九章「大運動会」5
結局、3勝負ほどやって、着物組は汗だくになり、部室に戻って着替えてほっとしたところで、いそべん先輩は図書室に残るから、と離脱。竹下先生もバスケ部に残って、残りのメンバーで帰り支度をして、全員分の着物を入れた結城君の荷物を、みんなで手分けして持ちながら部室を出て下足に来た時。
「君達の活動は意味不明だな」
新品に近い艶を出す指定靴に足を入れた京免君が、出し抜けにそんなことを言ってきた。俺達はみんな靴を履いてる最中だったので、ちょっと変な体勢で彼を見てしまった。
そう言えばいつも騒がしい彼が、今日はわりとおとなしかった(当社比)ような気もする。リレーの時も小さな彼は何も騒ぎはせずにじっと黙っていろいろな喧騒を眺めていた。
「京免」
慌てたように踵に靴をつっこんで駆け寄った結城君が呼ぶ。
「本当のことだろう。見ていてもまったく理解ができない」
彼は「本当のことを言って何が悪いの?」って感覚の持ち主なんだろうなあ。
「だけど、興味深い面もあるな。意味がわからない分、未体験だということもあるし。――君達のマスターは誰だったか?」
マスター。一瞬理解ができなかったけど、いわゆる「リーダー」をさしているとわかった。俺達の視線はゆうちゃんに向いた。
「私です」
ここはまだ納得できない部分もあるのか、京免君はゆうちゃんをじろじろ見つめていたが
「君達には不本意ながら借りもあるし、もうしばらく付き合ってやってもいい」
全員より下方から来るのにどこまでも上から目線。気にせず笑っているのは佐倉さんくらいのもんだろう。まあ、ちょっとは慣れたけどね、俺も。
「そうか。なら」
不意に時任が一歩出て、手に持った結城君の紙袋をずいっと京免くんに突き付けた。京免くんは目をぱちぱちとさせて
「なんだこれは」
「お前が持つ荷物だよ」
「それは結城氏の荷物だろう」
「イエスでありノーだ。これは俺達の荷物でもあるし、仮に結城だけの荷物でも仲間が一人重い思いをしているなら分担する」
京免君は片眉をひそめた。
「僕の仕事はそんなことじゃない。先ほど言っていただろう。BGMとゲストの斡旋。僕はそれを引き受けると言っている」
確かに着替える前、時任から話された内容を京免くんは凄くあっさり引き受けていた。逆に渋い顔になった時任がいいのか、と問うと、ツテをたどって要請されるのは珍しいことじゃない、とさばさば答えていた。
「そんなものは、お前のコネだけが目当ての付き合いだろ。お前が仲間に入る以上は、そういう関係じゃすまされない。一方的にじゃないぞ。お前が大量の荷物を持ってたら、俺達は同じことをする」
「僕の手は荷物なんか持ったことはない。いつも人が持っていた」
たいていの相手なら脱力するか諦めるかするずれた返答だったが、時任は揺るがず黙って京免君を見つめ続ける。それを受けて京免君は、突き出されたままの荷物を得体のしれない物体のように見下ろし、なんとかしろとばかりに俺達を見やった。でもそこはなんとかできないよ。やがて京免君の視線は、俺達の手に落ちた。大なり小なり荷物を持つ手に。それから彼はちらりと自分の手を見下ろして。
「……」
少し時間がかかったけれど、京免君は結局受け取った。そんで歩きにくそうに正門に向かって歩き出した。ゆうちゃんがほっとしたように肩の力を抜いたのがわかる。時任は特に感慨なんかは見せずに歩き出す。その両隣に半田君と佐倉さんも続く。とりあえず、ひとつはクリア、かな。
そこでふと思い出して、俺は結城君を振り向いた。彼は立ち止まったまま唖然とした顔で前方を見ている。
「凄いな、時任」
「責任持って教育するつもりなんだろうな」
なにしろ半田君、佐倉さんを一人で御してる奴である。まだ見つめている結城君に
「あのさ、部室で言ってた着付けの件なんだけど。他に手がほしいって言ってたじゃん」
「あ、うん」
「俺、お父さんとお母さんに頼んでみようか」
結城君が俺を見た。
「え、でも」
「一応着物持ってたからある程度は出来ると思うよ」
「でも、両方とも?」
「暇なんだよ。お父さんももう退職してるしさ。そのわりには細々用事いれるけど、前もって言っとけば大丈夫だよ」
結城君の様子にらちがあきそうにないなと思ったので「話しとくね」と言うと彼は一拍おいておずおずうなずいた。じゃあそういうことで、と正門に目を向けるとゆうちゃんがちょっと止まって俺達を待っている。笑いかけると、こくんとうなずく。
正門のところには、艶のある深紅の車が止まってた。俺達を見てドアが開く。開かれたドアに当たり前のように近づいた京免くんが、ふと立ち止まって振り向く。
「結城氏、君も乗っていけ」
「え」
「荷物をのせて、君の家に寄ればいいんだろう」
車で送り迎えかよ。しかも、運転席に乗っている帽子をかぶっているおじさんはどう見ても京免君のパパには見えないし。その彼は窓をあけて興味深そうにこちらに目をやって
「坊ちゃん、お友達ですか」
坊ちゃんって。いや、身長とか見た目的に彼は坊ちゃんだが。その問いかけに京免君はおじさんを見て、それから結城君を見て、何も言わなかったから問いは宙に浮いてしまった。けど、戸惑ったように首を回した結城君が「あ、はい」と答えたから、運転手さん(なんだろーな)の顔がパッと明るくなる。
「どうぞ、乗ってください。他の皆さんも」
「あ、いや、俺達はいいです」
方向がそれぞればらばらだし、そもそもいくら外車でも全員は乗れないだろう。申し訳なさそうな結城君の向こうの座席で腕を組んで京免君は
「ではな」
と呟いた。小さく身体を振るわせた後、去っていく車を見送って一仕事終わったように息をつく。それから時任を見て
「お疲れ」
「なに」
たいしたことじゃあない、とそれでもちょっと疲れたように時任が呟く。
「入れる以上は腹をくくる」
「部長も大変ですねえ」
「お前にだけは言われたくない台詞だ。――しかし、なにをして走る、か。そこは課題だな」
「刀でせーとかいをばったばった切り捨てる!」
佐倉さんの言を時任は無視した。(個人的にはやりたいがな!)
「まあでも、一理はあると思いますよ部長。志士姿でドリブルするわけにもいきませんし」
幕末をドリブルで駆け抜ける志士。実にシュールだなあ。
「昨年、服装や持ち物だけで十分走ることに負担があるクラブは、普通に持って走っているだけでした。柔道部とか剣道部とか。うちも認められると思います」
「――だろうけどな」
基本、点が入るわけでもないお遊び競技だ。そんなにかたいことは言うまい。
「初めはコスチュームだけで十分インパクトはあると思う。だけど、最後の方はパフォーマンスがないと飽きる気がするな」
「走る人全員が同じパフォーマンスしなくてもいいんですか?」
半田君の問いにゆうちゃんがうなずく。すると半田君はちょっと身を乗り出して
「じゃあ、コースに障害物設定とかありですか。うちのだけ」
「――過去、したクラブはあります。器械体操部が盛んだった頃に平均台を設置するとか。複数のクラブが申し込む場合はコース割りの問題とかで難しいと思いますけど、たいして大がかりでないなら許可される可能性はあります」
「何か思いついたか」
「隊長、バク転してみてください」
ほい、と軽い了承の声と共に、すぐ横の空に佐倉さんのすらりと白い足が弧をかいた。ス、スカートでやられるとちょっと目のやり場が。どぎまぎするこちらの前で、唐突な前触りなのに綺麗に決める佐倉さん。しかも持ってる鞄や荷物も手放さずに。エクストリーム土下座にソファーからの宙返りを難なく決める彼女ならこんなの朝飯前だろうが。
「隊長のこれを生かさない手はないです」
器械体操部なんて目じゃないですよ、半田君が胸を張った。
それから体育祭に向けて俺たちは怒涛の忙しさに襲われた。
結城君は俺たちの日々のお手入れとユニフォームの改良にうちの両親との打ち合わせに奔走してくれて、半田君とゆうちゃんは企画立てと並行して騎馬戦練習、俺はボランティア&時任の補佐&騎馬戦、佐倉さんは騎馬戦とそして夜遅くに体育館にこもって何かをしている。
京免君もそこそこ顔を出して「僕の持つ荷物はどこだ?」と聞いてきたりした(彼、なにか勘違いしてる)そんな京免君と文化祭に向けた打ち合わせをしつつ、時任はすべての総括を引き受けた。いそべん先輩だけは受験勉強優先であんまり顔を出せなかったけれど仕方あるまい。
そんな風にして時間は飛ぶようにすぎた。一週間前にもなると、さすがにあまり盛り上がらない体育祭とは言え、それに向けた意識が高まってきた。
今年は俺たちが発起人だけど、それなりに見どころの要素もあるし。HRでプログラムが配られると、それぞれすかしたりチェックしたりして見ながら、ざわめく教室。伊藤が話しかけてきた。
「お前らって、騎馬戦でんの?」
「おーよ。俺が馬だから応援しろよ」
「いーけどよ。どうせ生徒会側やろーばっかりだし」
あ。でも真上会長がいるとちょっと迷うなー、とくねくねする仕草にいらっとくる。そう言いながら、伊藤はちらっと前でプリントを配っていた時任が戻ってきてないのを確認しつつ
「佐倉晴喜も好きだけどなー。外見だけはレベル高えし、なんか面白いし」
「でも、上に乗るのは佐倉さんじゃないけど」
「え、マジで生徒会長候補乗るの?」
「あのボブでメガネの子だろ」
一つ向こう側の机から身を乗り出して口を挟んできたのは谷口だ。
「男女混合だろ。大丈夫なのかよ?」
「特訓中だ。見てろ」
するとプログラムを眺めていた椎名が
「お前ら、リレーも出るのな」
「え? のってねえだろ」
「そこの長州風俗研究会だよ」
「え、ああ。これか。なんでナントカ研究会なんだよ」
「それが正式名称なんだよ」
意味わからんな、という顔。気づくと周囲のクラスメイトもこっちを見ている。俺は胸を張った。
「度胆抜いてやるから、いろいろ楽しみにしとけよ」
「おー」
がんばってたら投票してんよー、囃し立てる声と共に、小さく拍手やくすくす笑いがおこった。結局、みんな面白半分にすぎないんだよなあ、とちらっと思ったけど。時任が前から戻ってきたので、そこまで複雑な味を味わわずにすんだ。
「時任もでんの?」
「ああ。俺はリレー。国枝が騎馬戦だ」
逆じゃね? という視線が少なからず向けられる。確かに身長の面を考えるともっともな疑問ではある。しかし俺は脚もはやくないんだ。くっ。
「生徒会連中は騎馬戦でんだよな」
またプログラムを見ながら椎名が何気なく言った言葉が生んだ、ざわつきが長く胸に残った。
「誰が大将なんだろうな?」
「あなた達の欠点は、労力が到底見えないところだって」
言っていたのは誰だったかしら、と指先で書類をつまみあげて呟いたのは真上美奈子だ。その言葉にパイプ椅子に腰掛けて仕事をしていた人間が手を止めた。
「沢木先輩じゃないですか?」
副会長の、と顔をあげたのは南城だ。色白の面に今は眼鏡をかけて、薄いレンズの向こうから切れ長の目を光らせる。
「そこまで辛辣な言い方はされてなかったと思いますけど。欠点は言いすぎでしょう」
「欠点以外の何者でもないじゃない。今こうして内心ではあくせく働いてる。本当なら下級生にすべて投げて監督だなんて楽隠居気分でいられたのに」
「たいした手間じゃねえよ」
手元の書類をつまらなげによりわけながら東堂が鼻を鳴らす。
「手際の悪い奴に任せて手を出さずに見とけっつー方が疲れる」
そこでドアが開いた。西崎と北原が入ってきた。
「終わったー。委員会の奴、言うことがてんで現実的じゃないからほんっと疲れた」
「またグチグチ潰して、ストレス解消だろ」
鼻で笑う東堂に西崎が冷たい目を向ける。
「人に自分の仕事押し付けといて言えたクチ?」
「ああ?」
「代表者会議なんだから、参加は会長と副会長でしょ。いけよ、”副会長”」
「副ってのは上がいねえときの代わりだろ。上がいるのに雁首そろえてたら余計だ。上と記録係が出るのが順当だろうよ”書記”」
「先輩の前だ、二人とも」
南城の静止が入ったが、すでに真上は腕をくんで冷たく目を細めている。
「いつも、こんな空気なの?」
「男の口喧嘩なんて見苦しくて。視界に入らないところでして欲しいです」
「すかした南城くんが好きなのはキャットファイトでしたっけー。自分餌にした。すってきな趣味だよねー。女子プロと付き合ったら?」
南城の顔にかすかな険が走った。
「そんなに女性が苦手なら、お相手候補は学園にも山ほどいるよ。ラグビー部の部長でも柔道部の猛者たちでも。斡旋してあげようか。よりどりみどりで可愛がってもらえる」
もう構いたくもないのか、真上は身体の向きを変え
「透」
誰にも関わらずに机に向かいパソコンを叩いていた北原が、顔をあげた。
「騎馬戦は、どんな配置で行くつもり?」
「背丈でそろえるなら、上に乗んのは西崎だろ」
「げえー。僕、そういう土臭い汗臭いの大嫌い。パス」
「東堂と俺が乗ったら、お前潰れるだろ」
「パスって言ったのは全部。なんで僕が持ち上げる側に行くんだよ。適当な背丈のひとり調達してくればいいんでしょ」
「……ま。戦力にならねえし、上に乗せといて友子にいくまでに負けても仕方ねえか」
ほっといてよ、とやや気分を害したように西崎が呟く。
「なら、誰乗せてもかまわねえか? 俺か南城が乗っても北原は大丈夫だろ」
「俺も上はパス」
南城が肩をすくめる。「女子相手にやるのはちょっとね」
「面倒くせえな」
呟いたが、東堂は拒否は示していない。決まったか、という雰囲気の中で
「――でも向こうは篠原さんが乗るんでしょう?」
「あのふざけたチラシから見る限りそうだろうな」
「なら、こちらもあわせて透じゃないかしら。騎馬の高さもあうだろうし」
「……」
ようやく全員の視線が北原に集まる。透明な表情の男の面に変化はない。ただ手元のキーボードを叩く手は止まった。
「僕が乗る。西崎も騎馬には参加だ」
その言葉に西崎は露骨に顔を歪めたが、東堂、南城の時とは違って口には出さない。南城、東堂も諸手をあげて賛意を示すわけではないが、やはり異を唱える気はないようだ。
「会長の決定よ。文句はないかしら?」
見回した真上は
「そう。じゃあ。今日は帰りなさい」
「?」
「どうせ間近になったら多忙さはこの比じゃないんでしょう。今日くらいは早目に引き上げなさい。残りの仕事はやっておくわ。だいたい見ていてわかったから」
「飴と鞭が上手だねえ」
「褒め言葉には聞こえないわね」
「褒めてるよ。ありがとうゴザイマス」
にっこり笑って西崎が鞄を持ち上げる。
「いいのかよ。本気で帰るぜ」
「好意を真っ直ぐ受け止められない子たちね。お小遣いはあげないわ」
「ちょっと心苦しいけれど。ありがとうございます」
連日の打ち合わせや事務作業に溜まっていたものが少なからずあったのだろう。そそくさと消えた戸を見送って、そして真上は振り向いた。
「ドライというか、薄情というか。一言ぐらい、声をかけてもいいと思わない?」
「……」
キーボードを叩く音はやまない。規則正しい雨垂れのようで、余計に機械じみた印象を与える。そんな無反応は気にせずに、歩み寄った真上はパイプ机の上に残った書類を持ち上げ美しい指先でめくる。
「あなたに仕事を押し付けて、態のいいお山の大将に押し立ててる、そう推理してた先輩方もいるけれど。そこまで単純な図式でもないみたいね」
「……」
「あなたが人の上に立てているのが不思議だわ」
やがてキーボードを叩く音はやんだ。しかし、マウスを動かし始めたのでただ単にファイルの編集が終了しただけのようだ。シャットアウトしたノートパソコンを閉じて北原は口を開いた。
「篠原友子も立てる」
真上が少し目を開いて見下ろす。探るように瞳は動いたが、発言に深くつっこむのは思いとどまったようだ。
「騎馬の上に乗ると言い出したのはどうして? あなたがそんなに好戦的なタチだとは知らなかったけれど」
「西崎でも、南城でも、東堂でも、負ける。彼女と向き合ったら」
「あなたなら、勝つの?」
伏せる瞳、睫の影が白い頬に落ちる。けれど沈黙を選んだのではなく、その果てに北原は低く呟いたようだ。
「え?」
聞き逃した真上に今度は依然として低いが、少し声量をあげた単語は届いた。
「――悪魔」
意味が不明なそれに、眉をよせて見下ろすとふと顔があがった。初めてあわせた薄い色の瞳の、奥はやはり読めない。北原の瞳は硝子のようでもあるし、澄みきりすぎた水の中でもあるようだ。純粋すぎる故に、生あるものが存在しない世界。
「悪魔が飛び出てくると、そう言われている」




