八章「彼女は来たりて各語りき」
じりじりと残暑の日差しが頭上から注いでる。夏は通り過ぎたが、思い出したように元気さを主張する太陽の下。はめていた軍手もわきだす汗とにじんだ草の汁ですっかり汚れている。
しぶとく抵抗した太い雑草を黙々とバケツに放り込んでいると、視線の先の地面に誰かの影が差した。見上げるとよく日に焼けた肌に、野球部帽子をかぶった、さっき挨拶した部長さんが見下ろしている。
「ご苦労さん。ちょっと休んだ方がいいぞ。今日は気温があがるって言ってたし」
「わかりました」
ほっとして立ち上がると、腰がばりっと言いそうになった。若い身空で切ない。
「わりいな、すっかり働かせちまって」
「いや。自分から仕事貰いにいってますから」
首にかけたタオルで、汗を拭う。日焼け厳禁! と命じたスタイリスト様の指示通り、帽子のツバが大きいので、邪魔である。すると部長がふと思い出したように尻ポケットから畳まれたちょっとくしゃったとした紙を取り出した。
「これ、前話してた要望な」
「ありがとうございます」
「やっぱり、なんかわりいな。手伝わせといて、要望渡すとか」
いやいやいや、と俺は最大限の笑顔を作った。吐く台詞も決まっているので楽だ。
「頼んだのこっちですし。それに、顔売りとアピールの下心つきですから」
「んー」
鼻でなんとも言えないような声を出しながら、部長が苦笑する。そこまで俺はよし及第点、と思っていた。でも、シナリオ男はシナリオから一歩でも外れると情けないかなもうあたふたしてしまう。
「あのさ、国枝って、お前?」
「はい、そうですけど……」
「去年、一年だった。あの国枝?」
「はい。今、二年なんで……」
そして同じ苗字は(多分)同じ学年にはいないけど。 ここまでくると、どうしてボランティアの草抜き呼びに部長自らわざわざ来てくれたのか、よくわかった。要望書を手渡ししてくれたのかなー、と思ったんだけど。
部長は帽子を手に取りながら、そのな、と言った。
「もう、やってないのか?」
予想はしていても、一瞬とまってじわっと焦りがふきあがる。はい、と答えた声の弱さは相手に届くか心配だった。
「そうか。一度、頼んでみたかったな」
時任だったら。きっとうまくかわせたんだろう。でも、俺は国枝宗二だ。自分ひとりではまともに要請も断れない。沈黙をさすがに長引かせすぎたと思って、もつれる舌を動かす。
「そ、その。ブランクが長くて、やりたくてもできないってか、ちょっと、その……」
やりたいか、と聞かれると、答えは明白だ。やりたくない。なぜやりたくないか、と聞かれると、思う。できないからだ。
答えははっきりしていたけれど、部長さんの顔をうかがっていると語尾が弱くなる。
「あ、あの。でも今やってるのがちゃんと成功したら、考えなくも、……」
「やる気ねえだろ」
「……すいません」
そういう俺の弱さを、部長さんは許してくれたみたいだ。肩をすくめて
「ま、成功したら考えといてくれよ」
いつもの放課後。いつもの奇変隊の部室。いつものホワイトボードには「学校改革案」と俺の書いた字がある。
そしていつものソファの前にあるテーブルには、ぞくぞくと集まった白い紙。俺が野球部部長から直で貰ったものや、自分たちが聞き取ったものやら。
畳まれているものも多かったのでそれを伸ばして、ゆうちゃんが整理。俺がホワイトボードに新しい項目――例えば「クラブの申請」「制服緩和」「校則改革」「文化祭の店比重」「体育館の使用時間延長」なんか。後はその下に「正」の字も書きとめている。
「ただいま戻りましたー」
とドアが開いて姿を見せた半田君。ダンボールの箱を抱えている。
「貰ってきたー」
とすぐ後ろから佐倉さんも顔を出した。手元には白い紙切れが。やがて時任も数枚重ねた紙を持って帰ってきた。彼らの紙切れと半田君が取り出した紙を、そこに書かれていたものをまたゆうちゃんがまとめて俺がホワイトボードに書く。
本日作成しているのは、選挙に向けた約束。前に出した所信表明は、姿勢というか目標。そして公約というのは具体的なもの。選挙に受かったら私はこんなことをしますよ、という約束。
「公約だな」
「最近、実際の政治でその言葉うさんくさいイメージついてるから別の言い方にしとけって先輩が言ってましたよね」
「高校選挙のイメージを悪くしないで欲しい」
世の中が嘆かわしい、と憂う非選挙権民。
ともあれどうすればより多くの生徒の心をがちっとつかめる公約を打ち出せるか。大きな問題だろう。
「基本的にこういうのは挑む方が有利なんですよね」と半田君。
「実績がないですけど、その分だけ失敗したことがないってことですから、いくらでも大きなことは言えるわけですよ」
それが実際の選挙にも影響して公約のイメージを悪くしているのでは、と思ったけれども。遠慮して小さなことを言っている場合ではない。
「磯部先輩が言うには、解決してもらいたがっている切実な問題。それと、思いつかなかったけれど、言われてみればいいな、と思える案も欲しい、とのことです」
「解決してもらいたがっている問題は、この中から調べればいいとして、だ」
「言われてみればいいな、と思える案か」
そんなの言われてみないとわかんないなあ。って本末転倒か。でも、なかなかパッとは思いつかない。学校行政なんぞ真面目に考えたことないしな。
「半田、なんかあるか?」
「んー」
と半田君は唸った。そして。
「有権者の身になって考えましょう。彼らはみんな高校生。そしてこの高校に通っている。生徒会は高校運営のためにある。みんなは、この学校に何を求めているか。それです」
「青春」
ふと視線が集まった。言った相手が相手だったから。佐倉さんが「せいしゅーん」と叫んでも問題ないし、半田くんが言ってもまあOK。俺はやや気恥ずかしい。ゆうちゃんが言うのも若干意外な単語だが。しかし。
その中でもダントツに意外な時任が言ったぞ。注視には気づいているのか、時任は居心地が悪そうながらも
「よっぽど将来しか見てなくて今を捨ててる奴ならともかく、楽しい高校生活を夢見てるんじゃないのか」
「……まあ、そうですよね」
まだちょっとびっくりしたように半田君。
「ところで、青春というと具体的には?」
また難しい問題だ。
「青春」
青春。
青い春。
俺たち高校生って、上の世代の人から見ればまさに青春ど真ん中世代なんだろうけれど(青春18切符とかあるもんなあ)改めて言われてみて青春ってなんだろう。甲子園くらいしか思いつかない。
「ネットで調べてみるか」
青春をネットで調べてみる高校生。もう行為が駄目っぽいけど、グーグルからたどり着くウィキペディア。あ、青春ってもともとそのものずばり季節の春を示す言葉なんだ。ふうん。
「中学の卒業式のときになんか詩を朗読させられた気がします。六十でも七十でも青春で理想を失ったときに人は初めて老いるとか」
「青春 詩」
で検索。サミュエル・ウルマンってのが出てきた。なんとなくみんなで朗読してみた。
「
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
いわく
「驚異への愛慕心」
「空にきらめく星辰」
「その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰」
「事に処する剛毅な挑戦」
「小児の如く求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味」
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受ける限り、
人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え。悲歎の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、
神の哀れみを請うよりほかはなくなる」
「つまり部活とか、友人づきあいとか、恋愛とかじゃないのか」
「部活はともかく、恋愛と友情なんて超個人的なもの、学校運営側に期待するものですかね」
「期待されてもそれは困るが……」
パソコンをシャットダウンしながら(さようなら。サミュエル) 結局ありきたりなイメージに落ち着いた。
ただ、少し据わりが悪い。雲をつかむような漠然としたものじゃない。引っかかっているのに気づけない、というこの感覚。答えは存在していて、実はすごく近くにあるような。クレーンゲームで傾いた商品がもう少しで穴に落ちるような。
「あの」
おずおずとゆうちゃんが手をあげた。ゆうちゃんもこの感覚が来たのだろうか。穴の端に引っかかってゆらゆら揺れるクレーンゲームの商品が
「なに? 篠原さん」
「私の主観なんですけれど。まだ一年生の頃からみなさんはとても目立っていて、いつも何かしていて、それがいつ見ても楽しそうで。見るたびに私、思っていました。ああいうのが、青春なんだろうって」
ずぼっと入った。
「それだよゆうちゃん!」
奇変隊面子はまだ理解がやってきてないように目をぱちくりさせているけれど。それだ。灯台下暗し! 学校中で彼らほど青春を謳歌している奴がいるか! きょとんとして半田君が
「そうですか?」
「そうだよ!」
本当に下は暗いなあ!
「奇変隊面子ってさ、すっごい楽しそうじゃん、ともかく! 人生楽しんでるってか、青春謳歌してるってか、ガチなのは絶対君らだよ!」
うなずくゆうちゃんと一緒に二人して力説してみると
「そんなもんですかね…」
半田君はまだ疑問顔。時任は顔をしかめてそっぽを向いていて、佐倉さんはそんな時任ににょっと顔を近づけて笑っている。? 若干、二人の様子がおかしいような。でも。
「――まあ、そこまで言われたら後にはひけませんね」
半田君が腕を組んでふっふっふ、と不敵な笑い声をあげはじめたので、そちらに視線を戻した。
「僕らが打ち立てましょう、その「言われてみるといいなあプラン」人数が足りなくて出来なかった案はうなるほどありますよ」
「あとそれにちょっと恋愛発生しやすい要素をいれるとばっちりじゃない?」
「任せてください!」
今までの様子を見るに彼はアイディアマンなんだろうな。時任もよく考えを求めているし。それで半田君が出したアイディアの段取りや実務を整えるのが時任なんだろう。佐倉さんはなんか、佐倉さんだ。
しかし。今まで思いつかなかったけれど、確かに奇変隊プロデュースの企画や行事っていろんな意味ですっごく気になる。俺がこんな立場でなくても絶対に気にはなる。
「あんまりマニアックなの打ち立てるなよ。引かれるぞ」
「いや、部長。この際、うなるだけのこのアイディアをいっさいがっさいぶちまけたいんです、僕は!」
「引かれるって言ってんだろ」
「そこで、企画総選挙ですよ!」
「は?」
「旅行のポスターとかパンフみたいに企画をずらっと並べて君はどれがしてみたい!? センターをとるのはどの企画だ! と投票を募るわけです。選ばれなくても奇変隊はそれだけの企画力とネタを持っていると証明できますし、ずらっと楽しいプランが目白押しってそれだけでインパクト増じゃないですか」
うん? ――うん。いいかも。たとえ選ばれなくても、まだ次にそういうことができるって可能性があるわけだし。まさに「言われてみればいい」だな。時任もちょっと考えて悪くない、と思ったのか
「一二年生だけじゃなく、三年も考慮したプラン入れろよ」
「ウィンタープランも力入れますよ。受験の先輩たちに向けて下級生が何かするとか、卒業式もねらい目ですよね」
わくわくと、そんな言葉が顔から飛び出しそうな半田君。奇変隊って言い出す本人が一番楽しそう。
盛り上がっていたせいか、俺たちは廊下を近づいてくるその足音に気づかなかった。コンコンコンと、正確なノックの音と共に扉が開く。
まず視線を向けて視覚がそれを脳に送って、脳が電気信号を走らせて認識して感情に伝えて。そうして思ったことは激しい違和感だ。
といってもその人は一般的に見ておかしい、という格好をしていたわけじゃない。とても目立つだろうけれど。ベージュのサマーコートに短めのスカートから黒いタイツに包まれた長い足がすらりと伸びている。髪はびっくりするほど癖のないストレート、つややかな黒髪がコートによく映えて。
作り物みたいにスタイルのいい人だった。背筋が伸びていて、細い手足がすらりと長い。総じてすべてがほっそりしているのに、胸はかなりある。切りそろえられた前髪がさらりと揺れ、彼女は俺たちを見て微笑んだ。口紅の不自然な濃さは感じられないのに、きりりと鮮やかな色の唇はひき結ばれるとその造詣の良さを際立たせる。
違和感。そんな麗人が木造立て校舎を背景に安っぽい来校者用の青のスリッパをはいて現れていることにまずひとつ。そしてもうひとつの違和感は何故「彼女」がここにいるのか。
だいぶ変わっていたけれど、ちょっとの間で記憶から消えるような人じゃない。俺たちは定期的に彼女を見ていたからなおさら。佐倉さんとはまるで違う硬質な美貌がさらにいっそう磨きがかかって、間近ということもあるだろう。大変な存在感をぶつけてくる。
唯一、半田君だけが、驚きつつもきょとんとしていた。
「えっと、どなたでしょうか」
「カイチョー」
佐倉さんの不思議そうな声。え、と呟く半田君に、彼女はふふ、と笑った。高いのに深みのある印象的な声だった。
「一年生かしら?」
「え、あ、はい」
「はじめまして。私、ここの卒業生で、去年、生徒会長をしていたの。真上と言います」
えっ、と呟く半田君。
そう、真上会長だ。去年、俺たちが新入生としてこの学校にやってきたとき、上級生代表として壇上に立って微笑んだのはこの人だし、他の行事もいつもその微笑と抜かりない手腕で引っ張っていった。一年の半田君以外、この人を知らない二三年はいない。
だけど。そんな人がどうしてここにいる?
真上会長は俺たちをゆっくり見回して
「篠原さんって、どなたかしら?」
ゆうちゃんは大きく目を見開いていたけれど、一拍おいて、は、はいと言った。真上会長はゆうちゃんに身体ごと向けた。
「直接の面識はなかったと思うのだけれど」
「は、はい」
「初めまして」
差し出された手をゆうちゃんは少しの躊躇いの後に握った。
「あなたとは、ちょうど入れ替わりに生徒会を出たと思うの。残念だったわ。一緒に仕事がしてみたかった」
優雅。それ以上にこの微笑みをあらわす言葉はないだろう。
彼女にその意図があったのかどうかはともかく、俺たちの不意をつく意味では完全に成功していたと言えるだろう。違和感と意外さと彼女のかもし出す雰囲気に場は完璧に支配されていた。俺がなんとか進展させなければ、と思えたのは、彼女の手がゆうちゃんにつながっていたからだろう。ぼんやりしがちな頭を引っぱたいて声をかけた。
「あ、の」
「はい」
ゆうちゃんの手をそっと離して、彼女が俺を向いた。目を瞬かせると、厚く長い睫がよく見えた。つけ睫には見えない。生きたビスクドール、いや、黒髪からすれば日本人形か。そんな目が真っ向から自分に向かうと居心地が悪いこと甚だしかったけれど。
「会長は、どうしてここに?」
「後輩たちに呼び出されたの。――まったく、先達を敬わない子達ね。電話一本でほいほい来てくれだなんて。暇な女子大生だって見透かされてるのかしら。悔しいから少しは待たせようかと思って、先にこちらに寄らせてもらったの」
不意に時任がすっと右肩を突き出すように動いた。逆側の半田君は左肩を突き出すように。佐倉さんは真ん中に。俺は足を動かして横へと移った。ゆうちゃんの前で、一番近くに。一度だって打ち合わせめいたことはしたことはないけれど、不思議と俺たちはいつもこんな動きをした。ある決まった事項が起こったときは必ず。
彼女から見て、俺たちの動きは不審だったろう。でもまるで気にしていない。何も起こらなかったみたいに。ここに現れてこのかたすべて、彼女は自らのペースをいっさい崩すことはなかった。それ以外の要素を取り入れる気もなかった。彼女の視点で彼女の気持ちで事は動かした。何も認めないように。
ただただ優雅に、この上なくあでやかに。
「篠原さん。あの子達が、お世話になったみたいね」
元生徒会長、真上美奈子は微笑んだ。




