二章「奇変隊」
また聞く気がおきない授業が、俺の頭の上を流れていく。シャーペンの尻でこめかみをかいて、俺はノートの空白を見つめてちょっと考えて書き込んだ。
【必要なもの→頭脳、実行力、計画、人望】
それらをまとめシャッと大きな輪にくくって。
【人手】
と書く。もう少し考えてから人手は消して書き直した。
【仲間】
俺はうなずいてその横に矢印を書いて付け足した。
【仲間】→【誰を?】
自分で書いた文字を前に俺は唸る。はたから見れば教師の出した問題に真剣に取り組むように見えたろう。あててくれるなよ、とこっそり祈ったそのとき。
「はい」
通りの良い声と共に、ガタッと前の席の奴がたった。教師にあてられ問題に答えているらしい、綺麗にそろえた毛先に清潔な襟元。背中には白いシャツが少しだけへばりついていて、スポーツマンらしい体型だ。その身体で今は見えない黒板の前の教師を満足させたらしく、奴は座った。別段、力を入れているわけでもないのに、一本筋が入ったような姿勢の良い背。
その背を俺はじっと見ていた。そして【誰を】についた矢印を、今座ったばかりの奴の席に向けてみた。ノートを離して、その背中と矢印を距離をおいて見てみる。
――しっくりくる。
俺がこっそりうなずいたそのとき。ふっ、と前方の背中が動いた。肩越しにちらりと目がきた。背後の不穏な気配に気づいたかのように、眼鏡越しの理知的な瞳が俺に注がれる。へらり、と笑いかけると、なんだろう、という顔をしてまた顔を戻した。
昼休みの終わりだった。ゆうちゃんとのお昼から帰ると、教室にもうお目当ての人物はいた。自分の席に座って書店のカバーがかかった文庫本を広げている。
「時任」
声をかけると、相手――時任大介はちょっと顔をあげた。ゆうちゃんとは違う薄い眼鏡の向こう側から、視線がこちらに動く。
「ちょっと、いいか?」
「いいけど」
開いている隣の席を勝手に拝借して座る俺に、時任はじっと目を向けてきた。同じクラスではあるが、昨年はクラスが違ったし今まであまり接点がなかった俺の接近を不思議がっている様子が目にあらわれている。
「今日の放課後さ、お前のサークルの部室に行っていいか。ちょっと話したいことがあるんだ」
時任はしばらく黙って俺を見ていてから、用心深く
「うちの、部室、話したいこと」
と繰り返して俺がうなずくのを確かめ――そして眉をしかめた。
「お前、変わってるな」
とりあえず、時任は訝しげなまんまだったが了承してくれた。
ホームルームが終わると、自分の鞄を持って時任が視線をくれてきた。
「俺は今から向かうが、一緒に行くか?」
「ん。いや、ちょっと用があるから後で行くよ。場所知ってるし」
サンキュ、と言うと、まだ俺の真意を探っているような目をして時任は教室を出て行った。わざわざアポをとってもらったんだから、待たせるのはよくないと俺もさっさと出かけていく。
時任のサークルは、旧校舎にある。木造の古い建物で、新校舎改築に伴い大半の設備がこっちに移動して、今では数えるほどの教室が残っているのみだ。すかすかしたそこは生徒達が立ち上げたサークルの部室にも割り当てられている。一、二階にもまだ十分空きが見られるのに、四階の最奥にわりあてられているのは何らかの意図を感じずにはいられない。
でもそんな悪意もまったく気にしないように、廊下の天井にはでかでかと垂れ幕が広がっている。
「長州風俗研究会」
と、基本的に太い習字で書かれているそれはよく見れば達筆だった。でも、マジックや絵の具を好きに使っているらしくて、ところどころに落書きのような色が散らばっていて、それが調和とかはまったく考えずまた飾りの幾つかも途中で飽きたように中途半端で終わっている。「長州風俗研究会」の「俗」の字の斜め下辺りには、教科書の絵を模写したような画調のおじさんが吹き出しつきで「よろしくv」と言っていたりする。まったく自由な垂れ幕だった。その下に上よりは短いが太い垂れ幕がもう一個ついていて、こっちは黄色のマーカーのみで「奇変隊!」と書かれている。
こういうのって凄く性格が出るなあ、としみじみ思っていると、がら、と引き戸が開いて、時任が顔を出した。実際にいるところを見ても、こいつがここにいるのは違和感を感じる。
「来たか」
「ん。なんで来るのわかったの」
「ここ、廊下の足音がよく響くんだ。古いからな」
そう答えて時任は不意に奇妙な顔をした。俺の後ろから出てぺこりと頭を下げたゆうちゃんをじっと穴があくように見つめている。それから俺を見た。なんともはかりかねない顔をしていた。
どこからか貰いさげてきたような古い茶色のソファーがこれまた同じように使用感溢れる硝子張りのテーブルを囲んでいる。
「とりあえず、座って。茶、入れるから」
もう一人知らない男子生徒がいて、お盆に伏せられていたコップを慣れた手つきで時任に渡す。
「ありがと」
「ありがとうございます」
受け取って俺は見回した。部屋はのぼりほどおかしくはなかった。でもやっぱり習字は貼ってある。長い半紙をさらにつなげたのか、先ほどの達筆とはうってかわって丸文字で「おもしろきこともなきこの世をおもしろくbyたかすぎしんさく」と書かれている。端には畳が三畳敷かれていて、畳の横には古い掃除用具入れ。棚は結構あるけれど、大半がすかすかしていた。端に置いてある小さな冷蔵庫と扇風機が唯一の家電だ。棚の一角は小量の食器がいれてある。その近くに立っていてこちらを見ていたさっきの男子生徒は、視線があうと軽く会釈してきた。でもそれ以外には、誰も見当たらない。
「あのさあ、部長さんはまだきてないの?」
時任がさっき見せたあの奇妙な顔をした。そして俺にちょっと話がある、というように視線をくれる。俺が立ち上がると、かわりに向かいのソファに男子生徒が座った。
「初めまして。僕は、一年の半田瑞希って言います」
ゆうちゃんも名乗る。意識がそっちに向いているその間に、俺は時任にうながされるまま、廊下にいったん出て。
「おい。国枝。なんだ、あの子は?」
「篠原友子。俺の幼馴染」
「知っている。じゃなくて、どうして連れてきた?」
「どっちかって言うと、俺がついてきた方なんだよね」
「なに?」
「用があるのは、あの子の方なんだよ」
すると時任は顔をしかめた。
「お前、うちの、知ってるだろ?」
「ああ、まあ。知らない方が少ないよな」
「お前なら……まあ、大丈夫かと思ったんだが。あの子は、ちょっと」
「ゆうちゃんなら大丈夫だよ。部長さんに会っても」
「国枝、わりとどうでもいい話だとは思うが、部長は俺だ。さっきの半田が副部長。あいつはな――」
何か言いかけて急に中からどんっと打ち付けるような音が来た。さっきの副部長らしい半田君が何か叫んでいるのが聞こえる。時任が舌打ちして戸を乱暴にあけた。
「出てくんなっていったろ!」
「やめろと言われたらやってみたい!」
身も蓋もないことを叫び返したのは、女子の声だった。それも華やかな可愛らしい声だ。
背が高い時任の横からひょいとのぞきこんでみると、掃除用具入れの中にまだ半分身をおさめた女子が扉に手をかけながらきらきらした大きな目でこちらを見ていた。ふわふわの栗色の髪はショートがよく似合う。背は低めで肌は肌理細やかで白い。同年代の男子生徒ならまず大半が凄く可愛いと思う女子だろう。それが他校の男子生徒ならば。
「奇変隊にようこそ! 隊長の佐倉晴喜です!」
片手をばっとつきつけた先は、ソファのゆうちゃんだった。びっくりしたのか半田くんは腰を浮かしかけているが、ゆうちゃんはまだ座っていた。
突然現れた掃除用具系女子に目を向けて、ゆうちゃんはしばらく動かなかった。眼鏡の奥に隠れてその表情は伺いしれない。
それから。独特の間をあけて。
「よろしくお願いします」
と深々と頭を下げる。
間合いのせいか、双方の対比のせいか、変なコントみたいな一幕だった。
「コングラッチレーションッ!」
謎の雄たけびをあげながら隊長を名乗る女子が身をよじる。テンションがたっかいたかい。いや、だいたいこういう人だ。廊下や移動教室の際に垣間見るこの人は。
大半の男子は騙せる愛らしい容姿に、大半の男子を我にかえらせる中身。
「お客さん~♪ お客さん~♪」
見えない誰かとチークダンスでも踊るようにふらふらしている女子に、俺の前斜めに立っていた時任がやおらつかつかと近寄って、揺れる頭をわしづかみにした。そしてソファにぐしゃっと押し付ける。半田、お前も座れっ、と怒鳴りつけた。
「部長の時任と、副部長の半田と、それで」
「隊長の佐倉でえすっ!」
掌の下で佐倉さんがはしゃいだ声を出す。それをぎり、とまた手で押さえつけながら、時任は
「まだ、帰るつもりはないのか?」
もうストレートに聞いてきた。視線は完全に俺に向いていたけれど。
「はい」
時任と半田くんの顔が驚きを浮かべて、答えたゆうちゃんを向いた。ゆうちゃんはちょっとうつむきがちで、でもどもったりはせずにまた頭を下げた。
「二年E組の篠原友子です」
「同じく、二年の国枝宗二です」
「あの、今日はみなさんにお願いがあってきました」
「うちに入隊したい!」
佐倉さんが元気に断言。それを苦々しげな顔で睨んだ時任も次の言葉にはゆうちゃんを向いた。
「いえ、その逆なんです」
「逆?」
「私たちはある目的があって、そのためにグループを作ろうと考えています。そこでこの研究会の方々にそのグループに入って欲しいと思っています。突然すみません。でも、考えてくれませんか」
佐倉さんはうん? と首をかしげている。半田くんもちょっと続きを聞きたそうに身を乗り出している。時任はなんだか頭が痛そうに顔をしかめた。
「……ちょっと、すまないが、いったん提案はおいといて。聞かせてくれ。その、ある目的って、なんだ?」
この高校が誇るある意味で名高き奇変隊メンバーを
「現生徒会を崩壊させることです」
一言で全員黙らせたのは、ゆうちゃんだけかもしれなかった。
うちの学校に結構な数存在しているらしい変なサークルの中でも、ひときわ異質さを光らせる私設サークル「長州風俗研究会」通称は「奇変隊」としてる。
「佐倉さんが好きな高杉晋作の句にあわせたんです」
そう笑うのは半田瑞希くん。一年C組。癖がない長めの髪型が大人しい。いたって普通そうな男子生徒なのに、何故か三番目のメンバーになった奇特な人で、
「奇兵隊とかけて、通称は僕がつけたんですよ」
とちょっと得意そうに言うあたりはやっぱり普通「そうな」だけに留まるんだろうな。
「こんな名前だが、歴史や長州とはまったく関係がない」
堂々と言い切ってしまうのが、部長で俺のクラスメイトでもある時任大介。こっちはもっと腑に落ちない。クラスの中でも一際落ち着きと常識を漂わせ、成績も運動も見た目も常に上位のこいつが、そんなことを言ってしまうサークルの部長を務めている時点が世界の齟齬だ。
「おもしろきこともなきこの世をおもしろく!」
そうして二年A組、佐倉晴喜。これはガチ。まさにこのサークルは佐倉晴喜そのものだと思う。天真爛漫、予測不可能、異常が常態、マジ変わってる。
そんな彼女とセットでこのサークルは有名で、たいていの人間は名前を知っている。でも、どんなことしてるの? と言われるとたいていの人間は困る。よくわからないこと。そして最後に付け加える。ともかく、変。
俺が聞いただけでは、改造した台車で階段を四階から一階まで駆け下りた、真夜中の学校で心霊ポイントめぐりをした、校庭の真ん中を使っていかにしてじゃがいもを遠くまで飛ばせるかの実験を行っていた等々。噂以外にも意味不明なことをたくさんしている。そういうのは見ている方が理解できないので、ある意味噂になりようがないらしい。
「楽しいことを探してて、面白そうなことは片っ端からやってみてる」
へら、と隊長さんは笑う。
「一生懸命、真面目にふざける」
まあそういう集団なんだろう。
ゆうちゃんの発言が炸裂した場で、最初に言葉を発したのは隊長佐倉さんだった。小首をかしげて
「崩壊って、なにするの?」
「あのメンバー全員、生徒会室ごと土砂で埋めつくします」
淡々としたそれに、佐倉さんは目をぱちくり、時任はぎょっとして、半田君は聞き間違いしたか、みたいな表情をしている。
「――のは、さすがに現実的ではないと思いますので、せめて、リコール、でしょうか」
「りこーる」
「ふさわしくないって訴えを起こして、現生徒会メンバーを辞めさせて、体制を奪取することです。正攻法で追われたほうが、きっと彼らもダメージが大きいと思うので」
「ということは、乗っ取る?」
「乗っ取りより、もっと大きいです。全部ひっくりかえすので」
佐倉さんは黙った。でも、肩がふるふると震えている。その様子に半田くんと時任は顔をしかめ「ちょ、待て――」と言いかけたが
「面白そう!」
一歩制して佐倉さんは顔を輝かせた。
「面白く、しますよ」
俺の後押しに佐倉さんの頬が嬉しさに真っ赤になる。ふるふると興奮している。
「佐倉、ちょっと待てっ! いいか。待て、落ち着け」
時任が唾を飛ばさんばかりに叫ぶ。けれど佐倉さんは胸を両手にあてて
「大介君、どきどきする!」
「なんでもかんでもそれ基準で決めんなって言ってんだろうがっ!」
半田こいつの口にガムテープ張っとけ! と押しやって、そして時任はこっちを見やった。その視線にははっきりと険がある。
「篠原さん。いったいどういうことか、詳しく訳を聞かせてくれ。まず、どうしてあんたが生徒会を崩壊させたいのか、だ」
ゆうちゃんは神妙にうなずいた。
「お話します。聞いても、面白い話ではないと思いますけど」
「じゃあ聞かなくていい」
佐倉さんの暢気な一言に、半田ぁ! と時任が叫ぶ。半田君はさすがにガムテープは可哀想だと思ったのか、片手にセロハンテープをとって、隊長口を閉じてくださいねー、と言っている。びっと端にくっつけて本当にやりはじめた。
「私は半年前に生徒会に入りました」
ゆうちゃんが話し始めた。そうして、ゆうらりと、その肩から頭から内なるどこかから、黒いどろどろが溢れ漂い頭上に渦巻き始めた。憎しみと怨念をミキシングしてもっと強烈な味付けを加えたように、ちょっと変でも平和な部室をホラーに瞬く間に変えていく。魔王が現れた! 学生達はかたまっている!
それの出現に、半田と時任は完全に硬直している。もふもふ! と佐倉さんだけが興奮したようにセロハンテープの口をもごもごさせていた。俺はこの一事でこの人を尊敬した。
そうして「――以上の次第です」とゆうちゃんが言って、葬儀場よりも静まり返った部屋の中。
長い長い時間をかけて、やがて時任が何か言いかけた。が、不発になってしばらく苦しそうな咳をしたあと。
「その……。少し、時間をくれないか」
と搾り出すように言った。
お茶の礼を言って外に出ると、もう結構な時間がすぎていた。確かに言われてみれば足音が響きそうな旧校舎の階段をゆうちゃんと並んでおりると、もう高い窓から日が傾きかけているのが見える。
「どうなるかな」
ゆうちゃんは言った。背後に幻を見させた覇気は消えていて、もういつものゆうちゃんだった。
「佐倉さんは、乗り気だったみたいだよ」
「佐倉さん、素敵な人だね」
素敵というか、確かに美人なんだけどさ。あのノリを知った後も可愛い、と言える度胸がある奴はどれだけいるのか。ともかくそれは俺ではない。
なんて返していいかわからずいると、ゆうちゃんが笑って付け足した。
「私、憧れてたの」
俺はちょっと驚いた。佐倉晴喜にたいして、男子はおおむね遠くから見守るで一致して遠巻き、女子の態度もまたなんとも微妙だ。目立つから生意気ととる女子もいるし、なるべく近寄りたくないと引く女子もいる。ただし男女共に一部の人気は凄い、とも聞く。確かにその気持ちが俺にも今日ちょっとわかった。最初はひくけどあの破天荒さはそのうち癖になるかも。
でも、ゆうちゃんがそんな風に言うとは思わなかった。
「佐倉さんは、いつ見てものびのびして楽しそうで、他人の目を気にすることなんてちっともしないで。ああなれたら、きっと――」
ゆうちゃんは続けなかった。
「時任くんにも会えてよかった。そうちゃんと同じクラスなんだよね。しっかりした人だね」
「時任はちゃんとした奴だよ。同い年とは思えないね」
「半田くんも親切な人だったね。みんないい人」
ゆうちゃんにとって「悪い人」なんてこの世にいなかった。テレビに映し出される凶悪犯なんかは「悪い人」のカテゴリーに入っていたかもしれないけれど、ぐるりと見回して存在するゆうちゃんの世界には「悪い人」はいなかった。なかったなかった。みんな過去の話だ。
「仲間になってくれるといいね」
「うん。俺もさ。クラスで、時任を説得しとくよ」
「いいの」
ゆうちゃんが首を振った。
「人につられて動いて後悔させるようなことはしたくない」
二日がたった。それまで時任の態度は微妙、の一言に尽きた。俺を見ても、ちょっと考えこむように眉を寄せた後、ふいと視線をそらしてしまう。完全に無視でもないが、ウェルカムでもない。話しかけると向こうが困りそうな気がしたので、俺はそっとしといた。ホームルームが終わるとすぐに出て行ってしまう。半田くんと佐倉さんの姿は廊下では見なかった。
あのときの感触では、佐倉晴喜はいけそうな気がした。けれど、半田くんと時任はだいぶ危惧していたみたいだし、難しいかなあ、とそんな考えが頭をよぎった三日目のことだった。
ホームルームが終わった時任が、俺の前に真っ直ぐやってきた。奴はまだ少し気まずそうに視線をそらし気味に
「今日の四時に部室に来てくれないか」
「あ……ああ。うん」
「この前の話の、返事をする」
かっきり四時に来てくれ、とその言葉に、俺とゆうちゃんは学食で時間を潰しながら時計を見つつ、十分前に立ち上がって学食を出た。旧校舎に足を踏み入れて、階段をのぼり、部室に近くなるにつれて緊張してきた。胸がどきどきしている。佐倉晴喜はこういう気持ちを求めているのだろうか。ゆうちゃんもどきどきしているみたいだった。ただ佐倉さんのそれとはちょっと違う。うつむきがちな頬が少し硬い。
「手、繋ぐ?」
「ん。いい」
ゆうちゃんはうなずいて階段をのぼりきる。廊下の奥の、あの幕の下では時任が立って待っていた。
「待たせて、悪かったな」
「いや、いいけど」
「その、ちょっと準備がな」
「準備?」
時任は肩をすくめた。不思議に思ったとき、その肩の後ろに四角い掃除用具入れが見えた。
ふと俺はあれ、ここに掃除用具入れなんかあったかな、と思ったとき。
「GO!!」
佐倉さんの声が聞こえた。それも予期してないくらい近いところで。え、どこ? と探す暇もなく、時任ががらっと戸を開ける。ため息をついた時任の顔。が、横に流れた。どんっと俺とゆうちゃんは後ろから背中を強くおされたせいだ。不可抗力で中に踏みこみ、時任の顔から移動させた視線が部室の中へ。三日前にも入った部室だが。白い。
三日前にはソファと机があった場所に何故かベッドがあった。一瞬目を疑ったがベッドだった。金属の脚で立つ本物の。そしてベッドの上には、何故かたくさんの枕があった。すべての枕にピンクのフェルトで縫い付けてあるのは。
――「YES」
YES,YES, YES,YES…部屋の真ん中にででんと何故かあるベッドの上に、乱舞するイエス枕の群れ。
「ははっ」
思わず俺は笑いが出た。戸の方を振り向くと、肩をすくめてる時任と、その横で半田君と佐倉さんがにっと笑ってピースを向けてる。タイミングを見計らって俺とゆうちゃんの背を押したのは、この二人に間違いはないだろうが、あの掃除用具入れに二人も入っていたのか。枕用意するのに無意味に労力いりそう。そもそもベッドはどこから? ここ四階! いや、もう、とにかく。
――おもしれえ!
まだ意味がわからずきょろきょろしてるゆうちゃんの脇に手を入れ一気に持ち上げる。
「ゆうちゃん、愛してる!」
「え、え?」
「今夜は寝かせないよベイビー!」
お姫様抱っこにチェンジしてベッドに一気にダイブした。シーツの上で跳ねる俺達に、奇変隊メンバーもきらっと目を輝かせた。
「衝撃事実です! スクープ! スクープ!」
「二人のお付き合いはいつからですか!?」
「ダメっ! 取材は事務所を通して!」
デジカメや携帯を取り出してパシャパシャとる。結局、メンバー変えたりポーズ変えたりしてひとしきりこのベッドで遊びつくした。中でも最高傑作だった薔薇の造花を口にくわえた半田君と時任による「禁断の愛シリーズ」。その写真撮影を終え、
「いや、お前に対する認識変わったわ」
まだつりそうな腹筋を抱えながら俺が時任の肩に手をおくと
「モラルってたまにかなぐり捨てたくなるよな」
造花を口からとって、時任は平然と言った。