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八章「彼女は来たりて各語りき」6

 いや、そこに現れたのは、僕の一人称があてはまる学園男子総勢の中でも、おそらくたった一人しかいないだろう僕――あの迷惑千万ピアニスト京免くんだった。

「僕が来た!」

 見ればわかることを堂々と宣言する、腰に手をあてた京免くん。相変わらず小柄で、そして相変わらず変だ。

「きょ、きょうめん」

 その後ろから息が上がった声で呼びかけたのは――竹下先生、だ。

 竹下先生は俺を見て、ぎくっと肩を揺らした。でもあからさまに目をそらしたりはしなかった。そんな竹下先生を後ろに従えた、京免君はなぜか意気揚々入ってきて、結構いっぱいだったソファの真ん中にむぎゅっと尻を押し込むように座った。

「紅茶だ。砂糖は二つ。ミルクは温めろ。温度は80度だ」

 ソファで腕をくんでふんぞり返った京免君に、向かいに座る形の時任は渋い顔、ゆうちゃんは困惑顔、佐倉さんだけが嬉しそうに眺める中で、知らずに無言のお見合いになった。

 そんなところに半田君がお盆にティーカップをのせてきた。ちゃんと角砂糖二つとスプーン、ピッチャーにミルクまで入っている。指定通り律儀にそろえたのか。でもここまで気を使わなくていいと思う。基本いい子だよな半田君。

 もちろん礼なぞ言わないどころかろくすっぽ半田君を見もしない京免君は「僕は先にミルクを注ぐ派なんだが、場末では仕方ない」とか偉そうに言いながら、砂糖とミルクを入れて二、三回かき混ぜ気取ってすっと口をつけた。

 ぶっと吹いた。

「っ…!」

 げほげほ咳き込みながら、初めて半田君に目を向けた京免君は

「な、に、いれた」

「ミルクがなかったんで……。原液のカルピスじゃやっぱだめですか」

 前言撤回! 自然に怖い子だよ半田君!

 見た目だけでも頑張ってみました、と親指をたてる半田君に、さすがにこれは怒っても仕方ないかと、ひどいものを飲まされた京免君を見たが、ようやく咳をとめたあと「これが天才潰しという奴か」と的外れに納得していた。こっちは変なところで怒って変なところで怒らない子だな。

「あの、な。京免。うちに何か用か?」

 ここまでだいぶ我慢して待っていた時任が、押し殺した声でたずねる。

「用があるのは君たちのほうだろう」

「は?」

「君達は学校の勢力争いに加わっているらしいな。なんでも生徒会だとかの小さな覇権をめぐっていると。実に小人らしい瑣事だ」

 息をするように喧嘩を売りながら、京免くんはしたり顔を向ける。

「その中で現在、真上なにがしとかいう存在に追い込まれて破滅直前だと」

 誰だそんな噂ながしたの! ぐっとこらえているのがはたから見てよくわかる時任は、

「えらく誇張と思い込みが入ってるが、まあどう思われようといい。それと、俺達に君が用ってのはどうつながるんだ?」

「君たちは僕に助力を頼む」

「は?」

「僕の助力がなければ君達は立ち行かない」

「助力って、なんのことだ?」

 京免くんは馬鹿なのか君達は、という目で見てきた。

「ピアノ演奏に決まっているだろうが」

 ごめん。どこで何が決まったのかまったく理解できない。

「いいか。バックミュージックだ。本来ならソロか主演しかありえないような僕が、それを担当するんだぞ」

 バックミュージック。つまりBGM。え、選挙にそれってなんか関係あんの。誰一人も理解できない中で京免くんはソファから勢いよく立ち上がった。彼だけに降り注ぐスポットライトがあるかのように。

「演説だろうとスピーチだろうと背後で僕が演奏すれば、アメリカ大統領だって当選する!」

 イエスウィーキャン!

 叫ぶオバマとその背後で演奏する京免くんの幻が見えた。すっごい。とりあえずいろんな意味で天才の自信って凄い。

「と言っても、僕は多忙なのでそんな小人の些事にはいちいち付き合ってられないがな」

 京免くんはそう言って腕を組み胸を張った。口は閉じたが、沈黙というわけではなくふんぞりかえって何かを待っている。その何かはすごくわかりやすかった。だが、もう、ほんと勘弁してほしい。俺は、奇変隊の突っ走りをひかずに笑えるくらい好きだし、結構ノリもいい人間だと思う。でもちょっとこれは。

「そうか。そうだよな」

 ふと声があがってそちらの方を見ると、時任が笑っている。いや、笑った表情を顔に貼り付けている、と言った方が正確か。

「世界的ピアニストの君にそんな無理はさせられない。ああ。もっともなことだ」

 腕を組んで時任。薄く開いた目で俺を見るので、俺もがくがく頭を上下にふった。すると京免君は動揺したようだ。

「ぼ、僕は多忙なので小人の些事には付き合っていられないんだ!」

「ああ。理解できるよ、すごく。君をそんなのに関わらせるのは、世界の損失だってことが」

「……」

 京免くんは愕然と時任を見る。

 彼のちょっと色の薄い猫のようなつり目に突然。

 じわっと。涙が浮かんだ。え、えええ。

「ぼ、ぼく、僕は多忙なんだ!」

 顔を真っ赤にさせ涙目でそれでも繰り返す京免くん。え。なんか。これ。俺達がいたいけな子どもを苛めているような構図じゃないか。時任もうげ、と顔をしかめ、半田君はあちゃあ、という顔。ゆうちゃんはおろおろしている。竹下先生もきょ、きょうめん、とおろおろ組。

 京免君は自分の膝頭をふるふる震える手で握り締めて、今にも零れ落ちそうな潤んだ目で。

「き、きみたちは小人なんだから、それでも目標があるなら、駄目もとでも努力をするべきだろう。頭のひとつくらい下げたら、僕だって……っ……」

 ぐずっと鼻を鳴らす音。やーめーてー。もうどうすればいいの。どうしようもなく静まりかえる中。ふと、声があがった。多分、ここで声があげられるのは世界中で一人だけ。

「めんめーん」

 佐倉さんだ。京免君はそちらを見たが、彼女が口にした言葉が自分のあだ名だとは露とも思わなかったらしい。まだ鼻声で、めん…? と呟く彼の注目をひくように佐倉さんは手を振りながら

「見て見てめんめーん」

 と畳のところに行った。畳から距離を離してちょっと勢いをつけて両手を床に一瞬だけつけてばんっとはじいてそこからくるっと回って畳へダイブ。さっきも見せなかった高等技だ。もうマジで佐倉さんは新体操オリンピックに出れるんじゃないかな。着地はもちろんあの体勢。


 あの体勢。


 京免くんはじっと見下ろした。そしてさっと高潮させた頬で言い放った。

「仕方ないな! 手をかしてやる!」

 それはそれは嬉しそうな声。一拍おいて意味を飲み込んだ俺達は、それぞれの仕草で頭を抱え、土下座から顔をあげた佐倉さんだけが、京免くんの様子を見てにっこり笑った。


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