五章「イメチェン☆大作戦」3
りんりん。
半田君は「みずっちゃん」でゆうちゃんは「篠ちゃん」
佐倉さんは時任以外をみんなあだ名で呼ぶが(俺は「国ちゃん」)、結城君に与えられたのは、今までワーストだろうと思っていたいそべんを超えるひどさだった。りんりん。
「ともかく帰してください! 無理です! ほんと無理です! 俺、生徒会に入るなんてたまじゃないんです!」
「待てよ」
もうがくがく震えて叫ぶ結城君をいそべん先輩が引き止める。
「なにもてめえを生徒会に入れようってわけじゃねえよ。あくまで裏方、協力者だ。必要なときだけ呼ばれて専門分野に手を貸すだけだ。俺とおんなじだ」
え?
逆に俺たちはいそべん先輩を見た。
「先輩、新メンバーに入ってくれるんじゃないんですか」
「バカ言うなよ。俺は三年だぞ。二学期の半ばから生徒会に新しく入ってなんの意味があんだよ」
……言われてみれば。
「先輩、受験されるんですか?」
「するさ。最終的にフリーになるなりしても、初めはでかい報道機関に所属してそこの水の味を知っとくのは益がある。そんで報道関係は倍率が高いからな。学歴が無駄になることはねえ」
「……ちなみに、先輩のクラスはどちらで?」
「三-Eだ」
この人も特進クラスだよ! えっ、てことは、北原と東堂と同じクラスか。そして思った以上に将来を真面目に考えてるな、この人。
俺たちの意識がいそべん先輩に向いていると、帰っていいですか、とほとんど息だけの細い声で結城君が言った。まあ、いそべん先輩はともかく。確かにこの状態の結城君に生徒会の新メンバーとして、というのは無理がありすぎる。裏方提案はもっともだろう。
「結城君。君に無茶させたいわけじゃないんだ。ただ、そのちょっと君の腕を貸して欲しいというか」
時任もイメチェン支持をしているわけではないので、やや歯切れが悪い。それでも同学年に落ち着いた口調で話しかけられて、結城君は少し声を戻して
「それ、俺にどんなメリットがあるんだよ」
「お前んちの床屋にこいつら全員と家族通わせてやるよ」
ひいっと結城くんが背筋を伸ばした。
「床屋?」
「磯部先輩っ!」
結城君が「言わないでって約束だったのに!」といそべん先輩に半狂乱で食ってかかっている。先輩はうるさそうにそれを掌で押しやって
「こいつ、床屋の息子なんだ」
「はあ」
それ以外どうとも言えない俺たちの返答。半田君が
「どっちかって言うと、美容室っぽいですよね」
「そう言ってんだよ、周囲には」
ひいっ、と結城君がまた泣きそうな声を出した。
「小心者なのに見栄っ張りで、その見栄を突き通すためにさらに小心びくびくさせてんのがこいつでな。俺がこいつの親父の床屋に通ってるときにたまたま会ったんだが、言わないでくれって泣きつかれてそれ以来の付き合いだ」
それって、脅迫って言わないかな。
純粋な疑問を抱きながらも、別に美容室でも床屋でもいいじゃん似たようなもんじゃん、と思うのは俺がお洒落とはあまり縁がないからだろうか。ゆうちゃんを見ると、やっぱり違うよ、という視線を返されたので、やっぱり違うのか。りんりんドンマイ。
「売り上げに貢献すんだからメリットだろ?」
「いりませんッ!」
それは親父のメリットで俺はデメリットばっかりじゃないですか! と結城君は泣きそうだ。いやあ、でも親孝行はしとくもんだよ。孝行したいときに親はなしだよ。
「実践になるだろうが。成功すればお前の将来の宣伝にもなるだろうし」
「――実践?」
「お前が、スタイリスト目指して、今からファッション誌読みこんだり、ダチの髪切ったりしてるのは認めてやるよ。それより一歩踏み込んだ実践だ。生身の人間をプロデュースして売り込むんだ、全校生徒に向けて。反応はダイレクトに返ってくる。学生の身じゃ、滅多にできないようないい経験だろうが。こいつらの好感度をあげるのも下げるのもお前の腕次第だ。報道目指してる俺と同じだよ」
結城君が目をぱちぱちさせていそべん先輩を見た。長い睫の先に少し残っていた涙がその反動でぽろっと落ちるが気づいていないようだ。俺たちの意識もさっきからニューフェイスの結城君よりいそべん先輩にもってかれぱなしだ。いそべん先輩、そんなこと考えて参加していたのか。
「い、いや。でも俺、そんな大層なことは……」
「将来それで食っていく気でいる奴が、半端な尻込みしてんじゃねえよ」
思わぬ方向への展開に、結城君は黙っている。でもそれは今まで通りの言葉を失ったり喋れなくなった、というのではなくて、わずかだけれど考え込む沈黙。みんな黙って結城君を待っていた。何分たっただろうか。結城君はおず、と顔をあげて俺たち一人ひとりを見回して、それからごくんと唾を飲み込んだ。
「……ちょっと、考えさせてください」
翌日。俺たちが家で練習してきたゆうちゃんの弁論を聞いているところに、いそべん先輩はやってきた。結城君連れで。
結城君は昨日よりさらに青ざめた顔で
「考えさせてください、って言ったじゃないですか。一晩なんて考えはまだ全然まとまってません!」
確かにいそべん先輩は昨日、懐の大きそうな感じに「ああ、ゆっくり考えろ」と言っていたような気がするが。
「時間がねえんだよ。立候補は来週だぞ!」
いそべんってば横暴だね☆ ドンマイりんりん。
「ともかく来週にあわせてだけはお前やれ。小心者に考えさせといても仕方ねえ。びびりの考えはバカと一緒だ、休むに似たり。やってみねえともうわかんねえだろ」
こういうのを、問答無用って言うんだろうな。そんなことを考える俺たちの前で、油断させといての奇襲攻撃に、もう頭がいっぱいいっぱいの飽和状態で立ち尽くす結城君。ほんとドンマイりんりん。
でもいそべん先輩は今度は放置せずに、ぽんと肩に手を置いて
「お前の名前は、出さないでおいてやるからよ」
結城君がその言葉にすがるようにいそべん先輩を見る。その視線にはわずかに救われたような色もあるが、いや、でも突き落としたのその人だからね。
「助かるよ、結城君」
「ありがとうございます、結城先輩」
「りんりん!」
奇変隊はささっと承諾の礼を言った。すばや。でも乗ろう。
「よろしく」
「よろしくお願いします」
ゆうちゃんも続いた。結城君は、戸惑った末にとりあえず頭を下げた。お茶を入れますね、と言う半田君を制していそべんがぽいっと結城君に何か放る。掌に収まるくらいのそれは――見ると、メジャー?
「体型はかるんだろ」
体型?
「あ、はい」
「ああ。俺は篠原の指導しとくから、先に男どもはかれ」
「はい」
結城君は言われるがままに動いて、俺と時任、半田君を次々に立たせて肩幅や胴回りや腕周りを念入りにはかりはじめた。太ももに腕を回されたときは、思わず胸中でうぎゃっと唸った。この人、美容師じゃないのか?
「裁縫用具とかある?」
「古いセットがひとつありますけど」
来たままの上着にまち針を刺されたときは再度ぎょっとした。んで、結局、上着を剥がされてしまった。
「カーディガンとか、あるよな。とりあえず、今日は上着だけでも預かるから」
そんな結城君の動きが気になって、いそべん先輩のゆうちゃんへの指導を見逃してしまった。途中から声を出す訓練で廊下に出たから大丈夫かな、と思ったけれど、罵声とかは聞こえてこなかったし。
結城君は俺たちが終わったあと、佐倉さんもはかり始めた。スカートなので太ももとかはなかったけど、腕の下に手をまわしたり、結構きわどいところもはかっているような。
佐倉さんは何一つも気にしていない子どものような態度で、言われるがままに万歳とか手をあげているけれど、その身体に腕を回すイケメンの構図は、見ていていいのか、という変な気分になる。
これ、ゆうちゃんもされるのかな。複雑。と思っていると、ふと結城君がため息をついた。りんりん上着いる? と聞かれて
「佐倉さんのは、いいです」
なんだか微妙にテンションが低い声音。見た目だけは抜群に可愛い女の子に親密に触れながらこの言はイケメンの余裕か、と茶化す感じもなく。
そんなこんなで帰り道。結城君は俺たちと同じ方向だった。正門で反対方向にわかれる奇変隊メンバー、いそべん先輩は自転車置き場に消えてしまった。
ほぼ初対面に近い人、しかも見た目だけは気後れするほどイケメンとあってはゆうちゃんがフレンドリーに話せるはずもない。しかも彼を逃がしちゃ責任問題ともあって、俺は積極的に話しかけにいった。気まずい、とか言ってる場合ではない。
好意など抱いてくれる要素がないと思われる結城君だが、それでも他愛無い話をふると、ぽつぽつ返してくれる。敵意は感じない。同じ学年で他のメンバーと比べると違和感がそれほど(というかまったく)ない俺たちにはちょっと力を抜いてるみたいだ。何度目かのありがとうに、
「……まあ」
ふうとため息をつく。
「あの人に押し切られるの、今に始まったことじゃないし」
「磯部先輩か。横暴っていうかなんていうか」
「だよな!」
急に勢いづいた。「後から考えると、ほんっと横暴だって思うんだけど。目の前にするとうまく言えないんだよ。それで後でまた思い返して後悔。もうそればっか!」
くしゃ、と結城君が綺麗にブリーチした髪をかいて。
「なっさけないって思うんだけどさ……」
「いや、わかるよ。っていうか、無理ないよ。先輩の言動、意表ついてくるもん。あっけにとられてるうちに、ささっと動いちゃって」
「だよな!」
いそべん先輩の話題では共感性が高い。お洒落なので俺の友達にはいないタイプだが、案外話しやすいと思った。結城君もそれを感じ取ってくれたらしく、ちょっと砕けた感じで
「俺、へたれなんだよな」
と告白してくる。
「美容師ってまず自分の身だしなみが腕の見せ所、って言われるから、こうやって格好がんばってるけどさ。街中でガラ悪そうなの見ると、目立つから目ぇつけられないかとか内心びびちゃったり。逆になんかちょっと勘違いしてる自称お洒落系とかにファッションの話ふられて、それ、ちげえよ、とかも言えなくてあわせちゃったりで。高校は中学時代からの馴染みが多いから、わかってくれる友達多くて助かるけど」
ずっと黙って聞いていたけれど、そんな気さくな告白には親近感を覚えたらしく、ゆうちゃんが結城君を見て小さく微笑んだ。結城君もそれに気づいて目元を和ませた。ううむ。それでも彼はもてるだろうな。
「――ま。でも、とりあえず約束しちゃったし来週のはやってみるよ。先輩の言うことは一理あるし、実際、あのままだったら多分一週間くらい悩んで断ってたと思う。また断るのにガクブルしながらさ」
それもそれで疲れるから、とちょっと達観したように告げる彼。自分の小心につきあい慣れている感じだ。
「ありがと。それでも先輩とか佐倉さんとかと違って、正直、俺、元がこの通りだから腕のふるいがいがないと思うけど」
結城君は俺を見て目をぱちくりさせた。
「そんなことない」
彼の声に気遣いやフォローの色はなかった。
「何がイケメンとかいうのは難しいけどさ、別に磯部先輩は他と比べて特に外見がいいわけじゃないよ」
「いやあ」
あれは男前だったよ。
「それは俺も同じ」
「いや、それはないない!」
「あるって」
手をぶんぶん振ったけど、結城君は真面目だった。いやあ、でも君の顔は綺麗だよ。睫も長いし、肌もなめらかで人形みたいだ。
「俺は手入れしてるから。化粧水と保湿液で毎晩毎朝。産毛も添ってるしね。後はビタミン剤も。うす暗く見えるところにはファンデ薄く塗ってるし、睫だってばれない程度にマスカラつけて伸ばしてんだよ」
正直、彼の使う用語はほとんどわからなかったけど、化粧してる、ってことはぎりぎりわかった。えっ、化粧!?
「まだちょっと言いづらいけどね。男で化粧って抵抗ある響きみたいだし」
結城君は苦笑する。
「体格は服装だよ。小柄も大柄もそれにあわせた装いがあるから、男だってどっちがよりイケメンってことでもないよ。そりゃ、足が長いとかセールスポイントがあればそれを伸ばした装いにすればいいだろうけど。案外、伊達男って小柄な方が多かったりするし。女の子は工夫ポイントが多いから伸びしろがあるし、男は伸びしろが少なめではあるけど、比べる周囲がそれほど手を入れてないから、相対的によく見える」
かわいい、かっこいいの八割は作れるよ。
と、どこかのファッション雑誌にでも載ってそうなことで結城君は締めくくった。ただ、どこかのファッション雑誌に載っていれば、美女美男に言われてもなあ、と思う言葉だが結城君に言われると説得力がある。彼の率直な話し方のせいだろうか。
「それでも、依然として生まれつきの美醜はあるとは思うけど」
俺の言葉に「そりゃあるだろうけど」の言葉をつむいで結城君は苦笑した。
「服装や化粧が残念でもそれを上回れるってほどの美男美女は滅多にいないよ」
「でも、佐倉さんとか、そうじゃない?」
あれだけ残念な行動を繰り返しながら、依然と可愛い彼女だ。ふと、結城君がため息をつくような目をした。その目は見たことがある。ついさっき。そうだ。佐倉さんをはかったときの目だ。
「実はさ、俺がプロデュースするにあたって、一番やりがいがないなと思ってるのは、佐倉さんなんだよね」
え? 俺とゆうちゃんはそろって見たと思う。
「あの人には、伸びしろがほとんどない」
え?
「確かにあの人は「元がいい」人だとは思うよ。でも、あの人はすでにもうだいぶ「手が入ってる」状態なんだ」
え。
「前からそう思ってたし、今日あらためてそういう目で見て確信したけど。佐倉さんはかなり念入りに自分を手入れしてるよ」
衝撃で固まる俺たちの横で結城君は
「むしろ、普段は地味目な方がいいんだ。ビフォーアフターの衝撃が強くなるし。磯部先輩も普段とのギャップを最大限に生かしてる形だよ。……ちょっと失礼なところあったかもしれないけど、そういう意味では、俺は篠原さんのプロデュースが一番楽しみだったりします」
そうして結城君は柔らかな目をゆうちゃんに注いだ。でもゆうちゃんはその前の衝撃が残っていたせいか、あ、はい。よろしくお願いします、と上の空で言っただけだ。
それから結城君とは、曲がり角で別れた。片手に俺たちの上着が入った紙袋を持って、また明日、と手をあげた結城君はそれでもさわやかイケメンに見えた。
二人きりになった俺たちは黙って歩きながら
佐倉さんが…。いや、でもさ、凄く意外だったけれど、別に、お洒落したするのは悪いことじゃないよね。うん、全然悪いことじゃないよ。それに失礼だよね。うん、ずかずか触れる領域でもなさそうだし。これは胸にしまっておこう。うん。そうしよう。
沈黙の中でそう共有して、俺たちは帰路についた。