと、ゆうちゃんへの心配さと、自分の中でぐるぐるまわる考えを消化できずに、
「ダメ! ゆうちゃん、あんな条件はダメだ! 絶対にダメ! 今すぐに撤回!」
「そうちゃん」
掴みかからんばかりの俺に、ゆうちゃんは驚いた顔をしていたけれど、そこに迷いはない。それがよく伝わって余計に俺はパニックになった。
「俺、もしそんなことになったら、あいつらに何するかわかんないよ! 今だって時任が抑えてなかったら」
「あーあ。そうだな。まったくだ。だから落ち着けよ、国枝」
ともかく座れ、と言って範を示すように座る。半田君と佐倉さんも座った。でも、俺はそれどころじゃない。篠原さんもどうぞ、と言われるとゆうちゃんも座ったけれど、一人立ったまま座った時任に詰め寄る。
「落ち着けるかよ! 負けたらゆうちゃんが」
「大丈夫だって」
「なにが! あいつらやるぞ! 負けたら、絶対、ゆうちゃんは連れ戻される!」
「なら、転校すればいいじゃないか」
え?
俺は思わず呟いて見下ろした。ソファで腕を組んだ時任は平然とした顔で見上げている。
「転校がダメならうちの学校で開催してる半年間の交換留学生プログラムもある。どうせ向こうだって、卒業までそれくらいの期間しか学校にいないんだし。体よく逃げればいいんだよ」
俺は呆気にとられて、前のソファに並ぶ他の奇変隊メンバーも見回す。三人とも当然な顔してた。拍子抜けして思わず座る俺の横で、ゆうちゃんは申し訳なさそうに
「転校とかは、ちょっと、できなくて。プログラムも、その。お金がかかるだろうし」
「奨学金制度もある。受かるためのサポートはするよ」
「ダメだったらみんなでバイトー!」
「いざとなったら学校側を脅せばいいんですよ。いじめとか不登校とかのキーワードちらつかせればこのご時世一発です」
「……」
この人たち、本気で信義守るつもり、ない。びっくりするくらいフリーダム。しかし。
「――それだ」
え? と呟くゆうちゃんの横で腰掛けてその両手を掴んだ。
「ゆうちゃん。俺、夜間でも働く。ゆうちゃんのご両親も、それはわかってくれる。俺が絶対に説得する。そんで俺もどこでもついてくから。ともかくそうして、そうするって言って」
「――そうちゃん」
「変な信義なんか、つらぬいちゃダメ。あとからやっぱり約束だから、って行くのもなし、すぱっとわりきって逃げるって約束して。あいつらはそれだけのことをしてる」
「それはそうだ、篠原さん。信義ってのは、信頼できる真っ当な人間にたいして貫くものだ。さっきのでよくわかったけど、公衆便所と人間のあいだに約束はそもそも成立しない」
時任が結構すごいことを言ったけど、俺はツッコミも忘れてうんうんと激しくうなずく。
そんな俺をゆうちゃんは見た。多分、ちょっと血走ってそして不安でぐらぐら揺れているだろう俺を。
そして、ほのかに笑った。
「皆さんのお気持ちはとてもありがたいです。そうさせていただきます」
頭を深々と下げて、でも、とあげた。
「負けた後の対策を今は考えたくないんです。勝つことを考えたいんです」
「おー! かっこいー!」
「篠原先輩が一番前向きでしたね」
佐倉さんと半田君もにこにこしている。
「しかも、ばっちり奴らをのせられた。同じ土俵に立てたぞ。ファインプレーその2だ」
「そんな篠ちゃんを称えてぇ――抱きつけ第二段!」
今度は俺は佐倉さんに勝った。ぎゅうっと抱きしめて思う。生徒会用にコーティングしたきれゆうちゃん。その奥の俺のゆうちゃん。その、さらに奥の奥の方で。
――とも。あいつにも伝えておくよ。
小さく震えているものを包めるようにと祈りながら。
ようやく修復を果たした生徒会室には、明かりがついていない。窓から差し込む光も半分にブラインドが落ちて、薄暗い。
「受けてきたよ。面白いね、正攻法で戦いにくるなんて」
事の説明をそんな言葉で締めくくり、南城が軽く笑った。その横の西崎もうきうきした様子で
「黒くなっても、ともたんなんだよ。だからいいよねー。ともたん。何しても、こっち向くことはやめないし」
「歯向かう気もなくなるほど、叩きのめしてやりゃいい」
東堂も牙を剥くように笑う。
まったくタイプが違う三者だが、今はそれぞれがやる気と嬉しさを灯しているようだ。
「対抗馬としてちょっとは歯ごたえないと困るけど」
「全然弱いのを、なぶるのも結構いいもんだよ」
「骨がありそうな奴もいたじゃねえか。悪くねえだろ」
薄暗い部屋でかわされる会話。それは無邪気な残酷さと、何もかもを無価値にしてしまう倫理の軽さを孕み、この場の空気に確実に溶け込んでいく。彼らが作り上げる負のトライアングルの中で、阻むものも打ち消すものもなく、影は密に濃厚になるばかりだ。
微笑みながら南城が、奥の執務机に視線をくれた。
「そういうわけだから、企画、進めるよ。異存はない、ね? 会長」
そこには、制服姿の男子生徒がいる。それまでの会話に一つも参加せず、雰囲気も溶けこませずに。ただ佇んでいた。背が高いのやら低いのやら、髪が長いのやら短いのやら、ばらばらの三者と比べると、彼は全てに中堅と言えるだろうか。ただ平均が実は美しくあるように、顔立ちも姿形も全てが端整にできあがっている。瞬きしなければ人形かと思ってしまいそうな存在に向かって、三人の視線が集まる。
執務机の向こう側に立つ相手は、何を考えているか誰にもわからない、超然とした瞳で軽く三人を見据えた後。
「――好きにしろ」
そうとだけ答えて生徒会長、北原透は静かに目を伏せた。