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第一章 「七月三日」後編

「ありがとうございました」

 神谷と佐々木はそう挨拶して頭を軽く下げた。

 将棋は礼に始まり礼に終る。特に我が部は、将棋と囲碁に限ってはそれを徹底している。

 何故なら、この部は将棋と囲碁の大会に積極的に参加しているからだ。

 つまり、普段から礼儀を守ることが出来ない奴が、大会の時だけきちんと礼儀を守れるとは思えないというのと、礼儀を守って勝負することで大会の時のような緊張感が得られるので一勝負事の練習効果が増す。この二つの理由から普段から大会で試合をしているような気持ちで礼儀を尽くして勝負をしようという部内規則があるのだ。

「やっぱり神谷先輩は強いっす」

 どうやら神谷が勝ったようだ。

 まぁ、予想通りだけど。なんてったって神谷はこの部で一番強いのだ。といっても部員数は実質四名だから、それだけではあまり意味がないけどね。

少なくとも神谷はこの部では一番強い。かつて俺達が入部したときから現在まで部内の勝負じゃあ、将棋と囲碁では負け知らずだ。

 これだと大会に出たらある程度の結果を残せそうなものだが、面倒くさがりな性格ゆえ一年の時は一度も大会に参加したことはない。

 今年からは部長になったことだし、無理にでも大会に引っ張っていくがね。

ちなみに俺はチャレンジャー精神が旺盛なので出られる大会はすべて出た。まぁ、結果はご想像にお任せしますがね。

「佐々木も上達したな。これだとあっという間に向井ぐらいには勝てるようになるぞ」

「最近は向井先輩には三回に一回ぐらいは勝ってますよ」

 そこで俺の名前を引き合いに出すな。

 いつも思うのだが、どうも俺は佐々木に先輩として接してもらってないような気がする。

「っと、今日は用事があるから、ちょっと早いがそろそろ帰るわ」

 ポケットから黒い携帯電話を取り出し、時間を確認した神谷はそういうとさっさと自分のリュックを背負って部室を出て行った。

「お疲れっす」

 佐々木は負けたものが片づけをするという伝統を素直に守り、片づけをしながら見送った。 

 俺は本を自分のリュックにしまった。そして、ポケットから赤い携帯電話を取り出して時間を確認した。

 午後四時四十分。ちょっと早い気もするが、手紙が指定した場所である屋上へと向かったのだろう。

 俺も五時ぎりぎり。いや、それだと神谷に気づかれかねないから五時少しすぎにでも行くとしよう。

「それでは俺もそろそろ帰るとするっす。帰ってテスト勉強でもします」

 う、嫌なことを思い出させやがって。来週の水曜日から期末テストが始まるのだ。あ〜あ、なんでテストなんてあるんだろか。うんざりするぜ。

「おぅ、じゃあな」

 佐々木が部室から出て行く姿を見ていたら、俺も試験勉強のためにさっさと帰って勉強すべきだろうかと思えてきた。

 ――テスト勉強はいつでも出来る。むしろ神谷にラブレターを出すような物好きな差出人の顔を見てみたい。

 それでは、俺もそろそろ移動するとするか。

「あ、向井先輩、こんにちは!」

 部室を出ようとしたところ、ちょうどドアが開き、髪の横を藍色のリボンで左右に結んでツインテールにしている少女が入ってきた。

この女子の名は神谷(かみや)(はる)()。苗字から分かるとおり神谷の妹である。

 童顔な顔をしており、もし晴菜が高校の制服を着ていなかったら、まず間違いなく誰も高校生だとは誰も思わないだろう。むしろ小学生といっても通用するに違いない。

性格は明朗快活である。そしてその容姿は、どこかマスコット的な可愛さとあどけなさを併せ持っており、男女を問わず人気があるそうだ。

この晴菜こそが、今年。囲碁将棋部に入部した一年生で幽霊部員化しなかった二人の内の最後の一人である。

「よぅ晴菜、こんちは」

 今日は全然来なかったので休みだと思っていた晴菜が、屋上へ行くため部室を出ようとしたタイミングで入ってきたため少し停止してしまったが、立ち直りとりあえず挨拶。挨拶は全ての基本ですヨ。

「あれ、お兄ちゃんは来ていないんですか? 今日は部活に行くって言っていたんですけど」

 小首を傾げてそう言った。

「あいつはさっきまではいたんだけど…」

 神谷はラブレターらしきものをもらって、今はそれに指定された屋上へ行っているのだ――と、晴菜に言うべきか言わざるべきか。

 なんといっても晴菜は妙に潔癖症なところがあり、俺が面白半分に、神谷と手紙の差出人が会っているところを覗きに行こうとしていると思われようものなら――事実そうなのだが――屋上へ行くことを止められかねん。

 そうすると、せっかくの面白い見世物、じゃなくて親友の晴れ舞台を見逃してしまうではないか! それはいかん。

「え〜と、あ! そうそう。あいつは図書室に行ったんだよ。ほら、確か今日だろ、図書室に新刊が入ったのってさ。それを借りに……」

 俺はでまかせ話を中断せざるを負えなかった。何故なら、晴菜の顔から表情というものが消えていたからだ。……こ、怖え〜。なんか怒ってるよ。

 特に、普段めったに怒らない人間が怒ると通常の三倍は迫力がある。

 ああ、君の小動物を連想させるような笑みはどこにいったんだい?

「私、今日は図書当番だったので、さっきまで図書室にいたんですけど。それに兄は昼放課に来て、今日入ったばかりの新刊を借りていきました」

 その口調は淡々としていた。……相当ご立腹なようだ。

 しかし、迂闊だった。そういえば晴菜は図書委員だったのをすっかり忘れていた。……もう、いっそのこと正直に話すべきか――いや、まだ挽回は利く、つーか利かせてみせるぜ! 

「あ〜、ごめん、ごめん。今の間違い。本当はホレ、あれあれ…」

「向井先輩。私、嘘をつく人は嫌いです」

 俺の次のでまかせ話は、始まる前に晴菜のその一言で中止させられた。

「………」

「………」

 ――沈黙。俺と晴菜は互いを見つめあったまま硬直。この状況を何かに例えるとしたら、蛇に睨まれた蛙、それがぴったりの例えだろう。もちろん蛇は晴菜で俺が蛙だ。

もしこれが漫画だったなら、さぞかし、大量の冷や汗が、俺の額からだらだらと流れていることだろう。

俺は晴菜の視線に耐え切れず視線をそらした。

 ……正直、怖いです。

「正直に話して下さい。お兄ちゃん――いえ、兄はいったいどちらに行ったんですか」

 またも淡々とした口調。普段とギャップがありすぎです。ギャップがある女の子は萌えるとはたまに聞いたことがあるような気がしますが、正直こんなギャップは勘弁です。ギャップはツンデレだけで十分です。

 ……ギブアップ。仕方ない。せっかくの面白い見世物、じゃなくて親友の晴れ舞台を見逃してしまうことになるが、話さなければこの状況は抜け出せまいて。残念無念!

「え、え〜とね。それは――」

 俺は観念して、一時間目の放課に俺と神谷がした話を正直に話した。そして何故それを正直に話さなかった理由も。

 話を聞くうちに晴菜の頬はどんどん赤味を帯びていった。

 これは決して照れているわけではない。怒りの赤だ。

 俺は晴菜のその様子に内心びくびく怯えながらも、促されるままにすべてを話した。

「む〜。確かに私の兄は世界で一番格好よくて、好きになるのは無理がない――というか、当たり前ですが。それでも兄に手を出すことは、神が許しても、この私が絶対に許しません!」

「へっ?」

 予想外の言葉と内容に圧倒され思わず声が出た。

 てっきり、俺が神谷の晴れ舞台を面白半分で見に行こうとして嘘をついたことについて怒っていると思っていたからだ。

「時間は――もうあと五分しかないじゃないですか! 先輩、さぁ行きますよ!」

「い、行くって何処へ?」

「決まってるじゃないですか――」

 そこで俺の腕を引っ張って部室を出ようしていた晴菜が、俺の質問に答えるためこちらに向けたその表情は、彼女の最大の魅力である、可愛さとあどけなさを全開にした最高の笑顔でした。

 ……これが別の場面なら一発で惚れていたこと請け合いだろう。

 しかし、殺気に近い空気を纏わせたまま、そんな笑顔をされても、その内心には般若の顔があるのは間違いなく、ただ恐ろしいだけだった。

 ……トラウマになるかもしれん。

「兄の貞操を守りにです!」

 ……そういえば晴菜は、潔癖症以前にブラコンだったのをすっかり失念していた。しかし、これ程とは、もっと軽度だと思ってたんだけどね……



 我が高校は、中庭にある渡り廊下で繋がれた、北校舎と南校舎という二つの四階建ての校舎で成り立っている。

 つまり、学校に屋上は二つあるわけである。これではあの手紙の屋上がどちらであるかは分からない。しかし、そのうちグラウンドに面した南校舎の屋上は立ち入り禁止になっていて、生徒が立ち入ることの出来る屋上は北校舎の屋上のみである。したがって、あの手紙にある屋上とは北校舎の屋上ということである。

 午後五時一分前。南校舎屋上入り口近くへと続く階段のある四階から死角になる場所。そこで俺と晴菜は神谷が階段を上がり屋上へ行くのを気づかれないようにひそかに見送った。

ちなみに、俺と晴菜がこの四階へ来たのはつい数十秒前である。

何故なら、神谷と差出人双方ともに気づかれないようにその様子を見守りたければ、さっさと屋上への入り口に行って潜んでいれば良いというものではないからだ。

 だってそうだろう? そんなことをやればどちらかに、少なくとも神谷には絶対に気づかれる。その理由の最たるものとしては、屋上への入り口は一つしかないことが挙げられる。そして次に神谷の性格上、指定された時間はきっちりと守るということだ。つまり、時間より少しでも前に屋上入り口に潜んでいたとしたら、入り口が一つしかない以上、神谷が時間をきっちりと守るために五時数秒前に通るとこはまず間違いがないから、そんな所にいては必ず見つかってしまう。それは、俺としてもそうだが、晴菜としても出来る限り露骨なことは避けたいという考えからは許容出来ることではない。

 それに現在の目的は、俺は面白い見世物、じゃなくて親友の晴れ舞台が見たいだけであり、また一方の晴菜の目的はどうやら手紙の差出人を確認することと、その差出人に対する神谷の反応を掴むのが目的であるようだ。

 つまり、差出人が例え告白しても、神谷が断ったとすれば何の問題もないと考えているのだろう。

 十数秒待って俺と晴菜も屋上への入り口の階段を上った。

 これが大人への階段だったらどんなにいいだろうか――なんちゃって。

話は変わるが、結局俺は、晴菜に腕を引っ張られるがままに、部室から四階まで来た。よくよく考えてみれば 結構、情けない姿だったかもしれないと思う。

 ……冗談抜きで、情けなさ過ぎるかもしれん。

 階段をゆっくり一歩一歩上がり、階段の折り返し部分から屋上への入り口の様子を伺う晴菜を眺めて思った。

 ……しかし、考えようによってはかなりおいしかったのかもしれない。晴菜は重度のブラコンであり、かつ彼女の兄のこと――つまり神谷のこと――となると目の色が変わるけど、少なくともその点を除けば美少女と呼んでも差し支えはない。そんな娘と端からみたら仲良く、手を取り合って――実際には引っ張られてただけだが――歩いてたのだから。

 でも、俺にとっては、その除いた点こそ重要であり、それさえ知らなければなあ、と考えると、やっぱりおいしくない。

 そうこう考えてるうちに、俺は晴菜と一緒に屋上への入り口の扉の影に二人して潜んでいた。

思えばここは、当初、俺が一人でこの面白い見世物、じゃなくて親友の晴れ舞台を見ようと思っていた場所であり、結果としては見られるのだからOKな気がしないでもないが、やっぱり、あまり知りたくなかった晴菜のブラコンぶりを見せ付けられて精神的に疲労した俺はなんだかなぁという気分だった。

 まぁ、しかし、屋上の神谷の様子を伺うための不可抗力とはいえ、こと神谷のこと以外――まぁ、簡単に言えば黙っていれば――ただの可愛い少女である晴菜と限りなく接近している現状は、健全な男としてはかなり喜ばしいものなのだろう。

 ドアの隙間からちょっとだけ顔を出して覗くと、そこからは神谷以外の姿は見えなかった。

 ……もしかしてただの悪戯だったのだろうか?

 確かに、その可能性のほうが俺としても納得できるが……。

 ……っと、あぶねぇあぶねぇ。もう少しで気づかれるところだった。

 俺は神谷が屋上を見渡すために、扉側に振り向くのを予測して、素早く顔を引っ込めた。ついでに晴菜の口を右手で押さえつつ、扉の影へと引っ張り込んだ。

「ん、む〜む!」(な、何を!)

 俺が口を押さえているからうなることしか出来ない。

 断っておくが、別に晴菜に対してやらしいことをするためにそうしたのではない。ただたんに、神谷が振り向くであろうことを、晴菜が予測して行動できるか分からない以上は、驚いて悲鳴を出されないように口を押さえて扉の影に引きずり込むのは当然のことだ。

「しぃ〜」

 俺は左手の人差し指を口に当て静かにというジェスチャーをして、次に屋上のほうを扉越しに指差し、それがぐるりと反対側に向けて、神谷が振り向こうとしていたというジェスチャーをした。

 それで納得したのかおとなしくなったので右手を離した。

「これを俺の下駄箱に入れたのは君か?」

 神谷の声が聞こえたので 話に耳を傾けた。

 何故か、俺と晴菜がいる扉のほうに向かって声をかけているようだ。

「ええ、そうよ」

 よくとおるはっきりとした話し方の声が聞こえた。

 どうやら上の方から聞こえた気がする。

 ん〜、もしかして本当にこの上にいるのか? そうだとしたら変わった奴もいたもんだと思う。

 だってそうだろう? 人をラブレターらしきもので呼びつけておいて、明らかにその人より高い位置で待ち受けるなんて変わり者もいいとこだ。

 それだけで、これはラブレターじゃなかったという線が非常に濃厚になってきたと思う。では、何かと訊かれたら困るが、それは話の続きを聞けば分かることだ。

 とりあえず現時点で差出人について分かっていることは、その性格は、話し方から考えて、勝気な性格であると推測される――それ以上でもそれ以下でもない。まだ情報量が少なすぎるからそれ以上はなんとも言えない。

 ふと視線を降ろすと、晴菜は無表情であり、何かを考えているようであった。俺としては、彼女は差出人の声を聞いた途端に飛び出して行ってはしまわないかと心配だったが、どうやら当面は大人しく話を聞くつもりのようだ。

「呼びつけた用件は何だ?」

 神谷が再び問う。

 そこで一瞬の間があり、そして……


「神谷蓮! 私に部長の座を渡しなさい!」 


「……それが兄に近づく口実ですか。ふふ、やりますね」

晴菜があの可愛さとあどけなさを全開にした最高の笑顔でそう言った。

 こ、怖え〜。

たぶん違うだろうとツッコミたかったがやめておいた。だって怖いから!

 俺は類は友を呼ぶという言葉をかみ締めながら、そこに少なくとも俺は含まれていないぞとむなしく思うだけだった。


第二章へ続く



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