九章「大運動会」4
それから俺達は結構精力的に働いたと思う。半田君はノート一冊分の企画案を持ってきて、時任は京免君と連絡を取り始めた。俺はボランティア、時々、その他の助っ人。ゆうちゃんは毎日騎馬の訓練をした。メンバーは背が高いのをそろえるのも考えたけれど、俺と半田君と佐倉さんにした。結城くんといそべん先輩を入れてしまうと練習が難しい、というのが主な理由。かなり好き勝手動くけれど、もう舵取りは彼女の野性的な本能に任せよう、ということで前面を佐倉さん。後ろを俺と半田君。若干、身長可愛い面子ではある。
でもゆうちゃんはだいぶ慣れてきた。佐倉さんが突っ走っても振り落とされたり、小さく息を呑んだりすることはない。両手を離すのもためらいはない。俺と半田君がちょっと限界が来て終わるのがたいていだ。いや、情けないとか言わないで。ほんときついよ! 佐倉さんのあれについていくのはさ!
そんな折々の日々に、結城君がいそべん先輩に都合をつけた日で指定してきた。放課後、いそべん先輩が来てくれた。少し遅れて結城君が、五つの大きな紙袋でふさがった手で、開けにくそうに戸を開く。その後ろには連れてくるように頼んだ京免君。結城君と一緒に教室から来たんだろうけど、大荷物な結城君と対照的に手ぶらで結城君が苦労して戸を開けるのを手伝う素振りも見せない、彼のスタンスはまったく変わってない。
「お待たせ」
メールで指定された通り、着物を着る面々はすでにTシャツとスパッツでスタンバイしている。門外漢と思われたけど、結城君のアシスタントとして、俺と半田君も帯を持ったり運んだりで結構働いた。
「着物だから、鬘にするか迷ったんだけど……」
そう言いながらも、結城君が今日セットしたのはいそべん先輩のみ。このもしゃもしゃだとまんま浪人だから、と呟いた瞬間、「受験生に言う台詞か!」と鉄拳がきた。(いそべん先輩見た目に反してデリケートだからたまに面倒くさい)
それでも一人のヘアセットに五人の着付けはそこそこ大変だ。
「女子の着物だったらもう無理だったよ」
最後に自分の着物を着ながら結城君。確かに女子の着物はまた難易度が違うんだろうけど。それにしても彼も多才だ。裾を整えたり思いっきり力を込めて引っ張ったり、結城君の奮闘の結果。小一時間ほどして俺の家の和服をベースにした着物をまとった時任、いそべん先輩、佐倉さん、ゆうちゃん、結城君が出来上がった。
正直なところ、コスプレみたいなものを想像していたけれど。
気物を着た五人は、思った以上に、いい意味での落ち着きがあった。特にいそべん先輩は目をひく。結城君と並んで唯一髪を縛れるせいか、はたまた高校生らしからぬ大人っぽさのせいか、本当に当時の志士みたいだ。
時任も渋い。肩が張っていて着物がよく似合うラインだ。結城君はアイドルがこういう格好をしてみました、という感じ。本物の志士には見えないけど、今風の彼の髪型や外見が着物の渋さと絶妙なバランスをとって、重すぎず軽すぎずミーハー的にいい。
佐倉さんは、ああやっぱりこの人はなあ、ため息が出てしまう。男物の着物なのに、不思議と凄く愛らしく見える。それでいて唇をひきしめれば少年のような凛々しさもある。鬘をつければ、美少年沖田総司みたいなのがはまり役だろうな。
ゆうちゃんも中性的だった。少々の地味さはいかんともしがたいが、ボブの髪がうまい具合にマッチして、ああ、よかった。そこまで見劣りしてない。
「チーム顔……っ!」
半田君が「自分(の先見の明)が恐ろしい…!」みたいなポーズでよろめく真似をしてみせる。まじまじ見ていた京免君がくるっと首を回して「僕のはないのか」と言わんばかりにじっと俺を見る。全力で顔をそらす。
「やっぱり物がいいよ」
自分以外の四人に、回ってみせてとかちょっと動いてみて、と指示を出してしばらくふむふむと念入りに検分した後、志士姿のスタイリストは腕を組んだ。
「ただ、準備にけっこう時間がかかるのが難点」
「部活対抗リレーは、昼飯の後だろう?」
「ですけど、当日はばたばたするでしょうし。部室は離れてるし」
「部屋は近くのクラスを借りられると思います」
「そこいら工夫するしかないなあ。せめてもう一人着付けできる人がいればいいんだけど」
「僕らも練習しましょうか?」
「んー……。男袴の着付けはそんなに難しくないんだけど。問題は、着て走るってことなんだよ。やっぱり構造上、ずり落ちやすいんだ。普通にしてる分には素人でもいいんだろうけど、そんだけ動く前提だとかなりぎゅうぎゅう締めなきゃならないから。俺も付け焼刃だから偉そうに言えないけど」
結城君がそこまで言ったとき、不意に戸がとんとんと鳴った。
「入るぞ」
開いた戸の向こうで、竹下先生がいた。竹下先生は直前まで目を落としていた書類から顔をあげたらしく、その途中でこちらを見た。動かなくなった。扉を開けたらそこは幕末でした。
「……な、んだ?」
「あ、すいません。先生。体育祭のクラ対のユニフォームです」
その言葉に、ようやく戸惑いが少し薄れてきた竹下先生は、でもちょっと引き気味に中に入り
「……その格好で走るのか?」
「高杉晋作の奇兵隊モチーフですから! ――そうだ! 先生も着て走ってくださいね」
「え」
竹下先生がぎょっと肩を揺らす。
「三年生リレー、先生も出られるんでしょう? この格好でお願いします」
「そりゃいい」
いそべん先輩もうなずく。「三年リレーも注目競技だ。そこで先生が看板塔になってくれればこっちのインパクトがかき消されずにすむ」
竹下先生は「あ」「え」とか呟いたが、驚きを飲み込んだのか「わ、かった」と言ってくれた。ありがとうございまーす、と京免君以外の全員が声をあわせる。自分もずいぶんこの奇変隊直伝のかわいこぶりっこが板についてきたなあ、と思う。
「で、先生、何か用ですか」
「あ、ああ。これを渡しに」
近寄った時任にプリントらしき紙を渡す竹下先生。
「なんですか?」
「体育祭のプログラムだ。まだ下書きだが」
その言葉に俺達は時任の方にいっせいに目をやった。
「――出てきましたね」
じっと紙に目を落としたまま、時任が低く呟いた。横からひょいとのぞきこんでいそべん先輩が不敵な笑みを浮かべる。
「出てきたな。受験生なのに暇なこった」
「先輩、その格好で言うとブーメランでかえってきて自分の胸に刺さる言葉ですよ」
うるせえ、と殴られる半田君。竹下先生は着物を着たメンバーをちらちら見ながら
「……それで走れるのか?」
「今から試そうと思って」
「外に出るのか!?」
声を大きくする竹下先生。
「なにしろ大儀な格好ですからね。当日一発勝負はきついでしょ」
「佐倉や篠原さんならぎりでも、俺とか磯部先輩くらいのウェイトの奴が廊下を走ると本気で床が抜けますしね」
「ちょ、ちょっと待て。いくらなんでも」
「ついでだから、奇変隊の幕もって行きましょう!」
「え゛」
「先生! 目立ってなんぼの商売ですよ!」
垂れ幕をはずすためだろう、半田君が椅子と机を抱えながら力強く言った。
「せめて体育館にしてくれ! バスケ部と話をつけるから!」
との、竹下先生の必死の主張により、俺達は体育館目指してぞろぞろ廊下を歩くことになった。俺、ゆうちゃん、佐倉さん、時任、半田君、結城君、京免君、いそべん先輩、竹下先生。気づけばすっかり大所帯で、半田君がポールに通した幕をもってるせいか、奇変隊一行って感じ。ちなみに着物組みの近くを歩くとわさわさして布がよく触れる。
多分、竹下先生が一番まっとうな感覚を持っているんだろうな、とは思ったんだけど、必死に言い張る先生より俺達は抵抗がなかった。結城君とかいつもは理性組もテンションがあがっていたのかもしれない。
まあ、結果は竹下先生が正しかったわけだけれど。
いや、もう、視線の集中号火って感じだろうか。通りがかりの生徒の反応がほぼ一緒。一も二もなく場所を譲るけど、顔は絶対にこちらからはずさない。竹下先生がいてくれるおかげで、止められたりはしないけど。そうこういくうちに体育館についた。
地道なパシリ活動のおかげで、俺達は運動部には結構受け入れられている。特にバスケ部とはボールで語り合った仲なためか、今でも廊下で会うと親しみのある笑顔を向けてくれる。
しかし、体育館に一歩を足を踏み入れた瞬間、飛んできた視線は廊下を行くまでに注がれたその他多数とあまり変わりはなかった。多分、人数が多いせいってのもあるんだろうな。三人ぐらいでやってたらまあた馬鹿やってんな、で終わるところが、十人近い大所帯はちょっと異様さが目立ってしまうんだろう。
「――よお」
そんな中で一応声をかけてくれたのは、佐倉さんと激闘を繰り広げたバスケ部主将の藤田さんだった。バスケットボールを小脇に抱えた彼は、ちらちら俺達を見ながら
「今日はいつにも増してキてんなあ」
といろいろ考えるところがたっぷりなお言葉をいただいた。
「藤田」
「あ、先生」
ここで藤田さんは先生の存在に気づいたらしい。
「どうしたんですか、今日は」
「実はだな。彼らは体育祭のクラブリレーに出るらしくて、この格好で走りを試したいらしいんだ」
「クラ対!」
思いも寄らない言葉のように呟いた藤田さんは次の瞬間、ぷっと噴き出しげらげら笑い出した。
「なんでその格好なんだよ」
「ずっとトップシークレットとしていましたが、うちの正体は実は、高杉晋作を主たる長州風俗研究会だからです」
意味わかんねえ、と藤田さんはひとしきり笑い続けて(意外に闘将は笑い上戸らしい)、やがて涙までにじんだ目を指でこすりながら
「や、でも、お前ららしいわ、ある意味。――で、なんだ? 走る練習か?」
「運動場でやろうとしたのを止めてきたんだ」
そりゃ止めるわ竹センナイスプレー、とまた笑う藤田さん。
「バレー部もあるから周回は無理だけど、壁タッチ走でもするか? 基本練に入ってる奴」
「なんでもありがたいです。やらしてもらう立場ですから」
「ついでにうちもメンバー決めて走るか。一年、100Mタイムが速い順に五人並べ」
え、ええええ!
「勘弁してくださいよ。うちは袴で走るんですよ」
「気にすんなよ。うちはうちでドリブルで走んだぜ」
そうなの?
「最下位はいつも柔道部が持ってくれるからいいけど、テニス部とは接戦だな」
「テニス部は何で走るんですか?」
「ラケットにボール載せて落とさないように走る」
それはそれで大変そうだな。そこでおーい、と声がかかった。
「うちも参加していいか」
見ると体育館の半分を使用していたバレー部だ。おう、と藤田さんが手をあげる。
「バレー部はどうやって走るんですか?」
「トスをあげつづけながら」
過酷!
だいたいびりに近い、とバレー部は悟りを開いたような顔で言う。部によって結構難易度が違うな。
「お遊びだからな、基本。んで、お前らは何して走んの?」
うっ。言葉に詰まる俺たちの中で、時任だけが当たり前のように
「今日はとりあえず初めて着たもんで、慣らしでこれだけで走ります」
「ふうん。ま、確かにな」
3クラブ対抗の壁タッチ走は結構面白かった。主に見ている分だけど。




