六章「学生の本分は勉強です」2
次の日、間をあけずに俺達は職員室に集まり、昨日と同じ流れで竹下先生を呼び出し(今日は半田君に行ってもらった)同じ会議室で、昨日よりはうんざりした顔の先生に向かって熱く竹下先生でなければいけない思いをひとしきり熱演し。
「お願いします」
全員きっちり同じ角度で頭を下げた。
竹下先生はしばらく間をおいて、そしてため息をついた。まだ頭をあげない俺達に
「君達の気持ちはわかった」
色よい返事かな? とつられて頭をあげてしまう。でもその先で見えた顔に、あ、これは違う、とぴんとくる。
「それだけの気持ちにこたえたい、という気持ちもある。でも、三年間ずっと僕についてきてくれたバスケ部にも全力を尽くしたいと思っている。この二つを両立するには、僕という人間のキャパシティは限界なんだ。君たちの気持ちもわかるから、やるからには全力を尽くしたいと思う。だからこそ、君たちの要請にはこたえられない。すまないな」
一見、完璧な断り方だった。あるいは優等生的、な。本気かなと疑うまでもない。時任が熱血真面目感キャラをあくまで通すように、竹下先生は少なくともマジで演じてきていた。真摯な瞳がこちらに向かう。こうなると彼の言い分は打破しにくい。時任も詰まったのか、じりっと沈黙が満ちたところ。
「じゃあ、バスケ部が認めたらいいってことですか?」
あっけらかんとした声が隙を突いた。
思わず振り向いた声の主、半田君は無邪気な顔をしている。ただ彼は佐倉さんとは違って、空気を読めていないわけじゃない。彼はむしろ空気を読むのに長けている。誰よりも読んでいる――その前提でばりっと行くのだ。
「なんだって?」
「僕たち、バスケ部の皆さんにお願いしてきます。それで折り合いは僕たちの間でつけますよ。先生の手は煩わせませんから」
半田君はにっこり笑う。竹下先生は戸惑い何か言いかけたけれど
「わかりました。バスケ部とは僕たちで話していきたいと思います。後日――そうだ、明後日にお伺いします。約束は友人がいるで僕らのほうで取り付けておきます。もちろん練習の邪魔にはならないようにしますから」
では、これで。と時任が頭を下げる。
「ちょっと待っ――」
都合の悪い話は聞かないようにする。不受理って大切。俺たちは急いで部屋から出た。
「半田」
「まずかったですか?」
「いや。もうこれで行こう」
そう言いながら時任はずかずか足早に歩いていく。どこ行くの? と佐倉さんが聞くと
「バスケ部に」
と時任は歩きながら言った。
「後日って」
「嘘だ。油断させるためだよ。竹センより先に接触しないと、布石うたれるぞ」
俺たちは走って体育館に行った。
「え?」
体育館には着替えてばらばら集まったバスケ部がいた。まだ本格的な練習は始まっていないらしく、おのおのボールを持ったりストレッチをしたりしている。時任のでまかせかと思ったけれど、実際にバスケ部の友人はいるらしい。顔広いな。その何人かに話しかけて、なんとか部長や三年その他の皆さんにも集まってもらった。
怪訝そうな顔をしていた彼らは、話に首をかしげた。
「竹セン?」
「そう。顧問になって欲しいとお願いしたんですが、バスケ部の許可が欲しいって言われてしまって。それでお伺いをたてにきました」
微妙にニュアンスが違う時任の言葉に、三年生が顔を見合わせる。二年生も集まっていて、一年生はちょっと遠巻きにコートから視線をくれている。意外そうな彼らの顔を見ていると、聞き及んだ竹下先生の言動に違和感を覚えているようだ。
「顧問って、お前ら、例のあれだよな」
「はい。ですので、別に部活のではなくて、簡単な事務などをお願いするだけなんですが」
腰が低い時任の受け答えにまた顔を見合わせる三年。
「そんなん、やりゃいいじゃん」
「いや、ちょっと待て。頻度って、どれくらいだ?」
「月に、二、三回。小一時間ほど校内でお時間頂くだけですが」
「……」
また三年の顔。
「お前ら、それ、遠まわしに断られてんじゃねえのか?」
ですよねー。
「竹センは他の部の顧問よりは、まあ、よく面倒見てくれる方だけど、試合にも来てくれるし。それでも練習メニューとかは俺たちに投げてるし、毎日顔を出す、ってわけでもない」
「じゃあ、許可を頂いてもよろしいですか?」
すると三年生はまた顔を見合わせた。ちょっと待ってろ、と言って、隅の方でぼそぼそ話し合いはじめた。ううん。そこは熟考しないで何も考えずぽんと許可が欲しかった。時任もそういう目をしながらも、仕方ないので待っている。やがて数分して戻ってきて
「一応、竹センとも話し合って決めようかって。事情あんのかもしんねえし」
話し合ったら100%アウトだ。
「竹下先生が嫌だって言ったら僕たちは引き下がります。まずは、なんです。先輩たち、お願いします。先輩方の練習や部活には、絶対に支障がないようにします。許可をください」
「いや、断ってんじゃねえんだよ」
熱烈に頭を下げた時任と俺たちに、戸惑った向こうが伝わってくる。体育館には女子バス、バレー部や他の部もちらほらいるので、なんだなんだ、という目が集まってくる。それを意識してバスケ部が困ったような気配も感じ取れる。軽い野次もとんできた。
「バスケ部ー、後輩いじめてんじゃねえよー」
「ちげえって!」
見たところバスケ部の態度はそんなに強固じゃない。押せばいけなくもない、という手ごたえがある。でも、やっぱりためらいがある。ああ。なんとか道を見つけたらたどりつけそうなこのもどかしさ。どうすればいい?
「勝負!」
そんな中に切れ味のよい名刀よろしく、すぱっと響いたのはそんな声だった。いつの間にどこからゲットしたのか、バスケットボールを拾ってにっこり微笑んでいる。
「勝負に勝ったら、許可をもらう」
彼女の手にあると、普通のバスケットボールがとても大きく見える。バスケ部連中にちょっとたじろぎと浮つきが散った。佐倉さんがぴんと立てた指を突き出した。
「バスケ部らしく!」
体育館にはギャラリーが詰め掛けている。四方の開かれたドアにも人だかり、二階の手すり席にもぞろぞろと。これだけの人数がいったいどこから聞きつけてきたのか。着替えてかえってきたら、なんかえらいことになっていた。
勝負しよう、との提案が呑まれたのは、佐倉さんの勢いと存在におされた形だろうけれど、バスケ部連中も面白がっていて、吹聴したのかもしれない。同じ体育館のバレー部やバトミントンも場所を譲ってくれている。
なんだかなあ、という顔をしながら、バスケ部の主将の三年はボールを持って
「試合とかは、無理だから、フリースロー対決、でいいか」
「はい」
「ハンデ、どうしよっか。勝負するのうちは一年だけにするか?」
それでもちょっとなあ、と言う主将に、時任は
「ハンデはいいです。もともとこっちのお願いなので。レギュラーメンバー出してください」
勝てないよ!?
「え、マジ?」
「はい」
主将はまじまじ時任を見つめた。
「お前、経験者? いい身体してっけど」
「いえ。小学生のときに一二年遊び程度でしたのと、後は体育だけですよ」
もしや元バスケ部のエースだったとか、と俺のわずかな期待も時任はあっさり切った。じゃあどうするんだ? まさか勝てるわけないだろ?
「五人対五人で勝ち抜き戦でいいですか? 五本勝負で多くとった方が勝ち抜きで、負けた方が次のひとりにバトンタッチで五人敗れるまで」
「五人?」
「女子も入れてです」
さっきから主将より明らかに驚いている俺。ゆうちゃんたちも着替えてって言ったのそれ!? 時任なにたくらんでんだ!
「うちも女子を二人入れるか?」
「いえ、関係があるのは男バスだけなんで男バスからで結構です」
「……お前さあ。なに考えてんだ?」
さすがにちょっと目を細めた相手に、時任はそんな不穏なことじゃないですよ、とばかりに苦笑した。
「とりあえずこてんぱんでもいいので真っ向勝負やってから、ちょっとハードル下げて貰おうかな、と。最初から手加減してもらってやっても、竹下先生納得してくれないような気がして」
ふうん? とわかったようなわからないような主将の返事。
「とは言え、こてんぱんも情けないので、ちょっとは粘りたいと思います」
「――まあ。いいけど。それくらいしてもらわなきゃな」
どうすりゃいいの? こてんぱんにやられるけど、とりあえず食い下がればいいの?
「一番手が半田で、国枝、篠原さん、俺、佐倉だ」
りょーかい、と答えたのは佐倉さんだけだ。悪いけど、不安である。わかった、と離れていくバスケ部を見ながら時任に近づいてこっそり
「なに狙ってるんだ?」
「一応考えはある。とりあえず、おのおの精一杯やってくれ」
時任がそう言ったので、俺は訝しい気持ちは消えないままもうなずいた。




