八章「彼女は来たりて各語りき」7
泣いてたカラスがすぐ笑った、とばかりに意気揚々と京免君が去った後、すまん、と竹下先生はまず前置きにそれを入れた。
「ただ京免も悪気や悪意があったわけじゃあないんだ」
悪気と悪意にたいした違いがあるんだろうか…と思ったけど、つっこみは入れまい。
「実はあれから、新生生徒会の顧問であることをどこかで聞き出して、内情というか様子を熱心に聞きに来るようになってだな。あのとおりだから、なかなか本心は言わないんだが、多分……迷惑をかけた君達に罪滅ぼしというか、恩返しみたいなことをしたいのだろうと……」
ツミホロボシ、オンガエシ。
「ただ君達側の事情もあるだろうから、こちらもあたりさわりなく接していたつもりだ。が。その、真上のことをどこからか聞きつけたらしく、突然、部室に案内しろと言われて」
その果てに突進してきたのか。彼はあまりにも直情的すぎるんじゃないだろうか。人の目をいっさい気にしない精神力。思い立ったら吉日の行動力。そしてなによりこびりつく濃い濃いあく。
「まあ、ある意味、凄くうちにふさわしい人かもしれませんが……」
「……」
時任の頭の抱えっぷりが凄い。うん。だって、正直、佐倉さんだけで手一杯だよな。それでも拒否をしないのは、奇変隊の方針だからだろうか。でも多分、彼が参加を想定しているのは奇変隊じゃなくて新生生徒会なわけで。
「磯部先輩や結城先輩みたいな支援者位置、ですかね……」
でもその両者と京免君には大きな違いがある。請うて来て貰ったという点と押しかけて来たという点。そしていくら本人が自己申告した通りの世界レベルだとしても、一介の高校生徒会選挙に必要な要素なのかBGM。イエスウィーキャン! 高らかに叫ぶオバマには悪いけど、そのウィーに俺達は入っていないような気がする。
微妙な空気を前面に押し出した俺達に竹下先生が「ただ、京免は登校日数がそんなに多いわけじゃないから……」と、とても消極的にフォローを入れる。
この人も大変だな、と思って見ると、目が合った竹下先生はまた肩をかすかに震わした。……。京免君のあれっぷりもひとつだけいいことがあったかもしれない。それはあの後での竹下先生との顔合わせが、あの無茶苦茶っぷりでうやむやに達成してしまったことだろう。俺は竹下先生に目をあわせたままうなずいた。竹下先生が少し怪訝そうな顔をした。
「まあ、京免がどこまで本気かわからない今、もう奴のことは置いておこう」
というか置いていきたい。という意思を隠さずに時任は話題を無理矢理かえた。
「真上女史が助っ人につくと、やっぱり痛手だ。特に現三年の取り込みは凄いらしい。実績も人望もカリスマもあるしな、彼女。磯部先輩にも伺ったが、票の何割かは持っていかれる覚悟をしとけよ、と」
「……」
「とりあえず半田の案通りに企画大量生産は続けよう。そっちは磯部先輩と新聞部も手伝ってくれる」
「写真部と美術部にも交渉にいきまーす」
半田君が元気に声を出して、時任がうなずいた。
「なるだけ多くの部に関わってもらったほうがいい。自分が手を貸した相手にはやっぱり多かれ少なかれ親身になるだろ?」
支持者集めにもなる、と言う時任。おおお。きっちり詰めてるなあ。
「それと、地道に成果をあげてるボランティア活動の継続。竹下先生にお願いして、各委員や部活で手が足りてない場所に、新生生徒会をこきつかってもらうようにまた要請した」
……お、おー。
「そういう今までの活動も怠らない。けど、やっぱり向こうがどんっと派手なのをかました以上はうちも少々インパクトが必要だろうなとは思う」
「インパクト」
「全校生徒の目にふれるような場所で、何か派手なことをかます」
「行事で言えば、文化祭前にあるのは体育祭ですね」
体育際か。それは確かに全校生徒の目に触れる。
しかし。
「僕、実は去年の体育祭、学校見学で見に来たんですけど」
唯一うちの学校の体育祭を体験していない一年の半田君がふと言い出した。
「つまらなさそうでしたね」
ずばっと言ったが。うん、まさにその通り。
高校生ともなると、どうにも「運動会」なんて言うのは馬鹿らしくなってしまうのか。みんなあまり乗り気でなく、またたいして盛り上がりもしない、それがうちの学校の体育祭だ。チームも赤と白だけでなくて、五色か六色に分かれてしまうのも盛り上がりを削いでしまう原因かもしれない。
「だからぜひとも企画の中には体育祭入れますよ。やるからには面白くやりたいですよ」
「それはいいんだが、ともかく今年のはそうはいかない。例年と同じだ。変えようとするなら、相当前から企画をねらなきゃならないからな。半田の言うとおり、うちの体育祭はあまり面白くない。文化祭に結構力を入れている分、バランスを考えて、なんて意見もあるがな。ただ、それでも中にはみんなが見るようなものがある」
「クラブ対抗か」
竹下先生が言った。
ああ。そうか。
去年俺が見たのも結構ぐだぐだな体育祭ではあったが、それでも面白いのが二つあった。最終種目三年生リレーに参加する形で存在する教員による仮装リレー(谷村がプリキュアの仮装をして走っていた回では、客席の一部は笑い死ぬかと思われた)と、そして昼ごはんのすぐ後に行われるクラブ対抗。
全クラブ・サークル強制参加なため、一応温情としてリレーと騎馬戦と二つあり、どちらか選べるものになっている。まあ基本お遊び種目なので、リレーと言ってもバトンの代わりにテニス部ならラケットもって、剣道部なら竹刀を持って、バスケ部ならボールを持って、かわいそうに柔道部はなぜか畳を持って(そのため万年最下位)走る。服装はどちらもユニフォームやら袴やら。まあそんなカオスな感じが面白く、絵的にもシュールで受けるので盛り上がる。そんなクラブ対抗。
……しかし、俺達ってクラブなのか?
「クラブかと聞かれると微妙なんで、奇変隊<うち>から参加ということにしとこう」
「両方参加も出来ましたよね」
「出た方がいいだろうな」
「ともかくまた仕事を分けよう。体育祭関連、半田主体の企画案、ボランティア」
ゆうちゃんが手をあげた。
「半田君を手伝います」
「ありがとうございます、篠原先輩。こういうのって文系仕事ですしね」
「じゃあ、お願いする。俺は体育祭関連をもう少し詰める。佐倉もこっちにこい」
「イエッサー」
とんとんと決まった。とすると必然的に俺は。
「ボランティアだな」
「ああ。悪いが頼むな。竹下先生、お願いします」
時任はさらっとふった。竹下先生は俺を見た。晴れやかな顔とは到底いえなかったけれど。断らなかった。
「じゃあ、さっそく」
立ち上がると、視線を感じた。ゆうちゃんが見ている。俺は少し立ち止まった。ゆうちゃんはじっと俺を見ていた。竹下先生と行く俺を。俺はゆうちゃんの後ろに回った。ソファの背をつかんで斜め後ろからのぞきこむ。そこにある強い光に俺は気づかなかったふりで、見上げる顔に微笑みを落とす。
「がんばってね、ゆうちゃん」
寄り添うように間近にきて、優しく微笑みかけた国枝の行動は、去った後の空間にもじんわり、一抹の余韻を残したらしい。ぱたんとドアが閉まると、はう、と半田が息を漏らした。
「国枝先輩って、ほんといじらしいですよね」
「お前な……」
「いや、褒め言葉なんですよ。もし自分が女の子だったら、いつもあんな風に大切に思って態度にも出してくれる彼氏がいたら、正直きゅんきゅんしてたまらないだろうなあと」
「問題は、お前が女になったって国枝がお前をそんな風に思う可能性も扱う可能性も万に一つもないという点だ」
「わかってますって。だいたい誰にも優しい、じゃなくて決めたただ一人相手だからなおさらポイント高いんでしょう」
ね、と半田君が隣に座った友子に笑いかけた。
「そうちゃんは私のことをそんな風には思っていませんよ」
「またまたー、そんな風もどんな風も」
「そうちゃんには他に好きな人がいるんです」
一瞬、ぐいっと鳩尾に差し込むよう深い場所に沈黙が落ちた。
「まさか」
「本当です」
友子の顔に浮かぶのは、奇妙なほど波立たない表情だ。「前から、本当に好きな人がいるんです」
「い、いや。だって国枝先輩にそんな素振りっていうか。そもそも、全然隙間がないじゃないですか。他の人が入る隙間なんてこれっぽちも。国枝先輩って言えばあれですよ。おはようからおやすみまで篠原友子を見守るライオン体勢全開で」
「そうちゃん、優しいですから」
静かで穏やかだが、反論を受け付けない否定だった。時任が戸惑ったように視線をめぐらせる。佐倉はただ友子を見つめている。友子も何かを見つめている。ただそれはこの部屋には事象としてないものだ。ぶれることなく、ひたりと見据えている。
「そうちゃんには、好きな人がいるんです」
篠原友子は繰りかえした。ただ、静かに。
斜め前とも横とも言えない微妙なところを歩く竹下先生は硬い顔をしていた。あの、と最初に声をかけてもしばらく反応しなかった。まるで俺が話しかけることはない、と思い込んでいるみたいに。だから、もう少し強くしてあの、と言った。竹下先生は一拍おいてこちらを見た。
「昨日は、すみませんでした。取り乱してしまって」
竹下先生の目が見開いた。幽霊を見たときの人の顔ってこんななのかな。
「俺、結構カッとなると……やっちゃうみたいで」
「……」
「先生にも迷惑をかけました」
「国枝」
「はい」
「お前は、――昨日の話、聞こえていなかったか」
そうきたか、と俺は苦笑した。
「聞こえてましたよ。ゆうちゃんに生徒会を、って声をかけたのは先生だって」
「なら、」
「先生は勧めただけじゃないですか」
「違う」
硬い声が俺の苦笑を遮った。
「わかっていた。わかって言ったんだ。篠原がどういう生徒か」
先生の言うことは、多分正しい。ゆうちゃんにとって全ての「お願い」は命令だ。決して断れない。ふっと竹下先生の身体が沈んだ。膝がとけてなくなってしまったのかと思った。真面目に考えればグロい話だけど。それくらい急に竹下先生は小さくなったように思えた。
「すまん。国枝、本当にすまん」
「先生」
「すまん。――すまん。篠原にもお前にも俺はどんな顔を合わせていいかわからない」
くしゃりと萎れたように見える前髪はまだあがらない。大人が頭を下げるのを目の当たりにすると、なぜか悲しくなる。
「ゆうちゃんは先生を責めましたか?」
「……」
「絶対にゆうちゃんは先生を責めてない」
「――だからこそ!」
先生が顔をあげた。きっとゆうちゃんにも向けただろう、自分を責める苦しむ顔。いつかの地点でゆうちゃんが相対しただろうものを無感動に眺める。そのときのゆうちゃんと自分を重ねた。
自責に打ちひしがれた竹下先生を前に、ゆうちゃんは口を開く。
「『先生のせいじゃない』」
「……篠原から、聞いたのか?」
弱く聞いてくる竹下先生に、俺は首を横にふった。聞かなくたって。カラスが黒いみたいに当たり前のことだ。
「どうしてゆうちゃんが先生にあんなにこだわったのかわかりますか」
竹下先生は黙った。俺に聞かれなくても彼自身がずっと自問自答してきたことだろう。俺達の要請に、いやゆうちゃんの要請に、始終おびえて葛藤していた態度。同情までは行かないけれど、わかる気がする。竹下先生は、考えて考えてわからなくてわからなくて途方に暮れ、自分で膨らませた想像に恐怖していた。
「篠原は――俺に……償いの機会を、くれたのか?」
俺は少し笑った。この人も被害者だよな、と思う俺にあったのはかすかな優越かもしれない。そんな俺に、竹下先生が怪訝そうな目を向ける。竹下先生。残念ながら、ゆうちゃんがあなたの償いなんて、求めるわけがない。ただここに立たせたかっただけだ。俺の前に。
「俺はわかりました」
何かを否定したくて、目を閉じて首を横にふった。
竹下先生との去り際に、じっと俺を見つめてきたゆうちゃん。暗闇の中に、傷だらけの君がいる。座りこんだ君は、目を見開いている。君は自分の傷を見ていない。君は自分を傷つけた者達を見ていない。君が見ているのは、見開いた君の目が見ているのは。
俺は。俺は。
ただ、途方に暮れた。
パイプ机の前に立ち並ぶのは、東堂、南城、西崎の三人だ。教師でも制御しきれない彼らをこうして意思に反して並べさせられる存在は、ごく少ない。
「正直なところ、あなた達には思うところがあるわ」
窓を背にした執務机に、立つのは北原ではない。彼は傍観者のように、あるいは門番のように、主の横に佇んでいる。白い指先が机に三点ついて、黒い艶やかな髪は流れる。
「だけれど、あなた達の世襲は、先代でもある私達が認めたことよ。だから、それを覆す世代交代をやすやすと認めるわけにはいかないわ」
「さっすが。女王さま」
「嬉しいな」
冷ややかな光が軽口を叩く相手をねめつける。
「盲目的なモンスターペアレントみたいに、あなた達につくつもりはないわ。あなた達が負けるなら、それも是としましょう」
「てきびしい」
「優しく甘やかしてなんになるの? 勘違いの幼児が自我をぶくぶく肥大させていくだけよ。風に毒をまくなら、その風が自分たちに煽るリスクを負いなさい。私を自分たちだけにとって都合のいい兵器にはさせないわ」
水打つような沈黙を、ハッ、と引き絞るような笑声が破って。
「あんたの、そういうところは好きだぜ」
東堂が片頬だけで器用な笑みを向けている。西崎と南城はそれに肩をすくめて、同意を示した。北原はただ、硝子のような目を向ける。
そんな後輩達に、真上がさし向けた視線には好意や肩入れの影はない。
美しき先人は冷徹な審判者のごとく、遥か高みから見下ろして。
「私達が残したものは、憤りや一過性の勢いだけで受け継げられるものじゃない。それでも彼らが自分達で出来ると言うなら、堂々と負かしてもらいましょう。こちらの全勢力を。彼らにたいして、最大の力で敵になる」




