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八章「彼女は来たりて各語りき」2

「どういう人なんですか?」

 業間休みでざわざわ騒がしい二年の教室、俺たちの机にとんと半田君が顎を乗せている。ほんとに彼は度胸があるな。知ってたけど。いくら知り合いがいるからとは言え、上級生の教室にのこのこ入ってこれる度胸には呆れにも似た感嘆。

 低い姿勢でいるのは彼なりに目立たないよう気を使っているのかもしれないけれど、周囲の奴らからはやはり視線が結構ある。

 時任も呆れ顔で

「どういう人って言ってもな。元生徒会長って言う以外にねえよ」

「なんか迫力、というか雰囲気がある人でしたよね」

 目立ったでしょうね、という半田君に、だから生徒会長だったんだよ、と時任は言うけれど。きっと半田君が言うのはその属性以外のすべてにおいてもだろう。

 確かに、目立っていた、彼女は。とにかく能もあれば芸もある人だった。成績もトップクラスに近いらしいし、体育祭でもリレーのアンカーをつとめていた。でも、それだけじゃないんだろう。特別に特別な何かをしなくたって、彼女は人の目を引く人だった。

 入学際の挨拶だって凄く真新しいもの、というわけではなかったと思うけれど、彼女が口にするとひどく特別なもののような気がした。高校にはこんな人がいるのか、すげえな、と俺も思ったよ。クラスの初顔合わせの場でも、彼女のことを興奮気味に話していたクラスメイトたちが何人もいた。初発の一撃でシンパを作りあげたのだ、あの人は。そういう求心力がある人だった。

「僕、新聞部にちょっと寄ってきてバックナンバー借りてきたんですよ」

 ふと半田君が足元から重たげな紙袋を掲げてみせた。

「凄いですね、これ」

 どさっと机の上にのせたのはちょっと変色した昔の学校新聞の束だ。幾つかはカラーで大きく真上会長の写真が載っている。

「一年生のときにミス永誠で載ってから、二年生での選挙も、写真とかあからさまに贔屓してますし。行事のたびにさり気なく写りこんでいるっていうか。まるっきりアイドル扱いですね」

「今の新聞部のゴシップ偏重主義も、ここから始まってる。反響がすごかったらしいからな」

「今よりもっと極端ですねえ。確かに綺麗だし写真写りもいいですけど」

「なあ、それ、真上会長?」

 斜め前の伊藤が、ふとわりこんできた。新聞を手にとってうおー、若けえ。美人、と興奮している。

「学校に来てたって聞いたけど、マジなのか?」

「俺も聞いた。マジ?」

 いつの間にか、左後ろの椎名も。新聞に興奮しながら、マジマジ? と無邪気に聞いてくるクラスメイトに困って、時任を見ると奴は一瞬俺を見てからふうと肩をすくめ

「マジだよ」

「うあああああ。見たかったあ!」

「大学生になってもっときれーになったって聞いたけど」

「行ったの桜華女子大だろ。女子大でさえなきゃなあ」

「俺、姉貴の友だちが行ってんだけど」

 いつの間かに五、六人に膨れ上がっている。しかも「真上さんの話?」と女子まで寄ってきた。

「あたし、見た!」

「マジで!? いいな、いいな! どこにいたの!?」

 一大騒ぎになってしまった。半田君を引っ張って廊下へ避難した。

「凄いですね」

「人気衰えず、か」

 渋い時任の声に、あ、と誰かの声がした。振り向いてみると、結城君がいた。彼は足早に俺たちに近づいてきて、声を潜めて

「真上会長来たってほんと?」

「もう聞いた?」

「噂になってる」

 結城君がうなずいた。それからちょっと眉をひそめて

「あのさ、会長が来たのって、やっぱりその。生徒会の応援、とかなのかな」

「……」

 沈黙したのはわからなかったわけじゃない。認めたくなかった、それはあったかもしれないけれど。

 そう、彼女は生徒会だ。しかも去年卒業した三年。北原たちのすぐ上の先輩にあたる。それどころではないか。色めきたった女子たちの話し声が横合いから聞こえる。

「会長、北原さんに会いに来たのかな」

 つとめて息を吐いて。吸って。

 ゆうちゃんに会いたい、ただそう思った。




 あら、と立ち止まって真上は形の良い眉をあげた。目の前には一人のスーツ姿の教師が立っている。真正面に構えた彼は、明らかに通りかかったのではない。

「お久しぶりです、先生」

「……真上」

「先ほど職員室にご挨拶に行ったときはご不在で」

 そう、か。と竹下は呟いた。歯切れが悪そうな教師にゆったりと微笑む。

「真上」

「はい」

「どうして学校に」

「可愛い後輩の要請にこたえて」

 竹下の眉が寄る。

「それは生徒会の再選挙に関係してか?」

「まったく関わりがないわけではない。そうお答えしておきましょうか」

「真上」

「はい」

「在学中のお前は学校のためによく動いてくれたし、生徒会の活動も熱心で思い入れがあるのはわかる。――だが、真上。お前は卒業した身だ」

「……」

「今、学校に通う生徒のことは彼らのみで決めさせるべきだ」

「過去の栄光を振りかざすな、と。ご忠告でしょうか」

 すっと背筋を伸ばし、真上美奈子はまっすぐな視線で射抜いた。

「先生、過去に負けるようなら、その程度の現在なのでしょう。現に前にあった一年生は私のことなど知らなかった。所詮、そのようなものです。先生は再選挙と仰られました。そこが成立している過程も私は納得いきません。何故ですか。決められた任期を勤めることが前提ですでにあの子達は選ばれています。ましてあの子達は現三年です。ただでさえ、うちの学校の生徒会活動は三年の秋まであるのに。実質は夏のうちにほとんどの業務の引継ぎは終えていますが、あの子達はそれもできない。こんな状況にリコール? 真っ先に教師がとめるべき事態ではないでしょうか」

「……」

「先生が仰られることは、よくわかります。私も、静観するべきだと思います。でも先生が仰られないことに、あまりに疑問が多すぎます。その疑問にどこからも誰からも答えが得られない以上、私は私の手で答えを見つけるしかありません」

 そこで一旦言葉をきって。真上は微笑む。悠然と。そして嫣然と。

「それとも今ここで、先生が私に答えをいただけるのでしょうか」




「ごめんなさいね。こんな合間時間に呼び出して」

 その言葉に、とんでもない、と南城は微笑んだ。その微笑みを表現するのに、甘い以上の言葉はない。軽薄と紙一重なはずなのに、とびきり優しげな眼差しは向けられる心をたやすく蕩かす。

「非常に光栄だったよ。注目だって羨望だった。ひとつ不満があるなら、話せる時間が少なくて惜しいだけだよ」

「お上手」

 くす、と相手は笑った。ごく冷静に相手の魅力を認めてはいる。けれどそれを通す通さないはまるで別次元とばかりに。南城の微笑や仕草にそんな態度をとれる女子は数少ない。

「相変わらずね。女の子の人気、凄いでしょう?」

「そうでもないよ」

「ご謙遜」

「俺みたいなのは軽く見られるのかな。結構、東堂だの北原だのにマジな奴の票は集まってね。西崎はマニアックだから別の意味で濃いし」

「あくまで比較の問題よ。ちょっと聞いてみただけでも、あなたの人気、凄いみたいよ」

「本当だったら嬉しいね」

「本当よ。だから不思議なの。あなたの人気を踏まえてなお、たくさんの一年生が生徒会を止めたのはなぜかしら?」

 南城の微笑みにかすかな変質が起こった。主には優しげな瞳の奥だろう。真上も同じように笑いながら真っ直ぐに見すえている。

「ともの話、だよね。残念ながら時間がないから、さくさく進めようか」

「言いにくいことを聞いている自覚はあるの。でもはっきりさせるべきだと思って」

「もちろん。話すのは義務で、話しにくいのは本当でも、その話しにくさの原因はこっちにある」

 真上が少し目を動かす。目の前の後輩は、少し眉を寄せてかげりがある。軽く握った手を口元に触れさせて言葉を捜し、その果てに小さく息をついた。

「ともは、いい子だったよ。真面目で素直で仕事も熱心だった。口はばったいこともなかったし、だからって影で何か言ったりしたりすることも絶対なかった。まあ、初めはお世辞にもパッとしないし、言葉数も少なかったから、ちょっととっつきにくいなとは思ったけれど。一緒に仕事していくうちに、いまどき珍しいくらい控えめで大人しいけどいい子だってわかるようになって。それから俺たちは彼女を受け入れたよ。入ってから二ヶ月くらいたった頃かな。それまでも上手くいってなかったわけじゃないけど、受け入れてみるといいところもよく見えるようになった。女性特有の気遣いっていうかな、細々とした心配りとか、彼女の意見が貴重だったこともたくさんある」

「そう。頼もしいわね」

「でも。聞きたいのは、めでたしめでたしの先の破綻だよね」

「そうね」

「……こういうことになってしまって、何度か考えた。何がいけなかったって。だいたいのところ、俺たちが悪かったと思う」

 呟いて伏目がちな視線を真上に向けた。「怒る?」

「怒らないわ。反省する気持ちがあるなら。あなたがそう思った根拠はなに?」

「ともは、いやっていうことがいっさいない子だったんだよ。それが悪いこと――校則違反とかじゃなければ、すべて引き受けてくれたし、聞き入れてくれた。ちょっと困ったような顔をしながらもね。そういう彼女に慣れると、俺たちはだんだん遠慮を忘れていった。後輩女子に使うのは気恥ずかしいけれど、甘えてた、ってことにもなるんだと思う。やってもらって当たり前、そんな空気がいつの間にか充満して、感謝を忘れて思いやりが減っていって、顎でつかったりぞんざいになるようになって……まあ。それで破綻」

「改善点がたくさんありそうね。先輩としての立場からなら特に」

「ああ。だから、後悔している。謝罪してもう一度やり直したい、それが正直なところだよ」




「ともたん?」

 くり、と大きな目を無邪気に動かして、西崎は声を弾ませた。

「好きだよー。先輩たちにはばれてると思うけど、僕らって別に友だちとか仲良しってわけじゃないじゃない? せいぜい仕事仲間って感じで。だから、たまに息詰まるっていうか、仕事場の雰囲気もちょっとね。男だけの視点だと盲点も結構あったし。その前にいろいろあったから女の子はカンベン、って思ったけど、やっぱり雰囲気が違うんだよね。女の子が一人いるとさ。それに今までの子みたいな面倒ごとは全然起こさなかったし。結構仕事もできたし、助かってた。自分を出すのがすごく苦手だったから、最初は辛気臭いと思ったけど、慣れたらあれはあれでいいよ。――破綻の理由? なんじょーも言ってた。ん。そうだろうね。でももうひとつ。僕らさ、彼女にちょっとわだかまりがあったんだと思うよ」

「わだかまり?」

「ともたんはさ、とっつきにくそうでとっつきにくくないんだよ。なんかいてもおかしくない、みたいな感じで違和感もすぐなくなっちゃうんだよ。僕らはさ、ともたんの第一印象をふりきって馴染むのに精々一ヶ月くらいかな。二ヶ月目くらいにはいて当たり前みたいな、今から思うとずいぶん心を開いていたと思う」

「だけどさ。ともたんはそうじゃなかった。ちょっとずつは慣れていったけど、他人行儀なところがいつまでたっても抜けきらなくさ。いつも一歩引いている感じ。一線引いてる感じ。初めはそれがいいと思ったけど。結局こっちが慣れてみると、そういうところが、悔しかったんだと思うよ。今考えればそれがともたんなんだから、短気おこした僕らがやっぱり悪いと思うけど」



「ともこ? ああ、うぜえよ。ほんとうぜえ奴だった。びくびくおどおど。人をなんだと思ってやがる。一度怒鳴ったら態度には出さないようになった。結局うぜえのには変わりなかった。あいつは一生、人の顔色伺い続けて生きんだろな。気がしれねえよ。――ナンジョー、ニシザキは俺たちに非があったって? 俺はんなこといわね。あいつが悪い。いなくなったのもあいつの問題だ。根性も覚悟もねえ」

「それなのに、戻ってきて欲しいの?」

「欲しいなんて言ってねえよ。辛かった? しんどかった? 知るか。言うなりなんなりすりゃよかっただろうが。何にも言わずにいて、それで何にも言わずに出て行って、そこで逆ギレ。はあ? なんでんなとこでキレてんだよ。ここでキレていけよ。それでキレんだったらさっさとキレろよ。溜め込んでた? 知るかよ。だから女はいやなんだよ」

 そこで面倒そうな顔をした東堂がふと少しだけ硬化をといた。

「けど、ま。他の女子よりはマシだった、ってのは確かだな。すくなくともやかましくはなかったし、あの薄暗さと陰気も、初めは我慢できねえって思ったけど慣れりゃ案外気にならなくなったし」




 鍵を開けて入ってきたのは、白いブレザーを着た男子生徒だ。誰もいない部屋に、電気のスイッチに手を伸ばし、ONから数拍遅れて点灯する蛍光灯の下、窓際までやってきて鞄を机に置きパイプ椅子を引く。整ってはいるが、表情がない顔つきがひとつ瞬いた。その瞳が突如、背後からやってきた掌にすっと塞がれる。

「――誰?」

「……」

「誰かしら?」

 首元をかする髪の感触を覚えながら、両目を塞がれた男子生徒は答えない。

「言い当てないと、話さないわよ」

「……真上会長」

「会長はあなたよ」

 手をどけさせようとすると、逃げるようにすっと離れていった。戻ってきた視界は抑えられていたせいで少しぼやけていたが、蛍光灯の下にあるすべてを映し出す。茫洋と見上げる先で、黒髪ストレートの麗人が薄く甘い微笑で見下ろしている。

「驚かなかった?」

「驚きました」

「あいかわらず、表情筋が迷子ね。あなた」

「……」

「ユーモアも失踪中」

 手のひらを空に向け嘆く相手に、椅子を引いて半身を向けた。

「いつからここに?」

「朝からよ」

「何をしていたのですか」

「業間とお昼を使って聞き込み調査。でも暇だったわ。高校って空きコマなんてないのよね。半年前までそうだったのにもう忘れちゃった」

「……」

 無言で見上げてみる頬をつつんで、えいとかけ声と共につまんで広げた。輪郭がかわった頬肉や引っ張られた唇の形は滑稽だが、それでも他の表情が動かないので和むとはいえない。はずさせようと手が挙がると、また触れる前に真上の手は離れた。

「……東堂から聞きました」

「同じクラスだものね」

「何故、彼女のことを?」

「元凶を知るのは当然のことでしょう」

「元凶?」

「この事態の根よ」

「……」

「連絡を貰ったとき何事かと思ったのよ。聞けてよかったわ。だいぶ話が見えてきたから」

 そこまで言ってふと真上は睫の濃い影が落ちる瞳を瞬かせた。

「まあ。どうしたの。表情筋が産声をあげたの? 持ち主から十八年も遅れて」

「……彼らに事実は語れない」

「まあ。お人形さんがしゃべってる。『彼ラニ事実ハ語レナイ』!」

「……」

 眉を寄せて黙りこくる相手にくすっと笑って額を寄せた。

「じゃあ。あなたが事実を語るのね?」

「……」

「だんまりが可愛い年じゃないわよ」

「……語れない」

「それはあんまりってものじゃない? 彼らは無理です、でも僕も無理です、なんて」

「あなたが言ったんです」

「なにを?」

「人形は物を語れない」

 彼女は真顔になった後、一歩ひいて距離をとった。そうして初めて相対する相手のように。敵意はないが他所他所しい視線を向けた。

「語れないなら人形よ。語らないなら――あなた、それは意思があってのことだわ。あなたに尋ねるわ。語れないなら許したけれど、語りたくないは許さない。透。あなたは篠原さんをどう思っていたの?」

 一拍の静かな間を空けて。彼女が、と呟いた。

「彼女が?」

「――はやく、やめればと、思っていた」

 吐息のように結ぶ。

「それが、あなたの見解?」

 それに答えず北原は続けた。

「あなたは、ここを引くべきだ」

「どうして?」

「傷つく」

 真上の片眉がぴくりと動く。

「彼女――篠原さんが?」

 その瞬間、彼女の後輩は真っ直ぐに見返していた。首がゆっくりと動いてふられた。北原透。極端に表情のない彼は、首を横に振ったのだ。

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